レフ・ワレサ氏と会見するためにポーランドのグダニスク市郊外の同氏の自宅まで行ったが、奥さんが出てきて「主人は疲れて休んでいるから、新聞社のインタビューに応じられない」と伝えてきた。ワルシャワから勇ましく乗り込んできた当方は少々、ガッカリして再びウィーンに戻っていった苦い体験がある。
インタビューを断れたからいうのではないが、自主管理労組「連帯」議長からさっそうと大統領に選出されたワレサ氏は、大統領府官邸入りしてからその輝きを急速に失っていった。再選を目指した大統領選では、元共産党青年部リーダーだったクワシニエフスキ氏に敗北を喫するなど、国民もワレサ氏から離れていった。多くの国民は当時、「ワレサ氏の政治姿勢は独裁君主だ」と、その政治姿勢に批判的だった。再挑戦した2000年の大統領選では、ワレサ氏の得票率はなんと1%と惨めな結果に終わっている。
東欧の民主化のパイオニアとして、共産政権と戦っていた野党時代のワレサ氏にはカリスマ性があり、その言動は躍動感があった。世界が知っているワレサ氏のイメージはその時代のものだ。
双子の兄弟のカチンスキ大統領と首相が主導する同国の政情も現在、大きく揺れ動いている。同国では議会の早期解散を受け10月21日に総選挙を実施する見通しだ。
ところで、カチンスキ政権のEU政策を見ると、農業助成金問題や新条約の意思決定方式で他のEU諸国と対立し、最近ではEU死刑反対デー開催に拒否権を発動するなど、EU内の異端児となっている。EUの盟主ドイツに対しても戦後補償や歴史解釈をめぐって批判を繰り返している、といった有様だ。同国の為政者にとって、政治は統治ではなく、批判、対立を意味する、と思われるほどだ。
ポーランド人のこの批判精神、野党精神はその歴史と密接に関連するとよく言われる。同国は過去、3度、プロイセン、ロシア、オーストリアなどに領土を分割され、国を失った悲惨な経験を味わっている。だから、為政者(統治者)に対する批判精神は鍛えられていったが、その分、統治能力は十分成長せずに今日に到っている。ポーランドの政情が常に不安定なのは、為政者が野党時代の批判精神を宥めることができず、肝心の「統治」という責任を忘れているからではないだろうか。
政治の世界では民族から政党、個人に到るまで、野党時代が長過ぎることは決して理想的ではない。オーナー意識が育ちにくいからだ。ポーランドの政治風土はそのことを端的に物語っている。
インタビューを断れたからいうのではないが、自主管理労組「連帯」議長からさっそうと大統領に選出されたワレサ氏は、大統領府官邸入りしてからその輝きを急速に失っていった。再選を目指した大統領選では、元共産党青年部リーダーだったクワシニエフスキ氏に敗北を喫するなど、国民もワレサ氏から離れていった。多くの国民は当時、「ワレサ氏の政治姿勢は独裁君主だ」と、その政治姿勢に批判的だった。再挑戦した2000年の大統領選では、ワレサ氏の得票率はなんと1%と惨めな結果に終わっている。
東欧の民主化のパイオニアとして、共産政権と戦っていた野党時代のワレサ氏にはカリスマ性があり、その言動は躍動感があった。世界が知っているワレサ氏のイメージはその時代のものだ。
双子の兄弟のカチンスキ大統領と首相が主導する同国の政情も現在、大きく揺れ動いている。同国では議会の早期解散を受け10月21日に総選挙を実施する見通しだ。
ところで、カチンスキ政権のEU政策を見ると、農業助成金問題や新条約の意思決定方式で他のEU諸国と対立し、最近ではEU死刑反対デー開催に拒否権を発動するなど、EU内の異端児となっている。EUの盟主ドイツに対しても戦後補償や歴史解釈をめぐって批判を繰り返している、といった有様だ。同国の為政者にとって、政治は統治ではなく、批判、対立を意味する、と思われるほどだ。
ポーランド人のこの批判精神、野党精神はその歴史と密接に関連するとよく言われる。同国は過去、3度、プロイセン、ロシア、オーストリアなどに領土を分割され、国を失った悲惨な経験を味わっている。だから、為政者(統治者)に対する批判精神は鍛えられていったが、その分、統治能力は十分成長せずに今日に到っている。ポーランドの政情が常に不安定なのは、為政者が野党時代の批判精神を宥めることができず、肝心の「統治」という責任を忘れているからではないだろうか。
政治の世界では民族から政党、個人に到るまで、野党時代が長過ぎることは決して理想的ではない。オーナー意識が育ちにくいからだ。ポーランドの政治風土はそのことを端的に物語っている。