ポーランドのローマ・カトリック教会のグレンプ枢機卿は欧州人権裁判所の判決に怒りを爆発させている。ポーランド教会のシンボルでもある同枢機卿の怒りの背景をバチカン放送の情報に基づいて、ここで少し紹介する。
1971年生まれの2児の母親の女性が妊娠した。この女性は過去2度の出産で視力が弱化し、3度目の出産をすれば、視力を失う危険性があったが、ワルシャワ病院は中絶を拒否して帝王切開で無事出産させた。この女性はその後、1・5メートル先の対象がかろうじて見える程度に視力が弱まった。そのため、身体障害者と認定され、国から月140ユーロの年金を受けて生活するようになった。
一方、ストラスブールの欧州人権裁判所は女性の主張を支持し、ポーランド政府に2万5000ユーロの賠償金の支払いを要求したわけだ。
グレンプ枢機卿は「外部機関がわが国の問題に干渉している実例だ。医者たちは中絶を拒否したのは正しい判断だ」と述べ、ストラスブールの判決を厳しく批判する一方、「患者の生命の危険があったにもかかわらず、中絶を回避した」と評価したという。
ポーランド教会だけではない。ローマ・カトリック教会は如何なる中絶にも反対していることは周知の事だ。ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王ベネディクト16世は9月、オーストリアを訪問した際も「如何なる中絶も許されない」とのメッセージを発信している。オーストリアでは妊娠3カ月以内で母体に危険がある場合は堕胎が許されている。それに対しても、ベネディクト16世は「中絶は許されない」と表明したわけで、政府関係者も少なからず衝撃を受けたほどだ。
前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は生前、「中絶が増加する現代社会では、死の文化が席巻している」と強く警告を発していたほどだ。カトリック教会では、暴行を受けて妊娠した女性の堕胎をも許さない。そのため、多くの人権擁護機関から「バチカンの根本主義」といわれる所以だ。
そのバチカンは今日、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死の床にあった時、その延命装置を停止して尊厳死を選んだ可能性がある、という医療関係者の発言に直面し、防戦に追われている。バチカンは中絶と共に、安楽死にも強く反対してきた経緯がある。前法王の尊厳死(2005年4月2日)が実証されれば、バチカンは「教義」と「現実」の乖離に陥ることになる。それだけに、前ローマ法王の尊厳死説を懸命に否定しているところだ。なお、前法王ヨハネ・パウロ2世の最後の言葉は「父(神)の家に行かしてくれ」だったという。
1971年生まれの2児の母親の女性が妊娠した。この女性は過去2度の出産で視力が弱化し、3度目の出産をすれば、視力を失う危険性があったが、ワルシャワ病院は中絶を拒否して帝王切開で無事出産させた。この女性はその後、1・5メートル先の対象がかろうじて見える程度に視力が弱まった。そのため、身体障害者と認定され、国から月140ユーロの年金を受けて生活するようになった。
一方、ストラスブールの欧州人権裁判所は女性の主張を支持し、ポーランド政府に2万5000ユーロの賠償金の支払いを要求したわけだ。
グレンプ枢機卿は「外部機関がわが国の問題に干渉している実例だ。医者たちは中絶を拒否したのは正しい判断だ」と述べ、ストラスブールの判決を厳しく批判する一方、「患者の生命の危険があったにもかかわらず、中絶を回避した」と評価したという。
ポーランド教会だけではない。ローマ・カトリック教会は如何なる中絶にも反対していることは周知の事だ。ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王ベネディクト16世は9月、オーストリアを訪問した際も「如何なる中絶も許されない」とのメッセージを発信している。オーストリアでは妊娠3カ月以内で母体に危険がある場合は堕胎が許されている。それに対しても、ベネディクト16世は「中絶は許されない」と表明したわけで、政府関係者も少なからず衝撃を受けたほどだ。
前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は生前、「中絶が増加する現代社会では、死の文化が席巻している」と強く警告を発していたほどだ。カトリック教会では、暴行を受けて妊娠した女性の堕胎をも許さない。そのため、多くの人権擁護機関から「バチカンの根本主義」といわれる所以だ。
そのバチカンは今日、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死の床にあった時、その延命装置を停止して尊厳死を選んだ可能性がある、という医療関係者の発言に直面し、防戦に追われている。バチカンは中絶と共に、安楽死にも強く反対してきた経緯がある。前法王の尊厳死(2005年4月2日)が実証されれば、バチカンは「教義」と「現実」の乖離に陥ることになる。それだけに、前ローマ法王の尊厳死説を懸命に否定しているところだ。なお、前法王ヨハネ・パウロ2世の最後の言葉は「父(神)の家に行かしてくれ」だったという。
「尊厳死」と「安楽死」は法律上、医学上、違いますね。
当方も両者の定義を調べてみましたが、
いろいろな定義と実例があって、正直いって当方の説明能力を超えています。
当方が考える「尊厳死」は患者自身の「死に方」に関連し、「安楽死」は第3者が患者の痛みを軽減するという立場が主になる、といった理解をしていますが・・。
全ての例に適応できる定義はなかなか難しいのではないか、と思っています。