オーストリアではここ数日、父親に24年間、地下室に監禁され、性虐待を受け、7人の子供を産んだ娘(現在42歳)の監禁事件の話題で持ちきりだ。世界のメディア機関も監禁事件の現場の小都市AmstettenにTVクルーを派遣し、事件を報道している。その外国メディア関係者からは「アルプスの小国オーストリアでどうして頻繁に世界を驚かせる蛮行が起きるのだろうか」といった素朴な疑問が聞かれる。同国では2年前にも18歳の女性が8年間の監禁生活から解放される、という事件があったばかりだ。その時も世界のメディアが競って報道したことはまだ記憶に新しい。
両監禁事件に共通している事実は、「地下室」(監禁場所)だ。今回の「24年間監禁事件」も「8年間監禁事件」も犠牲者はいずれも地下室(Keller)で監禁されていた。「地下室」は事件の謎を解くキーワードかもしれない(「地下室」というより、「地下牢」=Verliesと呼ぶ方が監禁状況の現実に合っているかもしれない)。
ところで、今回の監禁事件が発生したアムシュテッテン市からあまり遠くないマウトハウゼンには世界大戦時、ユダヤ人が監禁されていた強制収容所があった(同収容所では10万人以上のユダヤ人が殺害された)。ユダヤ人は当時、ナチス軍の蛮行から逃れる為に地下室に隠れたり、ナチス軍兵士に見つかり、虐殺され、暴行された。
さて、ここからは当方の一考だ。虐殺されたり、暴行されたユダヤ人の「恨みと苦悩の魂」はどこに行ったのだろうか。消えたのか。消滅していないとすれば、どこに行ったのか。収容所で監禁されたり、暴行され、殺害されたユダヤ人の「恨みと苦悩の魂」は現在も漂い、恨みを晴らすために何らかの働きかけを現代人にしているのではないか。
オーストリアで「8年間監禁事件」と「24年間監禁事件」が続けて発覚し、世界の耳目を集めたのは偶然ではないはずだ。「恨みと苦悩の魂」は「見ろ、この苦しみを。これがお前たちが自分たちにした蛮行だ」と叫んでいるのではないか。
同国は過去、1950年の「モスクワ宣言」を盾に久しくナチス軍のユダヤ人虐殺蛮行の責任を回避し、「われわれもナチス軍の犠牲者だった」と弁明してきた。今年はヒトラーが率いるナチス軍がオーストリアを併合して70年目を迎えた年だ。その年に、今回の「24年間監禁事件」が明らかになったのは、繰り返すが、決して偶然ではないはずだ。「恨みと苦悩の魂」は「われわれが味わってきた苦悩を忘れるな」とオーストリア国民に知らせ、民族が犯した歴史事実に真摯に対峙するよう強いている、と感じるのだ。
オーストリアのメディアでは「欧州サッカー選手権が6月、わが国で開催されるが、監禁事件が世界に流されたことで、わが国のイメージは著しく損なわれた」といった懸念の声が聞かれる。しかし、今回の監禁事件はイメージ問題ではない。“事件の核心”は1人の異常な父親の蛮行というより、(世界のメディアを通じて)、同国の歴史が白日の下にさらされている、ということではないか。
以上、「馬鹿げている」と一笑にふされる恐れを感じながら、当方が今回の事件を通じて強烈に感じた一考を紹介した。
われわれ人間は歴史と繋がりを有する存在であり、良い悪いは別として、歴史の所産だ。過去の歴史で展開された全ての内容は現在、再現され、清算するために必要ならば代価を払わなければならない、と信じているからだ。
訂正・・29日掲載の「娘監禁性虐待事件の類似点」で、地下室の広さを「80平方メートル」と書きましたが、警察当局の公式発表によりますと「60平方メートル」でした。訂正します。
両監禁事件に共通している事実は、「地下室」(監禁場所)だ。今回の「24年間監禁事件」も「8年間監禁事件」も犠牲者はいずれも地下室(Keller)で監禁されていた。「地下室」は事件の謎を解くキーワードかもしれない(「地下室」というより、「地下牢」=Verliesと呼ぶ方が監禁状況の現実に合っているかもしれない)。
ところで、今回の監禁事件が発生したアムシュテッテン市からあまり遠くないマウトハウゼンには世界大戦時、ユダヤ人が監禁されていた強制収容所があった(同収容所では10万人以上のユダヤ人が殺害された)。ユダヤ人は当時、ナチス軍の蛮行から逃れる為に地下室に隠れたり、ナチス軍兵士に見つかり、虐殺され、暴行された。
さて、ここからは当方の一考だ。虐殺されたり、暴行されたユダヤ人の「恨みと苦悩の魂」はどこに行ったのだろうか。消えたのか。消滅していないとすれば、どこに行ったのか。収容所で監禁されたり、暴行され、殺害されたユダヤ人の「恨みと苦悩の魂」は現在も漂い、恨みを晴らすために何らかの働きかけを現代人にしているのではないか。
オーストリアで「8年間監禁事件」と「24年間監禁事件」が続けて発覚し、世界の耳目を集めたのは偶然ではないはずだ。「恨みと苦悩の魂」は「見ろ、この苦しみを。これがお前たちが自分たちにした蛮行だ」と叫んでいるのではないか。
同国は過去、1950年の「モスクワ宣言」を盾に久しくナチス軍のユダヤ人虐殺蛮行の責任を回避し、「われわれもナチス軍の犠牲者だった」と弁明してきた。今年はヒトラーが率いるナチス軍がオーストリアを併合して70年目を迎えた年だ。その年に、今回の「24年間監禁事件」が明らかになったのは、繰り返すが、決して偶然ではないはずだ。「恨みと苦悩の魂」は「われわれが味わってきた苦悩を忘れるな」とオーストリア国民に知らせ、民族が犯した歴史事実に真摯に対峙するよう強いている、と感じるのだ。
オーストリアのメディアでは「欧州サッカー選手権が6月、わが国で開催されるが、監禁事件が世界に流されたことで、わが国のイメージは著しく損なわれた」といった懸念の声が聞かれる。しかし、今回の監禁事件はイメージ問題ではない。“事件の核心”は1人の異常な父親の蛮行というより、(世界のメディアを通じて)、同国の歴史が白日の下にさらされている、ということではないか。
以上、「馬鹿げている」と一笑にふされる恐れを感じながら、当方が今回の事件を通じて強烈に感じた一考を紹介した。
われわれ人間は歴史と繋がりを有する存在であり、良い悪いは別として、歴史の所産だ。過去の歴史で展開された全ての内容は現在、再現され、清算するために必要ならば代価を払わなければならない、と信じているからだ。
訂正・・29日掲載の「娘監禁性虐待事件の類似点」で、地下室の広さを「80平方メートル」と書きましたが、警察当局の公式発表によりますと「60平方メートル」でした。訂正します。
とりわけ、これらの事件は第二テモテ3:3の「終わりの日には・・・情けを知らず・・」と言う予言の成就をはっきりと示すものですね。『情け』と言う言葉はギリシャ語ではアストルゴイという言葉が使われています。これは親子の間に自然に生じるような家族愛をさす語です。家庭の中から、その愛が消えると、他人と同居しているのと同じことになってしまいます。その他人が第二テモテ3:1―5の中にあるさまざまな特質の多くをあわせ持つとしたら、家庭は非常に恐ろしい場所になってしまいます。現実にはそのような家庭は、もっともっとたくさんあると思います。世界は預言を成就させながら、終わりに向かって急いでいますね。(ハバクク2:3)