「俺が亡くなれば、君たちは後悔するだろう」
 イラクの独裁者サダム・フセインは生前、国民に向かってこのように豪語したという。そのフセインの遺言を今、苦い思いで想起する国民が増えているという。
 国連でアラブ語訳担当のイラク人は「フセイン政権が崩壊してから今日まで約100万人の国民が犠牲となった。フセイン独裁政権が継続していたとすれば、その犠牲者数は何十分の一だったろう。停電はなく、電気も通話も正常だったはずだ」という。この嘆きは彼一人のものではない。多くのイラク人知識人の本音だという。
 「俺は外交官の発言や文書を訳してきた。フセイン時代のイラク外交官は世界でも最も優秀だった。多くは大学教授出身者だった。フセイン政権崩壊後、海外駐在のわが国の外交官を見ろ。彼らは路上から拾われた人間たちだ。正式の学歴も知識も有していない。彼らがわが国の外交を担当しているのだ。これがフセイン政権後のわが国の実情だ」という。
 「イラクでは議会選挙が3月実施されたが、選挙で敗北した政党は依然、政権の甘い汁を忘れることができないから政権維持に固守している。民主主義とはまったくかけ離れた世界だ。フセイン時代は独裁政治だったが、少なくとも秩序と安定はあった。今の政情はカオスだ」
 当方はイラク人知識人の嘆きと同じ様な呟きを聞いたことがある。旧ソ連・東欧諸国の国民からだ。国連常駐のロシア人記者は今も「旧ソ連時代は良かった」と口癖のようにいう。そしてソ連邦を解体させたゴルバチョフ氏を「ロシア民族の裏切り者」と罵倒する。その理由もイラク人のそれと大きく異ならない。
 両者の相違は、ロシア人記者の嘆きが1991年12月のソ連邦解体後から次第に飛び出し、イラク人知識人のそれはフセイン政権崩壊(2003年4月)直後から聞こえ出し、7年後の今日、暴発寸前までふくれ上がってきたことだ。
 共産主義の独裁政治から解放された直後、大多数のロシア人は自由を享受したはずだ。イラク人だって同じだろう。フセイン政権下で弾圧されてきた国民にとって、フセイン政権の崩壊は大きな解放感を与えたはずだ。しかし、時間の経過と共に、解放感や自由の喜びは日々の生活苦や困窮下で忘れられていく。
 独裁者フセインの亡霊が完全に消滅するまで、あとどれだけの時間が必要なのだろうか。