チュニジアの民主運動の影響をもろに受けた形でアラブ諸国の盟主・エジプトのムバラク大統領が11日、30年間の独裁政権に終止符を打って辞任した。国民が路上で民主化を叫びだしてから18日目の結果だ。一時は辞任を拒否したムバラク氏だったが、カイロのタハリール広場に集まった国民の「ムバラク、辞任せよ」のシュプレヒコールに対抗できず、同国の紅海沿岸のリゾート地シャルムエルシェイクに避難した。
1月25日から2月11日まで18日間だ。ムバラク氏はその間、大統領府で何を考え、何をしていたのだろうか。軍を動員して国民を鎮圧できると考えていたのだろうか、それとも亡命先を米国を通じて打診していたのだろうか。
ムバラク氏は国営放送を通じて「早期辞任は国をカオスに陥れる。自分はエジプトで生まれた。エジプトの地を離れることはない」と、軍人出身者らしい愛国心をも吐露した。
ムバラク氏の愛国心を否定しないが、同氏が18日間、頭を痛めてきたのは国の命運というより、自身の海外資産の安全確保だったのではないか。辞任し、海外に亡命した場合、カイロの新政権によって前独裁者の海外資産は凍結されることが明らかだ。英紙フィナンシャル・タイムズによると、スイスは同国内にあるムバラク氏の口座を凍結処置したという。ムバラク氏には時間が必要だったのだ。
当方は「独裁者と呼ばれる『資格』」(2011年2月9日)というタイトルのコラムでムバラク氏の海外資産を約400億ドルと書いたが、「700億ドル」という説が飛び出してきている。いずれにしても、ムバラク氏は過去30年間、その独裁的権限を駆使して国家の財産を私物化してきた。その結果が莫大な海外資産となったわけだ。その何割かはこの18日間に安全な場所へ移動したはずだ。
18日間はエジプト国民にとって自国の民主化の夜明けを迎える歴史的プロセスだったが、ムバラク氏にとっては海外資産の隠蔽を図る最後の工作期間であったはずだ。
同氏は「私の過去30年間の歩みに対する評価は歴史が下すであろう」と主張し、「エジプトの大地で死を迎えたい」と語ったが、ムバラク氏は新政権の動向如何では海外に亡命することも計算しているはずだ。だから、ヨットを使えばドバイまで直ぐに行ける紅海沿岸のリゾート地シャルムエルシェイクの大統領避暑地に移動したのではなかったか。
ムバラク氏の18日間を考えていると、当方の脳裏には北朝鮮の金正日労働党総書記の「Xデイ」が浮かんでくる。そして金総書記には「ムバラク氏の18日間」のような時間はないであろうと思えてくるのだ。
1月25日から2月11日まで18日間だ。ムバラク氏はその間、大統領府で何を考え、何をしていたのだろうか。軍を動員して国民を鎮圧できると考えていたのだろうか、それとも亡命先を米国を通じて打診していたのだろうか。
ムバラク氏は国営放送を通じて「早期辞任は国をカオスに陥れる。自分はエジプトで生まれた。エジプトの地を離れることはない」と、軍人出身者らしい愛国心をも吐露した。
ムバラク氏の愛国心を否定しないが、同氏が18日間、頭を痛めてきたのは国の命運というより、自身の海外資産の安全確保だったのではないか。辞任し、海外に亡命した場合、カイロの新政権によって前独裁者の海外資産は凍結されることが明らかだ。英紙フィナンシャル・タイムズによると、スイスは同国内にあるムバラク氏の口座を凍結処置したという。ムバラク氏には時間が必要だったのだ。
当方は「独裁者と呼ばれる『資格』」(2011年2月9日)というタイトルのコラムでムバラク氏の海外資産を約400億ドルと書いたが、「700億ドル」という説が飛び出してきている。いずれにしても、ムバラク氏は過去30年間、その独裁的権限を駆使して国家の財産を私物化してきた。その結果が莫大な海外資産となったわけだ。その何割かはこの18日間に安全な場所へ移動したはずだ。
18日間はエジプト国民にとって自国の民主化の夜明けを迎える歴史的プロセスだったが、ムバラク氏にとっては海外資産の隠蔽を図る最後の工作期間であったはずだ。
同氏は「私の過去30年間の歩みに対する評価は歴史が下すであろう」と主張し、「エジプトの大地で死を迎えたい」と語ったが、ムバラク氏は新政権の動向如何では海外に亡命することも計算しているはずだ。だから、ヨットを使えばドバイまで直ぐに行ける紅海沿岸のリゾート地シャルムエルシェイクの大統領避暑地に移動したのではなかったか。
ムバラク氏の18日間を考えていると、当方の脳裏には北朝鮮の金正日労働党総書記の「Xデイ」が浮かんでくる。そして金総書記には「ムバラク氏の18日間」のような時間はないであろうと思えてくるのだ。