1956年の冬季オリンピック(コルティナダンペッツォ大会)で滑降、回転、大回転の3種目で金メダルを獲得し、アルペンスキーで初の3冠王となった伝説的なオーストリアのスキー選手のトニー・ザイラー氏が24日、死去した。73歳だった。
翌々日の26日、オーストリアの日刊紙ばかりか世界のメディアも偉大なスキー選手だったザイラー氏の訃報を詳細に報じた。同氏の存在の大きさを改めて知った。
当方は昨年、「トニー・ザイラー氏の闘病」(2008年1月23日)というコラムの中で紹介したが、ザイラー氏がザルツブルク市の2010年冬季五輪大会開催地誘致の為に活動されていた02年9月、ウィーン市のホテルで同氏と会見する機会があった。
こちらが日本人記者と分ると、「日本には多数の僕のファンがいる」と嬉しそうにいうと、「日本人がオーストリア、そしてザルツブルクに対して良き思い出を持っていることを信じている。プラハで開かれるIOC総会で日本の支援も受け、ザルツブルクが正式に開催地となれることを夢見ている、と伝えてほしい」と熱心にアピールされたことを思い出す。何事にも一生懸命に取り組むザイラー氏らしい、少々せっかちなコメントだった。
残念ながら、ザルツブルクで冬季五輪を開催するという、ザイラー氏の夢は果たせずに終わった。モーツアルトの生誕地として有名なザルツブルク市は過去、2度、開催地に立候補したが、いずれも敗北した。ザイラー氏は、巨額な資金が動き、政治が関与する五輪開催地誘致が、スキー競技のようにはいかないことを肌で感じられたのではないか。
終戦後の混乱期に競泳で世界記録を連発し、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれ、日本国民を勇気づけた古橋広之進氏と同じように、ザイラー氏は冬季五輪で3冠王の偉業を果たし、戦後の厳しい状況下にあったオーストリア国民を鼓舞したといわれる。ザイラー氏に「20世紀最高スポーツ選手賞」が授与されたのも当然だろう。
その古橋広之進氏もトニー・ザイラー氏も今月、亡くなられた。冥福を祈りたい。
翌々日の26日、オーストリアの日刊紙ばかりか世界のメディアも偉大なスキー選手だったザイラー氏の訃報を詳細に報じた。同氏の存在の大きさを改めて知った。
当方は昨年、「トニー・ザイラー氏の闘病」(2008年1月23日)というコラムの中で紹介したが、ザイラー氏がザルツブルク市の2010年冬季五輪大会開催地誘致の為に活動されていた02年9月、ウィーン市のホテルで同氏と会見する機会があった。
こちらが日本人記者と分ると、「日本には多数の僕のファンがいる」と嬉しそうにいうと、「日本人がオーストリア、そしてザルツブルクに対して良き思い出を持っていることを信じている。プラハで開かれるIOC総会で日本の支援も受け、ザルツブルクが正式に開催地となれることを夢見ている、と伝えてほしい」と熱心にアピールされたことを思い出す。何事にも一生懸命に取り組むザイラー氏らしい、少々せっかちなコメントだった。
残念ながら、ザルツブルクで冬季五輪を開催するという、ザイラー氏の夢は果たせずに終わった。モーツアルトの生誕地として有名なザルツブルク市は過去、2度、開催地に立候補したが、いずれも敗北した。ザイラー氏は、巨額な資金が動き、政治が関与する五輪開催地誘致が、スキー競技のようにはいかないことを肌で感じられたのではないか。
終戦後の混乱期に競泳で世界記録を連発し、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれ、日本国民を勇気づけた古橋広之進氏と同じように、ザイラー氏は冬季五輪で3冠王の偉業を果たし、戦後の厳しい状況下にあったオーストリア国民を鼓舞したといわれる。ザイラー氏に「20世紀最高スポーツ選手賞」が授与されたのも当然だろう。
その古橋広之進氏もトニー・ザイラー氏も今月、亡くなられた。冥福を祈りたい。
