オーストリア・北朝鮮友好協会が出版する季刊誌「Fokus KDVR」の最新号を読んでいたら、「李3等書記官が今月末に帰国する予定です」と、北朝鮮外交官の人事が記述されていたのに驚いた。北朝鮮外交官の場合、これまで赴任も帰国も事前に公表されることはほぼ皆無だったからだ。
 本年度第1号誌の内容は昨年9月に急死したアドルフ・ピルツ協会会長を追悼する記事でほぼ占められていたが、李書記官の帰朝がわざわざ報告された背景には、同書記官が協会メンバーの間で人気があったから、というだけではないだろう。同書記官は流暢なドイツ語を駆使して北朝鮮外交官とオーストリア間の通訳として活躍してきた。大使館でゲストを招いたり、重要な商談があった時など、必ず同書記官の姿があった。書記官はオーストリア社会の対北窓口の役割を果たしてきたのだ。
 李書記官が2004年、ウィーンに赴任して以来、当方は書記官とは談笑するなど、結構、良好関係を保ってきた。しかし、「あの日」からダメになってしまった。「あの日」とは、「韓国動乱」(朝鮮戦争、1950年6月25日〜53年7月27日)について李書記官と話した時だ。当方は「韓国動乱は故金日成主席が中国と連携して韓国側に侵入したことが契機となって勃発した」と説明してしまったのだ。すると日頃は穏やかな書記官の顔が見る見るうちに紅潮し、当方の顔を睨みつけるように、「何をいうか。動乱は韓国軍と米軍がわが国に仕掛けてきた戦争ではないか」と大声で罵倒し出したのだ。
 今から考えれば、当方もあんなことを言わなければ良かったかもしれない、と反省している。なぜならば、北朝鮮では「動乱は韓国と米国が始めた戦争」という歴史教育が徹底的に行われているからだ。李書記官はその教育を受けてきただけだ。それを「それは違う。お前の国が始めたのだ」といえば、気分を害するというより、怒りが湧いてくるのかもしれない。それも日本人の当方がいったのだから一層、面白くない。李書記官は「とにかく俺は日本人が大嫌いだ。俺の父親は日本軍によって殺されたのだ」と吐き出すようにいった。
 「その日」からだ。李書記官に声をかけても返答は戻ってこなくなった。李書記官とはなんらかの和解もできずに時間だけが過ぎていった。そして同書記官は今月末に帰国する。