友人は脳神経外科の病棟にいた。椅子に座って親戚関係者と話していた。話せるようになったのだ。
 親戚に挨拶し、彼に声をかけた。友人は何かぶつぶついって、顔をしかめた。当方が誰か思い出せないのだ。記憶がなくなったのだ。
 最近になって、1、2、3〜5までの数字を思い出したが、それ以上はまだ出てこないという。親戚関係者に対しても同様という。生きてきた60年間の記憶が一瞬、消えてしまったのだ。
 知人のクウェート通信社(KUNA)記者が「コンピューターに例えて言えば、これまでの全てのメモリーや情報が消えたわけだ。もう一度、情報を導入すればいいだけさ。時間がかかるかもしれないが、記憶が戻る可能性は十分ある」と説明してくれた。
 脳出血で頭の中の記憶を司る部分が故障すると、10年以上、国連記者室でほぼ毎日、出会い、談笑した思い出も同時に消えてしまった。
 時には、喧嘩したり、論争となったこともあった。イランの核報告書を他のメディアに先駆けて入手し、情報交換しながら夜遅くまで記事を書いた日もあった。
 石油輸出国機構(OPEC)主催の夕食会に招待され、お互い腹一杯食べたこともあった。最近では、ウィーン国際映画祭の記者会見に一緒にいった。彼は一人者だったから、かなり自由に動けた。当方が午後6時を過ぎると帰宅するのをみて、「今夜は君が夕食をつくる番かね」とからかったりした。
 それらの日々の記憶は、友人の中から消えた。不思議な思いにかられた。
 生きていると、いい思い出ばかりではない。忘れたい嫌な思い出も少なくない。中東レバノンから欧州に定着した友人には、どちらのほうが多いのだろうか。
 開頭手術を受けたこともあって、友人は頭髪がなかった。当方を不思議そうに見る友人は奇妙に“軽い”印象を与えた。風船のように軽く、どこかに飛んでいきそうな不安定さが漂っていた。


 後で分ったことだが、友人から感じたあの“軽さ”は、記憶の喪失からくる存在感の無さに因るものだろう。地上の生活の重石となるべき「記憶」が消えたので、足が地に着陸できないのだ。友人はもどかしいはずだ。