恥ずかしいことだが、オーストリアに長く住みながらソ連共産党の独裁者スターリンがオーストリアの首都ウィーンに居住していたという事実を最近まで知らなかった。「ウィーンの恋人たち」(D・グリーザー著、宮内俊至訳)という本を日本文化センターから借りて読んで、初めて知った次第だ。スターリンは1913年、数週間、ウィーンのシェーンブルンナー・シュロス通りに住んでいた。そこには今でも記念碑が残っている。
一方、スターリンのライバル、レフ・トロツキーは1907年から7年間、第1次世界大戦が勃発してチューリヒに避難するまでウィーンに住んでいた。しかし、40年5月、メキシコシティー郊外で暗殺されたトロツキーのウィーンの住居には何の記念碑もない。だから、多くのウィーン子はロシア革命の指導者トロツキーがウィーンに住んでいたということを知らないのではないか。ロシアのプーチン大統領が23日、ウィーンを公式訪問したこともあって、当方はスターリンやトロツキーらロシア革命家とウィーンの因縁を思い出したのだ。
オーストリアは第2次世界大戦後、米、英、仏、ソ連の4カ国占領時代を体験している。プーチン大統領が今回宿泊したホテル「インペリアル」は旧ソ連統治下にあった地域であり、ソ連軍が拠点として利用したホテルだ。そのような歴史的背景もあって、ロシアから国家元首や高官がウィーンを訪問するといつもホテル「インペリアル」に宿泊するわけだ。ちなみに、天皇皇后両陛下が2002年7月、ウィーン訪問された時も同ホテルに宿泊されている。
ウィーンは冷戦時代、西側社会のショー・ウィンドーと呼ばれ、東西間の掛け橋的な役割を果たしてきた。旧ソ連・東欧諸国からは多くの政治亡命者がウィーンに避難してきたし、ホフブルク宮殿には全欧安保協力会議(CSCE)の本部があり、そこで東西両陣営が激しいイデオロギー論争を繰り返してきた。スターリンやトロツキーが束の間とはいえ、音楽の都ウィーンに住んでいたとしても不思議ではないわけだ。
一方、スターリンのライバル、レフ・トロツキーは1907年から7年間、第1次世界大戦が勃発してチューリヒに避難するまでウィーンに住んでいた。しかし、40年5月、メキシコシティー郊外で暗殺されたトロツキーのウィーンの住居には何の記念碑もない。だから、多くのウィーン子はロシア革命の指導者トロツキーがウィーンに住んでいたということを知らないのではないか。ロシアのプーチン大統領が23日、ウィーンを公式訪問したこともあって、当方はスターリンやトロツキーらロシア革命家とウィーンの因縁を思い出したのだ。
オーストリアは第2次世界大戦後、米、英、仏、ソ連の4カ国占領時代を体験している。プーチン大統領が今回宿泊したホテル「インペリアル」は旧ソ連統治下にあった地域であり、ソ連軍が拠点として利用したホテルだ。そのような歴史的背景もあって、ロシアから国家元首や高官がウィーンを訪問するといつもホテル「インペリアル」に宿泊するわけだ。ちなみに、天皇皇后両陛下が2002年7月、ウィーン訪問された時も同ホテルに宿泊されている。
ウィーンは冷戦時代、西側社会のショー・ウィンドーと呼ばれ、東西間の掛け橋的な役割を果たしてきた。旧ソ連・東欧諸国からは多くの政治亡命者がウィーンに避難してきたし、ホフブルク宮殿には全欧安保協力会議(CSCE)の本部があり、そこで東西両陣営が激しいイデオロギー論争を繰り返してきた。スターリンやトロツキーが束の間とはいえ、音楽の都ウィーンに住んでいたとしても不思議ではないわけだ。
