パキスタンの野党指導者、ベナジル・ブット元首相が27日、自爆テロリストによって暗殺された。冥福を祈る。
 ここでは自爆テロについて、少々、当方の所感を述べたい。自爆テロリストは、少なくとも「死後の世界」を信じている。自爆で無に帰すのではなく、「自身の行為は死後、必ず報われる」と信じている。その信念を支えているのが、「至上目的のために自分を犠牲にする」といった高揚した殉教精神だろう。
 さて、自爆テロリストの「死後の世界」への信仰は過ちではない。正しいのだ。人間は肉体生活だけではなく、肉体生活を終えた後に訪れる「死後の世界」は、人間の霊的生活の始まりを意味するからだ。次に、「死後、自身の行為(自爆テロ)は報われる」という信念は、どのように解釈を試みようが、大きな過ちだ。他者ばかりか、自分をも殺害する行為は、イスラム教の教えだけではなく、どの宗教の教えを駆使したとしても、受け入れられない蛮行に過ぎない。
 すなわち、自爆テロリストたちは、世俗社会が久しく失った「死後の世界」への篤い信仰を有している一方、誤った教えとイデオロギーによって自爆を強いられているわけだ(ただし、われわれが自爆テロに言い知れないショックを受けるのは、後者が理由ではなく、前者、「死後の世界」への信仰を有する人間に対して「恐れ」と「違和感」を感じるからだ)。
 自爆テロリストに対し、「死後の世界」への信仰も「殉教精神」も過ちだ、と批判したとしても効果がない。その批判が全て正しいわけではないからだ。自爆テロリストたちから、「アラー、神の教えを知らない無知なる人間」と冷笑を買うだけだ。換言すれば、「死後の世界」を信じない人間や社会から批判されたとしても、自爆テロリストの心は動かされないのだ。その意味で、世俗社会は自爆テロリストに対し、非常に無力だ。
 自爆テロリストを改心させる道は、「あなたの自爆行為は死後の世界でも糾弾される」と冷静に説明することだ。その「説明責任」を担うのは宗教指導者たちだ。