クリスマスの前日、国連記者室にナンシーが訪ねてきた。誰も彼女が来ると考えていなかったから、一様に驚いた。
 彼女は国連報道部に所属していたが、病気となり、治療をしながら勤務していたが、最終的には早期退職となった、というところまでは皆が知っていた。あれから5、6年が経過しているから、ナンシーが国連記者室を訪れる、なんて考えた同僚は誰もいなかった。年取ったナンシーを見て当方を含む部屋にいた記者たちは一様に仕事の手を休めた。彼女を無視して仕事を続けることができる記者など国連記者室にはいなかった。彼女は一時期、記者たちにとって国連の窓口のような存在だった。
 ナンシーの話が始まった。夫は家庭内では暴力を振るった。彼女は夫が怖かった。いつしか酒に逃げる生活が始まった。その通りだ。当方が知っているナンシーはアルコール中毒患者だった。手が震えていた。国連の同僚たちは皆、ナンシーがアルコール中毒と知っていたが、どうしてそうなったのかの事情を知っている同僚は余り多くいなかった。
 夫と別れ、娘とウィーンで生活をしてきた。幸い「国連から年金が入る」という。それに社会福祉関連の手当てなどで、どうにか生き延びてきたという。
 久しぶりに故郷の米国に帰る計画を考えた直後、パスポートを失ったので、ウィーンの米大使館領事部にパスポートの再発行を願いに行ってきたという。「出生証明書がいるというのよ」とナンシーはまるで他人事のように言うと、小さく笑った。
 彼女は最近、背骨の痛みで苦しんできた。椅子に座ると少しは楽になるが、長時間歩くのは苦痛だという。
 ナンシーは自分の話を終えると、時間がきた、というようにゆっくりと立ち上がり、記者室から出て行った。自分の話を聞いてくれた記者たちに感謝するように、一度振り返るとニッコリと笑った。