メディアは絶えず情報を読者や視聴者に提供し続けなければならない義務がある。少なくとも、メディアの中にはそのように考え、それに任務感を感じるジャーナリストも少なくない。
 ところで、情報が溢れている時はいいが、そうではない時、新聞社ならば整理部記者たちが紙面埋めに苦労する。だから、写真を大きく掲載して紙面を埋める、といった苦肉の策に出ることがあるわけだ。
 そして、メディア関係者がニュース不足で最も苦労するシーズンが“いま”だ。すなわち、政治家を含め多くの国民が休暇をとる夏シーズンだ。政治家たちが休暇中なので国際会議も開催されない(テロや事件、不祥事はシーズンに関係がないが、それだけで紙面を埋めることはできない)。
 ニュースがない日、読者に「昨日は平和な一日でした」と説明し、真っ白い紙面を印刷機に回してもいいのではないか思うが、実際、そこまで勇気と決断力のある編集担当者はいない。
 そんなことを考えたのは、「ボスニア紛争の戦犯カラジッチ被告がウィーンに潜伏していた」という情報が流れ、数日後、「あれは人違いだった」というニュースを聞いたからだ。
 オーストリア通信(APA)は「カラジッチ被告は一時期、ウィーンに潜伏していた」という記事を流した、それを追って、オーストライヒ紙などが一斉に「カラジッチ被告は治療士としてウィーンで働いていた」と報じた。そして「ウィーン潜伏説」が定着した頃、今度は「実はあれば人違いだった」ということが分ったという。
 カラジッチ被告の「ウィーン潜伏説」は、ジャーナリストが冷静に追跡すれば、紙面化する前にその是非を確認できたはずだ。しかし、実際はその取材を怠ったために、あのような「誤報」騒動となったわけだ(オーストリア内務省が「カラジッチ潜伏説」を追認するようなコメントを出したことで、誤報が一人歩きする結果となった面も否定できない)。
 「ウィーン潜伏説」の誤報の主因は、関係したジャーナリストたちの取材不足にあることは間違いない。が、この種の誤報が「夏シーズン」に結構多いことに注目してほしい。すなわち、ニュース枯れの夏の休暇シーズンは、また、誤報を生み出す土壌ともなるのだ。