年をとったせいか、夜中に目を覚ましてトイレに行く回数が増えた。その日もそうだった。家人が飼っている2匹のモルモットが餌を漁っている音がする。
「元気か」と声をかけた後、窓を開けてバルコニーに出た。新鮮な空気を吸いたくなった。夜空をみたら、整った上品な顔をした満月が目に飛び込んできた。
その話を朝食時に家人に話すと、妻は「今月22日は中秋の名月に当たる」と教えてくれた。日本ではさまざまなお月見のイベントが開かれるという。韓国では多くの国民が故郷に戻り、家族と一緒に秋夕(チュソク)を祝う習慣があるという。
日本にいた時、「中秋の名月」を楽しんだことがなかった。だから、「日本の中秋の名月」とベートーヴェンやモーツァルトも鑑賞しただろう「ウィーンの中秋の名月」を比較できない。「名月はどこでも名月だ」といわれるかもしれない。
その翌日の夜中、目を覚ました。9月に入ると急速に涼しくなった。「ウィーンの中秋の月」はひんやりとした秋風の中、穏やかな月光を放っていた。
「ベートーヴェンにはピアノソナタ第14番、『月光』という曲があった」と思い出した。「彼は中秋の名月を鑑賞しながら、あの美しい『月光』のメロディを作曲したのだろうか」と漠然と考えた。
ベートーヴェンはハイリゲンシュタットの町を散策しながら、地元の教会に通い、あの有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた。ベートーヴェンが「月光」を作曲した1801年頃は耳鳴りで苦悩していた時代だ。当方は「月光」を聴く度に不思議と心が落ち着く。
「ウィーンの中秋の名月」をベートーヴェンは「月光」の中で表現し、その中で全ての苦悩を昇華していったのだろうか。
ハイリゲンシュタットは現在、ウィーン市19区だ。高級住宅街だ。当方が現在住んでいるオッタクリングは16区だ。通称、労働者の町だ。朝が早いこともあって、市民は早くベットに着く。バルコニーから「ウィーンの中秋の名月」を楽しむ住民など多くはいないだろう。
日本で鑑賞の機会がなかった「中秋の名月」を当方はここウィーン市の「労働者の町」でやっと鑑賞するチャンスを得た。
「元気か」と声をかけた後、窓を開けてバルコニーに出た。新鮮な空気を吸いたくなった。夜空をみたら、整った上品な顔をした満月が目に飛び込んできた。
その話を朝食時に家人に話すと、妻は「今月22日は中秋の名月に当たる」と教えてくれた。日本ではさまざまなお月見のイベントが開かれるという。韓国では多くの国民が故郷に戻り、家族と一緒に秋夕(チュソク)を祝う習慣があるという。
日本にいた時、「中秋の名月」を楽しんだことがなかった。だから、「日本の中秋の名月」とベートーヴェンやモーツァルトも鑑賞しただろう「ウィーンの中秋の名月」を比較できない。「名月はどこでも名月だ」といわれるかもしれない。
その翌日の夜中、目を覚ました。9月に入ると急速に涼しくなった。「ウィーンの中秋の月」はひんやりとした秋風の中、穏やかな月光を放っていた。
「ベートーヴェンにはピアノソナタ第14番、『月光』という曲があった」と思い出した。「彼は中秋の名月を鑑賞しながら、あの美しい『月光』のメロディを作曲したのだろうか」と漠然と考えた。
ベートーヴェンはハイリゲンシュタットの町を散策しながら、地元の教会に通い、あの有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた。ベートーヴェンが「月光」を作曲した1801年頃は耳鳴りで苦悩していた時代だ。当方は「月光」を聴く度に不思議と心が落ち着く。
「ウィーンの中秋の名月」をベートーヴェンは「月光」の中で表現し、その中で全ての苦悩を昇華していったのだろうか。
ハイリゲンシュタットは現在、ウィーン市19区だ。高級住宅街だ。当方が現在住んでいるオッタクリングは16区だ。通称、労働者の町だ。朝が早いこともあって、市民は早くベットに着く。バルコニーから「ウィーンの中秋の名月」を楽しむ住民など多くはいないだろう。
日本で鑑賞の機会がなかった「中秋の名月」を当方はここウィーン市の「労働者の町」でやっと鑑賞するチャンスを得た。
