欧米のキリスト教社会では、「政治と宗教」の分離は久しく実施され、定着しているが、同じ「政教分離」でも欧米間では異なった「世俗主義」を生み出してきている、という興味深い見解を表明する学者がいる。
  ユダヤ人の法学者ジョセフ・ヴァイラー教授もその1人だ。同教授は「欧州では単に、神を信じない、というだけではなく、キリスト教信仰に対して攻撃的な敵意が潜んでいる」と述べ、欧州の世俗主義の特殊性を指摘している。ちなみに、フランスの教育学者F・E・ビュイソンは1871年、「教育の現場から宗教の追放」を主張し、政教分離、ライシテという概念を生み出した。
 欧州の世俗主義の最近の例を見てみよう。ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王ベネディクト16世は1月17日、イタリア国立サピエンツァ大学の始業式に出席し、そこで演説する予定だったが、同大学の67人の物理学教授や学生たちが「ローマ法王は大学で何を演説したいのか」と抗議し、訪問反対のデモ集会を開く事態が生じた。この出来事の背景には、ローマ法王個人への反発というより、カトリック教会への憎悪がある。例えば、「聖母マリアの処女受胎」といったカトリック教独自の教義に対して、信仰を有さない知識人の嫌悪感がある。
 中世時代の教会支配に懲りた欧州では、教会の影響を回避するために「政教分離」が叫びだされたが、米国ではピューリタンの「神の国」建設が建国精神となり、教会に対する政治の関与を最小限度に抑えるために「政治と宗教」の分離が主張されていった歴史がある。すなわち、米国型「世俗主義」は、キリスト教への攻撃性を潜める欧州型世俗主義とは明らかに異なる出発点を抱えているわけだ。
 欧州知識人によく見られる反米主義の背景には、宗教との関係を断絶できない米国型世俗主義への「軽蔑」と「不満」が潜んでいるのかもしれない。