欧州人権裁判所(本部ストラスブール)が公共学校内の十字架を違法と判断を下したが、その反響は今も欧州各地でみられる。
ところで、欧州では今日、宗教的言動やそのシンボルが激しい攻撃に晒されている。十字架だけではない。へジャブ(イスラム教徒の女性スカーフ)からキッバ(ユダヤ教徒の黒い帽子)まで攻撃を受けているのだ。
「イスラム・フォビア」(イスラム嫌悪)でも「クリスチャン・フォビア」(キリスト教嫌悪)でもない。ましてや、キリスト教社会とイスラム教の文明間の衝突でもない。宗教一般へのフォビアと呼ぶべきかもしれない。
「欧州社会の世俗化の結果」といえば、それまでかもしれないが、事態はかなり深刻だ。
スイスで今月29日、「イスラム寺院のミナレット(塔)建設禁止案」に対して、国民の是非が問われるが、同国の民間団体が先日、「キリスト教会の鐘についても同様にその是非を問うべきだ」と主張した。理由は「教会の鐘はうるさく、睡眠と思考を妨害する」という。
欧州では、イスラム寺院のミナレットから祈祷の時間を知らせる「アザーン」(呼びかけ)が批判されたことはあった。その批判の矢はいま「教会の鐘」に向けられているのだ。
「アザーン」も「教会の鐘」も信者の日常生活にとって必要不可欠だが、信者でない旅行者や異邦人にとって、騒音以外の何ものでもない。しかし、欧州でこれまで教会の鐘がその音ゆえに批判されるということはほとんどなかった。現代人は「音」に対し昔以上に敏感となったのだろうか。
教会の鐘はイスラム寺院の「アザーン」ではない。昔からあったものだ。その教会の鐘が「睡眠や思考を妨げる」という理由から訴えられているのだ。
価値の相対主義が席巻する世俗社会では、絶対主義的な世界観を標榜する宗教に対し、病的な恐怖感、嫌悪感がみられることは事実だ。「宗教フォビア」の深層心理を検証する必要があるだろう。
ところで、欧州では今日、宗教的言動やそのシンボルが激しい攻撃に晒されている。十字架だけではない。へジャブ(イスラム教徒の女性スカーフ)からキッバ(ユダヤ教徒の黒い帽子)まで攻撃を受けているのだ。
「イスラム・フォビア」(イスラム嫌悪)でも「クリスチャン・フォビア」(キリスト教嫌悪)でもない。ましてや、キリスト教社会とイスラム教の文明間の衝突でもない。宗教一般へのフォビアと呼ぶべきかもしれない。
「欧州社会の世俗化の結果」といえば、それまでかもしれないが、事態はかなり深刻だ。
スイスで今月29日、「イスラム寺院のミナレット(塔)建設禁止案」に対して、国民の是非が問われるが、同国の民間団体が先日、「キリスト教会の鐘についても同様にその是非を問うべきだ」と主張した。理由は「教会の鐘はうるさく、睡眠と思考を妨害する」という。
欧州では、イスラム寺院のミナレットから祈祷の時間を知らせる「アザーン」(呼びかけ)が批判されたことはあった。その批判の矢はいま「教会の鐘」に向けられているのだ。
「アザーン」も「教会の鐘」も信者の日常生活にとって必要不可欠だが、信者でない旅行者や異邦人にとって、騒音以外の何ものでもない。しかし、欧州でこれまで教会の鐘がその音ゆえに批判されるということはほとんどなかった。現代人は「音」に対し昔以上に敏感となったのだろうか。
教会の鐘はイスラム寺院の「アザーン」ではない。昔からあったものだ。その教会の鐘が「睡眠や思考を妨げる」という理由から訴えられているのだ。
価値の相対主義が席巻する世俗社会では、絶対主義的な世界観を標榜する宗教に対し、病的な恐怖感、嫌悪感がみられることは事実だ。「宗教フォビア」の深層心理を検証する必要があるだろう。
