イラク戦争で米CNN放送のレポーターが弾丸の飛び交う戦場現場からライブ中継をする姿を見ていると、ジャーナリストの1人として、報道に命をかける同僚の姿をみて「感動」を覚える一方、一種の「羨ましさ」をも感じる。
 当方は冷戦時代、東欧諸国で取材活動を経験し、民主革命の前後を目撃、一度は取材中に拘束され、7時間の尋問を受けたことはあるが、戦場取材を経験したことがない。ボスニア紛争でも内戦後の取材が中心となった。現場から記事を発信できなかったことを今でも少し後悔している。ジャーナリストは現場が勝負だ。たとえ限定され、制限された状況下であったとしても、自分の目で見、聞くという作業はジャーナリストの生命線と考えるからだ。自分で経験せず、体験しなかったことを書かなければならない時があるが、そのような時は苦しく、自信がないものだ。
 ところで、当方にも戦場の雰囲気が漂う、緊迫した雰囲気を味わったことはある。ルーマニアの1989年の政変直後、ぺトレ・ロマン首相との会見のためにブカレストに飛んでいった時だ。装甲車が首相官邸を包囲し、首相執務室周辺には機関銃を構えた兵士たちが待機していた。当方は兵士の監視を受けながら首相官邸に入っていった。ただし、首相執務室に一歩足を入ると、そこは外部から完全に遮断された静かさが支配していた。そのコントラストに驚いたものだ。
 ちなみに、映画俳優を思わせるハンサムな容姿のロマン首相は最初はすこぶる機嫌が良かった。自由経済導入を最優先として取り組んでいくと決意を表明したが、当方が人権問題に言及した時、その口調が厳しくなったことを今でも鮮明に思い出す。ルーマニア革命の背景にはさまざまな憶測が流れていたからだ。チャウシェスク大統領時代の共産党のノーメンクラツーラ(特権階級)に属していた過去の顔が覗いた瞬間でもあった。
 そのルーマニアが今月1日、ブルガリアと共に欧州連合(EU)に加盟した。西側企業の投資も活発で国民経済も順調に伸びてきた。ルーマニアとブルガリア両国のEU加盟が、「欧州の火薬庫」と恐れられてきたバルカン諸国の政情安定に寄与することを期待したい。