日本では社会部記者を体験してからスポーツ担当に回された時代があった。野球場にカメラの入った重たいバック抱え、投手のピッチングを撮影するために球場のネット裏で待機したり、王選手が登場すれば、一塁側に移動してカメラを構えるなど、試合中、球場内を行ったりきたりしたものだ。プロ野球の取材で忘れる事ができない思い出は、王選手がホームランの世界記録を樹立した瞬間を撮影できたことだ。大学野球では、法政大の江川卓選手を取材した日のことを今でも鮮明に覚えている。作新学院出身の彼は「賛美歌を歌える」というので、「少し聞かして下さい」と頼むと、当方の前で一曲賛美歌を歌ってくれたものだ。巨人の江川投手になる前の話だ。江川投手はその当時からサービス精神があったのだ。
 サッカー取材では競技場が大き過ぎて1人の記者ではカバーできず、苦労した。また、大相撲横綱審議会メンバーが場所前、横綱の稽古を見にきた日だったと思う。当方が土俵上の横綱を撮影するために審議会メンバーの前に出た時、他社の先輩記者から「馬鹿、前に立つな」と怒られたことがあった。2代目の横綱・若乃花とは部屋の前で路上インタビューをしたっけ。
 2年余りのスポーツ記者時代でプロボクサーとの出会いは思い出深い。スーパーウェルター級世界チャンピオンに復帰したばかりの輪島功一選手をジムでインタビューした。夜もかなり遅くなっていたが、いやな顔を一つせず、答えてくれた。WBAライト・フライ級世界チャンピオンの具志堅用高選手とはキャンプ中の三島で取材した。沖縄出身の同選手は次期防衛戦への決意を静かに語ってくれた。
 当方が初めてボクシングの生試合を取材した時、ボクサーの鼻血がリング下にいた当方のワイシャツまで飛び散り、ビックリしたものだ。テレビのブラウン管を通じて見る試合とは違って、リング下での取材は迫力があった。アイスホッケー取材では、リンク周辺が非常に寒いのにも驚かされた。
 一般的に、スポーツ記事は政治記事よりも難しい。政治記事の場合、いつ、どこで、誰が、何を、どのように語ったか、等を掴めば最低、記事は書けるが、スポーツ記事の場合、それだけでは不十分だ。記者の感性、時には、感情移入が求められる一方、選手の生の声が不可欠だからだ。勝利した選手のコメント、敗れた選手の敗北談を読むと、感動を覚えることがある。ドライな政治記事に比べ、スポーツ記事には“人間のドラマ”が展開されているからだろうか。