スーダン出身の友人シェリフ国連記者はしみじみと留学生時代を語ってくれた。同記者は1970年代初め、東欧共産圏時代のハンガリーの工科大学に留学した。
12歳の時、父親を失った彼は6人兄弟姉妹の長男だったが、学校の成績が優秀だったので、親戚の支援を受けてハンガリーの工科大学に留学した。「親戚の助けがなければ大学に通うこともできなかったね」という。彼は首都ハルツームから約300キロ南にあるアバという島で生まれた。
さて、 ブタペストの学生寮に着くと、先輩学生が部屋にやってきて、「アフリカ出身者が知らなければならない事」として2点を挙げた。1つは「時間を知る」、もう1つは「カレンダーを置く」ということだ。
どういうことかというと、「時間を意識しなくても生活できる国からきた学生たちが最初にしでかす失敗は約束を忘れ、試験日を間違うことだ。部屋に帰ったら、カレンダーに直ぐに試験日や友人と約束した日付などを記入すること。カレンダーは銀行に行けばタダで手に入る」(先輩学生)ということだ。
友人は思い出し笑いをしながら、「スーダンで生活していた時は時計をみて行動する、ということはなかったね。故郷では時間は無限にあると思っていた。今ではアフリカ出身の学生も時間やカレンダーのある生活をしているが、当時はまったく違っていたよ」という。ちなみに、友人は学校で知り合ったベトナム出身の女学生と友達になって、その方に忙しくてよく授業を忘れたという。
ところで、スーダン出身の学生たちを驚かしたのは冬の朝、人々の口から白い煙が出てくることだったという。友人は当初、「何か口に入れているのか」と考えたという。空気が冷たい為に吐く息が白くなる、というシンプルなことを後日知ったという。ハンガリーの冬は隣国オーストリアと同様、長く厳しい。アフリカ出身の留学生にとって冬は大変だったろう。
12歳の時、父親を失った彼は6人兄弟姉妹の長男だったが、学校の成績が優秀だったので、親戚の支援を受けてハンガリーの工科大学に留学した。「親戚の助けがなければ大学に通うこともできなかったね」という。彼は首都ハルツームから約300キロ南にあるアバという島で生まれた。
さて、 ブタペストの学生寮に着くと、先輩学生が部屋にやってきて、「アフリカ出身者が知らなければならない事」として2点を挙げた。1つは「時間を知る」、もう1つは「カレンダーを置く」ということだ。
どういうことかというと、「時間を意識しなくても生活できる国からきた学生たちが最初にしでかす失敗は約束を忘れ、試験日を間違うことだ。部屋に帰ったら、カレンダーに直ぐに試験日や友人と約束した日付などを記入すること。カレンダーは銀行に行けばタダで手に入る」(先輩学生)ということだ。
友人は思い出し笑いをしながら、「スーダンで生活していた時は時計をみて行動する、ということはなかったね。故郷では時間は無限にあると思っていた。今ではアフリカ出身の学生も時間やカレンダーのある生活をしているが、当時はまったく違っていたよ」という。ちなみに、友人は学校で知り合ったベトナム出身の女学生と友達になって、その方に忙しくてよく授業を忘れたという。
ところで、スーダン出身の学生たちを驚かしたのは冬の朝、人々の口から白い煙が出てくることだったという。友人は当初、「何か口に入れているのか」と考えたという。空気が冷たい為に吐く息が白くなる、というシンプルなことを後日知ったという。ハンガリーの冬は隣国オーストリアと同様、長く厳しい。アフリカ出身の留学生にとって冬は大変だったろう。
