イラク戦争後の復興活動に従事していた奥克彦氏と井ノ上正盛氏の2人の日本人外交官がイラク中部のティクリートで何者かに射殺されて11月で3年目を迎える。
ウィーンの日本情報文化センターで先日、奥氏がイラク復興現場から外務省ホームページに送信していた「イラク便り」を借りて読んだ。「イラク便り」は「復興人道支援221日間の全記録」として一冊の本にまとめられている。復興活動の内容が淡々と記述されているが、奥氏のイラク復興への情熱と決意が伝わってくる。
バグダッド市民のたんぱく質源マスグーフ(鯛)やホブズやサムーンと呼ばれるイラクのパン、ラマダーン中の夕食時のスープ「ショールバ」などにもトライするなど、奥氏はイラク国民の心情を理解するために積極的に国民と接触していったことが分かる。
その一方、「イラク便り」の読後、考えさせられた。奥氏や井ノ上氏がその命を払ったイラク復興はその後どうなったのだろうか。両外交官の犠牲後の過去3年間で議会選挙が実施され、民族の代表が選出されるなど、政治プロセスは前進した。しかし、国内の治安は正直に言って悪化している。奥氏が復興活動中にも、バグダッドで国連特使のデ・メロ代表が2003年8月、国連事務所爆破テロで亡くなり、イラク南部で展開中のイタリア国家警察部隊が同年11月攻撃を受け、多数のイタリア人が犠牲となったが、その後もテロ事件は絶えない。
今年10月18日には、米兵士11人が死亡したことが明らかになったばかりだ。イラクでの米兵士の死者数は上昇している。イラク駐留多国籍軍によれば、ラマダーン期間の1カ月間だけでイラク軍の300人が死亡したという。米国内では、イラクの現状がベトナム時代と酷似してきたという懸念すら聞こえ出した。
奥氏はその「イラク便り」の中で「犠牲になった尊い命から私たちが汲み取るべきは、テロとの戦いに屈しないと言う強い決意ではないでしょうか。テロは世界のどこでも起こりうるものです。テロリストの放逐は全員の課題なのです」と記述している。テロとの戦いは長い。奥氏の決意を相続したいものだ。
ウィーンの日本情報文化センターで先日、奥氏がイラク復興現場から外務省ホームページに送信していた「イラク便り」を借りて読んだ。「イラク便り」は「復興人道支援221日間の全記録」として一冊の本にまとめられている。復興活動の内容が淡々と記述されているが、奥氏のイラク復興への情熱と決意が伝わってくる。
バグダッド市民のたんぱく質源マスグーフ(鯛)やホブズやサムーンと呼ばれるイラクのパン、ラマダーン中の夕食時のスープ「ショールバ」などにもトライするなど、奥氏はイラク国民の心情を理解するために積極的に国民と接触していったことが分かる。
その一方、「イラク便り」の読後、考えさせられた。奥氏や井ノ上氏がその命を払ったイラク復興はその後どうなったのだろうか。両外交官の犠牲後の過去3年間で議会選挙が実施され、民族の代表が選出されるなど、政治プロセスは前進した。しかし、国内の治安は正直に言って悪化している。奥氏が復興活動中にも、バグダッドで国連特使のデ・メロ代表が2003年8月、国連事務所爆破テロで亡くなり、イラク南部で展開中のイタリア国家警察部隊が同年11月攻撃を受け、多数のイタリア人が犠牲となったが、その後もテロ事件は絶えない。
今年10月18日には、米兵士11人が死亡したことが明らかになったばかりだ。イラクでの米兵士の死者数は上昇している。イラク駐留多国籍軍によれば、ラマダーン期間の1カ月間だけでイラク軍の300人が死亡したという。米国内では、イラクの現状がベトナム時代と酷似してきたという懸念すら聞こえ出した。
奥氏はその「イラク便り」の中で「犠牲になった尊い命から私たちが汲み取るべきは、テロとの戦いに屈しないと言う強い決意ではないでしょうか。テロは世界のどこでも起こりうるものです。テロリストの放逐は全員の課題なのです」と記述している。テロとの戦いは長い。奥氏の決意を相続したいものだ。