いつものようにバチカン放送の独語電子版を読んでいた時、「フランス司教会議、ブブゼラを擁護」という題の記事を見つけた。ブブゼラの音に頭を悩まされてきた当方は早速、読んでみた。
 仏カトリック教会司教会議副事務局長は旧約聖書ヨシュア記6章で記述されている「エリコの壁」を例に挙げ、「憎悪、偏見、民族主義の残滓を崩壊させることができれば、いいではないか。殺人武器の轟音のほうがもっと人間には耐えられない」と述べ、ブブゼラを擁護している。
 その上で、「ブブゼラの音は確かに許容可能な限界まで達しているが、絶え間ない街の騒音にすら、われわれの耳は慣れてしまったではないか」という。南アフリカの大統領や国民が聞いたら、涙を流して感動するだろう。
 しかし、当方はワールドカップ(W杯)の開催中はブブゼラの演奏中止を願っている。4年に1度開催されるサッカーの祭典をブブゼラの騒音で悩まされたくない、と考える無数のサッカー・ファンがいるのだ。
 念のために強調するが、ブブゼラの禁止は決して南アの文化否定や軽視を意味しない。純粋に生理的に耐えられないだけだ。仏聖職者のように、ブブゼラの音をエリコの壁を崩壊させた角笛の音と比較して満足できるようなアカデミックなテーマでもないのだ。
 実際、W杯の試合を実況中継する独公営放送やオーストリア放送は目下、ブブゼラの騒音を可能な限り抑制するためフィルター装置を設置した。耳鼻科の医者からは「ブブゼラの音は耳が耐えられる許容限度に近い」というデーターが公表されているのだ。
 例を挙げてみよう。電車がガード下を通過した時のデシベル(騒音の単位)は90だ。ブブゼラは120を越える。最大可聴域の130に近い。強度の難聴を引き起こす危険性があるのだ。米軍嘉手納基地の飛行機発着時でも110デシベル以下だ。
 にもかかわらず、国際サッカー連盟(FIFA)はブブゼラの禁止を考えていないという。ひょっとしたら、FIFA幹部たちは既にブブゼラのため強度の難聴を患い、サッカー・ファンの声が聞こえなくなったのかもしれない。