ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2025年04月

ウィーン市議会選で‘赤の砦‘は健在

 2日遅れとなったが、27日に実施されたウィーン市議会選挙の結果を報告する。第1党はルドヴィク市長(64)が率いる与党社会民主党(SPO)で得票率約39・4%で断トツ。それを追って極右政党「自由党」(FPO)で20・4%で前回(2020年)比でほぼ倍の得票率を獲得した。そのほか、「緑の党」14・5%、リベラル派政党「ネオス」10・00%、保守派政党「国民党」9.7%だった。投票率は約61・9%で前回比で下がった。

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▲赤の砦を守ったウィーン市のルドヴィク市長、ウィーン市公式サイトから

 ウィーン市議会は‘赤の砦‘と呼ばれ、終戦から現在まで社民党(前社会党)が第1党で統治してきた。ルドヴィク市長の社民党は前回比で2・24%得票率を落としたが、他の政党の追随を許さない強さがあった。選挙で得票率40%前後を獲得できる政党は今日、非常にまれだ。社会福祉政策、交通網、住居、治安状況で他の欧州の都市を凌いでいる。音楽の都として世界から多くの観光客を呼ぶ一方、ドナウ川沿線には国連都市を誘致するなどインタナショナルなインフラを完備し、ウィーン市は国際会議の開催地ナンバーワンを続けている。

 問題点は難民・移民の殺到だ。ウィーン市はあと数年で200万都市になるが、人口増加の背景には移民・難民の増加がある。ウィーン市の公共学校ではイスラム系生徒の数がカトリック系生徒の数を上回っている。その結果、ドイツ語ができない生徒が増え、ひいては学力の低下がみられる。ウィーンのオーストリア人家庭では経済的に可能ならば、公共学校に子供を送らず、私立学校に通わせるケースが出てきている。

 市の財政は赤字だが、観光業が順調に成長している限り、市の財政運営はまだ破綻することはない。ただ、新型コロナのパンデミックやウクライナ戦争の影響でエネルギー価格は急騰し、物価高を誘発して市民の生活は苦しくなってきている。そのような中、シリア人の難民家庭が月4000ユーロを超える支援を受けていることが報じられ、市民の中に社民党主導の難民政策への批判の声が聞かれる。

 極右「自由党」は選挙戦では社民党の難民政策を批判してきたが、ルドヴィク市長の赤の砦を脅かすことは今回もできなかった。それほど70年余りの間で築かれてきた社民党の政治基盤、ネットワークは強固というわけだ。

 選挙後、ルドヴィク市長が主導する連立交渉が始まっているが、大方の予想で社民党とネオスの現連立政権が再現されるものとみられている。ルドヴィク市長は「迅速に連立政権を発足させたい」と述べている。一方、ウィーン市自由党のネップ党首は「わが党はいつでも政権入りする用意があるが、社民党はわが党の政権参加を拒否している。わが党に投票した20%の市民の声を殺している。民主主義に反する。いずれにしても、わが党は野党として社民党の政策、腐敗やスキャンダルを暴いていく」と強調している。

 ちなみに、自由党は選挙の度に得票率を伸ばすが、他の政党が自由党との連立を拒否していることもあって、政権担当は難しい。昨年9月末の国民議会選挙で自由党は初めて第1党に躍進、キックル党首は首相ポストをほぼ手に入れていたが、土壇場で国民党との連立交渉が破綻したばかりだ。

宗教者は「信仰の隣人」にもっと理解を

 話は2023年5月6日に遡る。国王を継承した英国のチャールズ3世の戴冠式がロンドン中心部のウェストミンスター寺院で行われた時だ。

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▲正教会の名誉総主教、コンスタンティノープル総主教バルトロメオス1世と会見したフランシスコ教皇、バチカンニュースから

 戴冠式では、チャールズ国王は金色の布の天蓋の下で、カンタベリー大司教によって祝福され、奉献された聖油が注がれた。ウェストミンスター寺院の戴冠式は、非常に宗教的な行事だ。チャールズ国王の多くの称号の中には、イングランドがローマと決別した後も維持された英国国教会の「信仰の擁護者」が含まれる。

 チャールズ国王の戴冠式には宗教改革以来初めて、カトリック教会の代表だけではなく、他のキリスト教の宗教団体の代表も出席した。ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、シーク教の代表たちがチャールズ3世に「信仰の隣人」として挨拶した。

 チャールズ国王は皇太子時代の1994年、英国の宗教的多様性を反映させて「(英国国教会の)信仰の擁護者ではなく、(全ての)信仰の擁護者になる」と述べ、英国内で大きな議論を呼んだ。英国国教会はヘンリー8世以来、戴冠式の場で伝統的に「Defender of the Faith」と宣言してきた。チャールズ3世はそれを「the」(英国国教会を指す定冠詞)を除き、「全ての信仰の擁護者」という意味合いを込めて「Defender of Faith」と宣言した。

 なお、聖公会(アングリカン・コミュニオン)は西暦597年、ローマ教皇の支配下でカンタベリー大主教が管理するローマ・カトリック教会所属の教会として始まったが、1534年、英国王ヘンリー8世がローマに離婚願いを申請した際、バチカンがその願いを拒否したことを受け、ローマ教会の支配から脱し、英国王を首長とする英国国教会を創設した。現在、世界に約7000万人の信者を有する。聖公会の教えは本来、ローマ・カトリック教会の教えを土台とし、宗教改革のプロテスタントの影響を受けてきたことから、新旧両教会の中道教会とも呼ばれる。

 ところで、宗教界では超教派運動(エキュメニカル運動)がある。21日、88歳で亡くなったローマ教皇フランシスコは生前、他宗派の指導者と積極的に会合した。宗派の相違を乗り越えて,他宗派への理解を深めていくことで、宗教人の連帯は深まっていく。そして「信仰の隣人」への相互尊重と敬意を培っていく。そこにエキュメニカル運動の目的がある。

 ただ、現実は容易ではない。宗教が理由で多くの紛争、戦争が繰り返されてきたのが人類の歴史だ。21世紀の今日でも状況に大きな変化はない。
 例えば、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教はアブラハムを「信仰の祖」とする唯一神教だが、 本来、兄弟宗教にもかかわらず、争い、いがみ合いを続けている。

 神学者ヤン・アスマン教授は、「唯一の神への信仰( Monotheismus) には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明し、実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げる。自身の神を絶対的に信じる信仰者は他の宗派の神を容認できないからだ。アスマン教授は「妬む神」と呼んでいた。

 それゆえに、というべきか、先のチャールズ国王の戴冠式での「信仰の隣人」への擁護者発言は示唆に富んでいる。「信教の自由」を守る運動も同様だろう。チャールズ国王流に表現するならば、「Defender of the Faith」ではなく、「Defender of Faith」だ。自身の宗教だけの擁護者ではなく、他宗派の「信仰の隣人」の擁護者でもあるべきだ。特に、宗教者は他宗派の困窮に対して、無関心であってはならない。

見よ、あのフランシスコ・ラインを

 ローマ教皇フランシスコは26日午後(現地時間)、バチカンから少し離れたサンタ・マリア・マッジューレ教会の墓地に葬られ、第266代のペテロの後継者に選出された教皇の12年の歩みに幕が閉じられた。

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▲フランシスコ教皇(在位2013年3月13日〜2025年4月21日)の葬儀ミサに集まった人々、2025年04月26日、バチカンニュースから

 初の南米出身でイエズス会に所属していたフランシスコ教皇には就任直後から従来の教皇には見られないサプライズがあった。コンクラーベで教皇に選出された時、ブエノスアイレス大司教のホルへ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿は一つだけ条件を出した。教皇名にフランシスコを使っていいのならば教皇任命を受諾したいというものだった。

 歴代の教皇名にはフランシスコ名はない。フランシスコ教皇は清貧の聖人と呼ばれたアッシジのフランチェスコを愛していた。教皇になるのならばその名前を名乗りたいという願いがあった。そしてベルゴリオ枢機卿はフランシスコ教皇となった。正式にはフランシスコ1世だ。ひょっとしたら、将来、2世、3世のフランシスコ教皇が誕生するかもしれない。

 フランシスコ教皇の過去12年間の歩みについてこのコラム欄で既に書いたので、復活祭が終わった直後の聖月曜日(4月21日)の早朝に亡くなった教皇の前日の歩みを少し振り返りたい。

 フランシスコ教皇はサン・ピエトロ広場で行われた復活祭のミサは代理人をたて、自らは車椅子でサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せると、広場に集った約3万5000人の信者たちから暖かい拍手で迎えられた。教皇は「復活祭おめでとう」と皆に挨拶し、記念ミサ後、サン・ピエトロ大聖堂のロッジアから「ウルビ・エト・オルビ」の祝福の言葉を述べた。イースターのメッセージはディエゴ・ラヴェッリ儀式長が代読した。その後、フランシスコ教皇はオープンカーに乗ってサン・ピエトロ広場を通り、信者たちの歓声に応えている。フランシスコ教皇はキリスト教会の最大の祝日の復活祭を自身の体力が続く限り行った直後、亡くなった。

 バチカンは23日から25日の3日間、フランシスコ教皇の遺体をサン・ピエトロ大聖堂に安置し、世界の信者たちに教皇に最後の別れをする機会を提供した。メディアによると、3日間で25万人の人々が遺体の前で祈りを捧げたという。バチカン側は大聖堂を閉鎖して26日の葬儀ミサの準備をしなかればならなかったが、多くの人々がまだ列をなしているのを見て、大聖堂の閉鎖時間を延長せざるを得なかったという。

 サン・ピエトロ大聖堂まで続く長い列を見ながら、3年前のエリザベス・ラインを思い出した。英国のエリザベス女王の国葬が2022年9月19日午前、ロンドンのウェストミンスター寺院で挙行された。女王は9月8日、滞在中のスコットランド・バルモラル城で死去した。96歳だった。国葬の前日まで、多くの人々が女王に感謝と弔意を表明するためにテムズ川沿いから女王の棺が安置されたウェストミンスターホールまで7キロ余りの長い列を作った。英メディアではエリザベス・ラインと呼ばれ、100万人以上の国民が集まった。列の中にはオーストラリアやカナダなど海外からきた人々の姿もあった。10数時間も外で待機している人々の規律ある姿は海外でも大きく報道され、話題となった。

 父ジョージ6世の急死(1952年2月)を受け、当時王女だったエリザベス2世は女王に即位、その後70年間、公務を行ってきた。女王は21歳の誕生日、「自分はどれぐらい生きるか分からないが、国のために最後まで忠誠を尽くしたい」と述べたといわれる。女王はそれを実行したわけだ。英国民はエリザベス女王の国への献身に心が動かされていた。

 同じように、フランシスコ教皇が死の直前までその聖職に献身した姿に信者ばかりか、多くの人々が感動したといわれる。ベルリンのアンドレアス・ハンブルガー臨床心理学教授はドイツ民間放送ニュース専門局NTVで、「多くの人々が復活祭での教皇の歩みに心を動かされた」と述べている。

 エリザベス女王は70年間、フランシスコ教皇は12年間、与えられた使命を命が続くまで献身的に行ってきたという点で似ている。誠実に与えられた使命を全うする姿、生き方は国、民族,宗派を超えて、人々を感動させ、最後の別れを告げるために長時間、立ち続けることができるわけだ。エリザベス・ラインに倣って、大聖堂まで続いた長い列をフランシスコ・ラインと呼びたい。

フランシスコ教皇の葬儀ミサ

 バチカン市で26日午前10時(現地時間)、先月21日の復活祭後の月曜日に88歳で亡くなったフランシスコ教皇のレクイエム・ミサがサン・ピエトロ広場で挙行された。広場には約50人の各国首脳や政府代表、10人の君主、その他、世界各地から大勢の人々、信者たちが参加した。ミサは枢機卿団長のジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿が執り行った。

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▲フランシスコ教皇の葬儀ミサ、2025年04月26日、バチカンニュースから

 サン・ピエトロ大聖堂に安置されていた教皇の棺はミサが始まる前にサン・ピエトロ広場に運ばれた。23日から25日まで3日間にわたる送別行事が行われ、イタリアのメディアによると、約25万人の人々がフランシスコ教皇の棺の前で最後の別れをした。その後、教皇の顔は白い布で覆われ、教皇職の公文書と現行の硬貨が棺の中に置かれ、棺は亜鉛製の蓋と木製の蓋で閉じられた。式典ではラテン語の詩篇が唱えられたという。

 葬儀ミサには、トランプ米大統領夫妻、マクロン仏大統領夫妻のほか、ウクライナのゼレンスキー大統領夫妻も参加した。ちなみに、貴賓席は教皇の出身国アルゼンチンのミレイ大統領、イタリアの大統領が最前線で、次は王室、大統領、その後はフランス語のアルファベット順に席に着くことになっていた。ミサは2時間余りで終わり、最後には、ラテン語で「祝福と別れの儀式」と呼ばれる特別な告別式が行われた。

 ミサが終わると、遺体は一旦,サン・ピエトロ大聖堂に戻された後、ヴェネツィア広場を通り、コロッセオを通過してサンタ・マリア・マッジューレ教会まで約30分間、車で運ばれ、そこで埋葬された。ちなみに、教皇がバチカンの外で埋葬されるケースはまれだ。最近では1924年、既に亡くなってサン・ピエトロ大聖堂に埋葬されていたレオ13世はサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂に移されている。

 なお、26日のローマは快晴に恵まれた。広場周辺は外国からの貴賓の安全を守るために1,000人を超える警察官が配備され、陸軍特殊部隊がドローン防衛装備でサン・ピエトロ広場を警備した。

 当方はオーストリア国営放送(ORF)のライブ中継でフランシスコ教皇の葬儀ミサをフォローした。快晴の中、赤い法衣をまとった枢機卿たちや世界各国の首脳たちが見守る中、レクイエムミサは厳かに行われた。石灰岩と大理石で出来たサン・ピエトロ大聖堂の前の中央の広場には簡素な木製の棺が置かれていた。その書割を見ながら、「清貧の聖人と呼ばれたアッシジのフランチェスコを愛したフランシスコ教皇は最後まで質素な生き方を貫きたかったのだ」ということを感じた。

フランシスコ教皇時代後の「教会像」

 南米教会出身のローマ教皇フランシスコが就任直後、貧者の救済を頻繁に言及するため、「教皇は南米の神学といわれる解放神学の信奉者ではないか」という声が聞かれた。それに対し、バチカン教皇庁教理省長官のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー大司教(当時)は「新教皇は貧者の救済に尽力を投入してきた。迫害され、不公平な扱いを受けてきた人々や民族に対して支援することはキリスト教の人間観に基づく行為だ。フランシスコ教皇を解放神学者と断言することは不適当だ」と説明したことがあった。

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▲88歳で亡くなったフランシスコ教皇、バチカンニュースから

 解放神学とバチカンの関係は長い。教会の近代化が提唱された第2バチカン公会議の直後、南米司教会議がコロンビアのメデジンで開催され、そこで第2公会議の精神に基づき、抑圧された民族の解放問題が協議された。抑圧された貧者たちの視点を重視する解放神学の誕生だ。

 バチカンは1980年代に入り、南米教会で広がっていった解放神学に警戒心を高めている。解放神学がマルクス主義に接近していく傾向が見え出したからだ。バチカン教理省長官に就任したヨーゼフ・・ラッツィンガー枢機卿(後日、ベネディクト16世)は南米の解放神学者グスタボ・グティエレス氏やレオナルド・ボブ氏の著作を批判、1984年には教理省の名で解放神学に警告を発した。 しかし、ヨハネ・パウロ2世は86年3月、南米訪問で悲惨な現状を目撃した後、ブラジル司教会議関係者との会見で解放神学の正当性を認めている。
 
 フランシスコ教皇が亡くなった後、南米出身の教皇は改革派だったかどうかで意見が分かれている。オーストリア国営放送(ORF)は牧会神学者ポール・マイケル・ズーレナー氏にフランシスコ教皇の遺産についてインタビューしている。

 ズーレナ―氏は「フランシスコ教皇は第二バチカン公会議を決定的に継続したという点で記憶される。同時に、政治的教皇として記憶されるだろう」という。フランシスコは「ラウダート・シ」(2015年)で、環境に関する初の回勅を執筆し、 その中で生態学と経済の密接なつながりを強調し、第三次世界大戦の可能性を繰り返し警告している。

 教皇は貧困層、差別されている人々、刑務所の囚人、多くの大都市のスラム街に住む人々、孤独な老人、仕事のない若者にそのエネルギーを傾注していった。 宗教原理主義者や政治ポピュリストはフランシスコ教皇の言動を歓迎しなかったのは当然かもしれない。

 フランシスコ教皇は同性愛者やクィア、離婚した人々に対しても聖体拝領の道を開こうとした。 2013年7月、ブラジル訪問から帰国の機内で「教会は同性愛行為を罪とみなしているが、同性愛者を非難したり、疎外したりしてはならない」と述べ、LGBTに対して理解を示している。フランシスコ教皇は教会の重点を道徳説教から癒しと治療へと転換していった。ズーレナ―氏は「教会は税関ではなく野戦病院であるべきだという信念があった。フランシスコ教皇は、行動と言葉で、新たな司牧文化を提唱した」と述べている。

 フランシスコ教皇在位12年間で女性聖職者は誕生しなかったが、バチカンの高官ポストに修道女ラファエラ・ペトリーニさんが今年3月から従事している。神父の独身義務については、バチカンで2019年10月開催されてきたアマゾン公会議で、「遠隔地やアマゾン地域のように聖職者不足で教会の儀式が実施できない教会では、司教たちが(相応しい)既婚男性の聖職叙階を認めることを提言する」と、最終文書の中で明記された。ただし、同提言は聖職者の独身制廃止を目指すものではなく、聖職者不足を解消するための現実的な対策の印象は歪めない。

 フランシスコ教皇の在位期間における重要な革新は、シノドス主義、すなわち共同体主義の強化だ。「フランシスコにとって、教会のこの『シノドス化』は、第二バチカン公会議の教会のイメージの実現にほかならない」と神学者は語る。世界シノドスはフランシスコ教皇が2021年から2024年にかけて招集し、一般信徒や女性代表らも参加した。

 5月に入れば、次期教皇選出を決めるコンクラーベがシスティーナ礼拝堂で挙行されるが、ズ―レナー氏は「コンクラーベは中世の遺物だ。現在カトリック教会で規定されているコンクラーべはもはや時代遅れだ。教会のより大きなシノドス性(協議性)は、教皇選挙の改革を意味する」と主張している。同氏によれば、フランシスコ教皇自身が「教皇職も将来的にはシノドス的に行使されるべきだ」と述べている。それは第1バチカン公会議(1869〜1870)で描かれた絶対主義的で君主制的な教皇像からの決別を意味するわけだ。

 ローマ・カトリック教会は現在、教皇を中心とした中央集権体制を維持していくか、現場の司教会議や指導者たちが教会運営にタッチしていく非中央集権化かの選択を強いられてきている。

 問題は出てくる。グロバリゼーションの時代、ソーシャルネットワークが発展してきている現代社会、聖職者もそれらの影響を受ける。世論調査が行われ、フェイクニュースが溢れている情報社会で生きている聖職者もやはり人間だ。意見は多様化し、牧会一つ上げても多様なやり方が考えられる。国、地域でその文化、慣習は異なる。そのよう時代環境圏で果たして各国の司教会議が統一された 教会を維持できるだろうか。ボトムアップで統一した教会体制がキープできるだろうか。

 次期教皇がシノドスの過程を止めることはできるが、フランシスコ教皇は在位12年の間に、次期教皇を選出する選挙権を有する80歳未満の枢機卿の3分の2以上を任命していることから、次期教皇も前任者の路線を継続していくと考えて間違いないだろう。

 問題の核心は、教会体制でトップダウン方式かボトムアップ体制かの選択ではない。独裁的な教皇が誕生するか、ポピュリストの教皇が選出されるかの問題でもない。神を信じ、人類の救済を訴える教会に神の聖霊の働きがあるか否かではないか。ペテロの後継者が主導するカトリック教会は大きな分岐点に対峙している。

AfDがドイツで第1党に躍り出た

 ドイツの右派過激派政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)を抜いて第1党に躍り出た。予想されたことだったが、今年2月23日の連邦議会選挙後、CDU/CSUが社会民主党(SPD)と連立政権交渉を進める中、支持率を落とす一方、AfDは総選挙後、支持率で5%以上アップさせて、ついにCDU/CSUを抜いてしまったわけだ。

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▲AfDの共同党首ワイデル女史、AfD公式サイトから

 世論調査研究所Forsa が4月15日から17日の間、1502人に支持政党を聞いた。その結果、AfDが支持率26%でトップ、第2位はCDU/CSUで25%だった。2月23日に実施された連邦議会選ではAfDの得票率は20・8%だったからあれから5・2%増加したことになる。一方、CDU/CSUは総選挙では28・5%だったから、3・5%減らしている。もちろん、総選挙時の得票率とその後の支持率を同列で語れない面もあるが、少なくとも政党の勢いは分かる。

 独週刊誌シュピーゲルはCDU/CSU中道左派「社会民主党」(SPD)が10日公表した連立協定(144頁)について、「ドイツにとって中道派の最後のチャンスかもしれない」と評している。同論調には、CDU/CSUとSPDの両党の連立政権が成果を挙げられない場合、右翼政党「ドイツのための選択肢」(AfD)がそれに代わって政権を掌握する可能性が出てくるというニュアンスが含まれている。オーストリアの代表紙「プレッセ」も「メルツ氏は結果を出さなければならない。AfDがメルツ氏の首根っこをつかんでいる。今回がドイツにおける中道派にとって最後のチャンスだ」と報じている。

 連立交渉の合意が総選挙後45日目で達成されるなど、記録的な速さで成立した背景には、ウクライナ戦争、国民経済の低迷に加え、トランプ米政権の関税政策による波乱など、ドイツを取り巻く外交、経済的な圧力は日増しに高まり、連立交渉で多くの時間を費やす余裕がなくなってきた、といった思いがCDU/CSUとSPDの両党指導者に共有されていたからだろう。

 連立協定で合意が実現し、これからは新政権が発足してリセッション下にある国民経済を復興させ、移民対策を強化するなどの課題に取り組んでいこうという時、次期首相に就任予定のメルツ党首を主導とした新政権に国民の期待が膨れあがってもいいところだが、まだ新政権も発足していない段階で、次期与党のCDU/CSUの支持率が伸び悩み、AfDが国民の間でますます浸透してきているのだ。

 Forsaの調査によると、AfDを支持する国民は現政府や現状への抗議票としてAfDを支持しているのではなくなってきたという。35%の支持者は「AfDの政治信条を支持している」と答えているのだ。

 AfDの思想的指導者ヘッケ氏は、ホロコーストやナチス時代の罪を軽視または否定する歴史修正主義者であり、極右思想の中核にある「民族的純粋性」や「国家主義」に通じる思想の持主だ。若者の間でAfDの支持者が増えている。

 AfDの躍進について、ドイツ中央ユダヤ人評議会のヨーゼフ・シュスター会長は「ドイツで益々多くの人々が政治的信念からAfDを選んでおり、極右イデオロギーが顕在化している」と指摘、多くの有権者が現政権への抗議票、不満票としてAfDを支持しているのではなく、意識的に極右勢力を支持していることに強い警戒心を持っている。

 AfDの支持拡大は、ドイツ社会における分断の象徴でもある。移民や難民、グローバリゼーションに対する不安が、社会の一部で過激な形で表現されてきたといえる。その結果、少数派や移民、ユダヤ人コミュニティーに対する攻撃が増加し、社会全体に深刻な影響を及ぼしてきた。

 来月6日ごろにはメルツ党首を主導としたCDU/CSUとSPDの連立政権が発足する予定だが、移民対策と国民経済の活性化で迅速に成果を上げることができないようだと、AfDがさらに国民の支持を得て大きな政治勢力となり、メルツ新政権の政治運営を脅かすかもしれない。

 メルツ党首がウクライナに巡航ミサイル「タウルス」の供与する意向を明らかにしたが、AfDはさっそく「タブー破りだ。ドイツを戦争参戦国にしてはならない」と激しく批判している。ドイツの政界の動向に目を離すことができなくなってきた。

次期教皇にアジア出身の枢機卿も有力

 来月初めにはコンクラーベが挙行される。選挙権を有する80歳未満の135人の枢機卿が参加する。選出されるためには3分の2の支持が必要だ。具体的には90人の支持だ。メディアでは次期教皇の有力候補者の名前が報じられているが、コンクラーベの場合はサプライズが付き物だ。ここでは選挙権を有する135人の枢機卿の出身地域を見てみたい。

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▲フランシスコ教皇の遺体が眠るサンタ・マルタ礼拝堂、2025年04月23日、オーストリア国営放送からスクリーンショット

 先ず、135人の枢機卿の内訳は、欧州出身が53人で依然、最大勢力を誇る。それに次いでアジア教会の23人、アフリカ教会18人、南米教会17人、北米教会16人、そして中米とオセアニア教会が各4人の順序となる。

 カトリック教会では最高指導者ローマ教皇は初期はイタリア教会から選出されることが通常だった。冷戦時代、東欧のポーランドからヨハネ・パウロ2世が選出されたことはその意味で異例だったわけだ。また、21日に亡くなったフランシスコ教皇のアルゼンチン出身も初めての事であり、当時、世界のカトリック教会はビックリした。

 選挙権を有する枢機卿の勢力図からみれば、次期教皇は欧州教会出身の枢機卿が有利のように見られるが、その可能性は高くはない。その理由は、�.戰優妊�クト16世がドイツ教会出身だったばかりで、カトリック教会内では次期教皇は欧州教会以外からという声が強い、��欧州教会ではここ数年、聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、教会への信頼性が大きく揺れている。その結果、信者の教会離れが加速している、等が挙げられる。

 欧州教会の衰退は前回のコンクラーベから見ても明らかだ。2013年3月のコンクラーベでは欧州出身の枢機卿は60人だった。選挙権を有する枢機卿の数は当時、115人だったから、欧州出身の枢機卿は依然、コンクラーベ参加枢機卿の過半数を占めていた。今回は53人だから、過半数の90人からは遠い。コンクラーべで欧州出身の枢機卿が過半数割れしたのは今回が初めてだ。これをみても、欧州教会の衰退が一目瞭然となる。

 枢機卿の勢力図からいえば、信者数が増えているアジアとアフリカ教会から次期教皇が誕生しても可笑しくない。南米教会はフランシスコ教皇が出たばかりだから、2期連続、南米出身の教皇誕生の可能性は少ないだろう。

 以上から、次期教皇にはアジア教会、アフリカ教会からの枢機卿が選出されることが十分考えられるわけだ。ただ、本命候補者がない場合、ショートリリーフ役の教皇が選ばれることがある。例えば、教理省長官だったベネディクト16世が27年間の長期政権を担ってきたヨハネ・パウロ2世の後に選ばれたケースはそれに該当するだろう。

 コンクラーベはシステイーナ礼拝堂で挙行されるが、コンクラーベに参加した枢機卿は投票前に秘密保持を宣誓しなければならない。誰が何票集めたか、といった情報が外部に流れると、投票後にもさまざまな影響が出てくることが考えられるからだ。

 コンクラーベ開催中、妨害電波が流れることがある。バチカンの治安担当官は「盗聴防止はやむ得ない処置だ。しかし、100%、防止は出来ない。システィーナ礼拝堂のような歴史的建物では内部の音波が外部に流れやすいからだ」という。

 情報を外部に流した枢機卿や関係者は最悪の場合、破門される。それほどバチカンは秘密保持に神経を使っている。「コンクラーベには神が働く」といわれてきたが、盗聴された場合、神が働く前に人の悪知恵が先行するケースが出てくるからだろう。

 格言を思いだす。人は考え,神が決める。コンクラーベでもそうあってほしいものだ。

 
 

 

フランシスコ教皇の教会路線は継続か

ローマ・カトリック教会最高指導者フランシスコ教皇は21日午前7時35分(現地時間)、死去した。88歳だった。バチカンによると、死因は脳卒中と心不全だった。南米出身でイエズス会出の初のローマ教皇フランシスコは今年3月で教皇在位12年を終えたばかりだった。

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▲ローマ教皇フランシスコ、2025年04月21日、バチカンニュースから

 フランシスコ教皇は20日、キリスト教会最大の祝日の復活祭(イースター)ではサン・ピエトロ広場で行われた復活祭ミサを代理人に委ね、自らは車椅子でサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せると、広場に集った約3万5000人の信者たちから暖かい拍手で迎えられた。教皇は「復活祭おめでとう」と皆に挨拶し、記念ミサ後、サン・ピエトロ大聖堂のロッジアから「ウルビ・エト・オルビ」の祝福の言葉を述べた。ただし、イースターのメッセージはディエゴ・ラヴェッリ儀式長が代読した。その後、フランシスコ教皇はオープンカーに乗ってサン・ピエトロ広場を通り、信者たちの歓声に応えていた。ちなみに、フランシスコ教皇は20日早朝、ローマ訪問中のバンス米副大統領と会見するなど、最後までローマ教皇としての職務を全うした。

 フランシスコ教皇は2月14日、気管支炎の疑いでローマのジェメッリ総合病院に入院した。入院当初は気管支炎といわれたが、その後、両肺に炎症が広がっていることが分かった。教皇の容体が悪化し、一時期、持続性喘息性呼吸危機の症状となり、酸素呼吸が行われ、血液検査で血小板減少症と診断され、輸血が必要となったほどだ。同教皇は3月23日になってようやく退院したが、あと2か月余りは絶対療養が必要といわれていた。病院関係者の話によると、フランシスコ教皇は入院中、2度生命の危機に直面したという。

 少し、フランシスコ教皇の歩みを振り返りたい。アルゼンチン出身のフランシスコ教皇はコンクラーベで選出される前までは枢機卿の中でもその存在が余り知られていなかった。同教皇の選出は多くのカトリック信者にとってサプライズだった。

 コンクラーベ前の準備会議(枢機卿会議)が開催されたが、ブエノスアイレス大司教のホルへ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(現ローマ教皇フランシスコ)はそこで教会の現状を厳しく批判するショートスピーチをしている。同枢機卿は「教会は病気だ」と述べ、教会の刷新の必要性をアピールしたのだ。同発言は多くの枢機卿の心を捉え、南米教会初の教皇誕生を生み出す原動力となった。

 12年前、フランシスコ教皇が語った内容を紹介する。「福音を述べ伝えるためには、教会は(垣根から)飛び出さなければならない。自己中心的な教会はイエスを自身の目的のために利用し、イエスを外に出さない。これは病気だ。教会機関のさまざまな悪なる現象はそこに原因がある。この自己中心主義は教会の刷新のエネルギーを奪う。2つの教会像がある。一つは福音を述べ伝えるため、飛び出す教会だ。もう一つは社交界の教会だ。後者は自身の世界に閉じこもり、自身のために生きる教会で、魂の救済のために必要な教会の刷新や改革への希望の光を投げ捨ててしまう」。

 ベルゴリア枢機卿の演説内容は現教会体制への厳しい批判だった。こんな批判をコンクラーベ前の準備会議で発言した枢機卿が90%以上の枢機卿たちの支持を得て教皇に選出されたのだ。

 あれから今年3月で12年が経過した。フランシスコ教皇は前任者のベネディクト16世とは異なり、信者たちやメディアとの接触には積極的に応じてきた。謙遜を重んじ、その生活スタイルは質素だった。ただ、教会の刷新への情熱はあったが、バチカン内の保守派聖職者の抵抗もあって、多くは空振りに終わった。

 それ以上に、カトリック教会の聖職者の未成年者への性的虐待問題が世界の教会で次々と発覚していったことで、フランシスコ教皇はその対応に忙殺せざるを得なくなっていった。フランシスコ教皇の過去12年間、聖職者の未成年者への性的虐待事件問題が影響を与え、教会から脱会する信者が増加する一方、聖職者不足が深刻となり、羊飼いのいない教区すら出てきた。聖職者から性的虐待を受けた犠牲者への賠償金の支払いで破産する教会も出てきた。教会一般のイメージは聖職者の性犯罪の多発と教会側の隠ぺい体質が明らかになって地に落ちてしまった。

 そのような中、フランシスコ教皇は教会の刷新には積極的な発言を繰り返してきた。バチカンで昨年10月、教会の刷新、改革について話し合う世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会が開催されたが、教皇はシノドス開会前のサン・ピエトロ広場でのミサの中で、「私たちの集まりは議会ではなく、共同体だ。シノドスは多様性の中で調和を生み出すことが目的だ」と語り、シノドスを通じて教会の精神的刷新を期待していた。

 「天国は近づいた」と荒野で叫んだ洗礼ヨハネのように、フランシスコ教皇は自身の命が絶えるまで努力した。聖週間の期間に亡くなった聖ヨハネ・パウロ2世と同じように、復活祭後の聖月曜日に88歳で亡くなった。

 教皇の死後、20日以内に次期教皇を選出するコンクラーベが招集される。そこで3分の2の支持を得た枢機卿が次期教皇に選出される。選挙権を有する80歳未満の枢機卿(135人)のうち、3分の2以上はフランシスコ教皇によって任命された枢機卿(108人)だ。フランシスコ教皇は実行できなっかった教会刷新という任務を自身が選んだ枢機卿に託することになる。フランシスコ教皇の教会路線は継続されるわけだ。

中国の「責任」と「米科学者の脱線」

 第2次世界大戦(太平洋戦争)が終わって80年の筋目を迎える今年、世界各地で追悼集会や様々な国際会議が開かれる。終戦から80年の年月が経過して、戦争を直接体験した関係者が少なくなってきたため、戦争の記憶を次の世代に継承することが一段と難しくなっている。

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▲新型コロナウイルス(covid-19)オーストリア保健・食品安全局(AGES)公式サイトから

 ところで、世界を震撼させた新型コロナのパンデミックはまだ5年余りしか経過していないが、忘れられてきた。世界で700万人以上が犠牲となり、数億人が感染した中国武漢発の新型コロナウイルス(Covid-19)の発生源について、今なお解明されていないからだ。世界のメディアの関心もウクライナ戦争や中東問題などの諸問題に移ってきている。

 世界保健機関(WHO)は今月、パンデミック条約の条文案を協議し、合意に達した。5月には条約が採択される予定だ。同条約はCovidー19のパンデミックを教訓にし、次のパンデミック対策をまとめた外交文書だ。WHOの努力は評価できるが、肝心のウイルスの発生源については依然、統一見解がないのが現実だ。原因が明確ではないのに、具体的な対策をまとめることができるだろうか。WHOのパンデミック条約は新型コロナ感染問題を早急に閉じたい中国側からの政治的圧力があったのではないか、といった憶測すら沸いてくる。

 幸い、昨年末から今年に入り、武漢ウイルスに関連した新しい情報が明らかになってきている。ドイツ連邦情報局(BND)が昨年秋、独自で入手していた機密情報の存在を明らかにした。そして米中央情報局(CIA)、そして米ホワイトハウスがウイルスの発生源は「武漢ウイルス研究所」(WIV)だという見解を公式表明したばかりだ。

ホワイトハウスが新型コロナ起源でWIV流出説を支持する理由として、1)新型.ウイルスは自然界には存在しない生物学的特徴を持つ。2)WIVでは過去、生物安全基準が不十分な中で機能獲得研究などが実施されていた。3)2019年秋、華南海鮮市場でCOVID-19が確認される以前に、WIVの研究者がCOVID類似の症状を示していた事例が確認されている、等を挙げている。

それらの情報は説得力があるが、決定打ではない。状況証拠だ。欠けている点は関係者の証言だ。具体的には中国人ウイルス学者、「コウモリの女」と呼ばれている新型コロナウイルス研究の第一人者、WIVの石正麗氏らの証言だ。もちろん、中国共産党政権は彼らに証言させないだろうから、現時点では発生源を断言することは難しい。換言すれば、新型コロナのパンデミックの責任は事実を隠蔽する中国共産党政権にあるといえるわけだ。

 BNDが2020年に入手したWIV関連の機密情報の存在について明らかにした時、中国外務省の報道局長・毛寧氏は北京で、「新型コロナウイルスに関する問題で、中国はいかなる形の政治的操作も断固として拒否する」と強調し、BNDのWIV流出説を一蹴している。

 発生源の調査は問題の政治化ではなく、科学的事実調査だ。中国側は人権蹂躙問題を追及されると直ぐに「内政干渉」と言い逃れるように、新型コロナ感染の発生源問題の追及についても「問題を政治化する試みだ」と言って煙に巻く。

 中国共産党政権が忘れてならない点は、新型コロナウイルスのパンデミックで世界で700万人以上が死に、数億人の感染者が発生し、多くは今なおその影響で苦しんでいるという事実だ。

 調査ジャーナリストとして著名なシャリー・マークソン女史(Sharri Markson)は、「中国共産党政権は世界の覇権を握るために世界のグローバル化を巧みに利用し、最新の科学技術、情報を手に入れてきた。武漢ウイルスはそのグローバル化の恩恵を受けて誕生してきたのだ」と述べている。

 例えば、ウイルスの機能獲得研究、遺伝子操作の痕跡排除技術は、米ノースカロライナ大学のラルフ・バリック教授、そして英国人動物学者で米国の非営利組織(NPO)エコ・ヘルス・アライアンス会長のペーター・ダザック氏らとの共同研究を通じてWIVの石正麗氏が獲得していった内容だ。ダザック氏らは米国の税金でWIVのコウモリ研究を支援してきた。その意味で、米国の科学者の落ち度も追及されなければならない。

 トランプ大統領の関税政策を批判し、中国は「自由貿易を擁護している」と自負しているが、中国が非人道的な共産主義思想を国是としている限り、彼らの発言を信じることは出来ない。
 繰り返すが、中国共産党政権は新型コロナのパンデミックで700万人以上の犠牲者が出たことを忘れてはならない。世界の死者数は、ナチス・ドイツが強制収容所で虐殺したユダヤ人の数よりも多いのだ。


 

様々な筋目の年が重なった「復活祭」

 4月20日はキリスト教会の最大の祝日、イエスが十字架上で亡くなって3日後に蘇ったことを祝う復活祭(イースター)だった。先月23日に退院したばかりで、健康状態が依然回復していないフランシスコ教皇(88)が復活祭で主礼を果たすか否かは20日の朝まで分からなかった。バチカンニュースによると、フランシスコ教皇は20日早朝(現地時間)、ローマ訪問中のバンス米副大統領(カトリック信者)と会見している。

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▲バンス米副大統領の訪問を受けるフランシスコ教皇、バチカンニュース、2025年04月20日

 フランシスコ教皇はサン・ピエトロ広場で行われた復活祭のミサは代理人をたて、自らは車椅子でサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せると、広場に集った約3万5000人の信者たちから暖かい拍手で迎えられた。教皇は「復活祭おめでとう」と皆に挨拶し、記念ミサ後、サン・ピエトロ大聖堂のロッジアから「ウルビ・エト・オルビ」の祝福の言葉を述べた。ただし、イースターのメッセージはディエゴ・ラヴェッリ儀式長が代読した。その後、フランシスコ教皇はオープンカーに乗ってサン・ピエトロ広場を通り、信者たちの歓声に応えている。

 バチカンの復活祭をライブ中継していたオーストリア国営放送(ORF)の解説者は「フランシスコ教皇は復活祭の主礼として最低限だが責任を果たした」と述べていた。

 ところで、今年はローマ・カトリック教会、プロテスタント教会、そして正教会で同じ日にイースターが挙行された。世界最大のキリスト教会のカトリック教会にとっては2025年は25年ぶりに到来する「聖年」だ。それだけではない。キリスト教会の教義を統一した「第1二カイア公会議」開催から1700年目の歴史的筋目に当たる。すなわち、今年の復活祭は様々な歴史的筋目が重なったわけだ。

 ちなみに、ローマ・カトリック教会(およびプロテスタント教会)は通常、グレゴリオ暦を使用して復活祭の日付を決定する一方、正教会の多くはユリウス暦に基づいて復活祭の日付を計算する。そのため、正教会の復活祭はカトリック教会よりも1週間から5週間遅れることが一般的だった。カトリック教会と正教会は1054年の「大シスマ(東西教会分裂)」以来、別々の暦で復活祭を祝うことが多く、同じ日に祝うことは稀だった。

 その東西キリスト教会が同じ日に復活祭の祈りを捧げるということは、その祈りが発するエネルギーは通常より大きいだろう。10人の信者が祈る時より、100人の信者が集まって祈るならば、そのエネルギー、その波動、周波数は当然パワフルだろう。

 天才の発明家ニコラ・テスラは「エネルギー、周波数、波動が分かれば、世界の全てが解決できる」と語っていたことを思い出す。

 宗教界では超教派運動(エキュメニカル運動)なる活動があるが、宗派の壁を越えて宗教が再統合するならば、その宗教者たちがする祈りのエネルギーは膨大だろう。そうなれば、「世界の平和実現」は決して空論ではなくなるのではないか。

 繰り返すが、2025年は第1ニカイア公会議(325年)から1700年目だ。同公会議は、キリスト教の教義を統一し、復活祭の日付を決定した重要な会議だった。この節目の年に、カトリック教会と正教会が同じ日に復活祭を祝った。単なる偶然ではなく、歴史的な意味があるはずだ。「意味のある偶然の一致」といわれるシンクロ二シティではないか。
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