エジプト日刊紙アル・アクバルが13日報じたところによると、辞任したエジプトのムバラク大統領の2人の息子たち(長男アラア氏と次男ガマル氏)が10日、大統領府内で「デモ激化の責任問題」から激しく喧嘩したという。それを聞いて、深い溜息が漏れた。
 「兄弟喧嘩」と聞けば、直ぐにアダムとエバの間に生まれた2人の息子、カイン(兄)とアベル(弟)や、イサクの2人の息子、エサウ(兄)とヤコブ(弟)の話を思い出す。
 旧約聖書の創世記によると、兄のカインが弟のアベルを殺して人類史上最初の兄弟殺人事件が起きた。エサウとヤコブの場合、ヤコブが全ての財産を兄エサウに贈物をして、騙されて祝福を奪われたと弟を憎んでいたエサウを懐柔する。創世記ではそれ以上、記述されていないが、ユダヤ教では両兄弟は結局、一体化できず、今日まで戦いを続けているという。ユダヤ教徒は「エサウの文化がユダヤ人を苦しめている」と考えている。
 「兄弟喧嘩」は人類の初めから今日まで延々と続いてきた現象だ。ムバラク氏の2人の息子の喧嘩などは驚くに値しない。歴史上人物で兄弟が生涯、仲良く助け合って生きていった、という例があったら教えて欲しいぐらいだ。
 最近読んだマーク・ギブツ氏の「聖家族の秘密」では、2000年前、祭司ザカリアには2人に息子がいたという。6カ月違いで生まれた洗礼ヨハネ(兄)とイエス(弟)だ。そして腹違いの兄弟も他の兄弟と同じ様に、一体化できず、最終的には、一方はヘロデの娘サロメによって首をはねられ、他方は十字架の犠牲となった。
 なぜ、兄弟は仲良く生きていけないのだろうか。創世記では神は弟アベルを愛し、その供え物を受け取り、兄カインの供え物は受け取られなかったと記されている。カインの立場からいえば、アベル殺人の動機は神の不可思議な愛の対応にあったと弁解できるかもしれない。しかし、カインはアベルを愛する道もあったが、殺してしまった。聖書学的に表現すれば、その「殺人DNA」は今日までわれわれ人間の血の中に流れているわけだ。
 換言すれば、神から愛されたいと願っていたカインは神から愛されているアベルの姿を受け入れることができなかったわけだ。
 洗礼ヨハネとイエスの関係もそうだろう。祭司ザカリアとその妻エリザベツの間から生まれた洗礼ヨハネは「ひょっとしたらメシアではないか」と思われるほど立派に成長した青年であった。人望もあった。一方、ザカリアとマリアの間で生まれたイエスはその出自でいつもハンディを背負っていた。大工ヨセフの息子と呼ばれてきた。
 その両者に対し、神の計画は洗礼ヨハネを預言者エリアの再臨とし、イエスを神の子メシアとして祝福したのだ。その後、両者間で「兄弟喧嘩」のような状況が生まれていったのではないだろうか。
 イエスは洗礼ヨハネの死を聞いた時、「女の産んだ者の中で、洗礼ヨハネより大きな人物は起こらなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」(マタイによる福音書11章11節)といわざるを得なかったわけだ。この聖句から洗礼ヨハネはイエスと一体化できずに生涯を終えたことが推測できるわけだ。
 「兄弟喧嘩」を克服するためには、カインとアベルから継承した“忌まわしいDNA”を解明すべきだろう。