イスラム教には「タキーヤ」(Taqiya)という概念がある。「タキーヤ」とは、イスラム教徒が自身の信仰ゆえに生命の危険にさらされた場合、「自分の信仰を隠しても赦される」という内容だ。ただし、「タキーヤ」について、イスラム教グループによって見解が一致していない。例えば、シーア派ではタキーヤは認められているが、スン二派は「嘘をつくことであり、偽善に過ぎない」と認めていない、といった具合だ。
 キリスト教の歴史を振り返ると、数多くの殉教者がいた。初期キリスト教時代、多くのキリスト者たちがイエスの教えを信じると「信仰告白」をしたため、殉教していった。キリスト教では、信仰を否定することは離教を意味する、といった認識が非常に強い。日本のキリスト者たちも過去、「踏絵」の試練に直面し、「信仰告白」か「離教」かの選択を強いられたことがあった。
 一方、イスラム教では、「自分の生命の危険な時、信仰告白して殉教の道をいくより、信仰を隠して生きのびてもいい」というわけだ。 シャハーダ(信仰告白)はイスラム教信仰の5つの柱の一つだが、その一方で「タキーヤ」(信仰の隠蔽)という概念を生み出したイスラム教は非常に現実的な宗教だ。もちろん、タキーヤは例外的な概念であり、シャハーダとは根本的に違う。
 ところで、イスラム教過激派グループの中には、西欧のキリスト教社会に浸透するために、「われわれは武装闘争や自爆テロを赦さない」と表明する一方、信者たちには反キリスト教的言動で扇動するイスラム教指導者が多い。彼らは「イスラムの教えを異教の地に拡大するためには嘘をついてもいい」と考えている。米軍の占領に敵意を感じていながら、今は手を結ぶほうが得策だ考えて米国に協力しているイラク指導者が多い。これらは「タキーヤの拡大解釈」といえるだろう。
 シーア派のイランでは核開発計画が進行中だが、イラン指導者たちは異口同音に「わが国の核開発は平和目的であり、核兵器開発の意図はない」と表明してきたが、「イスラム諸国で初めて核兵器を保持することで、イスラエル、米国ら異教徒に対抗できる。イスラムの教えを世界に広げるためにも核兵器は必要だ」と考え、その真意を隠蔽していることも考えられる。すなわち、アハマディネジャド大統領らイラン指導者がタキーヤを核問題に応用している可能性があるわけだ。