オーストリアの週刊誌プロフィールは最新号(4月20日)で米中央情報局(CIA)の解禁文書を紹介し、そこで同国の代表紙ディ・プレッセの元発行人兼編集局長だった故オットー・シュールマイスター氏(Otto Schulmeister)が冷戦時代、CIAの協力者だったと報じた。
 同誌は3月23日号で元ウィーン市長のヘルムート・ツィルク氏(Helmut Zilk)が旧チェコスロバキア共産党政権時代の秘密警察(StB)の情報提供者だったと報じ、オーストリア国民に大きな衝撃を与えたばかりだ。今回はその第2弾というわけだ。
 ツィルク元市長は社会党(当時)に所属し、社会党政権下で文相も歴任したジャーナリスト出身の政治家だった一方、シュールマイスター氏は同国の保守紙プレッセの著名なジャーナリストだった。左派系と保守系のジャーナリストが冷戦時代、東西の情報機関の手先として動いていたわけだ。音楽の都・ウィーンが冷戦時代、東西両陣営のスパイ合戦の舞台となった、という歴史的事実を改めて想起させてくれる。
 プロフィールによると、シュールマイスター氏は1960年代、CIAの意向や願いを反映した社説を発表し続ける一方、米国の利益を阻害する問題には沈黙していたという。
 CIAは68年、同氏を単なる情報提供者ではなく、“協力者”という立場に引き上げたほどだ。ただし、同氏はツィルク元ウィーン市長とは異なり、CIAから金銭的報酬は得ていなかったという。
 ちなみに、CIAは60年代、シュールマイスター氏だけではなく、オーストリア国営放送、日刊紙クリア、ザルツブルガー・ナハリヒテン紙の記者たちとも接触していたというから、オーストリアでは当時、程度の差こそあれ、社会党左派ジャーナリストは旧ソ連や東欧諸国の情報機関の、保守系メディア関係者は欧米の情報機関の情報提供者や協力者となっていたというわけだ。