12年5カ月間余り、拉致監禁された世界基督教統一神霊協会(通称・統一教会)の信者、後藤徹氏の申し立てを受けて東京第四検察審査会が開かれ、このほどその議決が明らかになった。東京地方検察庁が昨年12月9日の「本件各不起訴処分」は「いずれも相当である」というものだ。後藤氏は被疑者に対する各逮捕拉致致傷、強要未遂被疑事件の審査を要求していた。
検察審査会は11ページに渡り、議決理由について記述している。
審議会では先ず、被疑者が平成7年9月11日、申立人(後藤氏)を自宅から10メートル先のワゴン車に乗せる時、後藤氏が「靴を履いていたかどうか」を争点とし、「後藤氏が記憶していない」ことを理由に、「靴を履いていた」と判断、強制的に拉致されたという同氏の主張に「疑問」を呈している。
また、後藤氏の身長が182センチで、付き添っていた家族よりも圧倒的に大きいことから、「後藤氏は脱出する意思があれば困難なことではない」と独断し、後藤氏の主張にこれまた疑いを投げかけている。
ちなみに、「靴を履いていたか」という争点では、「記憶がない」という後藤氏の返答の方が事実に近いだろう。12年以上も前のこと、それも「靴を履いていたかどうか」を100%、確実に答えられる人物がいたら、その方がむしろ異常だ。
一方、拉致監禁側の家族側の主張に対しては、検察審査会は最初から疑わない、後藤氏が逃げないために玄関ドアに南京錠などを取り付けたことに対し、被疑者側は「統一教会の信者たちが後藤氏を奪還することを恐れたため、その防止のために設置した」と弁明したが、「被疑者の主張が不当なものとして否定することはできない」とあっさりその主張を認めている。
また、拉致監禁で重要な役割を果たした疑いが濃厚な被疑者「松永堡智(日本同盟基督教団新津福音キリスト教会牧師))及び宮村峻(脱会請負人)」については「関与したとする証拠はない」と簡単に処理している。両者が関与した疑いのある過去の拉致監禁問題を慎重に検証したのか。
次に、後藤氏が監禁から解放された直後の体重問題が記述され、同氏の体重が統一教会側によって操作された疑いを示唆している。民主党議員の有田芳生氏などは自身のブログの中で「一心病院(統一教会系)の謀略的な作為が見事に明らかにされている」と書き、鬼の首でも取ったようにはしゃいでいる。
逆に言うと、ルポライターの米本和広氏が撮影した監禁解放直後の後藤氏の写真は、被疑者に議論の余地がない事実を突きつけているからだ。
イタリアのトリノ大学内で開催された「新宗教に関する研究センター」(CESNUR)主催の国際会議の分科会「日本における強制改宗」で後藤氏の拉致監禁問題が話し合われたが、同氏の写真が紹介された時、参加者の多くはショックを受けたという。偏見なく写真を見れば、衝撃を受けるのが自然だろう。一方、被疑者側には写真を否定しなければならない事情がある。だから、元共産党系ジャーナリストだった有田氏のように「写真の撮影は操作された」といった妄想が飛び出してくるわけだ。
後藤氏の主張は最初から疑惑の目でみられ、12年5カ月間も監禁されていたという事実は「証拠がない」として否定されている。その一方、申立人の「人権」や「信仰の自由」はどうしたのか。審議会が「信仰の自由」と「人権の普遍性」について慎重に協議した形跡を「議決の理由」文からは見出せない。
検察審査会のメンバーの中に仏教徒かキリスト信者がいなかったのか。議決内容からは、棄教を迫られた信仰者に対する理解がまったく感じられない。極端にいえば、有田氏のような元共産党系の無神論者集団が一人の信仰者の言動を糾弾し、裁いているような違和感を感じる。
考えても見てもらいたい。アパートから他のアパートへ移動を繰り返す状況はそれだけで“異常”だ。そして“1人対多数”の心理的影響などは、何も考慮されていない。もっぱら、「靴を履いていたか」「182センチの大男が」といった唯物的、即物的な観点でしか審議していないのだ。
検察審査会が議決できる権限と情報を有していたとは思えない。議決内容を読む限り、検察庁のシナリオに沿って議決された、という印象を受ける。当方は今回の検察審査会の議決に納得できない。
検察審査会は11ページに渡り、議決理由について記述している。
審議会では先ず、被疑者が平成7年9月11日、申立人(後藤氏)を自宅から10メートル先のワゴン車に乗せる時、後藤氏が「靴を履いていたかどうか」を争点とし、「後藤氏が記憶していない」ことを理由に、「靴を履いていた」と判断、強制的に拉致されたという同氏の主張に「疑問」を呈している。
また、後藤氏の身長が182センチで、付き添っていた家族よりも圧倒的に大きいことから、「後藤氏は脱出する意思があれば困難なことではない」と独断し、後藤氏の主張にこれまた疑いを投げかけている。
ちなみに、「靴を履いていたか」という争点では、「記憶がない」という後藤氏の返答の方が事実に近いだろう。12年以上も前のこと、それも「靴を履いていたかどうか」を100%、確実に答えられる人物がいたら、その方がむしろ異常だ。
一方、拉致監禁側の家族側の主張に対しては、検察審査会は最初から疑わない、後藤氏が逃げないために玄関ドアに南京錠などを取り付けたことに対し、被疑者側は「統一教会の信者たちが後藤氏を奪還することを恐れたため、その防止のために設置した」と弁明したが、「被疑者の主張が不当なものとして否定することはできない」とあっさりその主張を認めている。
また、拉致監禁で重要な役割を果たした疑いが濃厚な被疑者「松永堡智(日本同盟基督教団新津福音キリスト教会牧師))及び宮村峻(脱会請負人)」については「関与したとする証拠はない」と簡単に処理している。両者が関与した疑いのある過去の拉致監禁問題を慎重に検証したのか。
次に、後藤氏が監禁から解放された直後の体重問題が記述され、同氏の体重が統一教会側によって操作された疑いを示唆している。民主党議員の有田芳生氏などは自身のブログの中で「一心病院(統一教会系)の謀略的な作為が見事に明らかにされている」と書き、鬼の首でも取ったようにはしゃいでいる。
逆に言うと、ルポライターの米本和広氏が撮影した監禁解放直後の後藤氏の写真は、被疑者に議論の余地がない事実を突きつけているからだ。
イタリアのトリノ大学内で開催された「新宗教に関する研究センター」(CESNUR)主催の国際会議の分科会「日本における強制改宗」で後藤氏の拉致監禁問題が話し合われたが、同氏の写真が紹介された時、参加者の多くはショックを受けたという。偏見なく写真を見れば、衝撃を受けるのが自然だろう。一方、被疑者側には写真を否定しなければならない事情がある。だから、元共産党系ジャーナリストだった有田氏のように「写真の撮影は操作された」といった妄想が飛び出してくるわけだ。
後藤氏の主張は最初から疑惑の目でみられ、12年5カ月間も監禁されていたという事実は「証拠がない」として否定されている。その一方、申立人の「人権」や「信仰の自由」はどうしたのか。審議会が「信仰の自由」と「人権の普遍性」について慎重に協議した形跡を「議決の理由」文からは見出せない。
検察審査会のメンバーの中に仏教徒かキリスト信者がいなかったのか。議決内容からは、棄教を迫られた信仰者に対する理解がまったく感じられない。極端にいえば、有田氏のような元共産党系の無神論者集団が一人の信仰者の言動を糾弾し、裁いているような違和感を感じる。
考えても見てもらいたい。アパートから他のアパートへ移動を繰り返す状況はそれだけで“異常”だ。そして“1人対多数”の心理的影響などは、何も考慮されていない。もっぱら、「靴を履いていたか」「182センチの大男が」といった唯物的、即物的な観点でしか審議していないのだ。
検察審査会が議決できる権限と情報を有していたとは思えない。議決内容を読む限り、検察庁のシナリオに沿って議決された、という印象を受ける。当方は今回の検察審査会の議決に納得できない。

至急、管理人を通じて訂正させていただきます。
米本和広氏には申し訳ありませんでした。
今後は一層、慎重にチェックする所存です。
これからもアドバイスを宜しくお願いします。