世界に約11億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁のお膝元、イタリアのカトリック教会では現在、男性が性的不能の場合、教会側は教会での挙式を拒否できるかどうかで激しい議論が展開中だ。
問題の発端は、婚姻を控えた25歳のイタリア人青年が自動車事故で半身不随となり、勃起不能となったため、地元の神父が教会法(カノン)に基づき教会の挙式を拒否したことから始まる。
正直に言って、当方はカトリック教会の教会法が「婚姻と男性の性的勃起不能」に関する内容を明記している、とは考えてもいなかった。そこで早速、オーストリア・カトリック通信(カトプレス)の友人に聞いてみたら、「教会法1084条には『性的不能と教会の婚姻』について明記されている」という。
そこで少し、イタリア国内の議論を追ってみた。同国のメディアでは「性的不能を理由に教会の挙式を断るのは非人間的だ」といった感情的な反応が支配的だ。しかし、法学的な議論は少ない。一方、教会法専門家は「性的不能が治療可能かどうかで対応は変わる」という立場を取っている。すなわち、「治療可能ならば、教会の挙式を受けることができるが、不可能な場合、教会側は教会挙式を拒否できる」というわけだ。
しかし、ここでも問題が生じてくる。「医学的に完全に治療不可能な性的不能者の場合でも、医学の急速な発展で将来、治療できるかもしれないからだ。だから、「完全に性的不能な場合」といっても、少々曖昧だ。カトプレスの友人も「性的不能者であっても教会での挙式を願うならば、教会側はそれを拒むことは難しいだろう。実際、オーストリア教会で過去、この種の問題があったとは聞いたことがない。教会法の内容が時代遅れとなっている面も否定できない」という。
ところで、聖書の観点から見てみよう。旧約聖書の創世記第1章28節を開くと、「神は彼ら(アダムとエバ)を祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、……』」と書かれている。人間が結婚して多くの子どもを産み増やすようにというわけだ。しかし、医学的に「性的不能』の場合、「ふやす」ことができない。そこで、「性的不能者は教会での挙式を受けることができない」といった論理がひょっとしたら出てきたのかもしれない。それに対し、友人は「カノン1084条3節には、不妊は結婚を拒む理由とは成りえないと明確に記述されている。婚姻を妨げるのはあくまでも男女間の性的結合を阻む勃起不能だ」と説明してくれた。
問題の発端は、婚姻を控えた25歳のイタリア人青年が自動車事故で半身不随となり、勃起不能となったため、地元の神父が教会法(カノン)に基づき教会の挙式を拒否したことから始まる。
正直に言って、当方はカトリック教会の教会法が「婚姻と男性の性的勃起不能」に関する内容を明記している、とは考えてもいなかった。そこで早速、オーストリア・カトリック通信(カトプレス)の友人に聞いてみたら、「教会法1084条には『性的不能と教会の婚姻』について明記されている」という。
そこで少し、イタリア国内の議論を追ってみた。同国のメディアでは「性的不能を理由に教会の挙式を断るのは非人間的だ」といった感情的な反応が支配的だ。しかし、法学的な議論は少ない。一方、教会法専門家は「性的不能が治療可能かどうかで対応は変わる」という立場を取っている。すなわち、「治療可能ならば、教会の挙式を受けることができるが、不可能な場合、教会側は教会挙式を拒否できる」というわけだ。
しかし、ここでも問題が生じてくる。「医学的に完全に治療不可能な性的不能者の場合でも、医学の急速な発展で将来、治療できるかもしれないからだ。だから、「完全に性的不能な場合」といっても、少々曖昧だ。カトプレスの友人も「性的不能者であっても教会での挙式を願うならば、教会側はそれを拒むことは難しいだろう。実際、オーストリア教会で過去、この種の問題があったとは聞いたことがない。教会法の内容が時代遅れとなっている面も否定できない」という。
ところで、聖書の観点から見てみよう。旧約聖書の創世記第1章28節を開くと、「神は彼ら(アダムとエバ)を祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、……』」と書かれている。人間が結婚して多くの子どもを産み増やすようにというわけだ。しかし、医学的に「性的不能』の場合、「ふやす」ことができない。そこで、「性的不能者は教会での挙式を受けることができない」といった論理がひょっとしたら出てきたのかもしれない。それに対し、友人は「カノン1084条3節には、不妊は結婚を拒む理由とは成りえないと明確に記述されている。婚姻を妨げるのはあくまでも男女間の性的結合を阻む勃起不能だ」と説明してくれた。
