伊ニュース雑誌「パノラマ」は最新号(7月23日号)でローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁のあるローマ教区の聖職者が「同性愛の生活とミサに仕える生活といった2重人格的な生活を送っている」と批判する記事を掲載した。すなわち、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの「ジキル博士とハイド氏」のローマ版というわけだ。
 欧州各地で聖職者の未成年者への性的虐待問題が発覚して以来、メディアの報道に神経質となっているローマ教区側は雑誌の記事が掲載されると早速、「聖職者が同性愛的活動と聖職を共に行うことは許されない」と批判する一方、「336教会に約1300人の聖職者が教区に従事しているが、大多数の聖職者は真面目にその聖職を行っている」と弁護し、「スキャンダルな報道で聖職者の信頼性を震撼させることは容認されない」と、雑誌の報道姿勢を非難している。
 25日のバチカン放送(独語電子版)によると、ローマ教区側は二重人格者のような生活を送ってきた聖職者に対しては、「そのような人間は聖職者になるべきではない。われわれは彼らに敵意はないが、容認できない。彼らの所業は聖な職務を真摯に実施する者にもダメージだ」と主張している。
 ところで、一種の解離性同一性障害といわれる二重人格者(多重人格)は礼拝の合間に同性愛的行動を繰り返してきたローマ教区の神父たちだけではないだろう。未成年者に性的虐待を繰り返してきた数千人の聖職者も同様だ。
 もちろん、二重人格者は教会内だけにみられるものではない。社会の各層で目撃できる。「聖なる宮」といわれる教会内では、2つの異なる人格の格差が他の社会より一層鮮明に浮かび上がるだけだ。悪に仕える「肢体」と神を求める「本心」との間で葛藤した聖パウロを思い出すだけで十分だろう。
 聖書学的にいうならば、人間始祖が堕落して以来、全ての人間は程度の差こそあれ二重人格者のような人生を送っている、といえるかもしれない。
 ただし、異なる人格を巧みに使い分け、人生を享受するか、聖パウロのように内なる葛藤に悩み、「人格の統合」を図ろうと苦闘するかで、人生の生き方は明らかに異なってくるわけだ。