こんなことを書いてオーストリア観光局からお叱りを受けるかもしれないが、“音楽の都”ウィーンに最近、頓に幽霊が現れるのだ。
 当方の限られた交流範囲の中でも「幽霊をみたのよ」とか、「台所に一人で料理している時、急に背中が寒くなることがあるのよ。誰かが側で見ているような感じ」といった話を聞く。
 「幽霊をみた」といえば、馬鹿にされると警戒していた紳士淑女も一人が口を開けると、「そうなのよ。実は私も……」といって「幽霊の話」が飛び出してくるのだ。
 21世紀の今日、「幽霊は死んだ」と二ーチェ(Nietzsche)のような台詞が吐く人がいる一方、「幽霊はいる」と確信する人々がいる。「神の存在」と同様、「幽霊の存在」でもコンセンサスは元々期待できない。
 ここでは2、3の例を挙げる。あるウィーンの有名なレストランでの話だ。地下の調理場所で料理をしていると最近、誰かの吐息が聞こえてくるというのだ。それも一定の場所からだ。料理人が勇気をだして吐息が聞こえる方向にいった。そこには鍵が掛かった古い戸がある。レストランの主人もその戸を開けたことがないという。料理人は鍵をもらって戸を開けると、そこには別の地下に通じる階段があったのだ。階段は途中で壊れ、壁も崩れ落ちていた。空襲を受けた跡のようにだ。はっきりとしているのは、そこから吐息が聞こえてくるのだ。
 レストランの場合、「誰が昔、住んでいたか」を土地台帳(Grundbuch)で調べれば、「誰の吐息か」が判明するかもしれない。ちなみに、第2次世界大戦ではそのレストラン一帯は連合軍の空襲を受けた地域だ。空襲で生き埋めとなった人たちの「吐息」かもしれない。
 ウィーン14区にはナチス・ドイツ軍が患者たちを人体実験に利用した精神病院がある。あそこでは、夜な夜な幽霊が出てくるというのだ。
 戦争が終わって65年以上が経過したが、幽霊たちは65年前のままで、時間は止まっているのかもしれない。恨みとその悲しみ、痛みを解放しない限り、浮かばれないのだろうか。
 「幽霊となった人々」のことを考えていると、彼らが当方の側にきて、囁き始めたような、軽い錯覚を覚えた。