作家・五木寛之氏とカトリック教会司教・森一弘氏との対話集「神の発見」(平凡社)によると、日本のカトリック教会は17世紀のオランダの神学者ヤンセンの影響を受け、その教えは真面目で厳格な信仰を形成していったという。すなわち、日本のローマ・カトリック教会が魅力の乏しい教会となったのはオランダ人神学者のヤンセ二ズム(厳格主義)の影響が残っているからだというわけだ。
 神学者コルネリウス・ヤンセン(1585年〜1638年)は人間の罪深さを強調する一方、人間の自由意思の弱さを主張し、厳格な信仰を要求してきた。ヤンセニズムはその著書「アウグスティヌス」の中で記述されている。特に、フランスに大きな影響を与えた。ちなみに、フランスの教会は当時、アジア宣教の責任を担っていたのだ。
 当方は日本を離れ30年になることもあって、日本のカトリック教会やその信者たちの実態を知らない。当方が小さい時、カトリック信者といえば、特定のエリートの信仰、意味は分らなかったが、ハイカラな信仰といったイメージを持っていただけだ。
 日本でキリスト教が広がらなかった主因について、当コラム欄でもいろいろと考えてきたが、日本のキリスト教宣教は、外国宣教師が日本民族の文化を無視し、厳格な信仰を一方的に押し付け、結局、反発されてきた歴史であったといえるかもしれない。
 キリスト教と好対照はインドから到来した仏教だろう。五木氏によると、仏教は、インド、中国を経由して独自の日本仏教を形成していった。それはインド仏教でも中国仏教でもない、「日本仏教」というわけだ。
 キリスト教の場合、日本独自のキリスト教はこれまでのところ生まれてこなかった。カトリック作家・遠藤周作が厳格で厳しい父性の神ではなく、許しと癒しをもたらす母性の神を追い求めていったことは良く知られている。それはヤンセン主義の強い信仰から脱皮し、日本人の肌に合ったカトリック信仰を模索したパイオニア的な試みだった、といえるだろう。カトリック劇作家の矢代静一は遠藤の試みを「少年のときに着せられた洋服(幼児洗礼)を自分の体に合った和服にする努力」と表現している。