海外で生活している者にとって、たとえ正鵠を射ても、母国(日本)の批判を耳にすると内心、快いものではない。その批判が母国外交官から出てきた場合、驚く以上に、怒りすら感じることがある。そんな経験を最近した。
駐オーストリアの日本外交官たちが先日、ある集会で「安倍さんは首相になりたかっただけで、何の明確なビジョンをも有していない」「首相ポストが上がりで、それ以上の願望がないから、首相になっても何もできないんだ」等の首相批判を口にしたのだ。
当方が驚いたのは、安倍晋三首相の人気低迷が国内ばかりか、海外赴任の外交官にまで及んできたからではない。母国の首相を堂々と批判して憚らない日本外交官の感覚だ。
外交官が同僚と母国の政情で批判的な意見を交換することはあるだろう。私的な時間では外交官といえども1人の人間だ。どのような見解や意見をもっていても批判されることではない。しかし、同時に外交官は国の代表であり、その国益と政策を背負っている立場だ。その意味で、海外赴任中の外交官は母国の政権批判を口にすべきではないだろう。
ウィーンでは過去、同じようなことが起きたことがある。社会党と自民党連合政権時代の1995年、駐オーストリアの黒川剛大使(当時)が民間政治懇談会「リベラル・クラブ」の招きで「世界政治と日本」というテーマで講演したが、そこで連合政権パートナーの社会党を徹底的に批判し、「社会党はこれまで安保反対、国旗、自衛隊の存在を否定してきた政党ですが、政権入りするとコロッと変身し、全てを承認してしまいました」と述べ、与党社会党の節操のなさを酷評したのだ。国の代表として赴任した大使が自国政府、それも首相が属する与党の政治姿勢を批判することは考えられないことだが、実際あった話だ。
黒川大使の場合、野合政権と揶揄された連合政権に宮仕えした外務省高官の怒りの爆発とも理解できなくはない。それに比べると、「安倍首相」批判を口にした外交官たちには、外交官としての“軽さ”を感じる。
駐オーストリアの日本外交官たちが先日、ある集会で「安倍さんは首相になりたかっただけで、何の明確なビジョンをも有していない」「首相ポストが上がりで、それ以上の願望がないから、首相になっても何もできないんだ」等の首相批判を口にしたのだ。
当方が驚いたのは、安倍晋三首相の人気低迷が国内ばかりか、海外赴任の外交官にまで及んできたからではない。母国の首相を堂々と批判して憚らない日本外交官の感覚だ。
外交官が同僚と母国の政情で批判的な意見を交換することはあるだろう。私的な時間では外交官といえども1人の人間だ。どのような見解や意見をもっていても批判されることではない。しかし、同時に外交官は国の代表であり、その国益と政策を背負っている立場だ。その意味で、海外赴任中の外交官は母国の政権批判を口にすべきではないだろう。
ウィーンでは過去、同じようなことが起きたことがある。社会党と自民党連合政権時代の1995年、駐オーストリアの黒川剛大使(当時)が民間政治懇談会「リベラル・クラブ」の招きで「世界政治と日本」というテーマで講演したが、そこで連合政権パートナーの社会党を徹底的に批判し、「社会党はこれまで安保反対、国旗、自衛隊の存在を否定してきた政党ですが、政権入りするとコロッと変身し、全てを承認してしまいました」と述べ、与党社会党の節操のなさを酷評したのだ。国の代表として赴任した大使が自国政府、それも首相が属する与党の政治姿勢を批判することは考えられないことだが、実際あった話だ。
黒川大使の場合、野合政権と揶揄された連合政権に宮仕えした外務省高官の怒りの爆発とも理解できなくはない。それに比べると、「安倍首相」批判を口にした外交官たちには、外交官としての“軽さ”を感じる。