社会経験をある程度積むと、「嘘はダメ」では人間関係がスムーズにいかないこともある、と理解できる。ここでは「嘘」の市民権を主張しているのではない。人生を生きるうえで「嘘」が潤滑油のような機能を果たすこともある、という事実を再確認しているだけだ。
 しかし、「建前」と「本音」が交差する政界では、「嘘」が発覚すると、嘘を言った政治家の政治生命が途絶えることもある。海千山千の集まりである政界の舞台裏では通常、「嘘」や権謀術策が幅を効かしているが、建前上は「嘘」はダメ、ということになっているからだ。
 最近では、ハンガリーのジュルチャー二首相の嘘発言がある。同首相は2006年5月の党会合で「自分は国民に嘘を言ってきた」と発言、その内容がメディアに流れたため、国内で反政府デモが起きたほどだ。同首相は同年4月の総選挙で「減税はしない」「社会福祉の強化」などを繰り返し主張し、勝利を勝ち取ったが、第2次ジュルチャー二政権は選挙後、国家財政の巨額の赤字を立て直すために緊縮政策に取り組まざるを得ず、増税も必要となってきた。そのため、「国民を騙し続けてきた」という首相の告白発言となったわけだ。どの国の政治家も選挙になると有権者の支持を得る為に理性を失い、有権者の前では平気で嘘をいうものだ。「嘘つき」はハンガリー首相だけではない。
 一方、過去の聖人、預言者は決して「嘘」をつかなかったか、というと、どうやらそうでもない。例えば、イエスだ。新約聖書のマタイ福音書16章28節やヨハネ福音書21章18節を読むと、十字架から復活したイエスは弟子たちに「再臨」を約束し、黙示録22章20節では使徒ヨハネに「しかし、わたしは直ぐに来る」と語ったが、イエスがその直後、「再臨した」とは聞かない。
 しかし、イエスの嘘(「「直ぐに来る」)に励まされた多くのクリスチャンたちは自分の生きている時代にイエスが再臨すると思い、激しい迫害を乗り越えていったわけだ(余りにも待たされた結果、多くのクリスチャンたちは今日、もはやイエスの再臨に関心がなくなってきた。世界最大のキリスト教、ローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁も「再臨問題」については多くを語らなくなった)。
 ところで、イエスの「嘘」は英語では「ホワイト・ライ」(White Lie)となる。すなわち、使徒たちが困難を克服して伝道に励む事が出来るように信仰を鼓舞する目的で出た、善意の「嘘」を意味するからだ。ちなみに、悪意の嘘を「ブラック・ライ」と呼ぶ。人間関係の潤滑油的な役割をする「嘘」は、多くの場合、前者だ。