ウィーン市の英雄広場にあるハブスブルク王朝時代の宮殿の一つだったホフブルク(王宮)はウィーン観光には欠かせない名所だ。その王宮が国際会議場として利用されてから今年で50周年目を迎えた。当方にも50周年記念記者会見の招待状が届いたばかりだ。そこで、今回は読者にホフブルクの国際会議場の歴史を少し紹介したい。
オーストリア政府は1958年、ハブスブルク王朝のホフブルク王宮を公共イベントの開催場として利用することを正式に決定。10年間余り、ウィーン市に誘致した国際原子力機関(IAEA)が会議場として利用した後、69年に「ウィーン会議センターホフブルク」として国際会議場に衣替えをした。そして今日、「ホフブルク・ウィーン」(Hofburg Vienna)と呼ばれている。
ホフブルクでは毎年約300のイベントが開催され、28万人から30万人のゲストが参加。年間約1000万ユーロの純益をもたらしている。その他、ホフブルクの国際会議場の一部では、欧州安保協力機構(OSCE)が常時、年間220日間、約300回の会議を開いている。そこから入る収入は1億8000ユーロから2億ユーロになる。
ホフブルクは国際会議開催地のメッカ・ウィーンの中心を占めている。当方はこのコラム欄で既に報告済みだが、国際会議協会が公表した昨年度国際会議開催地ランキングによれば、オーストリアの首都ウィーンが3年連続、世界で最も国際会議が開催される都市であった。
ちなみに、ウィーン市には代表的な国際会議場としては、「ホフブルク・ウィーン」の他に、「オーストリア・センター」と「見本市会場」がある。後者の2つの会議場は近代的な施設でオープンな雰囲気がある一方、前者はハブスブルク王朝時代の歴史を感じさせる風格がある。
立地条件も異なる。「ホフブルク・ウィーン」の会議場から目を外に向けると、そこはヒトラーがウィーン市民の前で凱旋演説をした英雄広場や美術史美術館、自然史博物館が見える一方、「オースリア・センター」はドナウ河に近く、近代的高層ビルが立ち並ぶ地域にある。医療関係の国際会議は主に、「オーストリア・センター」や「見本市会場」で開催され、学術シンポジウムや舞踏会は「ホフブルク・ウィーン」で頻繁に開かれる。
オーストリア政府は1958年、ハブスブルク王朝のホフブルク王宮を公共イベントの開催場として利用することを正式に決定。10年間余り、ウィーン市に誘致した国際原子力機関(IAEA)が会議場として利用した後、69年に「ウィーン会議センターホフブルク」として国際会議場に衣替えをした。そして今日、「ホフブルク・ウィーン」(Hofburg Vienna)と呼ばれている。
ホフブルクでは毎年約300のイベントが開催され、28万人から30万人のゲストが参加。年間約1000万ユーロの純益をもたらしている。その他、ホフブルクの国際会議場の一部では、欧州安保協力機構(OSCE)が常時、年間220日間、約300回の会議を開いている。そこから入る収入は1億8000ユーロから2億ユーロになる。
ホフブルクは国際会議開催地のメッカ・ウィーンの中心を占めている。当方はこのコラム欄で既に報告済みだが、国際会議協会が公表した昨年度国際会議開催地ランキングによれば、オーストリアの首都ウィーンが3年連続、世界で最も国際会議が開催される都市であった。
ちなみに、ウィーン市には代表的な国際会議場としては、「ホフブルク・ウィーン」の他に、「オーストリア・センター」と「見本市会場」がある。後者の2つの会議場は近代的な施設でオープンな雰囲気がある一方、前者はハブスブルク王朝時代の歴史を感じさせる風格がある。
立地条件も異なる。「ホフブルク・ウィーン」の会議場から目を外に向けると、そこはヒトラーがウィーン市民の前で凱旋演説をした英雄広場や美術史美術館、自然史博物館が見える一方、「オースリア・センター」はドナウ河に近く、近代的高層ビルが立ち並ぶ地域にある。医療関係の国際会議は主に、「オーストリア・センター」や「見本市会場」で開催され、学術シンポジウムや舞踏会は「ホフブルク・ウィーン」で頻繁に開かれる。
