米下院外交委員会で日本軍の慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案が採択された。誤解を覚悟のうえで言えば、日本政府の努力にもかかわらず、決議案が採択された主因は、日本側の情報発信量が反日関係者のそれより少なかったからだ。
 米下院外交委員会のメンバーが日韓中の歴史書を読み、慰安婦問題に精通していたとは思わない。彼らは日本軍の戦争犯罪を訴える側の情報を聞いてきたのだ。その物語、生き証人の話を聞いてきたのだ。もちろん、日本側も反論してきたが、日本側は「反論」という形でしか情報を発信していない。自民党有志議員の米紙ワシントン・ポストへの全面広告にしても、決議案の採択阻止を目指す一時的努力に過ぎなかったから、同広告は米下院外交委員会メンバーの印象をもっと悪くしただけだった、という声を聞く。
 歴史は国の数ほどある。「歴史の共通認識」といった考えは残念ながら非現実的だ。日本政府は過去、軍主導の慰安婦は存在しなかったという主張をどれだ世界に発信してきただろうか。ウィーンに居住している当方ですら、日本側の努力の欠如を感じる。韓国政府は今年に入って「日本海の呼称問題」と「慰安婦問題」で自国の主張をアピールするためウィーンまで来て講演会、セミナー、劇の上演をした。その努力には頭が下がる。それに対し、駐オーストリアの日本大使館関係者は何をしたのか。何もしていない。
 「そんなことに一々対応できない」という、もっともらしい言い訳は聞く。その姿勢こそが今回の米下院外交委員会の決議案採択をもたらしたのだ。韓国、中国は相手側の反論など関係なく、自身の主張を倦むことなく訴え続ける。彼らは主張することに疲れない。相手側が自身の主張を受け入れるまで努力する。一方、日本側は事態の深刻さを理解していない、といわれても仕方がないだろう。
 是非は別として、現代社会は情報の発信量が決定的要因となる時代だ。嘘も何百回も発信続ければ、市民権を得るような社会だ。そのような世界で「わが国の考えこそ歴史的事実だから、いつかは理解されるだろう」といった鷹揚な態度を続けている限り、第2、第3の反日決議案が採択されていくだろう。
 繰り返すが、歴史は情報の発信量によって記述されていく。南京大虐殺事件にしても慰安婦問題にしても、日本政府は平時、自国の見解を世界に向かって発信し続けていかない限り、「日本軍の慰安婦制度は20世紀最大の人身売買だ」として世界史の中に定着していくだけだ。
 日本側は「相手が理解してくれるだろう」といった相手の善意任せの思考体系から脱皮すべきだ。これが今回の決議採択からの教訓ではないか。世界は今、情報戦の最中なのだ。