駐オーストリアの北朝鮮大使館で7日午後5時半(現地時間)から同国建国62周年(9月9日)の祝賀会が開催された。金光燮大使(金正日労働党総書記の義弟)が平壌に帰国中ということもあって、ゲスト数は30人程度。VIPと呼ぶことができるゲストは駐オーストリアの中国大使館の参事官一人で、寂しい祝賀会だった。
「寂しい祝賀会」と書いたが、「寂しくない活気溢れる祝賀会」が開催されたことがあっただろうか、と考えた。金日成主席が1994年に心臓病で死去して以来、その息子・金正日労働党総書記が実権を掌握してからは「寂しい祝意会」が続いてきたからだ。
オーストリア・北朝鮮友好協会の古メンバーが「金主席時代はこんなものではなかったよ」と嘆くのを当方は何度か聞いたことがある。
その「昔はよかった」という台詞は老人の口癖だが、この場合、それなりの理由がある。金主席が提唱した主体思想はオーストリアの知識人を魅惑し、インスブルック大学の哲学教授たちが平壌詣でした時代があった。その理由の一つは、南チロル問題を抱えていたオーストリア知識人たちには、北の主体思想がその解決の道を提供していると感じたからだといわれる。
北朝鮮の国民経済成長は70年代から80年代にかけ韓国経済を凌ぐほどだった。だから、主体思想もそれなりに説得力があったが、旧ソ連・東欧諸国の共産政権が崩壊してからは、南北両国間の経済力は大逆転、今日は北の経済水準は韓国の何十分の一ともいわれるほどになった。人工衛星が撮影した夜の朝鮮半島の写真をみると、光が溢れる韓国に対し、北側は闇の中に沈んでいる。理屈ではなく、南北間で大きな格差が出来てしまったわけだ。
これもあれも全て金総書記時代に入ってからだ。金主席時代に友好協会に所属した古メンバーが「あいつ(金総書記)が北を悪くした」と受け取っても不思議ではない。だから、親北派の間でも人気がない。人気がなければ、祝賀会にも顔を出さなくなるし、距離を置くようになる。祝賀会が年々、寂しくなるのは当然の結果だろう。
ちなみに、北の労働党機関紙・労働新聞は6日、論文の中で「伝統は継承してこそ光り輝く」と強調していたが、金主席から金正日総書記への伝統の継承は光り輝くどころか、凋落の道を切り開いてしまった。
「寂しい祝賀会」と書いたが、「寂しくない活気溢れる祝賀会」が開催されたことがあっただろうか、と考えた。金日成主席が1994年に心臓病で死去して以来、その息子・金正日労働党総書記が実権を掌握してからは「寂しい祝意会」が続いてきたからだ。
オーストリア・北朝鮮友好協会の古メンバーが「金主席時代はこんなものではなかったよ」と嘆くのを当方は何度か聞いたことがある。
その「昔はよかった」という台詞は老人の口癖だが、この場合、それなりの理由がある。金主席が提唱した主体思想はオーストリアの知識人を魅惑し、インスブルック大学の哲学教授たちが平壌詣でした時代があった。その理由の一つは、南チロル問題を抱えていたオーストリア知識人たちには、北の主体思想がその解決の道を提供していると感じたからだといわれる。
北朝鮮の国民経済成長は70年代から80年代にかけ韓国経済を凌ぐほどだった。だから、主体思想もそれなりに説得力があったが、旧ソ連・東欧諸国の共産政権が崩壊してからは、南北両国間の経済力は大逆転、今日は北の経済水準は韓国の何十分の一ともいわれるほどになった。人工衛星が撮影した夜の朝鮮半島の写真をみると、光が溢れる韓国に対し、北側は闇の中に沈んでいる。理屈ではなく、南北間で大きな格差が出来てしまったわけだ。
これもあれも全て金総書記時代に入ってからだ。金主席時代に友好協会に所属した古メンバーが「あいつ(金総書記)が北を悪くした」と受け取っても不思議ではない。だから、親北派の間でも人気がない。人気がなければ、祝賀会にも顔を出さなくなるし、距離を置くようになる。祝賀会が年々、寂しくなるのは当然の結果だろう。
ちなみに、北の労働党機関紙・労働新聞は6日、論文の中で「伝統は継承してこそ光り輝く」と強調していたが、金主席から金正日総書記への伝統の継承は光り輝くどころか、凋落の道を切り開いてしまった。
