ライス米国務長官は19日、安倍晋三首相との会談で「米国は日本の安全を防衛する決意を有している。日米同盟はいかなる挑戦にも応える能力を有している」と表明し、日本政府に防衛の確約をした。一方、ラムズフェルド米国防長官は20日、米韓両国閣僚級の安全保障協議会(SCM)後、「米国は韓国に対して『核の傘』による抑止継続を再確認する」と語り、同じように、韓国に安全の確約を明らかにしている。
 米国は北朝鮮の核実験後、日本と韓国両国が北朝鮮の核兵器に対抗するために独自の核兵器製造に乗り出すのではないか懸念している。だから、米国の「核の傘」を提供するとの確約で両国の核兵器製造への誘惑を断ちたいわけだ。
 ところで、今年はハンガリー動乱50周年だ。当時、アイゼンハワー米大統領はハンガリーの民主改革を支持、支援を示唆していたが、旧ソ連軍がブタペストに侵攻して民主化プロセスを粉砕した時、米軍は無視し続け、ハンガリー国民を失望させたことは歴史的な事実だ。チェコの自由化路線(プラハの春)でも同様だった。政治確約が常に履行されるわけではないことを端的に示した実例だ。
 ここでは「米国の確約が信用できない」といいたいのではない。政治確約というものが果たして信用できるか、という基本的な問いだ。確約した時の政治情勢と、将来、遭遇するであろう政治情勢や力関係は決して同一ではないからだ。政治情勢が変われば、確約はもはや価値がない。政敵が10年後、同盟国となり、同盟国が敵国になることだって考えられるのが国際情勢だ。例えば、米中の急接近で日米同盟が空白化するシナリオも十分に考えられる。
 だから、「確約」する側も「確約された側」も「政治確約は常に履行されるわけではない」という前提にたって冷静に受け取るべきだろう。なぜならば、国益を無視して他国への「確約」を履行する国はどこにも存在しないからだ。