ポーランドのカチンスキ大統領夫妻らが搭乗した政府専用機が墜落し、大統領夫妻を含む乗客、乗組員ら96人全員が死亡した。このニュースは、ポーランド全土に衝撃を与えている。
 欧州メディアは「ポーランドは泣いている」と報じた。ポーランド人将校が第2次世界大戦、旧ソ連秘密警察によって殺害された通称「カチンの森事件」の慰霊祭に向かう途上で発生した事故であることから、メディアの一部では「カチンの呪い」と呼んでいるほどだ。
 冷戦時代のポーランドは東欧の民主改革の先駆者であった。自主管理労組「連帯」を中心にカトリック教会や知識人たちが自由と民主主義を求め、共産政権と戦ってきた。
 冷戦終焉後、民主化運動を推進してきた「連帯」議長レフ・ワレサ氏(元大統領)ら多くの活動家は政府要職に就いた。カチンスキ大統領も「連帯」でワレサ氏らを支えてきた知識人の一人だった。
 大統領搭乗機の墜落原因については、36歳のパイロット(総飛行時間1939時間)のミスではないか、といわれている。パイロットは、ロシアの空港管制局が「霧が深いのでモスクワかミンスクの空港に向かうように」と指示したが、それを無視して強行着陸を試みたからだ。
 事故の詳細はブラックボックスの解明まで待たなければならないが、ここにきて「カチンスキ大統領がパイロットに強行着陸を指示した」という情報が流れている。大統領の強い要請を無視できなかったパイロットが着陸困難にもかかわらず、強行着陸を試みた、というわけだ。
 ところで、カチンスキ大統領の政治活動を振り返ると、「野党精神」と「愛国主義」がその中核となってきた。
 ポーランド民族は歴史的に批判精神、野党精神が旺盛だ。過去、3度、プロイセン、ロシア、オーストリアなどに領土を分割され、国を失った悲惨な経験を味わったからかもしれない。為政者(統治者)に対する批判精神は鍛えられたが、統治能力は十分発展せずに今日に到っている、といわれる。
 カチンスキ大統領はポーランドの「野党精神」の体現者の一人だった。ちなみに、民主改革の英雄・ワレサ氏も同じだった。ワレサ氏の場合、政治家としては最後、国民から見放され、政界の表舞台から去った。同じ様に、カチンスキ大統領の支持率もここにきて低下していた。
 カチンスキ大統領は徹底した反共主義者だった。同時に、欧州連合(EU)の新基本条約「リスボン条約」の批准にも難色を示すなど、民族主義的傾向が強かった。冷戦後、ポーランドが欧州統合に参加する上で、カチンスキ大統領の政治信条が障害となってきた、という声が聞かれたほどだ。
 ポーランドの政治家や国民は歴史的な「野党精神」を止揚し、欧州の統合プロセスで大きな役割を果たして欲しい。それこそ、民族を愛し続けたカチンスキ大統領が果たしたくても出来なかった夢ではなかったか。