チェコスロバキア共産政権下の最後の大統領、グスタフ・フサーク氏の名前を覚えている人はもはや少ないだろう。同氏は1968年8月にソ連軍を中心とした旧ワルシャワ条約軍がプラハに侵攻した「プラハの春」後の“正常化”のために、ソ連のブレジネフ書記長の支援を受けて共産党指導者として辣腕を振るった人物であり、チェコ国民ならばフサーク氏の名前は苦い思いをなくしては想起できない。
 そのフサーク氏が死の直前、1991年11月、ブラチスラバ病院の集中治療室のベットに横たわっていた時、同国カトリック教会の司教によって懺悔と終油の秘跡を受け、キリスト者として回心したという話は、国民に大きな衝撃を与えた。
 フサーク氏のチェコ共産党政権下では、東欧諸国の中でも最も激しい宗教弾圧が行われた。それを指導していたのがフサーク氏だった。そのフサーク氏が死の直前、迫害してきたキリストを受け入れたのだ。
 フサーク氏の回心を信じられない元共産党機関紙「ルド・プラウダ」は「フサーク氏は既に会話不能な重病にあったから、司教から懺悔や終油の秘跡を受けることは事実上不可能だった」とし、フサーク氏の回心を「陳腐な作り話」と一蹴したほどだ。それに対し、最後の瞬間に立ち会った司教は「フサーク氏は教会との和解と終油の病床秘跡を受けた」と証言し、その回心は事実であったと述べた。
 イエス・キリストを迫害してきたサウロがダマスコ近くで“復活したイエス”に出会い回心する通称“サウロの回心”(使途行伝9章1節から8節)は聖書の中でも最もよく知られた話だが、フサーク氏の回心をそれと比較することは出来ないとしても、人間フサーク氏の回心は聞く者の心を揺さぶる。なぜならば、人間の最後の瞬間、過去の過ちを悔い、許しを請うという行動は余りにも人間的であり、同時に厳粛な行為だからだ。フサーク氏が亡くなって今年11月18日で15年目を迎える。