当コラムの貴重な読者の1人がコメントを寄せられ、そこで「私はワールド・カップもオリンピックも興味がないので見ません」と書かれていたのを読んで、少々、ショックを受けた。
読者は聖書に精通され、当方もコメントをもらう度にいろいろと教えられてきた。その読者が「ワールド・カップもオリンピックも興味がない」といわれ、「スポーツでも、戦場でも、自分たちの側に勝利がもたらされるように人々は祈りますが、私の神は、そのような祈りを決して聞かれない方です」という。
当方は35年前、スポーツの取材記者だった。ボクシングから野球、大相撲、ラクビーからアイスホッケーまで取材した経験があるし、巨人入団前の江川卓投手や世界ミドル級チャンピオンの輪島功一選手、世界フライ級チャンピオンの具志堅用高選手らと会見したことがある。巨人の長島選手には田園調布の自宅前で会見を断れた苦い経験もある。
選手が勝利するまでのプロセスや、大記録を樹立した選手の伝記や、その証を聞く度に、野口英世博士や湯川秀樹氏の伝記と同様、大きな感動を覚える。野茂英雄投手が引退した後、当方は毎日、イチロー選手の記録を追っている。
毎朝、スポーツ紙を読むのが朝食よりも好きな人もいる一方、当方の読者のように、スポーツにはまったく関心がない人がいても不思議ではない。分っているが、理解していただきたこともある。スポーツを楽しみ、その勝敗に一喜一憂することは神様の心を傷つけることではない。むしろ、神様はわれわれ以上にスポーツ好きではないだろうか。神様は負けず嫌いで、負けたら次は勝つためにこれまで以上に汗を流して特訓される神様ではないだろうか(もちろん、聖書の中でそれに該当する聖句を引用できないが……)。
友人から聞いた話だが、世界基督教統一神霊協会(通称・統一教会)の創設者・文鮮明師はオリンピックが始まれれば、オリンピックを見るために生まれてきた人間のようにテレビの前で観戦するという。文師はサッカーのピース・カップを創設し、サッカー・クラブのオーナーとしても有名だ。なぜ、同師はサッカーに強い関心があるのだろうか。文師はある日、それに答え「サッカーはボール一つあれば、誰でも楽しめるスポーツだ。サッカー人口が世界最大スポーツなのはそのためだ。私はサッカーを通じて多くの人々の心を神に繋げたいのだ」と語られたという。
スポーツは頑な心も溶かし、一つにする力を持っている。サッカーは一つのボールを追って、全ての選手が右に左にと動く。
日本のカトリック作家・遠藤周作はその著書の中で「神が存在するかどうかといった討議には関心がない。神は行動を通じて顕現される」といった内容のことを語っている。
神は聖書の中だけに縮小される神ではなく、行動の神であり、スポーツの神でもある。当方の大切な読者がその点を理解され、今後とも付き合って下されれば幸いだ。
読者は聖書に精通され、当方もコメントをもらう度にいろいろと教えられてきた。その読者が「ワールド・カップもオリンピックも興味がない」といわれ、「スポーツでも、戦場でも、自分たちの側に勝利がもたらされるように人々は祈りますが、私の神は、そのような祈りを決して聞かれない方です」という。
当方は35年前、スポーツの取材記者だった。ボクシングから野球、大相撲、ラクビーからアイスホッケーまで取材した経験があるし、巨人入団前の江川卓投手や世界ミドル級チャンピオンの輪島功一選手、世界フライ級チャンピオンの具志堅用高選手らと会見したことがある。巨人の長島選手には田園調布の自宅前で会見を断れた苦い経験もある。
選手が勝利するまでのプロセスや、大記録を樹立した選手の伝記や、その証を聞く度に、野口英世博士や湯川秀樹氏の伝記と同様、大きな感動を覚える。野茂英雄投手が引退した後、当方は毎日、イチロー選手の記録を追っている。
毎朝、スポーツ紙を読むのが朝食よりも好きな人もいる一方、当方の読者のように、スポーツにはまったく関心がない人がいても不思議ではない。分っているが、理解していただきたこともある。スポーツを楽しみ、その勝敗に一喜一憂することは神様の心を傷つけることではない。むしろ、神様はわれわれ以上にスポーツ好きではないだろうか。神様は負けず嫌いで、負けたら次は勝つためにこれまで以上に汗を流して特訓される神様ではないだろうか(もちろん、聖書の中でそれに該当する聖句を引用できないが……)。
友人から聞いた話だが、世界基督教統一神霊協会(通称・統一教会)の創設者・文鮮明師はオリンピックが始まれれば、オリンピックを見るために生まれてきた人間のようにテレビの前で観戦するという。文師はサッカーのピース・カップを創設し、サッカー・クラブのオーナーとしても有名だ。なぜ、同師はサッカーに強い関心があるのだろうか。文師はある日、それに答え「サッカーはボール一つあれば、誰でも楽しめるスポーツだ。サッカー人口が世界最大スポーツなのはそのためだ。私はサッカーを通じて多くの人々の心を神に繋げたいのだ」と語られたという。
スポーツは頑な心も溶かし、一つにする力を持っている。サッカーは一つのボールを追って、全ての選手が右に左にと動く。
日本のカトリック作家・遠藤周作はその著書の中で「神が存在するかどうかといった討議には関心がない。神は行動を通じて顕現される」といった内容のことを語っている。
神は聖書の中だけに縮小される神ではなく、行動の神であり、スポーツの神でもある。当方の大切な読者がその点を理解され、今後とも付き合って下されれば幸いだ。
「責任の大きさと喜びの大きさは比例する、と言われます。喜びもいつしか宇宙大になっている事でしょう」
上記の言葉は素晴らしいですね。
今後とも宜しく。