ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2021年09月

“So Gott will”の宗教的背景について

 今回のコラムは純粋に宗教的テーマだ。当方は最近、Netflixでウルトラ・オーソドックスユダヤ教徒の家族の話「シティセル」と救い主を描いた「メシア」を観た。その2本のTV番組の中で頻繁に登場する“So Gott will”(=独語、英語ではGod willing)という表現に非常に心を惹かれた。日本語に訳すとすれば、「神が願うように、神のみ心に委ねて…」という内容になる。明日、明後日はどうなるか、私たちは知らない。次の週、数カ月後、何があるかを、私たちは確かに分からない。私たちは一生懸命働き、多くのことを成し遂げるが、人生の多くの本質的な側面には影響を与えることはできない。何が生じるかといった事に対して、神の手に委ねる。それが“So Gott will”といった表現となるわけだ。

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▲「シティセル」の中で息子アキバが祈る場面  NetflixのTV番組から 

 少し無責任な生き方のような響きも感じるが、So Gott willの背景を調べると、なかなか深い意味合いがあることが理解できる。そこで、“So Gott will”について読者の皆さんと考えてみたい。

 ドイツ語圏では昔、将来や未来のプロジェクトについて話す時、人々は“So Gott will”といった内容の言葉を付け加えた。旅行計画やその他の将来のプランを扱った手紙では、最後に「SCJ」という3つの文字が追加されることがよくあった。ラテン語の略語:sub conditione Jacobea(=ヤコブの条件で)だ。

 それでは「ヤコブの条件で」とは何を意味するのか。“So Gott will”という内容は、おそらく新約聖書「ヤコブの手紙」の中で詳細に説明されているからだ。ヤコブは使徒たちに自信を持ちすぎて傲慢になることを警告し、「計画されたすべては『もし神が願われるならば…』という条件のもとで行動すべきだ」と諭しているのだ。そこから「ヤコブの条件で」という表現が生まれてきたのだろう。

 ただし、そのような表現は今日、ドイツ語ではめったに聞かない。ただ、オーストリアに住むアラビア系住民の間では頻繁に聞くことができる。So Gott willの内容はアラブ語ではイン・シャー・アッラー(In schā' Allāh)だ。この表現は、オーストリアのイスラム教徒の間では珍しくない。ドイツ語の辞書Dudenにも掲載されている。

 それでは、ユダヤ教ではどうだろうか。ヘブライ語聖書や旧約聖書には、多くの神の名前が登場する。神はモーセに「YHWH」という固有名詞を明らかにする。モーセの前に生きていたアブラハム、イサク、ヤコブでさえ神の名前を知らなかった。4文字のYHWHを発声することにより、Yahwehという名前が再構築されていったわけた。

 ヘブライ語では、YHWHという名前は、「彼はそこにいる」または「彼はそこにいるだろう」と聞こえる。第三者の単数形または未来形での動詞「to be」ハジャ(またハワ)のように聞こえる。もちろん、神は一人称で自分のことを語っているので、「私はそこにいます」と言うわけだ。

 旧約聖書では、この神YHWHの正式な名前は6828回出てくる。しかし、一般名エロヒム(神)は2602回しか出てこない。ポツダム大学のユダヤ教の宗教哲学教授であり、ユダヤ神学部の所長のダニエル・クロイエルニク教授によると、「YHWHは旧約聖書の中では最も一般的な名詞だ」という。

 新約聖書、タルムード(口伝律法)、コーランでは、神の個人名は、もはや表示されていない。カトリック神学者であり、スイスのエジプト学者であるオトマール・ケーㇽ氏は、「3宗派は一神教だから、名前は必要ないからだ」と述べている。人々や子供たちが「パパ」と叫ぶとき、神が意味されており、他の神がいないことを既に知っているからだ。他の神々がいる場合、適切な名前が必要となる。それは一神教が誕生する前の古い時代を意味することになるわけだ。

 ユダヤ人はYHWHを発音しない。聖書を読んでYHWHと書いてあるのに、代わりに「アドナイ」(主)と言い、祈りでも同じだ。日常のコミュニケーションでは、YHWHの代わりにハシェム(名前)と言う。したがって、「もし神が願うならば」の代わりに、「もし名前が願うならば」(eem yirtzeh haShem)と言うわけだ。

 畏敬と尊敬の念から、神に対して固有名詞で呼びかけることはしない。なぜならば、通常、固有名詞ではなく「父/パパ」または「母/ママ」で、父と母に話しかけるように、神の場合もそうだというわけだ。

 2008年6月29日に発表されたカトリック教会司教会議のガイドラインによると、旧約聖書の神の名前「YHWH」は、ユダヤ教とキリスト教の伝統を尊重するために、カトリックの典礼でも発声されるべきではないと指摘している(英YHWH、独JHWH)。

 ちなみに、イスラム教には99の神の名前(特性)がある。例えば、病人の場合、99の神の特性の中から「病を癒す神よ」と呼びかけて祈る。敬虔なイスラム教徒は99の神の特性を諳んじている。アッシジのフランチェスコは1219年、旅先のエジプトでイスラム教には99の神の特性があることを知って感動している。ただし、神の100番目の名前(特性)は言い表せないものであり、人々はそれを知らないということになっている。

 以上、So Gott willの背景について、宗教学的に言われている内容を紹介した。“So Gott will”(God willing)―この表現には途方もない力がある。「神の手に委ねる」という考えは、われわれの肩から重荷を取り除く。それは弱さや諦めを意味するのではなく、「私はそこにいる」という神を信頼し続ける“強さ”を意味しているからだ。

 現代人はストレスの多い社会に生きている。時には、疲れを覚える。そのような時、神に委ねる、自分は神の手の中にある、といった世界で生きて行けるならば、少しは楽だろう。

アフガン駐留独軍の戦死兵士の家族

 イスラム原理主義勢力タリバンがカブールを占領して1カ月が過ぎた。ワシントンでは米軍のアフガニスタン撤退について、上下両院外交委員会で検証作業が始まったが、上院外交委員会のメネンデス委員長(民主党)はアフガンからの米軍撤収について、「明らかに致命的な欠陥があった」と指摘。ブリンケン国務長官に対し、米軍撤収期限の延期などの対応をしなかった理由などについて、鋭い質問が続出した。下院外交委員会では共和党のマコール議員からバイデン政権への批判の声が聞かれた。バイデン大統領は撤退は成功したと従来の姿勢を崩していない。

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▲アフガンから約5400人を無事避難させたということでシュタインマイヤー大統領から功労勲章を受ける連邦軍イェンス・アール准将(独連邦軍公式サイトから)

 ワシントン発ロイター通信の上下両院外交委員会に関するニュースを読んでいる限りでは、米議会では野党の共和党議員だけではなく、民主党議員も米軍の撤収について批判していることが分かる。米軍がアフガンに残していった大量の軍需品、武器がタリバン側に渡ってしまったが、共和党議員から、「テロリストたちに我々の最新の武器を与えてしまった」という非難の声が出たのは当然だった。

 米軍にとって最長の戦争だったアフガン駐留で、米国が多くの犠牲を強いられたのは間違いない。多数の若き米軍兵士が犠牲となった。それだけではない。米国への国際社会の信頼が失われてしまった。9・11同時多発テロ事件を契機に、米国の対テロ戦争は始まったが、9・11の主犯ウサーマ・ビン・ラーディンを射殺した後も米軍の対テロ戦争は継続され、アフガンの民主化、国づくりへの支援に広がったいった。それらの努力は8月15日、タリバンがカブールを占領することで急転直下、激変し、世界最強国の米軍兵士たちはアフガンから追われるように撤退していった。

 米国は9・11テロ事件の主犯者に報復するまではアフガン駐留の大義をかざして戦いを続けることはできたが、その後アフガン政府の腐敗堕落もあって、アフガンの民主国への発展は未達成で終わった。その結果、歴史家は後日、モンゴル帝国、ムガール帝国、大英帝国、ソ連らが陥った「帝国の墓場」の中に米国も入れることだろう。

 バイデン政権のアフガン撤退についてここで再度書くつもりではなかった。どうしても書きたいことがあったので、その背景、いわば書割を説明したものだ。独週刊誌シュピーゲル(9月11日号)にはアフガンに駐留して、犠牲となった独兵士の家族とのインタビュー記事が掲載されていた。この話は多分、アフガン駐留した米軍兵士にも通じる内容だ。テロ撲滅を掲げて始まった米軍や北大西洋条約機構(NATO)軍の多くの兵士たちが亡くなったが、シュピーゲル誌が掲載したドイツ兵士の家族の話は心が痛い。記事は「Messer in der Seele」(魂の中にナイフ)だ。

 シュピーゲル誌は、2011年5月28日、31歳の若さで戦死したトビアス・ラーゲンシュタイン氏の兄、トーマス・ラーゲンシュタイン氏とインタビューしている。兄は、「タリバンがアフガンを占領して以来、弟がもう1度亡くなったような悲しみと怒りが湧いてくる」と述べている。兄は、「弟はテロ撲滅とアフガンの民主化のために駐留して亡くなったが、アフガンから撤収する米軍、カブール空港の状況などを目撃すると、弟は誰のために戦い、何のために亡くなったのかという問いが出てくる」という。

 先月15日の首都カブールの国際空港での混乱は世界に衝撃を投じた。アフガン政府軍は応戦することなく敗走。タリバン勢力が侵攻を開始して9日間で首都カブールがタリバンの手に落ちた。20年前のタリバン政権下の蛮行を知っている多くの国民はカブールの空港に殺到、空港周辺は国外脱出しようとする人々で大混乱した。メルケル独首相は、「アフガンの状況は悲劇だ。タリバンが再びアフガンを占領した、この現実は辛い」と述べている。アフガンで戦死したドイツ兵士とその家族にとって、その辛さはもっと深刻だろう。

 このコラム欄でも「独軍兵士、何のために戦ってきたか」(2021年8月24日参考)を書いた。駐ベトナム、駐イラクの米軍兵士が帰国後、社会に再統合できず、さまざまな困難に直面する「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)が大きな米の社会問題となったが、駐アフガン独連邦軍元兵士の間でも同じような現象が見られる。

 ドイツは過去20年間で総数16万人の兵士をアフガンに投入してきた。その間、少なくとも59人が犠牲となり、多くの兵士は悪夢に悩まされてきた。

 戦争を始める時、多くは「大義」を掲げて、兵士たちを鼓舞する。アフガンへの軍派遣の場合、テロ撲滅だ。その「大義」を胸に秘めて兵士たちは戦場に出かける。その「大義」が揺れ出した時、それでも兵士たちは戦いを続けなければならないことがある。「戦争は始める時より、終わらせることのほうが難しい」と述べた指導者がいた。兵士たちは「誰の為、何のために戦うのか」という呟きを残して戦場に向かう。その中には再び兵舎に戻れない兵士が出てくる。トビアス・ラーゲンシュタインもその中の1人だった。

 「米軍の対テロ戦争が9・11テロ事件の主犯者ウサーマ・ビン・ラーディンを射殺した段階(2011年5月2日)で幕を閉じていたならば、トビアスは死ななくてもよかったかもしれない」という思いが彼の家族や関係者にはあるだろう。バイデン氏はその呟きにどのように答えることができるだろうか。

北朝鮮「米国を核協議へ誘導戦略」

 ウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)は13日から17日まで5日間、定例理事会を開催したが、国連外交筋は、「北朝鮮はここにきて米国との核協議の再開に意欲的となってきている」と語った。

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▲国連工業開発機関(UNIDO)の李勇事務局長に信任状を提出する北朝鮮の崔ガンイル大使(2020年7月14日、UNIDO公式サイトから)

 北朝鮮は15日、短距離弾道ミサイルを2発発射し、ミサイルは日本の排他的経済水域(EEZ)に落下したことについて、米国務省は同日、「複数の安保理決議に違反し、近隣諸国と国際社会に脅威を及ぼす行為だ」として非難したばかりだ。それに対し、先の国連外交筋は、「北朝鮮の狙いは米国の関心を引くことであり、米朝協議の再開を狙ったもの。北朝鮮にとって、核問題は米国との問題だ。韓国や日本とは全く関係がない」と説明した。

 IAEA定例理事会の冒頭声明でグロッシ事務局長は13日、北朝鮮が7月初めから寧辺の黒鉛減速炉(5000kw)を再稼働させた兆候があると明らかにした。北朝鮮は過去、黒鉛減速炉の使用済み核燃料を再処理し、核爆弾の原料となるプルトニウムを抽出してき。

 IAEAの9月定例理事会の報告書によると、黒鉛減速炉で冷却水排出などの兆候が観測されたという。同時に、「建設中の軽水炉は内部工事が継続されている。北の核計画は明らかに安保理決議、IAEA理事会決議に反している。核拡散防止条約(NPT)の核保障措置協定を遵守し、IAEAと協力すべきだ」と強調し、北朝鮮の核問題に深い懸念を表明した。

 先の外交筋は、「寧辺の5MWの原子炉は激しく老化しているから、それを修復して原子炉活動を再開するためには多くの費用と時間が必要となる。北朝鮮は5MWの原子炉の再開をちらつかすことで米国を核協議に誘導しようとしているだけだ」と指摘、5MW原子炉の再開情報はあくまでも誘導を目的としたもので、兵器用プルトニウムの生産ではない、との見方を明らかにした。

 ちなみに、北朝鮮は今後はウラン濃縮活動に力を入れてくるのではないか、と予測されている。ウラン濃縮施設で兵器用ウランを入手する作業は使用済み核燃料の再処理施設でプルトニウムを入手するより容易な上、監視衛星から隠蔽する上でメリットがある。米CNNは北朝鮮が寧辺のウラン濃縮施設を拡張していることを示す衛星写真を報じている。

 バイデン米政権は北朝鮮との外交的なアプローチを模索しているが、バイデン氏自身はトランプ前大統領のような首脳会談の開催には依然消極的だといわれる。先の国連筋はバイデン政権が北朝鮮との核協議を秘かに進めていることを認めた。北側の窓口は在ウィーン国際機関の北朝鮮代表部の崔ガンイル大使だ。米国側は同大使との間で協議を進めているという。崔ガンイル大使は2020年3月、金光燮大使(大使夫人は故金日成主席と故金聖愛夫人の間の娘で、大使は金正恩朝鮮労働党委員長の叔父に当たる)の後任としてウィーンに就任した。

 崔ガンイル大使は「米国通」外交官といわれ、崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官の補佐としてシンガポール(2018年6月)、ハノイ(2019年2月)での米朝首脳会談やスウェーデンの米朝実務会談に参加してきた実務型外交官だ。同大使は平壌から「IAEA再加盟というカードをチラつかせながら、米国を引き寄せろ」との指令を受けていると推測されている。

 北朝鮮の狙いは、米朝協議を通じて対北制裁の解除を実現することだ。新型コロナの感染問題もあって、中国からの経済支援は停滞してきている。それだけに北朝鮮の国民経済は深刻だ。金正恩氏はバイデン政権の関心を高めるために今後様々手段を行使してくると予想される。

 以下、北朝鮮とIAEAとの関係史だ。

 北朝鮮は1992年1月30日、IAEAとの間で核保障措置協定を締結した。IAEAは93年2月、北が不法な核関連活動をしているとして、「特別査察」の実施を要求したが、北は拒否。その直後、北はNPTからの脱退を表明した。翌94年、米朝核合意がいったん実現し、北はNPTに留まったものの、ウラン濃縮開発容疑が浮上すると、2002年12月、IAEA査察員を国外退去させ、その翌年、NPTとIAEAからの脱退を表明した。2006年、6カ国協議の共同合意に基づいて、北の核施設への「初期段階の措置」が承認され、IAEAは再び北朝鮮の核施設の監視を再開したが、北は09年4月、IAEA査察官を国外追放。それ以降、IAEAは北の核関連施設へのアクセスを完全に失い、現在に至る。IAEAは過去12年間、北の核関連施設へのアクセスを完全に失った状況が続いている。

氷の男「エッツィ」発見30年

 1991年9月19日、5300年の眠りから1人の男が氷の世界から不本意にも目を覚まされてしまった。30年前の話だ。不本意といったのは、その後の余り快くない出来事に遭遇してしまわざるを得なかったからだ。新石器時代、または銅器時代に生きていた男がタイムトラベルで1991年の世界に引っ張り出されれてしまった。もちろん、「目を覚ました」という表現は正しくない。発見されたのだ。

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▲5300年前に生きていた「エッツィ」のミイラ(ウィキぺディアから)

 ドイツ人カップル、エリカとヘルムート・サイモン夫妻は、エッツタールアルプスの南チロルの海抜3210mのティセンヨッホで新石器時代または銅器時代の5300年前の死体を発見した。世界のメディアは「アイスマン」として大々的に報道したので、氷の男は一躍世界的な人物となった。「エッツィ」という呼称は、発見された場所エッツタールから取ってメディアが名付けたものだ。

 「エッツィ(Otzi)の30年目」を報じた日刊紙「クライネ・ツァイトゥンク(Kleine Zeitung)」の記者は15日電子版で、「エッツィは、既に久しく過ぎ去ったと思われていたことが、ひょんなことから現代に生き返って存在する、という意味の同義語となった」と表現している。

 エッツィが発見されたニュースを当方は30年前ウィーンで聞いた。ミイラの氷の男が何度もテレビに映し出され、周囲の人が感動的に報じていたのを微かに思い出す。仕事に追われていたのだろう。「氷の男」の話はニュースで聞くだけで、特別な感傷はなかった。5300年前に生きていた男と自分の関係が理解できなかったからだ。

 ただし、「氷の男」が発見された場所がイタリア領土内か、オーストリアのチロル州内かで両国側が激しい言い争いをしていたことは良く覚えている。イタリアとオーストリア両国は通常は関係がいいが、「氷の男」が出現したことで気まずい雰囲気が生まれた。

 クライネ・ツァイトゥンクの記者は、「氷河のミイラは掘り出される際、世紀の発見であるとは分からなかったこともあって、スキーストックと削岩機で左股関節と左脚から下腿にかけて傷がつけられた。 掘り出された後、左上腕の骨が折れてしまった。同年9月23日、遺体は科学的検査のためにインスブルックに運ばれた。そして10月2日、測量士は、『アイスマンはイタリアとオーストリアの国境から正確に92.56m離れた南チロル領土内で発見された』と明確に確認した。死体発見場所は近くの山小屋の家主によって公式に報告されたが、カラビニエリ(イタリア憲兵隊)は採掘作業に関心がなかったため、発見場所を「北チロル」として届けた。このささやかな怠慢がイタリアとオーストリア両国がその後、「氷の男」の出生地で争う原因となったわけだ。もちろん、アイスマンが世紀の大発見と分かってからだが。

 エッツィの発見から約6年後、両国はアイスマンの男が南チロルに戻ることで合意に達した。1998年1月、氷河の死体は冷蔵コンテナでインスブルックからボルツァーノに運ばれ、そこで氷の男は新しく設立された博物館、南チロル考古学博物館(「アイスマン博物館」)で再び永遠の休憩に入ることになったわけだ。

 エッツィ発見で生まれた騒動はこれだけではない。発見者への報奨金の額で長い裁判が続いた。ドイツ人夫妻は3億リラ(約15万5000ユーロ)の報酬を求め、南チロル州は5万ユーロしか払えないと主張したからだ。長い裁判の後、2010年、紛争は解決した。サイモン家は17万5000ユーロを受けとった。ただし、発見者の1人、ヘルムート・サイモンは2004年、ザルツブルクのバートホフガスタイン近くのガムスカーコーゲル地域でのハイキング中に墜落死している。報奨金を受け取らずに亡くなっている。

 エッツィ発見から30年間、世界中の考古学者などが研究してきたが、それによるとエッツィには、歯周炎、ライム病、乳糖不耐症、胆石、動脈の硬化などの多様な病気の痕跡があったという。科学者たちは彼の入れ墨、胃の内容物、腸内細菌をも調べた。エッツィの親戚がどこに生存しているか、まで見つけている。「アイスマン」は身長約1.60m、靴のサイズが38、体重が約50kg。茶色の目、茶色の髪、血液型O型。「Otzi」の左肩に矢が当たった跡がある。「アイスマン」は死の直前、何らかの戦いがあったことを示唆している。彼の右手に深い切り傷があったからだ。

 エッツィが5300年前に生きていた人間だとすれば、ノアよりも古い人間だ。聖書学的にいえば、アダムからノアの間に存在していた人間となる。エッツィは何を考え、何を探していたのだろうか。

注:「エッツィの話」は主にクライネ・ツァイトゥンクの9月15日電子版から引用した。

ビオンテックCEO、質問に答える

 独週刊誌シュピーゲル最新号(9月11日号)は独バイオ医薬品企業ビオンテックの最高経営責任者(CEO)、ウグル・シャヒン博士とエズレム・テュレジ博士にインタビューしている。同誌は2021年新年号で同社創設者夫妻と会見したが、今回はその2弾目だ。ワクチン接種の有効性やブースターショット(免疫増強のための追加接種)の必要性などについて、世界で最初にコロナ・ワクチンを生産したビオンテック社の創設者であり、研究者である両博士に聞いている。

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▲独シュピーゲル9月11日号のビオンテック社CEO会見記事

 多くのコロナ・ワクチンが製造されているが、その中でもコロナ・ウイルスへの有効性が最も高く、世界で最も多く利用されているワクチンは米製薬大手ファイザーとビオンテックが共同開発したワクチン(BNT162b2)で、その有効性は95%前後といわれている。

 同ワクチンは具体的にはドイツのビオンテック社が開発し、世界的製薬大手ファイザー社がその大規模な生産工程を生かし、大量、安価に生産しているもの。ビオンテック社は製薬企業としては中堅クラスだったが、コロナ・ワクチン開発で一挙に世界大手製薬企業入りした。ビオンテック社の評価額は現在、700憶ユーロと推定されている。

 シャヒン博士とテュレジ博士は名前からも分かるように、トルコ系移民家庭出身だ。両博士は2002年に結婚。シャヒン博士は、「われわれは会社経営者というより、研究者だ」という。2人は本来、免疫療法を利用したガン治療研究の専門家だ。その夢は今も変わらず、「いつかはがんを免疫療法で治癒できるようにしたい」という。シャヒン博士は、「人間の体には病が侵入した場合、それを防御し体を守る成分を生み出すシステムが備わっている。それが免疫システムだ。コロナ・ワクチンもその免疫システムを利用している」という。

 ビオンテック社が開発したコロナ・ワクチンは「mRNAワクチン」(メッセンジャーRNA)と呼ばれ、遺伝子治療の最新技術を駆使し、筋肉注射を通じて細胞内で免疫のあるタンパク質を効率的に作り出す。ウイルスを利用せずにワクチンを作ることができることから、短期間で大量生産が出来るメリットがある。ビオンテック社のワクチンは最新医薬技術を切り拓いたといわれている。

 シャヒン博士はマインツ大学で実験腫瘍学を教え、夫人のテュレジ博士は欧州免疫療法学会(CIMT)の理事の1人として活躍するなど、会社、研究所、大学の間を飛び歩いている(「『ドイツの夢』実現した研究者夫妻」2021年1月10日参考)。以下は、シュピーゲル誌の両博士との会見の概要だ。


 ドイツではこれまでワクチン接種率は約60%だ。コロナ感染はもう終息したという声を聞く。

 テュレジ博士「終息の定義が問題だが、少なくともCovid-19はその怖さを失ったことは事実だ」

 シャヒン博士「ウイルスは今日、逃避メカニズムを発揮し、迅速に変異し、人間に容易に感染するようになってきている。だから世界はしばらくは何回かの感染の波に直面するかもしれないが、ワクチン接種者や回復者にとっては、もはや脅威とはならないはずだ」

 ワクチン接種が広がれば、今秋までに集団免疫が実現できるという希望があったが、実際はそうではない。われわれはコロナ・ウイルスを過小評価してきたのではないか。

 シャヒン博士「そうではない。ウイルスは今、ワクチンを接種していない人々の間で広がってきているのだ。これからは未接種者のパンデミックに直面するだろう」

 ビオンテック社は記録的な短時間で有効性のあるワクチンを製造した。そのワクチンを接種しない人々に怒りを感じるか。

 テュレジ博士「とんでもない。人は自分で決定すべきだ。科学者はワクチンを製造するだけで、それを接種するかは個々が決めることだ。ただしワクチンを接種しないことがどのような意味かを考えるべきだろう」

 ワクチン接種キャンペーンがあまり進んでいない。

 シャヒン博士「厳しい冬を迎えるまで60日間余りしかない。これからの2カ月間で可能な限り人々をワクチン接種に動員しなければならない」

 テュレジ博士「ワクチン接種者もそのために支援すべきだ」

 デルタ株のコロナ・ウイルスは予想以上に感染力がある。ビオンテックのワクチンもデルタ株の感染ではこれまで以上に多くの問題に直面している。

 テュレジ博士「幸い、デルタ株は感染力はあるが、免疫力を無効にするようなスーパー変異株ではない。デルタ株は効率的に感染してきているが、ワクチンはデルタ株から防御できる」

 どのように防御できるのか。様々な矛盾する報告や研究が明らかになっている。例えば、イスラエルからだ。

 テュレジ博士「感染から予防する力は時間の経過と共に減退するが、感染で重症化する危険性は少なく、免疫力は長く続く。T細胞と呼ばれるキラー細胞は、ウイルスに感染した細胞をウイルスごと排除する(T細胞は免疫細胞の中でも感染症の遷延や重篤化を防ぐ上で主要な役割を果たしている)」

 シャヒン博士「デルタ株は迅速にビリオンと呼ばれるウイルス粒子を生産するため、他のウイルス株より高い抗体レベルが必要となる。同時に、6カ月あまりでワクチン接種で生まれた抗体は減少していく。2回目の接種が3週間後行われた場合にはそれより早く有効性を失う。これはイスラエルからのデータが教えていることだ」

 「英国の研究によると、デルタ株でのワクチンの有効性は74%だという、だから予想より早い段階で第3回目(ブースターショット)の接種が必要となる。デルタ株前では2回のワクチン接種で12カ月から18カ月はその有効性が続くと考えてきた」

 ブースターショットは不可欠か。

 シャヒン博士「デルタ株ではブースターショットなくしては十分に予防できない。イスラエル保健省が公表したデータによれば、3回目の接種でデルタ株に対し95%以上の保護が出来ることが分かっている」

 テュレジ博士によると、5歳から11歳へのワクチン接種は間もなく認可されるという。そして今年末までには6カ月からの幼児へのデータが出てくる予定だという。

 10月中旬から5歳以上の子供への接種が行われるという。先進諸国で子供への接種を開始する前に、そのワクチンをこれまで接種できなかった開発途上国アフリカに支援すべきではないかという声がある。

 シャヒン博士「ワクチンの生産量はもはや問題ではない。2022年までには十分なワクチンが生産でき、世界中の人々が接種できるようになる。我々も生産量を急速に拡大してきた。今年中に30億回分が生産できる。来年は40憶から50億回分のワクチンができる。欧州だけでも来年、毎月5億回分のワクチンが生産できる予定だ」

ローマ教皇の「手術後初の外国訪問」

 ローマ教皇フランシスコは15日、3日間のスロバキア公式訪問を終えて、ローマに戻る。同教皇は12日から15日にかけ、中欧のハンガリーの首都ブタペストとスロバキアを訪問した。ハンガリーでは12日午後、ブタペストの英雄広場で開催中の国際聖体大会に参加し、閉会式の記念ミサを行った。その後、スロバキアの公式訪問に入った。政府や宗教関係者と会談した。

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▲ブラチスラバでユダヤ教徒の代表と会見するフランシスコ教皇(2021年9月13日、バチカンニュースから)

 両国訪問はフランシスコ教皇にとって43回目の外国訪問だ。教皇は7月4日、ローマのアゴスチノ・ゲメリ・クリニックで結腸の憩室狭窄の手術を受けたばかりだから、手術後初の外国訪問となった。

 テレビのニュース番組を見る限りでは、フランシスコ教皇は手術を乗り越えたようだ。スペインのジャーナリストとの会見の中で「10メートルまでも歩けない」といっていたが、スロバキアでの表情は明るい。

 ハンガリー訪問はあくまでもブタペストで開催中の国際聖体大会で記念礼拝をするのが目的。一方、スロバキア訪問は実質的な公式訪問だ。ハンガリーもスロバキアもキリスト教社会の欧州の中央部に位置し、冷戦時代にはキリスト教徒を中心とした民主運動が推進された地域だ。

 メディア関係者はフランシスコ教皇が“欧州の異端児”と呼ばれているオルバン首相と会合するかどうかに関心があった。ニュースを見る限り、両者は会合し、短い会話が行われた。一方、スロバキア訪問は3日間の公式訪問だから、ブラチスラバ入りすると、同国のズザナ・チャプトヴァー大統領らの歓迎を受け、政府関係者、教会指導者、多数の信者たちの歓迎を受けた。

 バチカンニュースによると、教皇は13日午前、政府関係者、市民代表、外交官などと大統領府内の庭園で会合した。チャプトヴァー大統領は、「教皇をスロバキアに迎える名誉に感謝する」と述べると、フランシスコ教皇は、「28年前、チェコとスロバキアは紛争もなく、平和裏に分割した。これは模範的な実例だ。スロバキアの歴史が欧州の中心部にあって平和と統合のメッセージとなるように」と語った。

 スロバキア日刊紙によると、チャプトヴァー大統領が教皇に、「多くの日程をこなすのも大変ではないですか」と聞くと、教皇は、「若返ったような気分です。訪問は私にエネルギーを与えてくれました」と答えたという。

 フランシスコ教皇はスロバキアの首都ブラチスラバの聖マルティン大聖堂で教会関係者と会い、同国内のユダヤ教徒の代表とも会合した(第2次世界大戦前にはスロバキアには1万5000人のユダヤ人が住んでいたが、戦後、その数は3500人になっている)。

 スロバキア司教会議のマーテイン・クラマラ広報官は、「教皇がスロバキアの伝統や詩に通じていることに驚かされた。教皇は、『パンを分け合い、連帯という塩で味をつける』と述べた。教皇の訪問はわれわれの信仰を高めてくれた」と評価している。

 個人的な話になるが、当方にとってブラチスラバは特別な場所だ。1988年3月25日、ブラチスラバ民族劇場前でキリスト者たちの「宗教の自由」を要求したロウソク集会が開催された。その時、当方も取材で広場にいた。

 「小雨が降る夕方、ブラチスラバの民族劇場前広場がデモ集会の開催地だった。開催前から私服警察官が広場にくる市民の動向に目を光らせていた。キリスト者たちがロウソクを灯して広場に集まり出すと、警察は放水車を駆り出して集まってきた市民を追い払い始めた。当方がカバンから素早くカメラを出してシャッターを切った時、背後から私服警官がカメラを奪い取り、当方を警察の車両に連れて行った。国際記者証を出し、『プレスだ』といったが、私服警察官はその記者証までを取り上げた。そしてブラチスラバの中央警察署に連行され、釈放されるまで7時間余り尋問を受けた。当方のように警察署に連行された1人のキリスト信者が何か抗議したら、警察官がその青年の顔を壁にぶつけたのを目撃した」(当方の取材ノートから)。

 尋問では、「君は誰から今日のデモ集会のことを聴いたのか」という質問が繰り返し飛び出した。尋問担当の警察官は、「こんな質問はしたくないが、仕事だからね」と言いながら、申し訳なさそうな表情をした。尋問後、早朝パトカーに乗せられ、駅まで運ばれ、そこで記者証や旅券が返され、「ここからウィーンに戻るのだ」といって、早朝一番のウイーン行きの電車に乗せられた(「30年前のロウソク集会の思い出」2018年3月27日参考)。

 それから1年余りでチェコスロバキア共産党政権は崩壊した。そして1993年1月、チェコスロバキア連邦は連邦を解体し、チェコとスロバキア両共和国に分かれた。両国とも現在、欧州連盟(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟国だ。チェコではバーツラフ・ハベル氏らの「民主化運動」が、スロバキアではキリスト教信者たちの「宗教の自由運動」がそれぞれ改革の原動力となって「ビロード革命」が起きたわけだ。

 民主化後、30年以上が経過した。ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査(2014年)によると、チェコではキリスト教徒23・3%だが、無宗教者は76・4%とキリスト教文化圏の国で考えられないほど高い。スロバキアでも世俗化の波を受け、カトリック教会は衰退傾向が見られ、若い世代の教会離れが加速している。

 フランシスコ教皇はスロバキアのカトリック教会関係者に対し、「共産政権時代から解放され、自由を享受していく中で、人は次第に自身の快さに溺れ、その奴隷となっていく傾向が見られる」と指摘し、「教会は高い所から世界を見下ろす砦ではない」と訴えている。 

ワクチン接種を拒否する様々な理由

 爽やかな秋の天候に恵まれた11日、買物や散歩に出かける人々の姿が見られた。彼らがマスクをしていなかったならば、これまでも見られた通常の週末風景だが、多くの人々はやはりマスクをし、人によってはFFP2マスクをつけて歩いている。

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▲「コロナ・ワクチンの接種は道徳的に受容」と報じるバチカンニュース(2020年12月21日)

 夏季休暇が終わり、予想されたことだがコロナウイルスの新規感染者が増えてきた。オーストリアでもここ1週間は1日1000人を超える新規感染者が出ている。病院の入院患者が増えるとともに、集中治療室のベットの空きが次第に少なくなってきた、というニュースが聞かれる。

 同じ11日の土曜日の午後、3000人余りの市民たちがコロナ規制反対、ワクチン接種反対のデモ集会を開いた。夜のニュース番組を見ながら、「なぜ彼らはワクチン接種を拒否するのか」と考えた。ウイルス学者はワクチン接種を呼びかけ、政府はワクチンバスを運行させたり、スーパー内でワクチン接種が出来るようするなど、いろいろと知恵を絞って国民にワクチン接種を呼び掛けている。もちろん、予約なしだ。それでも「ワクチン接種率は願われている80%からは程遠い」(ウイーン市保健局)のだ。

 ワクチン接種拒否者の声を拾うと、「ワクチンを接種すれば、不自然な化学品を体内に入れることになるから、健康を悪化させる」、「若い女性はワクチン接種をしないほうがいい。子供が産めなくなる」、「世界の製薬大手会社がワクチン接種を推進させるために感染防止のワクチンの有効性をフェイク情報で流している」、「政府はコロナ感染を操作し、国民に不安を駆り立てている」等々の声が聞かれる。

 オーストリアでは65歳から74歳の高齢者のワクチン接種率は82%と高い一方、25歳から34歳の世代になると1回のワクチン接種を終えた数は全体の59%と低い。デンマークなど北欧ではワクチン接種率は80%を超えている。デンマークでは10日から全てのコロナ規制を解除している。

 ウイルス学者たちは、「新規感染者で入院する患者の90%以上がワクチン接種をしていない人だ」と数字を挙げて説明し、ワクチン接種で感染を防げる一方、デルタ株の感染者の多くがワクチン非接種者だという事実を指摘している。それでもワクチン接種を拒否する国民が減らない。

 ウィーンのコロナ規制反対のデモ集会には極右活動家の姿が見られた。日刊紙クローネ日曜版によると、ドイツの極右派政党「ドイツのための選択肢」(AfD)関係者の姿が目撃されたという。コロナ感染が始まって以来、極右関係者には新型コロナウイルス(Covid-19)を軽視し、マスク着用を拒否する者が多い。ワクチン接種でも同様だ。クルツ政権が、「ワクチン接種は現時点でコロナ感染を防ぐ唯一の手段だ。ワクチン接種は自身を感染から守ると共に、他者を守る社会的連帯行為だ」とアピールするが、オーストリアの極右政党「自由党」はコロナ規制を「国民の不安を助長させるものだ」として反対している。極右関係者は自身の政治的信条をコロナ感染の危険性よりも重視する。自由党のキッケル党首は、「ビタミンCを取り、山に登って新鮮な空気でも吸えば健康になる」というのだ(「極右派はアンチ・マスク傾向が強い?」2020年8月18日参考)。

 参考までに、オーバーエスターライヒ州の自由党のマンフレッド・ハイムブフナー党首がコロナに感染し、集中治療室に入った。幸い、無事、退院できた同党首はその後、「病院の関係者に心から感謝する」と述べている。実際に感染しない限り、コロナ感染の恐ろしさは分からないのかもしれない。

 ワクチン接種を拒否する理由として、自由党やAfDのような政治的理由は別として、「宗教との関係」や「貧困問題」のほか、アフリカ系米国人の中には植民化時代に医療品実験の対象に利用されたという歴史的トラウマまである。移民コミュニティでワクチン接種に対する懐疑的な見方が多い背景には、ワクチン接種の情報不足が考えられる。

 宗教的な理由でワクチン接種を拒否する者はウルトラ・オーソドックスユダヤ教徒のほか、米国の「バイブル・ベルト」と呼ばれる福音派キリスト教会が強い州で多い。彼らは神がコロナ感染から守ってくれるという「キリスト教原理主義のワクチン懐疑論者」だ。

 バイデン米大統領は集団免疫を実現するために国民に向かって、「あなたの近くの医師、薬剤師、そして教会の指導者に聞いてほしい」とワクチン接種を拒否する国民に呼びかけた。バイデン氏がワクチン接種率を高めるためにわざわざ宗教指導者を名指ししている点は興味深い。すなわち、米国社会ではワクチン接種について、宗教者の意見が重視されているからだ。米国の「公共宗教研究所」(PRRI)の調査によると、ワクチン接種に強い関心があるのは、米国では通常のユダヤ人とカトリック信者だという。ラビが信者に接取するように助言し、ローマ教皇がワクチン接種を呼びかければ通常の信者はそれに従うからだ。

 バチカン教理省が2020年12月21日に公表した覚書によれば、「一般の国民、特に高齢者や疾患者を守るワクチンである限り、支持する。同時に、ワクチン接種は道徳的な義務ではなく、あくまで自主的な判断に基づくものでなければならない」と説明。その上で、「医薬品製造メーカーと各国保健関係者は倫理的に認可され、患者に接取できる受容可能なワクチンの製造に努力すべきだ」と強調。バチカンニュースは、「コロナ・ワクチンは道徳的に受容可能だ」と大きく報道している。実際、フランシスコ教皇や前教皇ベネディクト16世は今年1月、ワクチン接種を受けている(『コロナ・ワクチン接種』と倫理問題」2020年12月23日参考)。

欧州テロ専門家の「9・11テロ」検証

 欧州のテロ問題エキスパート、英国のキングス・コレッジ・ロンドンの「過激化研究国際センター」の所長、ドイツの政治学者ペーター・ノイマン氏(46)は10日、オーストリア国営放送とのインタビューに応じ、今月11日で20年目を迎えた米国同時多発テロ事件(9・11テロ事件)の背景、国際テロ組織「アルカイダ」とウサーマ・ビン・ラーディン、イスラム過激派テロ組織「イスラム国」、そしてアフガニスタンを占領したイスラム原理主義勢力タリバンについて、その見解を述べた。以下、オーストリア国営放送のインタビューで語った同氏の発言内容をまとめた。

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▲欧州のテロ問題専門家ペーター・ノイマン氏(2017年5月23日、欧州安全保障協力機構(OSCE)のアンチテロ会議で)

 米国同時多発テロ事件が再発する可能性について。

 「あのような規模のテロ事件が再び行われる可能性は考えられない。米国の国境警備、テロ対策は厳重になっているから、20年前のようにイスラム過激派テロリストが容易に米国に入ることは出来ない。20年後の今日、コンピューターのネットワーク、IT網がインフラから電気機材まで社会全域を接続していることから、テロリストは9・11テロとは違った形のテロを計画する可能性は排除できない。民間旅客機をハイジャックしてワールドトレードセンタービルに衝突させるといったことをしなくても、社会全体をマヒ状態に陥れることができる」

 小規模なイスラム過激派グループが世界最強国の米国を襲撃することができた背景について。

 「9・11テロ事件調査委員会がその報告書の中で批判していたが、米国の治安関係者は当時、イスラム過激派テロリストが海外駐留の米軍基地、米国大使館、企業、米旅行者を襲撃する危険性は考えていたが、米国内で大規模なテロを実施するとは想像だにしていなかった。また、1990年代のイスラム過激派、ジハーディスト(聖戦主義者)は弱体化していたため、米国側には警戒心が薄れていたが、実際はイスラム過激派は当時もアフリカ東部などでテロを行っていた。ウサーマ・ビン・ラーディンは計画的、組織的にテロ計画を進行した。小規模のテロ事件からその後の9・11テロ事件を予感させるものがあったはずだが、見落としてしまったのだ。米国の複数の情報機関の間のコミュニケーションがスムーズではなかった。9・11テロ事件を調査した関係者が語っていたが、米国側の戦略的ミスだといえる」

 ウサーマ・ビン・ラーディンはサウジの建設会社の富豪の家庭の息子で、推定800憶ドルの資産を継承したといわれていた。富豪の息子がどうしてイスラム過激派に転身していったか。

 「ビン・ラーディン家はサウジの有名な実業家のファミリーだ。ウサーマは家族の中でも変わり者だった。宗教の教えを真剣に受け取っていたからだ。サウジの友人によると、ウサーマは西欧社会の文化を嫌い、イスラム過激派主義に傾倒していった。1980年代はサウジはアフガニスタンのジハーディストを支援し、旧ソ連軍と戦っていた。多くの若いサウジ人はアフガンに出かけ、旧ソ連軍と戦った。ウサーマ・ビン・ラーディンはその人脈、資金力、カリスマもあってアフガンで直ぐに指導的地位に持ち上げられていった。サウジの富豪の息子であり、働く必要すらなかった人間が貧しい人々と共に占領軍の旧ソ連と戦っている姿はアフガン、パキスタン、サウジの若いイスラム教徒からの尊敬を受けた。

 ビン・ラーディンは1984年前にも何度もアフガンに行っていたが、84年以降アフガンに長期滞在している。1980年代の終わり、旧ソ連軍との戦いが勝利で終わった。そこで多くの聖戦兵士たちは『これからどうするか』で議論があった。一つは世界でイスラム教徒が迫害されている地域に緊急部隊を派遣するというアイデアだ。エジプト出身のジハーディストは、『アラブ諸国で革命をするのは難しい、西側諸国が背後にあって権力者を支援しているからだ。だから西側こそイスラム教社会の最大の敵だ」として、西側社会へのテロ作戦を主張した。最終的には、後者がその後の路線となっていった。ウサーマ・ビン・ラーディンはサウジに戻り、王国関係者に戦いの継続を提唱したが、受け入れられなかったことから、彼はイスラム過激派主義者と共に西側社会への戦いを進めていったわけだ」

 「アルカイダ」について。

 「アルカイダは最初は単なる名前リストに過ぎなかった。多くの専門家は、アルカイダは1988年に発足したとみている。最初はアフガンで旧ソ連軍と戦ったアラブ諸国からの義勇兵(ムジャヒディン)を中心に組織が形成され、ウサーマ・ビン・ラーディンを指導者として拡大していった。1990年代半ばごろから、ビン・ラーディンらも自身を『アルカイダ』と呼び出した」

 9・11テロ事件について。

 「同事件は1990年代後半から長期間準備されていった。民間旅客機を利用したテロは決して新しいものではない。よく似た事件は1994年、アルジェリア出身のジハーディストがフランスのパリのエッフェル塔を飛行機で爆発する計画があったが、治安関係者に発覚、挫折した。民間旅客機を利用したテロはアルカイダ前にもあった。アルカイダの専売特許ではない。

 1997、98年頃、アフガンで9・11テロ計画が構築され、実行部隊のチームが結成された。飛行機のパイロットとなる人材を独ハンブルク工科大学で見つけ、米国で訓練させた。4人の学生は知性だけではなく、体力もあるうえ、米国内を数週間動き回ってもFBI(連邦捜査局)から直ぐに監視されるようなタイプではなく、西側文化に精通していた。英語、ドイツ語、アラブ語を駆使した知性人だ。誰も彼らの目的を見抜けなかった。チームのリーダーはエジプト出身のモハメド・アダだ。彼はハンブルク工科大学で建築学を学び、イスラムサークルで過激主義に傾斜。その後アフガンでビン・ラーディンと会っている。

 ちなみに、モハメド・アダも裕福な家庭出身で、恵まれた未来が約束された人間だったが、彼は西側文化を嫌悪、疎外感に悩まされていた時、ハンブルクのイスラム寺院で過激なイマームに出会った。このイマ―ムはアフガンでジハーディストとして戦ってきた人間だ。イスラム教徒の過激化の典型的なプロセスだ」

 9・11テロ事件後、欧州では単独か小規模なテロ事件はあったが、大規模なテロは生じていない。

 「ニューヨークの9・11テロやパリの2015年11月3日の同時多発テロのようなテロを実行するためには組織力、資金、人材が必要だが、欧州の治安関係者が潜在的テロリストの通話を盗聴する一方、24時間監視しているため、アルカイダやISはもはや大規模なテロを計画できなくなった。欧州では単独テロ、通称、ローン・ウルフ(一匹狼)と呼ばれるテロ実行犯が自分の怒りや不満を契機に、簡単な武器、刃物や車両を利用してテロを行うケースが増えていった。

 ウサーマ・ビン・ラーディンにとってアフガンは安全な拠点ではなかった。だから、スーダンに行ったり、サウジに戻ったりしていたが、タリバンが1995年、アフガンで政権を発足させた後、状況は激変、アフガン内でテロ訓練キャンプを行い、イスラム過激派をアフガンに呼び寄せることもできるようになった。9・11テロ事件調査委員会の報告によると、『アルカイダはタリバンの庇護のもと、9・11テロ事件を計画、準備できた。この点がアルカイダのテロが実行できた大きな要因だ』と述べている」

 タリバンが先月15日、アフガンを再び占領した。アルカイダやISがタリバン政権のもと、その活動網を構築する危険性は考えられるか。

 「タリバン指導部は20年前の失敗から教訓を得ている。アルカイダとウサーマ・ビン・ラーディンがアフガンに暗躍していたから米軍がアフガンに侵入してきたと考えている。ただし、今現在タリバンは広大なアフガン全土を支配しているわけではないので、内戦の危険は常にある。そのカオス状況を利用してアルカイダやISがアフガンでその活動拠点を構築するかもしれない。ISはシリアやイラクで現地の政治情勢のカオスを利用して勢力を広げていった。ISは現在、2000人から3000人余りの兵力だが、米軍撤退後のアフガンはISにとってリスクがない安全な拠点と考えるだろう。もちろん、ISはシリアのように大規模な活動はできないが、新しい兵士をオルグして兵力を増強できるはずだ。

 アルカイダは9・11テロの成功ゆえにそれが足かせとなっていった。アルカイダ支持者は9・11テロの再現を期待するが、アルカイダにはそれを実行するパワーがない。米軍はアルカイダの拠点を壊滅させた。ビン・ラーディンがいなくなったアルカイダが再び9・11テロ事件のような大規模なテロが実行できるとは考えていない」

 米国は過去20年間、アフガンに軍を駐留させたが、その主要目的であったテロの壊滅は出来なかった。

 「戦略的には失敗した。米国が中東の問題に没頭している間、米国を脅かす本当の敵が台頭してきた。中国の台頭だ。

 9・11テロ事件後、メディアは毎月同じようなテロが起きるといったヒステリックな報道を繰返した。ウサーマ・ビン・ラーディンは既に原爆を所有しているとか、アルカイダはソ連より恐ろしいといった専門家の意見も報じられた。ブッシュ政権(当時)が世界的なテロ壊滅を呼び掛けたが、アルカイダの実態はそのようなものではなく、米政権の対テロ戦争を正統化するものではなかった。テロの犠牲者の数では9・11テロ事件より多くの犠牲者が出た紛争や戦争はあるが、テロが身近で発生しうると人々に思わせた点で9・11テロ事件は稀に見る特別なテロだったことは間違いない」

エクソシストと女性官能小説作家

 ちょっと週刊誌的テーマかもしれないが、欧米の主要メディアも結構大きく報道しているので、日本の読者にも紹介する。

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▲ザビア・ノベル司教(ウィキぺディアから)

 スペインのカトリック教会ソルソナ教区の52歳のザビア・ノベル司教が38歳のシルビア・カバロールさん(官能小説作家であり、心理セラピスト)を好きになってしまった。その結果、ノベル司教は司教を辞任し、教会から出ていき今は失業者の身だ。バルセロナ近郊で農学者としての職を探しているという。司教と官能小説家の間に何があったのだろうか。

 聖職者が未成年者に性的虐待を犯すことはもはや珍しくない。スペインのノベル司教の場合、教区のエクソシストでもあった。悪魔に取り憑かれた信者から悪魔祓いをする聖職者だ。その司教が、離婚し2人の子持ちのシングルマザーで官能小説作家に心魅かれ、教会での立場を全て捨てたのだ。教会の同僚たちは、「ノベル司教は女性の姿で現れた悪魔にやられてしまった」と受け取っているほどだ。ちなみに、カバロール女史の小説は「ガブリエルの欲望の地獄」など、悪魔と神、善と悪、天使と悪魔などが登場するエロチックな本という。

 ノベル司教は8月、「純粋に個人的な理由」から司教を辞職する旨の書簡をフランシスコ教皇に送った。その後、女性とカタルー二ャ地方のマンレサで一緒に住んでいるという情報が流れてきた。

 スペインのメディアは同司教の動向を逐次報道してきた。同国司教会議はノベル司教と会って話そうとしたが、司教はそれを拒否したという。ソルソナ教区は8月23日、「司教は教会法401条2項に基づいて辞任した」と公表している。

 ノベル司教は2010年、41歳の若さで当時のローマ教皇ベネディクト16世から司教に任命されている。同司教は、スペイン教会の若き星と受け取られ、将来を嘱望されていた。

 興味深い点は、フランシスコ教皇は同司教の辞職願いを即受理していることだ。通常の場合、教皇は辞任を願う司教に一定の時間を与えるケースが多いが、この場合、即受理したという。教会法に基づけば、それ以外の他の選択肢がない事態が生じたからだ、と推測されるわけだ。

 英BBCは9日、「スペインの司教はエロティックな作家への愛のために辞任した」(Spanish bishop quit for love for erotic writer)という見出しで大きく報じている。独週刊誌シュピーゲル電子版9月8日は同じように「Bischof tritt zuruck – aus Liebe zu Erotikautorin」というタイトルで記事を掲載している。独日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングも「Bischof Xavier Novell Goma verliebt sich in Erotikbuch-Autorin」という記事を掲載している、といった具合だ。大手の主要メディアが今回の出来事を報じたのは、枢機卿に次いで高位聖職者の司教が不祥事を起こしたこと、司教がエクソシストであり、愛の相手が官能小説を書く女性作家、という読者の好奇心をそそる3つの書割が揃っていたからだろう。

 ノベル司教は中絶問題や同性愛問題では教会の伝統的な教義を擁護する一方、政治的にはカタルー二ャの独立を支持していた。スペインのメディアでは、同司教の蹉跌について、「悪魔の仕業だ」「ある意味で職場での事故」と指摘し、教会や神の責任ではなく、聖職者の独身制が問われているテーマでもない、責任は「悪魔とその悪行にある」という見方が支配的だ。すなわち、司教は“悪魔の誘惑”に負けたというわけだ。

 ここで指摘したい点は、ノベル司教はエクソシストだということだ。悪魔の存在、その所業を他の聖職者より知っていたはずだ。一方、カバロールさんは神、悪魔といった世界に強い関心を持ち、それに関連した小説を書いてきた。司教と女性の間には共通点がある。「悪魔」だ。ノベル司教は悪魔祓いを行い、女性作家は悪魔の所業を描いた物語を書いてきた。その結果、両者は相手に惹かれていった、と少なくとも受け取れる。司教側は女性を愛することで教会での全てのキャリアを捨て去った。女性については何も報じられていない。

 同司教と女性がどのような場所で知り合ったかなどは明らかではない。考えられるシナリオは、「スペイン教会の星」と言われ、期待され、教区の信者たちからも愛されてきた司教は「悪魔」の巧みな誘惑の罠にはまり、敗れてしまったのではないかということだ。スペインのメディアは「職場での事故」と表現しているが、ある意味で的を射た表現だ。

 ローマ・カトリック教会で最もよく知られたエクソシスト、ガブリエレ・アモルト神父は悪魔祓いに関する多くの著書、インタビュー、講演で世界的に知られている。同神父は「1986年から2010年まで7万回以上のエクソシズムを行った」といわれる。そのアモルト神父は、「自分は毎日、悪魔と話している」と述べ、悪魔の存在を赤裸々に証言していた(「悪魔『私は存在しない』」2021年6月23日参考)。

 ノベル司教がエクソシストの1人とすれば、悪魔は自身の存在を知っているノベル司教に対し激しい攻撃を仕掛けてきた、と考えざるを得ない。悪魔の試練に勝利することはエクソシストとはいえ、非常に困難なことだろう。

9・11テロ事件後の「欧州の苦悩」

 米国同時多発テロ事件から11日で20年目を迎える。同事件では、2977人が犠牲となり、2万5000人以上の重軽症者を出した。同事件を契機として世界の政治の主要アジェンダはテロ対策に移った。そして15年11月3日にはフランスのパリで同時多発テロが発生し、パリ北郊外の国立競技場スタッド・ド・フランスの外で3人の自爆犯による自爆テロが起き、続いてパリ市内北部のカフェやレストランで銃の乱射や爆弾テロが起きた。そして、パリ11区のコンサート中のバタクラン劇場に乱入したテロリストが銃撃と爆発を起こし、130人が死亡、300人以上が重軽傷を負う史上最大規模のテロ事件となった。パリの同時多発テロ事件の裁判が8日、パリ中心部シテ島にある重罪院特別法廷で始まった。

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▲テロの現場ニースを訊ね、イスラム過激派テロとの戦いを決意するマクロン大統領(2020年10月29日、フランス大統領府公式サイトから)

 欧州のテロ事件ではユーロ・イスラムの存在が改めて注目された。ユーロ・イスラムとは、欧州に定住し、世俗化したイスラム教徒を指す。その信者数は欧州人口の約5%と推定されている。多くの欧州諸国では、ユーロ・イスラムはキリスト教に次いで第2の宗教と公認されている。

 ユーロ・イスラムの歴史は欧州文化の歴史と重なってくる。アラビア半島からイベリア半島までその勢力を拡大したイスラム教派は718年、西ゴート王国を破り、イベリア半島を支配した。しかし、1492年、キリスト教国からの失地回復運動(レコンキスタ)でイベリア半島から追われたイスラム教徒たちは北アフリカに逃げたが、同時に、欧州各地に散らばった。

 ドイツに住む2世、3世のユーロ・イスラム(主にトルコ人)はもはや祖父の国に帰国したいと考える者はほとんどいない。ユーロ・イスラムの欧州文化への定着は想像以上に進んでいる。だから、ユーロ・イスラムにキリスト教社会とイスラム教世界の架け橋的な役割を期待する声も聞かれたほどだ。

 そのユーロ・イスラム教徒が9・11テロ事件以来、イスラム過激派のオルグのターゲットとなってきた。英国のロンドン同時爆発テロ事件(2004年7月)やドイツで鉄道爆発計画が発覚し、欧州育ちのイスラム教徒がイスラム根本主義に傾斜していく危険性が表面化し、欧州社会は大きなショックを受けた。同時に、2015年の中東・北アフリカから100万人以上の難民・移民が欧州に殺到した時、イスラム過激派も難民の中に混ざって欧州入りした。彼らは欧州に侵入後、ユーロ・イスラム教徒に接近し、イスラム過激派思想を広げていった。

 最近の例を挙げる。イスラム原理主義勢力タリバンがアフガニスタンを占領したことを受け、欧米の外交官などとともに多くのアフガン人がカブール空港から西側の避難したが、その避難民の中には有罪判決を受けた多数の犯罪者が紛れ込んでいたことが明らかになった。

 ドイツはこれまでドイツ国民403人を含む5300人以上をドイツに避難させたが、同国連邦内務省によると、避難させたアフガン人の中に有罪判決を受けた強姦犯やその他の「治安関連の事件」が20件が明らかになったという。イスラム過激派テロリストがカブール空港の混乱に乗じて避難機に搭乗してドイツ入りした可能性は排除できないわけだ。

 ところで、ユーロ・イスラムがイスラム過激派思想に染まる契機で一番多いのはイスラム寺院で過激派イマームからオルグされるケースだ。刑務所に拘留中、イスラム過激主義者と接触したケースも報告されている、そしてユーロ・イスラムが次第に“ホームグロウン・テロリスト”となっていく。

 それでなぜユーロ・イスラムがイスラム過激思想に惹かれていくのか。オーストリアの社会学者は、「彼らは社会に統合できないで苦しんできた。言語問題だけではない。仕事も見つからず、劣等感に悩まされるイスラム系青年も少なくない。そこで聖戦のために命を懸けるべきだというイデオロギーに接した場合、彼らはそれに急速に傾斜していく」と分析する。欧州からシリア内戦、イラク紛争に数千人のユーロ・イスラムが参戦している。彼らは、ユーロ・イスラムからイスラム聖戦兵士となっていったわけだ。

 9・11テロ事件20年目、欧州ではテロ対策を強化し、イスラム過激派組織の壊滅、イスラム寺院への外国からの財政支援の監視を強めているが、同時に、ユーロ・イスラムへの支援を忘れてはならないだろう。9・11テロ事件以後、欧州全土でイスラム・フォビアが広がっている。ユーロ・イスラムの雇用状況も厳しい。彼らをイスラム過激主義から守るためには、ユーロ・イスラムの社会統合を積極的に推進すべきだろう。

 西暦2050年には、欧州のユーロ・イスラムの数は今の倍に膨れ上がるという予想も出てきている。仏人気作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏の小説「服従」の中で、近未来にイスラム教徒のフランス大統領が登場すると予言している。世俗化した欧州のキリスト教社会でユーロ・イスラムのプレゼンスが強まってくることは間違いない。
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