ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2021年02月

現代の浦島太郎が見たコロナ禍社会

  当方は欧州に住んで既に40年以上過ぎた。欧州を訪ねてきた日本人と話す時、自分が日本の社会をもはや理解できなくなっているのではないか、といった不安と恐れさえ感じてきた。10年前ごろ、日本に戻った時、地下鉄の切符の買い方が分からずに困った。そこで当方は最近、YouTubeの日本の動画を定期的に観ている。当方が気に入っているロシア人のYouTuberは何もしゃべらず日本の都市風景を淡々と撮影している。それを見ながら、21世紀の日本人社会の様子を垣間見る。ただし日本人が今、抱えている様々な苦しみや課題については、推測するだけに過ぎない。自分は日本人でありながら、日本人の心を理解できなくなった人間、と自嘲気味に感じている。

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▲コロナ禍で寂しいウィ―ン市内の公園風景(2021年2月14日、ウィーンで撮影)

 今年2月で欧州に新型コロナ感染が見つかって1年を迎えたことから、欧州のメディアではこの1年間を振り返る特集が報じられている。その中で独週刊誌シュピーゲルでJochen Martin Gutsch記者が大変興味深いエッセイを掲載していた。何らかの理由でコマ(昏睡状態)となって集中治療室で1年間、眠っていた人間が目を覚まして、コロナ禍で苦闘する社会を見て驚く、といった一種のSF的なエッセイだ。

 ここではコマから目を覚ました人間をA君と呼ぶ。そのA君は1年間のコマから目を覚まして病室の窓から外を見る。路上を歩く人々はマスクをしている。何が起きたのだろうか。テレビ、ラジオを聞いても、ソーシャルディスタンスをキープし、2mの距離を置くようにと呼び掛けている。スーパーに行けば、若者たちが「変異種が既にドイツにきている」という話をしているではないか。その変異種は英国や南アフリカから到来したという。戦争でも起きたのか。新聞を読むと、「子供の誕生日パーティを解散させるために警察隊が出動した」というではないか。現代のコロナ規制下の欧州社会の状況を目撃して、1年間コマにあったA君は驚く。自分が眠っていた間に世の中が激変していたからだ。

 「ベルリンの壁」が崩壊し、分断されていた東西ドイツが一つとなり、旧東独国民が旧西独ベルリンに自由に行き来する様子をコマから覚めた患者が見たなら、やはり同じような衝撃を受けたかもしれない、と記者が語る。

 欧州人はマスクの着用には抵抗が強かった。だから、マスクを着用して地下鉄に乗ったり、ショッピングモールを歩くことは嫌いだ。しかし、コロナ感染の拡大に伴い、マスクは欧州社会では既に市民権を獲得してきた。誰もマスク姿の人を見て振り返ることはしない。マスクなしで買物する人を見たら、警戒し、その人の近くにいかないようにするほどだ。マスクはアジア人が着用するものと考えてきた欧州人の社会は過去1年で大きく変わったわけだ。コマで病床にあったA君が見た社会はコマになる前の社会ではなかった。A君は現代の浦島太郎といえるわけだ。

 コマにならず、感染もせずに生きてきた人々は自分たちが過去1年間でどのように変わったかを客観的に理解することが難しいかもしれない。オーストリアのクルツ首相が記者会見で「どうか可能な限り人と会わないでください」とアピールした時、当方は正直いってショックを受けた。「人と会うな」というアピールはその台詞の可笑しさだけではなく、その内容が革命的なアピールのように響いたからだ。人と会っても握手せず、好きな人に会ってもハグもしない若者たちの姿はコロナ禍前では考えられなかった。休日には家族や友人と会うのが楽しみなオーストリア国民に対し、「人と会うな」というのは文字通り革命的ではないか。

 当方はYouTubeで日本の都市風景を見た時、「日本はコロナ禍でも通常の生活をしているようだ」という印象を受けた。人々はマスクをしながら歩き、買物している。コロナ禍で営業時間の短縮などの変化はあるが、社会全体の情景は大きく変わっていない。

 日本人は欧州人のように握手や抱擁はしない。マスクの着用はある意味でルーティンだ。コロナ禍で変わったのはイベント開催やレストランの営業時間などの短縮だけではないか。その点、欧州社会はコロナ禍で外的な生活スタイルまで激変した。

 誤解しないでほしい。欧州社会が日本社会よりコロナ禍で苦しんでいる、というつもりはない。日本に住んでいれば、やはりコロナ禍で多くの変化と苦しみを味わっている人がいるだろう。あくまでも外的な生活スタイルからの印象だ。

 ワクチンの接種が開始されたこともあって、欧州の人々もポスト・コロナについて少しは現実的に考える余裕が出てきた。気の早い人は夏季休暇の過ごし方を計画しているが、コロナウイルスの変異種の拡散で今年の夏をどのように過ごせるかはまだ不明だ。

 人々は激変した社会から別れを告げて、1年前の日常生活のスタイルに戻れるだろうか。それともコロナ禍が心的外傷後ストレス障害(PTSD)のように欧州人の心の世界に棲みつき、欧州人を苦しめるだろうか。コマから目を覚ましたA君は現代の浦島太郎として「コロナ禍と欧州社会」というテーマで時代の証言者となれるだろう。

「ヨブ」はニヒリストにならなかった

 旧約聖書の「ヨブ記」の話をする。「ヨブ記」を読まれた読者も多いだろう。主人公のヨブはイスラエル人ではない。話も舞台もイスラエル人が住んでいた地域ではなく、中近東地域に伝わっていた民話だ。

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▲イワン・クラムスコイの画「曠野のイイスス・ハリストス」(ウィキぺディアから)

 信仰深いヨブはその土地の名士として栄えていた。神は悪魔に「見ろ、ヨブの信仰を」と自慢すると、悪魔は神に「当たり前ですよ、あなたがヨブを祝福し、恵みを与えたからです」と答えた。そこで神は「家族、家畜、財産を奪ったとしてもヨブの信仰は変わらない」と主張。それを実証するために、ヨブから一つ一つ神の祝福が奪われていった。

 家庭、動物たちを次々と失い、最後はヨブ一人となった。そのヨブも総身に多くのできものができた。ヨブは当初、「私の全ての物は神が与えたものだ。だから、それを神が奪っていったとしても当然だ」と受け取り、試練に対しても平静心を保ったが、次第に苦しむ。

 友人たちがヨブを訪ね、「貴方が神への信仰を失ったからだ」といってヨブを責め立てた。ヨブ自身は「神の信仰を失ってはいない」という確信があったが、友人たちは「ヨブの試練は彼が信仰を失った結果」と、ヨブを慰めるのではなく、糾弾した。神に不正を訴えたりしたが、ヨブは試練に勝利し、失った家庭や家畜を再び得た。「ヨブ記」はハッピーエンドだ。

 独週刊誌シュピーゲル(2019年10月12日号)は米大統領選前にジョー・バイデン氏のこれまでの歩みを紹介し、その波乱万丈の人生を「米国のヨブ」(Amerikanischer Hiob)という呼称を付けて報じた。妻と娘を交通事故で失い、期待していた長男(ジョセフ・ロビネット・ボー・バイデン)を2015年脳腫瘍で失った。長男の葬儀から事務所に戻ってきたバイデン氏を見た仲間たちは「バイデン氏が急速に老いてしまった」と感じたという。

 バイデン氏は後日、「自分に残っていた最後の傲慢さもあれでなくなってしまったよ」と述懐している。「米国のヨブ」は30歳前に上院議員に当選するなど華やかな政治人生をスタートしたが、その後は厳しい試練が待ち受けていた。そして78歳となったバイデン氏は第46代米国大統領に選出されたわけだ。「ヨブ記」と同じように、バイデン氏の人生がハッピーエンドで幕を閉じるのかはまだ分からない。

 ところで、「ヨブ記」の場合、ヨブの信仰を神とサタンが試した物語というふうに受け取られているが、イェール大学の聖書学者、クリスティーネ・ヘイス教授は、「神とサタンがヨブの信仰を試練したのではない。神が天使たちとともにヨブをテストしたのだ。ヘブライ語ではサタンという言葉の前に冠詞がつけられている。それはキリスト教の悪魔を意味せず、神に仕える天使たち(悪事をする人間を見つけ出して、糾弾する検察官メンバー)を意味し、神は天使と共にヨブの信仰を試したのだ」というのだ。

 ちなみに、サタンはユダヤ教からキリスト教初期時代に入って冠詞抜きで大文字で「サタン」と呼ばれるようになったが、「ヨブ記」の場合、冠詞が付いていたから、検察官の使命を持った天使たちを意味したと受け取れるわけだ。

 普通の人間がサタンから直接試練を受けた場合、それを乗り越える人は少ないだろう。死の危険が伴うサタンの試練からヨブを守るために、神は先にヨブを試練したというふうに受け取れるわけだ。

 ヘイス教授は、「ユダヤ教では、いいことをすれば神の報酬を受け、そうではない場合、神から罰せられるといった信仰観が支配的だったが、ヨブ記は悪いことをしていない人間も試練を受けることがあることを記述することで、従来のユダヤ教の信仰観に大きな衝撃を与えている。ヨブは試練の中でも信仰を失わず、報われなくても『正しい事は正しい』いう確信を放棄せず、モラルでニヒリズムに陥ることはなかった」と説明し、「ヨブの話は、苦境にある人に対し、安易に批判してはならないことを教えている」と述べている。

 人生で試練に直面するのはヨブだけではない。英雄伝や歴史的人物の伝記を読めば分かる。彼らは人生で遭遇したさまざまな試練を克服して自身の目標を実現した人々だ。ヨブのように全てを奪われる、といった試練に直面した人もいるだろう。そのような時、恨みや辛みの一つぐらい飛び出したとしても不思議ではない。フランスの哲学者ヴォルテールは「運命は我々を導き、かつまた我々を翻弄する」と語っている。ヨブが立派なのは、運命の試練に勝利したことだ。「ヨブ記」に法律用語が頻繁に登場するのは、「正義とは何か」、「公平とは何か」、「報われない善行とは」といったテーマを扱っているからだろう。

 新約聖書「マタイによる福音書」第4章によると、イエスはサタンから直接3度試練を受け、それを勝利している。イエスではないわれわれがサタンから試練を受けた場合、勝利するチャンスは少ない。それを知っている神は自ら愛する息子、娘に試練することで、サタンの直接の誘惑から逃れる道を示唆してきた。人生で誰でも試練に遭遇する。その試練は当事者をダメにするためにあるのではなく、それを克服することで、より強くなるためにある、と理解すれば、試練を乗り越えることが出来る力も得られるはずだ。

 ヨブはヘブライ語では「敵」を意味するが、イエスが話していたアラム語では「悔い改める」という意味がある。ヨブは友人たちに対し、同じように批判的に考えていた自分だったと気が付き、悔い改めている。

 試練を受けている人にヨブの話をしても気休めにもならないかもしれないが、片目を失った人が「僕にはもう一つの目がある」と考えて生きて行くことができれば、試練を克服できると信じている。「神は人間に耐えられない試練を与えることはない」(「コリント人への第一の手紙」第10章)という。それだけではない。「神は試練に耐えられるように、逃れる道も備えて下さる」というのだ。試練に直面している人々に思い出してほしい聖句だ。

「国連の改革」に必要な新たな理念

 ポルトガル出身のアントニオ・グテーレス国連事務総長(71)は今年12月に5年の任期を終えるが、再選のため立候補する意向だ。ポルトガルのコスタ首相は24日、ツイッターで「グテーレス事務総長を次期国連総長の候補者に任命した。事務総長はその自主性、その職務能力、対話へ調停力を有している」と評している。同首相はグテーレス氏の再選出馬への書簡を国連総会議長と国連安保理事会宛てに送付済みだ。

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▲アントニオ・グテーレス国連事務総長(ウィキぺディアから)

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▲ニューヨークにある国連本部(ウィキぺディアから)

 グテーレス事務総長は報道官を通じ、「候補任命に感謝している。その信頼に答えるために全力を投入する覚悟だ」と述べている。グテーレス事務総長は今年初めに国連総会議長に2期の任期を目指す意向を既に伝えている。同氏は2017年初めに第9代目の国連事務総長のポストに就き、今年12月に1期目の任期が終わる。

 国連外交筋によると、グテーレス事務総長を脅かす対抗候補者は目下、出てきていない。国連75年以上の歴史で女性事務総長は誕生していないことから、国連内外で女性事務総長待望論が聞かれるが、女性候補者の名前はまだ上がっていない。

 有力な女性候補者が出てこない限り、現職のグテーレス事務総長の再選は濃厚だろう。ちなみに、ヒラリー・クリントン女史が国連事務総長ポストに立候補するのではないかという噂があるが、安保常任理事国の中国、ロシア両国の支持を得ることは難しいだろう。

 興味深い点は、グテーレス氏は国連事務総長選に初めて立候補する時、ヒラリー・クリントン女史がトランプ氏を破って米大統領選で当選することを期待して立候補を決定した。そして今度は、バイデン氏がトランプ大統領を破って当選するまでは再選出馬の意思表明を控えていたことだ。

 国連事務総長の選出では、安保常任理事国、米、ロシア、英国、フランス、中国の5カ国の意向が決定的な影響を与える。5カ国の1国でも反対すれば、その候補者の選出は難しくなる。事務総長の選出がどうしても外交の裏舞台で進行するため、加盟国には「事務総長選の透明性」を求める声がある。同時に、前述したように、女性国連事務総長の誕生を求める声が久しく聞かれる。

 国連外交の焦点は、バイデン新政権の国連外交と、国連内の政治的影響力を高めてきた中国の出方に注がれる。“アメリカ・ファースト”のトランプ政権は政権発足後、国連外交には余り関心を払わなかった。それだけではない。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の脱退、地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」から離脱などを次々と決めていった。

 グテーレス事務総長は2018年7月、職員宛てに「国連の活動資金が底をつきそうだ」という悲鳴にも似た緊急アピールの書簡を送ったことがある。事務総長によると、加盟国中、期日までに分担金を支払っていない国は81カ国にも及ぶという。それ自体、決して新しいことではないが、未払い国の中に最大分担金拠出国の米国が含まれていたからだ。

 バイデン新政権は脱退、離脱の取り消しに関する大統領令に署名し、国連外交に対しても「米国は戻ってきた」というシグナルを国連関係者に向かって発信してきた。

 問題は、国連内での中国の影響力の拡大だ。トランプ政権の国連離れをよそに、中国共産党政権は国連専門機関のトップポストを掌握するなど、その影響力を拡大してきた。例えば、ウィーンの国連工業開発機関(UNIDO、李勇事務局長)、ジュネーブに本部を置く国際電気通信連合(ITU、趙厚麟事務局長)、そしてローマに本部を置く国連食糧農業機関(FAO、屈冬玉事務局長)のトップは中国人だ(「中国共産党の国連支配を阻止せよ」2019年6月10日参考)。

 国連国別分担率で中国は2019〜21年の通常予算で12・005%となり、日本(8・564%)を抜き第2位だ。米中は国連の分担金で1位、2位となる。両国の相違は、国連離れを見せてきた米国に対し、中国は世界制覇の野望実現のため国連を積極的に利用してきたことだ。

 グテーレス事務総長の再選問題に戻る。同氏は職業外交官だ。調整能力は備えているが、21世紀の国連を世界平和実現に寄与する国連に再生できる能力があるだろうか。グテーレス氏は中国のウイグル民族に対する中国共産党政権の弾圧政策を厳しく批判したことがあったか。法輪功信者への強制臓器摘出問題に対して北京を追及したことがあったか。大国間の利害調整は重要だが、中国の人権蹂躙問題に対する事務総長のスタンスは過去、揺れてきた。

 世界各地で紛争は絶えず、国連の調停能力が問われている。戦後75年以上を経過した国連は基本的な刷新が願われている。国益を守ることが外交とすれば、196カ国の加盟国を抱える国連は196の異なる国益外交の衝突の場となる。対立を調停し、妥協可能な解決策を見出すためには、安保理改革だけではない。国益を超えた明確な理念を提示する必要がある。共生、共栄、共義の世界実現の為の理念だ。例えば、国連の上下2院制だ。

 直径最大200ナノメートル(nm)の新型コロナウイルスは今日、民族、国境、大陸を超え、世界全土でその猛威を振るっている。一方、われわれ人類は民族、国境、大陸の壁を超えることが出来ず、戦い、苦悩してきた。このままの状況が続くならば、人類はウイルスよりも劣る存在となってしまう。民族、国境、そして宗教の壁という地の重力から自らを解放し、飛躍しなければならない。さもなければ、われわれは余りにも惨めな存在で終わってしまうのではないか。

元祖「女性蔑視」から見た森発言の重み

 東京五輪・パラリンピック組織委員会会長だった森喜朗元首相が女性蔑視の発言をしたとして、世界からバッシングを受け、辞任に追いやられた出来事をフォローしていて、はっきり言って違和感を感じた。森元首相を擁護するためではない。

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▲森元首相からバトンタッチした橋本聖子新会長(東京夏季五輪大会の「オリンピックチャンネル」サイトから)

 森氏が辞任し、橋本聖子参議院議員が新会長に就任されたことで、「森発言」による女性蔑視問題は一応幕を閉じたが、当方が感じてきた「違和感」について、ここで少し説明したい。「森発言」の内容は女性蔑視と呼ぶには程遠く、単刀直入にいえば、女性蔑視にも値しない内容ではないか、ということだ。女性蔑視は女性理事の発言回数、時間云々の内容ではなく、本来、長い歴史から起因した人類社会のテーマではないか。

 欧米諸国で見られる「女性の権利擁護」運動にはキリスト教会の偏った女性観への強い反発がその根底にあった。キリスト教文化圏に属さない日本の女性解放運動はそのキリスト教の女性蔑視からの解放といった歴史的な書割とは無縁であり、極言すれば、単に輸入されてきたもので、実体験に基づいたものではなかった。

 儒教にもとずく女性蔑視が強かった日本では過去、女性は親に従い嫁いでからは夫に従うというしきたりの中で自由に生きることは不可能だった。それが近代に入り、欧米文化と共に欧米型女性観が広がり、女性の解放運動が日本でも拡がっていったわけだ。繰り返すが、「森発言」はキリスト教社会で多く見られた女性蔑視の歴史とは全くかかわりのない内容だ。

 それでは欧米社会の女性の権利擁護・解放運動を生み出した女性蔑視思想とはどのようなものであったかを振り返ってみたい。

 カトリック教会の女性像は時代によって変化していったが、その中で変わらず継承してきたのは「男尊女卑」の考えだ。その思想を支えてきたのは旧約聖書創世記2章22節の「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り……」から由来していると受け取られている。聖書では「人」は通常「男」を意味し、その「男」(アダム)のあばら骨から女(エバ)を造ったということから、女は男の付属品のように理解されてきた面がある。

 キリスト教では人間始祖アダムとエバが蛇の誘惑を受けて堕落し、その結果、原罪を背負う運命となったと説く。その原罪から人間を解放するために降臨するのがメシアであり、キリストだ。キリストへの信仰に拠らなければ、誰も救済に与らないと教えてきた。この「失楽園」の話を注意深く読むと、人類に消すことが出来ない原罪を与えたのはアダムではなく、エバだったことが分かる。すなわち、エバから原罪が人類に入ってきたというのだ。このエバの原罪論がその後のキリスト教社会での女性蔑視の風潮を生み出す背景となったわけだ。

 「教会の女性像」の確立に中心的役割を果たした人物は古代キリスト教神学者アウレリウス・アウグスティヌス(354〜430年)だ。彼は「女が男の為に子供を産まないとすれば、女はどのような価値があるか」と呟いている。そこには明確に男尊女卑の思想が流れている。現アルジェリア出身のアウグスティヌスの思想は「肉体と女性」蔑視が根底に流れているといわれる。

 イタリア人法王レオ1世(390〜461年)は「罪なく子供を産んだ女はいない」と主張し、女性が性関係を持ち、子供を産むことで原罪が継承されてきたと指摘している。キリスト教の性モラルはこの時代に既に構築されていったと受け取れる内容だ。

 女性蔑視の思想は中世時代に入ると、「神学大全」の著者のトーマス・フォン・アクィナス(1225〜1274年)に一層明確になる。アクィナスは「女の創造は自然界の失策だ」と言い切っている。スコラ哲学の代表者アクィナスは、「男子の胎児は生まれて40日後に人間となるが、女子の胎児は人間になるまで80日間かかる」と主張しているほどだ。現代のフェミニストが聞けば、真っ青になるような暴言だろう。この時代になると女性蔑視は定着。魔女狩りもその表れだろう。女に悪魔が憑いたということで、多くの女性が殺されていった。

 近代に入り、ヨハネ23世(在位1958年10月〜63年6月)の時代に入ると、ようやくその見直しが行われていく。ヨハネ23世は1962年10月11日、ローマ・カトリック教会の近代化と刷新のため「第2バチカン公会議」を開催し、ラテン語礼拝の廃止、エキュメニズムの推進など教会の近代化を推進する一方、女性の権利の尊重を進めていった。ただし、教会は女性聖職者については旧態依然で抵抗が強い。

 興味深い点は、女性蔑視の思想を持つキリスト教の中で聖母マリアはイエスの母親として特別視されてきたことだ。第255代法王のピウス9世(在位1846〜1878年)は1854年、「マリアは胎内の時から原罪から解放されていた」と宣言して、教会の教義(ドグマ)にした。しかし、聖母マリアは女性の権利の解放者としてのシンボルとはならなかった。なぜならば、キリスト教信者たちは、厳格で裁きの父親的神とは好対照として、無条件に許し、愛する母親的存在として聖母マリアを崇拝したからであり、偉大な女性の解放のシンボルとして尊敬したのではなかったからだ。

 「森発言」に戻る。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言は女性を小馬鹿にした響きはあるが、女性蔑視として世界から糾弾される内容を含んでいるとはいいがたい。換言すれば、女性蔑視のカテゴリーからバッシングされるに値するものがないのだ。女性蔑視の元祖トーマス・フォン・アクィナスが聞いたら、「私はそんなことを言って女性蔑視を主張したのではない」と憤慨するかもしれない。

 米紙ニューヨークタイムズのように、日本のメディアは森発言を欧米版「女性蔑視」発言に便乗して記事を発信したが、森元首相の発言はキリスト教に刻印された「女性蔑視」の思想とはまったく関係のない内容であり、非キリスト教社会の日本で元首相が語った体験談に過ぎない。それを世界のリベラルなメディアは「女性の権利が蹂躙されている日本社会」というイメージに合致するようにミスリードしていったわけだ。森元首相には申し訳ないが、その発言は女性蔑視と呼ぶに値しない。その発言のために糾弾された森氏はさぞかし不本意であっただろう。

イランが示した北朝鮮との「違い」

 イランは23日、予定通り、国際原子力機関(IAEA)に抜き打ち査察などの履行を認める追加議定書の履行を停止した。それに先立ち、イランを訪問したIAEAのグロッシ事務局長は21日、ウィーンに帰国後、テヘランでの核協議の結果について、「イランは23日から抜き打ち査察を停止するが、最長3カ月間は必要な査察と監視を受け入れる」と報告した。多分、この結果は、IAEAが現時点でイランから勝ち得る最大の譲歩だろう。

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▲核合意の「行動計画表」を示す国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長とイランのサレヒ原子力庁長官(2015年7月14日、IAEA提供)

 抜き打ち査察とは、IAEA査察官が必要と判断した場合、24時間以内に関連核施設を査察できることを意味する。イランは当初、核合意に基づいてIAEAの査察(包括的核保障協定)を受け入れたが、抜き打ち査察ではなかった。IAEAはイランに抜き打ち査察などを可能とする追加議定書の加盟を強く要請。それを受け、イランは追加議定書を暫定的に履行してきた経緯がある。テヘラン側の説明ではあくまでも「善意の表現」ということになる。

 話は急遽、北朝鮮の核問題に飛ぶ。IAEAは北朝鮮が未申告の核関連施設で核開発計画を実行しているとして、当時のブリックス事務局長が1993年2月、北朝鮮に対し、特別査察の実施を要求した。特別査察は現在の追加議定書に基づいた抜き打ち査察のような内容だ。それに対し、北朝鮮の金正日総書記(当時)は核拡散防止条約(NPT)からの脱退を表明した。なぜなら、抜き打ち査察は国家の主権蹂躙に当たるので、国家の主体を重視する北朝鮮としては、絶対に特別査察は受け入れることは出来ないというわけだ。

 翌1994年、米朝核合意が一旦実現し、北はNPTに留まったが、ウラン濃縮開発容疑が浮上すると北は2002年12月、IAEA査察員を国外退去させ、その翌年、NPTとIAEAからの脱退を表明した。そして06年、6カ国協議の共同合意に基づいて、北の核施設への「初期段階の措置」が承認され、IAEAは再び北朝鮮の核施設の監視を再開したが、北は同年10月、初の核実験を実施。09年4月、IAEA査察官を国外追放。それ以降、IAEAは北の核関連施設へのアクセスを完全に失い、現在に至る。北はこれまで6回の核実験を行った。

 北朝鮮の核問題を解決するためにノーベル平和賞(05年)を受賞したばかりのエルバラダイ事務局長は07年3月、北朝鮮を訪問し、金正日総書記を説得するつもりだった。平壌入りしたエルバラダイ事務局長は金正日総書記とのトップ会談を期待したが実現できず、寒い待合室で長時間待機せざるを得なかった。

 北側はエルバラダイ事務局長を嫌っていた。その理由は同事務局長がブリックス時代、特別査察の法的枠組みを確立した張本人で、特別査察=エルバラダイと受け取られていたからだ。そんな事情を知らないエルバラダイ事務局長はノーベル平和賞を受賞した勢いもあって訪朝したが、金正日総書記から相手にされずに、空手でウィーンに戻ってきたわけだ。

 話をイランの核問題に戻す。イランは北朝鮮の核問題の進展を研究していたはずだ。イランは「善意の表現」としてIAEAの抜き打ち査察を認めることで、核合意からもたらされるメリットを享受してきた。しかし、トランプ大統領(当時)が18年5月、イラン核合意から離脱を表明すると共に、対イラン経済制裁(イラン産原油禁輸)を再開したことでイラン側の狙いは水泡に帰した。

 米国のイラン核合意離脱後、イランは核合意の内容を一つ一つ無効にし、ウラン濃縮度を20%にアップ、最新の遠心分離機の導入などを実施。そして最後は今月23日を期してIAEAの抜き打ち査察を停止した。しかし、イランは「最長3カ月間、必要な査察、監視は受け入れる」と表明して、IAEAとの完全な決裂を回避している。

 イランと北朝鮮の核協議は北が一歩先行し、その後をイランがついてきている、といった具合だ。北朝鮮は06年、最初の核実験を実施して北の核協議はその時に完全に停止する一方、北の非核化交渉へと協議の焦点が移っていった。一方、イランは今回、欧米に3カ月間という査察の猶予期間を提示することで、(胴颪粒帽膂婪禿合、対イラン経済制裁の停止、▲ぅ薀鵑粒帽膂婪峠膽蕕箸いΕ董璽泙妊錺轡鵐肇鵑肇謄悒薀鵑外交ルートを通じて協議できる道を開いたことになる。ただし、イランは新たな核協議を始める考えはなく、あくまでも15年の核合意の再開を模索していることだ。

 イランは北朝鮮とは抜き打ち査察問題で違いを示したわけだ。その理由は、イランが米国の対イラン経済制裁の解除が不可欠だからだ。換言すれば、核開発はいつでも再開できるが、米の経済制裁の解除は急務だからだ。

 ちなみに、イランは核兵器の製造のノウハウを既に獲得しているとみて間違いないだろう。その意味で、イランの核協議は北朝鮮と同様、近い将来、非核化交渉に焦点を移行する可能性がある。その場合、イスラエルの動向が無視できなくなる。

 当方は昔、サレヒ副大統領兼原子力長官と会見したことがある。当時はサレヒ氏は駐ウィーンIAEA担当大使だった。サレヒ大使に、「イランは北朝鮮と核関連分野で情報の交流をしているのか」と尋ねた。すると大使は侮辱されたような気分になったのだろう、「私は核物理学者としてテヘラン大学で教鞭をとってきたが、北の科学技術に関する専門書を大学図書館で見たことがない。核分野でわが国の方が数段進んでいる」と強調した。

 当方が会見の終わりに、「大使、核開発問題は分かりましたが、ミサイル開発分野での北朝鮮との協調はないのですか」としつこく聞くと、今度ばかりは大使は即答せず、「ミサイル開発問題については知らないよ」と答えるのに留めた。

 いずれにしても、今後3カ月間の米国とイランの核協議はイランの核計画を軌道修正できる最後のチャンスかもしれない。米国が対イラン経済制裁を解除しない場合、イランの保守派勢力は核開発へと邁進するだろう(「イラン保守派勢力の暴発に警戒を!」2021年2月20日参考)。

「怒り」の暴発を如何に抑えるか

 .Ε―ン市メトロ新聞「ホイテ」(22日付)の1面に「コロナ感染者が同居人の女性に向かって咳を」という見出しが目に入った。オーストリア第2の都市リンツ市に住む63歳の男性が同居人の女性(70)に対し、意図的に何度も咳をしたという(エアロゾル)。その結果、女性も感染したというのだ。幸い、女性は軽度の感染だったが、男性は故意の外的傷害罪などで訴えられた。

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▲スイスの心理学者、べレナ・カスト教授(「ウィーナー新聞」サイトから  Markus Ladstatter氏撮影)

 ▲ーストリアの民間放送OE24TV放送で、コロナ規制に抗議するデモ集会の状況をライブで中継していた女性レポーターにデモ参加者の1人が唾を吐きかけるシーンが写っていた。極言すれば、一種の殺人行為だ。女性レポーターが空気・飛沫感染し、コロナ感染し、重症になれば文字通り唾を吐いたデモ参加者は重罪犯罪として訴えられる。

 ウィーン市で昨年11月26日、50歳ぐらいの女性が停留所にいたユダヤ教のラビのキッパ(被り物)を払い落して「全てのユダヤ人を虐殺せよ」と叫んで逃げていったという事件が起きた。女性がどうして突然、ユダヤ人に対し暴言を吐いたのかは不明だが、その暴言には怒りが込められていたことは間違いない。ユダヤ人に対して、というより自身の中に沸き上がる怒りのエネルギーがたまたま停留所にいたユダヤ人に向かって暴発したというのが正しいかもしれない。

 上記の3件は、いずれも新型コロナウイルスが猛威を振るっている時に生じた出来事だ。些細な出来事かもしれないが、そこには鬱屈した怒りの暴発という現象が見られる。の場合、反ユダヤ主義者の言動といえるが、長期化するコロナ禍で多くの人には無力感と怒りが蓄積している。そのエネルギーを吐き出す対象、敵を探し、そこに向かって怒りが爆発するわけだ。新型コロナ感染の場合、アジア・フォビア(アジア人嫌悪現象)となって表れることがある。

 例えば、フランスのパリで今月10日、在留邦人が強酸性の液体をかけられるという事件が発生している。在フランス日本国大使館によると同日夕方、パリ17区を邦人被害者が友人3人といたところ、フードをかぶり下を向いて歩いてきた3人組(男女の別不明)からいきなり顔に向けて液体をかけられた。幸い、液体は顔にはかからず、手の火傷で終わった。フランスでは「アジア人狩り」と呼ばれるアジア・フォビアが頻繁に生じている。

 スイスのチューリッヒ大学心理学教授のベレナ・カスト氏は、「死ぬのは常に他者で我々ではないと考えてきた。その死が我々の近くにきていることに気が付いてきたわけだ。我々は全てのことをコントロールしていると思ってきたが、それが突然激変し、集団的不安の中に陥っている」という。同教授によれば、怒りは「無力と侮辱から生じてくるものだ。我々は常に無力だったが、今回はそれを集団的に体験しているのだ」という。

 無力観に陥ると、腹が立つし、怒りが湧いてくるから、そこから逃れるために誰がその感情を生み出した“犯罪者探し”が始まる。不安は無力感を高めエネルギーを失うが、怒りはある意味で強いエネルギーの感情だから、無力感から逃れることができるわけだ。

 コロナ規制に抗議するデモ集会が欧州各地で広がっているが、コロナ規制を実施する政府関係者がコロナ・カオスの責任者ではない。デモ参加者もそんなことを知っているが、高まる怒りを吐き出すための対象がどうしても必要となるから、コロナ規制に抗議するデモ集会は反政府集会の様相を深めていくわけだ。

 カスト教授はオーストリア放送とのインタビューの中で、「人は必要なものを得ることに慣れてきたが、失うことには慣れてこなかった。しかし、コロナ禍で失うことへの不安がリアルとなってきた。自身の存在へのリアルな危機感だ。そのため憂鬱に陥る人も出てくる」と分析している。

 コロナ感染防止の特別措置が長期化することによって、“コロナ疲れ”が人々の間で見えはじめた。精神的疾患に悩む若い世代も出てきた。人は不安になると、精神的に動揺する一方、銃を購入して自衛手段に乗り出す人々も出てくる。不安は人を攻撃的にさせる。実際、コロナ禍で銃を購入するケースが増えている(「『不安』は人を銃に走らせるか」2021年1月7日参考)。

 ところで、コロナ禍で生じた怒りや不安はワクチンの接種で解消するだろうか。それとも新たな問題に直面し、怒りと不安が生まれてくるだろうか。コロナ禍はいつか過ぎ去るかもしれないが、怒りと不安は人間の中から常に湧き出てくるとすれば、人は不安だけではなく、怒りという感情をコントロールする術を学ばなければならないわけだ。

 エジプトの奴隷生活からイスラエル人を解放したモーセは旧約聖書の世界では英雄だが、激しい気性の人間であった。神から与えられた十戒の石板をイスラエル人の無法な行為に激怒して破壊した。その怒りは理解できるが、モーセにとって大きな代価を払う結果となった。

 日本の代表的将棋棋士,羽生善治は「勝負に一番影響するのは『怒』の感情だ」と述べている。

「母乳」を「ヒューマン・ミルク」に?

 母乳は赤ちゃんの成長にとってベストといわれて久しいが、母乳に代わって粉ミルクを利用する女性が増えてきているという。粉ミルクならいつでもどこでも授乳できるというメリットがあるからだろう。ところが最近は「母乳」(Breastmilk)という表現は女性蔑視に当たるとして、今後は「ヒューマン・ミルク」(Human Milk)と呼ぶべきだと主張され出した。英国のブライトンとサセックスの両大学クリニックの産科病棟関係者は今後、性転換者に配慮するため、出産時に対してジェンダーニュートラルな用語を使用しなければならなくなったという。

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▲火星から見た地球と月の画像(NASA公式サイトか)

 大学クリニックに従事する助産師と産婦人科の医師は「母乳」という呼び方に代えて、「ヒューマン・ミルク」か「授乳中の親からのミルク」と呼ばなければならない。それだけではない。日本語で違いを表現するのは難しいが、授乳もBreastfeedingという伝統的な表現を止め、Chestfeedingと呼ばなければならないという。その上、母親は「母親」から「出産する親」に、「父親」は「親」ないしは「共同養育者」に代わるべきだというのだ。例外は、性差の相違に拘らないシスの女性だけが集まる場合に限られるというのだ。

 以上は英国のメディアが報じていた内容だ。多分、上記の内容は極端な例だろう。「母乳」を「ヒューマン・ミルク」に代えるべきだと主張する人に聞いてみたい。性差を明確にする表現に何か都合が悪いのだろうか。

 想像するに、人類の歴史が男性主導の世界であり、女性蔑視の社会だったことを受け、それらの過去を清算し、男女間の格差を正常化したいという考えがその根底にあるのかもしれない。「女性の権利」尊重は当然だ。その能力を性差のない社会で遺憾なく発揮できれば理想だ。女性蔑視時代の残滓があれば、それを排除しなければならないという主張も理解できるが、「母乳」を「ヒューマン・ミルク」と呼ばなければならない理由にはならないのではないか。

 「母乳」は性差に基づくものではないし、女性を蔑視する表現ではないことは明らかだ。それを敢えて“ジェンダーニュートラル”な表現に代行させることは行為者の所在を不明にし、最終的には「母乳」の授乳という行為の責任をぼかすことにもなるのではないか。人間の言動には程度の差こそあれ責任が伴う。その責任の所在をあいまいにする表現は責任回避にも通じることになる。責任が伴うからこそ、その言動は評価され、相手からも感謝されるのではないか。だから、「母乳」という表現を「ヒューマン・ミルク」に代行させることは、「母乳」に伴う責任の回避だけではなく、相手(赤ちゃん)からの感謝も拒否することになる。

 アルプスの小国オーストリアには、まだそこまでジェンダーニュートラルな用語は広がっていない。その代りというと少々可笑しいが、伝統的なドイツ語の挨拶、グリュス・ゴット(神に宜しく、神のご加護が)と言わないようになってきた。グリュス・ゴットではなく、通常のグーテンタークといわない限り、挨拶にも応じない大学教授が出てきている。「神のご加護が」といわれて、気持ちが悪くなる無神論者が若い世代では増えてきているというのだ。

 人間の社会には、神を信じる人のほか、無神論者、不可知論者、ニヒリストなどさまざまな世界観、信仰観を有する人々が生活しているから、相手に対して一方的にグリュス・ゴットと挨拶しないほうが無難だという判断もあり得る。社会の「多様性」が叫ばれる現代、一方的な世界観、宗教観に基づく言動は慎むべきかもしれない。

 問題は、積極的にグリュス・ゴットを嫌悪する人が増えてきていることだ。先述した“ジェンダー・ニュートラル”ではなく、“世界観ニュートラル”な表現とでも呼ぶべき動きだ。それらの動きには、「多様性」を支えるべき相手への「寛容さ」が欠けているケースが見られる。相手側に「多様性」を要求する以上、相手に対する「寛容さ」、「尊敬心」がなければ、その「多様性」への要求はどうしても攻撃的になってしまうのだ。

 欧米大学内でジェンダー論争は大きな影響を与えている。例えば、米国には男性と女性のジェンダーだけではなく、さまざまなジェンダーに関する表現、アイデンティティーが存在する。だから、相手を呼ぶ時、注意が必要となる。最近は複数で相手を呼ぶ傾向が出てきたという。どのジェンダーか分からないからだ。間違ったジェンダー表現で話しかけたら反発されてしまう。だから、問題を回避するために複数で呼ぶ、というわけだ。

 笑い話ではないが、カナダのジャスティン・トルドー首相は3年前、「Mankind(人類)ではなく、Peoplekind(ピープルカインド)と呼ぶべきだ」と主張し、メディアに報じられたことがある。

 「初めに言葉があった。全ては言葉から始まった」という聖句は、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の有名な書き出し部分だ。神のロゴスから森羅万象が創造されたという意味だが、そのロゴスを自身の都合のいいように書き換えようとする人々が増えてきている。「ロゴスの混乱」は事の核心(ファクト)をぼかし、フェイクを助長させる結果ともなってきている。


写真説明 NASAは2017年1月6日、火星を周回する無人探査機「マーズ・リコネサンス・オービター」から高解像度カメラで撮影した地球と月の画像を公開した。撮影は16年11月20日で、火星と地球との距離は約2億キロ。赤茶色の大陸はオーストラリア。

バイデン氏、欧州に米国をアピール

 バイデン米新大統領は19日、欧州最大の外交、防衛問題の国際会議「ミュンヘン安全保障会議」(MSC)で演説した。会議は対面ではなく、オンライン形式で行われたが、バイデン氏にとって大統領就任後、最初の国際会議として、その演説内容が注目された。バイデン氏は15分余りの演説で、トランプ前米政権下でぎくしゃくしていた米国と欧州の関係改善に積極的に乗り出す姿勢を強調し、「世界に向かって米国が戻ってきた知らせを発信する。過去(後ろ)を見るためではなく、一緒に未来(前)を見るためにだ」と述べ、欧州首脳関係者にアピールした。

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▲MSCオンライン会合、バイデン米大統領(左)、メルケル独首相(中央)、マクロン仏大統領(右)=MSC公式サイトから

 当方はウィーンからMSC(イッシンガ―議長)のオンライン会合をフォローしたが、その出席陣は文字通り「世界を今、動かしている指導者たち」だ。19日の特別セッションで演説した顔ぶれをその演説順序に従って紹介する。

 先ず、グテーレス国連事務総長、マイクロソフトの共同創業者兼元会長兼顧問のビル・ゲイツ氏、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長、そしてバイデン大統領、メルケル独首相、マクロン仏大統領、欧州連合(EU)のフォン・デア・ライエン委員長、EUのシャルル・ミシェル大統領、北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長、そしてバイデン政権で気候変動対策の大統領特使を担当するジョン・ケリー氏(元国務長官)らだ。各自が15分程度の演説、その後、視聴者からの質問を受ける形式で進行した。バイデン大統領の場合は演説だけで、質問は受けなかった。

 欧米間の北大西洋諸国の安全保障会議ということもあって、日本人の要人は招待されていなかった(第54、第55回MSCには河野太郎外相=当時、第56回は茂木敏充外相が参加)。世界の指導者がその演説の中で日本について言及したのは2、3回程度だった。ストルテンベルグNATO事務総長が中国のアジア海域での軍事的脅威について言及した際、「オーストラリアや日本との連携が重要だ」と述べ、ゲイツ氏が新型コロナワクチンの開発途上国への支援問題で日本の名前を挙げていた。

 バイデン氏は演説の中で、「米国が北大西洋の安全保障分野でその責任を果たすために戻ってきた」と欧州の指導者たちに繰り返し述べ、「民主主義は世界を変えることができると信じている」と主張し、共通の価値観に基づいた連携の重要性をアピールした。具体的には、気候変動抑制に関する多国間の国際的な協定(パリ協定)、WHO、国連人権理事会に復帰したことを宣言し、イランの核合意問題でも欧州3国(英仏独)との連携を強調している。

 その上で、「米国はNATO憲章第5条を遵守する」と述べ、欧州諸国がロシアなどからの軍事的危機の時は米軍が支援に乗り出すことを確約した。ちなみに、米国内同時テロ事件の時、NATO諸国が米国を支援し、アフガニスタンのタリバン対策でNATO軍が米軍を支援してきた。

 注目の対中国政策では、「中国は長期に渡る戦略的競争相手だ」と指摘し、「中国が国際ルールに従って競争を展開する限りには問題ないが、中国企業がルールを違反した場合は厳しく対応しなければならない」と述べる一方、環境問題や新型コロナ対策では中国との協調が欠かせないと強調した。

 メルケル首相はバイデン氏の演説後、「環境問題など世界的な問題を解決するためには中国の関与が不可欠となる」と同調する一方、米国からの同盟国の軍事費アップの要請に応じる姿勢を示した。NATO加盟国は2014年、軍事支出では国内総生産(GDP)比で2%を超えることを目標としたが、それをクリアしているのは現在、米国の3・5%を筆頭に、ギリシャ2・27%、エストニア2・14%、英国2・10%だけで、その他の加盟国は2%以下だ。

 興味深い点は、マクロン大統領が、「EUが米国の信頼できるパートナーとなるためにはEUのパワーアップが重要だ」と述べ、「欧州の安全保障問題は欧州が責任をもって対応すべきで、米国に依存することは間違いだ」との持論を展開させていたことだ。

 そのほか、MSC参加者の演説の中で印象に残った意見、コメントを紹介する。

 ゲイツ氏、「地球温暖化対策は新型コロナウイルスのパンデミック以上に重大事だ」

 テドロス事務局長「ウイルスは人類の共通の敵だ。ウイルス問題を政治化せずに、グローバルな連携が必要」

 フォン・デア・ライエン委員長「環境問題は今、アクションの時だ」「欧州と米国の協調は世界へのシグナルだ」

 ストルテンベルグ事務総長「安保保障問題と環境問題は密接な関係がある」

 世界各分野の指導者10人の演説(正味3時間余り)はボリュームがあった。それにしても毎年ミュンヘンで開催されてきたMSCが如何に大きな国際会議かをそのゲストの顔ぶれから見ても改めて理解できる。MSCは、世界の経済界、実業家、政治家が集まるスイスの「世界経済フォーラム」(通称ダボス会議)に匹敵する国際会議だ。そこから発信されるメッセージは世界を駆け巡るのだ。 

イラン保守派勢力の暴発に警戒を!

 ジョー・バイデン氏が第46代米大統領に就任して以来、イラン当局は忙しくなった。トランプ前大統領が核合意から離脱を表明して以来、核関連活動を徐々に再開してきたテヘランにとって、米国への圧力を高める時が来たという判断があるからだ。

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▲ザリフ外相、米国に無条件の制裁解除を要求(2021年2月19日、IRNA通信から)

 何らかの外交協定から一旦離脱した国が再び加わるというケースは余り多くはないが、皆無ではない。しかし、バイデン米国の場合、トランプ前政権が決定した外交決定を全て元返しにするという暗黙の了承のもとに立たされているだけに、バイデン新政権がイランの核合意に復帰するのが既成事実と受け取られてきた経緯がある。

 米国務省関係者は18日、「欧州連合(EU)の3国(英仏独)がイラン核合意への米国の復帰問題について協議する場を設けるならば、米国は参加する用意がある」と述べる一方、国連安保理事会に対してトランプ前政権のイラン核合意からの離脱決定を無効化する旨を書簡で通達したという。

 外電によると、ブリンケン米国務長官は同日、英仏独外相との協議後、「イランが核合意の内容を遵守するならば、米国も同様の措置を取る意向だ」と述べ、イランに対して協議する用意があることを伝えている。

 イラン核合意への復帰問題は本来、厄介な問題だ。イラン側は「今こそ、押せ押せ外交を展開させる時だ」という判断があるから、攻撃的な外交を展開するだろうし、米国は大国としてのメンツを保ちながら離脱した外交のフレームワークに復帰することになるからだ。要するに、両国の協議再開へのスタートポジションは異なっているのだ。

 イラン核協議は国連常任理事国5カ国にドイツを加えた6カ国とイランとの間で2013年間続けられた末、15年7月に包括的共同行動計画(JCPOA)が締結されたが、トランプ米大統領が18年5月8日、「イランの核合意は不十分」として離脱を表明した。それを受け、イランは「欧州EU3国がイランの利益を守るならば核合意を維持するが、それが難しい場合、わが国は核開発計画を再開する」と主張してきた。

 イランは19年5月以来、欧州3国の経済支援が不十分として、濃縮ウラン貯蔵量の上限を超え、ウラン濃縮度も4・5%を超えるなど、核合意に違反してきた。19年11月に入り、ナタンツ以外でもフォルドウの地下施設で濃縮ウラン活動を開始。同年12月23日、アラク重水炉の再稼働体制に入った。

 ちなみに、イラン核合意では、イランは濃縮ウラン活動を25年間制限し、国際原子力機関(IAEA)の監視下に置き、遠心分離機数は1万9000基から約6000基に減少させ、ウラン濃縮度は3・67%までとなっている。そして濃縮済みウラン量を15年間で1万キロから300キロに減少させることなどが明記されていた。

 そして米国でバイデン新政権が誕生すると、イラン側の米新政権への圧力行使を更に強めてきた。具体的には、イランは昨年12月、ナタンツの地下核施設(FEP)でウラン濃縮用遠心分離機を従来の旧型「IR一1」に代わって、新型遠心分離機「IR一2m」に連結した3つのカスケードを設置する計画を明らかにした。

 そして、今年1月1日、同国中部のフォルドゥのウラン濃縮関連活動で濃縮度を20%に上げると通達。欧米の核専門家は、「濃縮度20%を達成できれば、核兵器用のウラン濃縮度90%はもはや時間の問題となる」と指摘、イラン側が核兵器製造を視野に入れたことの意思表示と警戒している。それに先立ち、イラン議会は昨年12月2日、核開発を加速することを政府に義務づけた新法を可決した。

 そしてイランは2月6日、中部イスファハンの核施設で金属ウランの製造を開始している。金属ウランは核兵器の中核部分に使用できるが、高濃縮金属ウランが必要となる。そして今月15日、未申告の施設に対する抜き打ち査察の受け入れを今月23日に停止すると通告した。イランは追加議定書には加盟していないが、IAEAの抜き打ち査察をこれまで受け入れてきた。

 なお、IAEA査察団は昨年秋、イラン国内の2カ所の未申告の核関連施設から採取されたサンプルから放射性物質の痕跡が発見されたことかから、イランが秘密裡に核開発計画を推進してきた疑いが改めて浮かび上がっている。米国や欧州が懸念している点は、イランの核開発だけではなく、核搭載可能なミサイル開発だ。イランは核搭載可能なミサイル(シャハブ3)実験を行っている。イランは19年8月、イエメン内戦で中距離ミサイルを使用している(「米国の『イラン核合意』復帰は慎重に」2020年11月26日参考)。

 IAEAのグロッシ事務局長は20日、イラン側と協議するためテヘランを訪問するが、イランにとってIAEAとの協議ではなく、米国との協議が急務だ。IAEAは査察検証のツールに過ぎないからだ。ロウハニ大統領は米国の制裁解除を獲得するために、バイデン新政権が対イラン政策の変更を願っている。そのためには米国との協議を再開し、対イラン制裁の解除を要求したいところだ。明らかな点は、イラン側は核協議の新たな交渉には応じる考えはないことだ。

 イランが核関連活動を加速し、核兵器製造に乗り出す気配が出た場合、イスラエルはイランの核関連施設への空爆も辞さないだろう。イスラエルとイラン間で紛争が勃発するようなことがあれば、他の中東地域に混乱が波及することは必至だ。

 外交攻勢をかけるイラン側の現状は深刻だ。米国の対イラン制裁を解除しない限り、イランの国民経済は破産寸前だからだ。同国では6月、大統領選挙が実施される。イラン国内の保守派勢力(イラン革命防衛隊)の暴発を警戒しなければならない(「イラン当局が解決できない国内事情」2020年12月2日参考)。

政治家が好む「会食文化」は廃れない

 菅義偉首相の長男が総務省幹部たちを招き、会食していたというニュースが流れていた。放送関連会社に勤務する長男が総務省幹部を招き、情報交換などをしていた疑いが問題視されている。また、「高級ラウンジ」での会食が追及された自民党の白須貴樹衆院議員の話も報じられていた。「この新型コロナウイルスの感染下でソーシャルディスタンスの2m間隔も取れない高級レストランで会食するとは何事か」といった批判の声が「会食」に関連したニュースには込められている。

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▲国立病院機構東京医療センターのワクチン接種会場を視察する菅首相(2021年2月18日、首相官邸公式サイトから)

 「会食」が悪いのではないことは明らかだ。それでは会食する時期が問題か。感染防止を推奨する立場の政府関係者の会食の場合、批判が飛び出すのは明らかだ。「夜の会食」は営業時間の短縮で難しくなった。感染防止上、注意しなければならないことは言うまでもない。

 ところで、政治家や高級官僚たちの会食報道には感染防止に違反しているからだけではなく、「会食」に公金を使うことに批判が込められているのだろう。高級会食を享受する政治家、閣僚のお歴々に対して僻みもあるだろう。「会食」の恵みから外されている人の「俺も食べたいよ」といった叫びと怒りが含まれているはずだ。

 「会食」する以上、目的はあるはずだ。雰囲気のいい高級レストランのテーブルを囲みながら懇談することも人間関係をスムーズにするうえで助けとなる。それだけではない。会食中、飛び出す情報もある。政治家ならば、問題に対する相手側の立場を探るといった探偵のような目的もあるだろう。

 考えようによっては、わざわざ時間を取って「会食」して話さなくてもスマートフォンの時代だ。メールの1本も送れば、用は済む時代に生きている。国会の審議中ですらスマートフォンを手放さない議員の先生たちだ。ただし、細かい話はそれではできない。証拠が残って困ることもあるだろう。

 ではなぜ会食か? 答えは簡単だ。政治家の先生たちばかりか、官僚、学者たち、そして情報機関関係者も「会食」が好きなのだ。もっと直接的に言えば、公金で日頃味わうことができない高級メニューに舌鼓を打ちたいからだ。もっとシンプルに表現すれば、「何か美味しいものを食べたい」といった動物的な欲望を満たすために、約束をとり、居酒屋ではなく、銀座の「会食」をアレンジするわけだ。

 当方も結構、その「会食」の恵みを受けてきた。多くは外交官や情報機関関係者たちとの食事だ。ジャーナリストの当方は招かれるほうが多いから、「会食」の約束は楽しみだった。当方を招く外交官や情報機関関係者も会食を結構楽しんでいた。日頃はランチ・メニューで済ましていた外交官も「会食」となれば、やはり少しランクの高い食事メニューを注文できる上に、自分の懐が痛むことはないから猶更いいわけだ。

 「会食」を好む外交官は日本人と韓国人の外交官が多かった。「会食」が大好きだった日本人外交官の話だ。彼は会食が終わった頃、小瓶の高級ワインを注文する。持ち帰りだ。もちろん、その代金は会食費の中にちゃんと入れる。要するに、ゲストとの「会食」という名目でワインを自宅で飲むために注文するわけだ。厳密にいえば公金の横領だ。その外交官は任期半ばで東京に人事された。彼は日本大使館公使だった。

 韓国外交官との「会食」は仕事の話より日頃の細やかな出来事について談笑することが多かった。韓国外交官は当方と2人、テーブルに座って食事をしていたが、レストランの別のテーブルでは彼の奥さんと娘さんが食事をしていた。その食事代は当方と韓国外交官の会食代に入れて計算されていた。要するに、「会食」の恩恵を受けるために、奥さんと娘さんが別のテーブルで食事をしていたわけだ。恩恵の分かち合い、というわけだ。

 オーストリア内務省関係者も結構、会食を好む。当方が日本人ということもあってウィーンの日本レストランで会食したことがあるが、彼らは食事をしながら、用件を出すことが多い。オーストリア人の場合、仕事の件で「会食」する時と、家族や知人たちの「会食」では明らかに違うのだ。イスラエルの情報機関関係者とウィーン市内のホテルで1度だけ会ったことがある。彼は名刺を出し、自己紹介した後、直ぐに仕事の話に入った。ゆっくりと会食するといった雰囲気はない。その時のテーマは欧州での北朝鮮の動向だった。

 人は美味しい食事を楽しむ時、心が緩む。口の堅い政治家、官僚も美味しい食事を楽しめば、口が緩み、言ってはならない情報が飛び出すことがある。その意味で、「会食」は情報交換の場ともいえる。新型コロナウイルスの時代、その楽しい「会食」も制限され、政治家の先生や「会食」を享受してきたジャーナリストや著名人も「会食が自由にできる時が来ないかな」と呟いているだろう。

 最後に、注意しなければならない「会食」がある。中国外交官がアレンジする「会食」への招きだ。中国共産党政権は欧米の最先端の知識人、科学者など海外ハイレベル人材招致プログラム「千人計画」を進め、会食、賄賂からハニートラップなどを駆使して相手を引き込み、絡めとるのだ。米ハーバード大の教授や米下院議員もその犠牲となっている。中国共産党政権下の「会食」への招待には要注意だ。“ただ”では済まない。

 不思議な点は、美味しい食事を味わうだけならば、自分の懐から払える人々が「会食」を喜ぶ傾向があることだ。政治家ならば自分の側近たちを食事に招く資金力はあるが、「会食」に招待されると途端、心が揺れるのだ。「会食」には特別な味が加わることを知っているからだろう。「会食文化」は決して廃れることがないだろう。
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