東欧のポーランドは共産政権時代も冷戦後もカトリック教国だった。共産政権時代のヤルゼルスキー大統領も「わが国は共産国だが、その精神はカトリック教国に入る」と認めるほど、国民のカトリック教会への忠誠心、信仰は強く、東欧の民主化の先駆的役割を果たした自主管理労組「連帯」の民主化運動を支えてきたことは歴史的事実だ。同国のクラクフ出身のカロル・ボイチワ大司教(ヨハネ・パウロ2世)が1978年にローマ法王に選出されたのも偶然のことではない。
同国では2006年末、46人の国会議員が神の子イエスを「ポーランド王」に奉る動議を出して話題となったことがある。ポーランが共和国からイエス王が治める君主国家に復帰することを意味するからだ。ちなみに、ヨハネ・パウロ2世は生前、「ポーランド民族は異教徒の侵略から欧州を守る力を付与されている」と述べたことがある。実際、オスマン・トルコ軍が1683年、オーストリアの都ウィーンを包囲した時、ポーランドの王ヤン3世ソビエスキがイスラム教徒から欧州を守る為に兵を派遣して、トルコ軍の侵略を阻止したことがある。
しかし、欧州カトリック主義の模範国だった同国も試練に直面してきている。カトリック聖職者の数や聖職者候補(神学生)の数が減少してきたのだ。昨年の神学生数は786人で、前年度の1029人より急減したことが明らかになったばかりだ。同国のポーラク司教は「ショッキングなことだ」と驚きを表している。
聖職者の予備軍ともいうべき神学生の数が減少してきた背景としては、欧州全般に見られる社会の世俗化が先ず考えられる。最近の中絶論争もその現れだろう。同時に、聖職者の「過去」問題が表面化し、聖職者への尊敬や信頼感が揺れてきたことも事実だろう。例えば、ワルシャワ教区のスタニスラフ・ウィールグス大司教が昨年1月7日、共産政権の秘密警察の協力者であるとの批判を受け、ワルシャワ大司教のポストを辞任したことはまだ記憶に新しい。共産政権時代の協力者容疑で聖職を辞任した聖職者はウィールグス大司教が初めてではない。ポーランド教会では過去、多くの聖職者が共産政権の情報提供者として告発されてきたのだ。
旧東独の民主化運動の拠点だった福音教会が統一ドイツが実現した直後から急速にその勢力を消滅していったように、ポーランドのカトリック教会は欧州連合(EU)の加盟後、その影響力に陰りが見え出してきた。
同国では2006年末、46人の国会議員が神の子イエスを「ポーランド王」に奉る動議を出して話題となったことがある。ポーランが共和国からイエス王が治める君主国家に復帰することを意味するからだ。ちなみに、ヨハネ・パウロ2世は生前、「ポーランド民族は異教徒の侵略から欧州を守る力を付与されている」と述べたことがある。実際、オスマン・トルコ軍が1683年、オーストリアの都ウィーンを包囲した時、ポーランドの王ヤン3世ソビエスキがイスラム教徒から欧州を守る為に兵を派遣して、トルコ軍の侵略を阻止したことがある。
しかし、欧州カトリック主義の模範国だった同国も試練に直面してきている。カトリック聖職者の数や聖職者候補(神学生)の数が減少してきたのだ。昨年の神学生数は786人で、前年度の1029人より急減したことが明らかになったばかりだ。同国のポーラク司教は「ショッキングなことだ」と驚きを表している。
聖職者の予備軍ともいうべき神学生の数が減少してきた背景としては、欧州全般に見られる社会の世俗化が先ず考えられる。最近の中絶論争もその現れだろう。同時に、聖職者の「過去」問題が表面化し、聖職者への尊敬や信頼感が揺れてきたことも事実だろう。例えば、ワルシャワ教区のスタニスラフ・ウィールグス大司教が昨年1月7日、共産政権の秘密警察の協力者であるとの批判を受け、ワルシャワ大司教のポストを辞任したことはまだ記憶に新しい。共産政権時代の協力者容疑で聖職を辞任した聖職者はウィールグス大司教が初めてではない。ポーランド教会では過去、多くの聖職者が共産政権の情報提供者として告発されてきたのだ。
旧東独の民主化運動の拠点だった福音教会が統一ドイツが実現した直後から急速にその勢力を消滅していったように、ポーランドのカトリック教会は欧州連合(EU)の加盟後、その影響力に陰りが見え出してきた。
