北朝鮮の故金日成主席はルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻の射殺シーンをテレビで見て非常にショックを受けたといわれている。チャウシェスク大統領を個人的に知っていたからだけではない。1人の政府批判の声で独裁政権が一瞬のうちにトランプの家のように崩壊したからだ。もちろん、故金主席はルーマニアの出来事を自分の運命と重ねて受け取っていたはずだ。
 ルーマニアの政変2カ月後の1990年2月、当方はブタペストでチャウシェスク政権の崩壊の直接の起爆剤となったラスロ・テケシュ牧師と会見した。頑強な肢体をもった牧師は聖職者というより、政治指導者のような雰囲気があったことを思い出す。
 テケシュ牧師は「ルーマニアの民主革命はチャウシェスク大統領に不満をもつ国民が自発的に立ち上がったものだ。その発火点はチミショアラ市民だった。12月の出来事は革命ではなく、反乱だった」と主張した。反乱後の改革プロセスが期待したほど成功しなかったことについては、「反乱は原則的には民主主義のためだったが、民主主義が何であるかを知っている国民はいなかった」と述懐した。
 さて、“北朝鮮のテケシュ牧師”は出現するだろうか。北朝鮮からは反政府運動や反金総書記の言動が時たま伝えられてくるが、組織だった反政府運動や野党勢力は存在しないといわれている。しかし、ルーマニアのチャウシェスク独裁政権時代もそうだった。ブカレストからはポーランドやチェコスロバキアのような反共産政権運動はほとんど伝わってこなかった。だから、チャウシェスク政権が国内を完全に牛耳っていると信じられていた。
 「民主化のために生命の危険を顧みずに立ち上がった原動力は何か」という当方の質問に対し、テケシュ牧師は「キリスト者としての信仰と、不義なものに対して逃避してはならないといった確信である。多くの国民にとっても、人間として自由でありたいという願いは、生命を失うかもしれないという恐れよりも強かった」と説明してくれた。金正日労働党総書記はテケシュ牧師のこの言葉をどのように受け取るだろうか。いずれにしても、北朝鮮のテケシュ牧師は軍服を着ている可能性が高い。