ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2020年11月

テロリストの照準は宗教施設に

 4人が殺害され、20人以上が重軽傷を負った「ウィーン銃撃テロ事件」が起きて来月2日で1カ月が過ぎるが、20歳のテロリストの犯行日の足跡を捜査している警察当局によると、容疑者はユダヤ会堂(シナゴーク)近くのカトリック教会(Ruprechtsk教会)を襲撃する計画だったが、教会の戸が閉まっていたため、断念した可能性があるという。

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▲ウィーン銃撃テロ事件の犯行の場で追悼する宗教関係者(2020年11月6日、ウィーン市内、オーストリア国営放送中継放送から)

 ウィ―ン市1区のカトリック教会では事件の2日午後7時半、16人の青年信者たちが祈祷会を開いていたが、外で銃撃の音が聞こえたために急遽、教会の戸を閉じ、教会内の電気を消した。3日午前2時、治安部隊が教会にきて「容疑者は射殺された」と聞いて、はじめて教会から出ることができたという。16人の青年信者たちは7時間余り、教会内に身を潜めていたことになる。

 このニュースを聞いて、オスロのテロ事件(2011年7月22日)を思い出した。テロリストのアンネシュ・ブレイビクはオスロの政府庁舎前の爆弾テロ後、郊外のウトヤ島に行き、そこで社民系の青年グループの夏季集会を襲撃し、若い青年たちを次々と射殺していった。77人を殺したオスロのテロ事件はノルウェー国民だけではなく、欧州全土に大きな影響を与えた。

 ウィーンの容疑者(犯行現場で特別部隊BEGAに射殺された)が祈祷会を開いている青年信者が集まっていた教会に入っていたならば、オスロのテロ事件のように、多くの青年たちが犠牲となっていたかもしれない。

 幸い、教会にいた若者が素早く判断して教会の戸を閉め、電気を切って身を隠したことで大惨事は防げられたわけだ。教会近くにあるシナゴークの場合にも当てはまることだ。容疑者はシナゴークに入ろうとしたが、犯行時間の午後8時には戸が閉められ、入ることが出来なかった。

 旧東独ザクセン=アンハルト州の都市ハレ(Halle)で昨年10月9日、27歳のドイツ人、シュテファン・Bがユダヤ教のシナゴークを襲撃する事件が発生した。犯人は、シナゴークの戸を銃と爆弾を使って破壊し、会堂内に侵入する予定だったが、戸を破壊出来なかった。

 不幸な実例だが、ニュージランド(NZ)中部のクライストチャーチにある2つのイスラム寺院(モスク)で昨年3月15日、銃乱射事件が発生し、49人が死亡、子供を含む少なくとも20人が重傷した。モスクがオープンだったから、テロリストは自由に侵入できたわけだ。

 ウィーンのテロ事件で「容疑者が教会やシナゴークに入っていたらどうなっていたか」という最悪のシナリオを考える時、関係者の冷静で迅速な判断などもあって惨事は免れたわけだ。不幸中の幸いだった。欧州では「教会は24時間、開いている」と考えられてきたが、テロの襲撃を防ぐためにも、教会は今後、入口には最低1人の警備員を配置し、不必要な時は戸を閉めることなどを実行すべきだろう。

 ウィ―ンの銃撃テロ事件についてはこのコラム欄でも数回報じてきた。事件の容疑者は20歳、北マケドニア系でオーストリア生まれ。2重国籍を有する。シリアでイスラム過激組織「イスラム国」(IS)に参戦するためにトルコ入りしたが、拘束された後、ウィーンに送還された。そして昨年4月、反テロ法違反で禁固1年10カ月の有罪判決を受けたが、刑務所でイスラム過激主義からの更生プロジェクトに積極的に参加し、同年12月5日に早期釈放された。その後、ドイツやスイスのイスラム過激派と交流していたことが判明している。

 捜査が進むにつれて、ウィーン銃撃テロ事件は事前に防ぐことが出来た事件だったことがわかった。オーストリア内務省の「連邦憲法擁護・テロ対策局」(BVT)の対応ミスで事件は起きてしまった。11月26日、事件を調査する独立調査委員会がスタートしたばかりだ(「ウィ―ン銃撃テロ事件は避けられた」2020年11月6日参考)。

 新型コロナウイルスの感染防止のため、クリスマス・シーズンは例年のような華やかさや賑わいはないが、それでもクリスマス市場(オンライン準備)や教会には多くの人々が集うシーズンだ。それだけに、イスラム過激派の襲撃対象となる危険性は高い。

 ネハンマー内相は26日、「シナゴークや教会など宗教関連施設を厳重に警備する」と強調していた。同相によると、テロ対策の特別部隊コブラが教会周辺で警戒に当たるという。オーストリアではこれまで重武装したコブラが公共の建物前や宗教関連施設前で警備することはなかった。

 テロリストが教会やモスクを襲撃するのは、他の場所を襲撃する以上に大きなインパクトを与えるからだ。イスラム教テロリストはキリスト教会を襲撃し、キリスト教を信じる白人テロリストはモスクを襲うことで相手の信仰を抹殺するという強烈な憎悪のメッセージを配信できる。

 参考までに、ウィーン市内で26日午後、停留所近くにいたユダヤ教のラビの傍に、170cm、50歳ぐらいの女性が突然近づいてきて、ラビの頭からキッパを剥ぎ取り、逃げていったという事件があった。目撃者の話ではその女性は手にナイフを持っていた言う。警察当局はテロ事件として調査を始めている。イスラム過激派テロリストはテロを行う際、「神は偉大なり」(アッラーフ・アクバル)と叫ぶが、この女性は「全てのユダヤ人を虐殺せよ」(Schlachtet alle Juden)と叫んでいたという。さまざまな憎悪が至る所で燻り続けている。

「イラン核物理学者暗殺事件」の背景

 テヘランからの情報によると、イラン核計画の中心的人物、核物理学者モフセン・ファクリザデ氏が27日、何者かに襲撃され、搬送された病院で死去した。報道によると、ファクリザデ氏の乗っていた車の前に爆弾を荷台に隠していたトラックが接近し、爆発。他の車両からも銃撃を受けたという。イラン当局は暗殺事件がイスラエルと米国の仕業とみて、報復を誓っている。

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▲暗殺されたイランの核物理学者ファクリザデ氏(イラン国営通信IRNA公式サイトから)

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▲暗殺されたイランの核物理学者シャハリアリ博士のGhasemi夫人がIAEA年次総会のサイドイベントで事件を証言(IAEA総会で、2011年9月20日撮影)

 ところで、イランの核開発に関与していた核物理学者が暗殺された事件はファクリザデ氏が初めてではない。イランでは過去、明らかになっただけで3人の核物理学者が殺害され、1人が行方不明だ。ファクリザデ氏は4人目の犠牲者だ(イスラエルのネタニヤフ首相はファクリザデ氏を「イラン核計画の父」として、警戒してきた)。

 2010年1月12日には、テヘラン大学の核物理学者マスード・アリモハンマディ教授がオートバイに仕掛けられた高性能爆弾で殺害された。同年11月29日には、シャヒード・ベンシュティー大学工学部で核物理学の教鞭を取り、イラン原子力庁のプロジェクトにも関っていたシャハリアリ教授がテヘラン北部の爆弾テロ事件で殺された。もう1人の核科学者は負傷。そして11年7月23日には、テヘランの自宅前で同国の物理学者ダリウシュ・レザイネジャド氏が何者かに暗殺されている。また、同時期には同国核物理学者のシャラム・アミリ教授がサウジアラビアへ巡礼に行って以来、行方不明となっている。

 ちなみに、駐国際原子力機関(IAEA)のイラン代表部は11年9月、第55回年次総会でテロで殺害された同国の核専門家の未亡人を招き、核物理学者連続暗殺事件の実態を報告するイベントを開いている。

 イランの核物理学者連続暗殺事件が起きた10年と11年にかけ、IAEAは「イランが不法核開発計画(ミサイル搭載用核弾頭開発活動継続など)の疑いがある」と重ねて指摘していた。今回もウィーンに本部を置くIAEAは今月18日、オンライン形式で定例理事会を開催したが、冒頭演説でグロッシ事務局長はイランの核問題に言及し、「未申告の核関連施設でウラン粒子が見つかった」として、イラン側に説明を求めたばかりだ。要するに、核物理学者暗殺事件はイランの核開発計画で不審な点が見つかった時期前後に起きているのだ。偶然ではないだろう。

 「イラン核物理学者連続殺人事件」について、2通りの見方がある。一つは、イランの核開発計画を懸念するイスラエルがモサド(イスラエル諜報特務庁)を送って暗殺したという「イスラエルの犯罪」説だ。もう一つは、殺害された核物理学者は反体制派活動に近い人物たちだったので、イラン当局がテロに見せかけて粛清した「イラン当局の犯罪」説だ。

 イランのアハマディネジャド大統領(当時)は2010年11月29日、「イスラエルと米国が関与している」と批判した。例えば、独週刊誌シュピーゲルは、ダリウシュ・レザイネジャド氏殺害事件を「イスラエルの犯罪」と受け取っている。その一方、米紙ニューヨーク・タイムズはアリモハンマディ教授殺人事件では「イラン当局が反体制派の核物理学者を粛清した」という説を支持している、といった具合で、メディアでも見方が分かれていた。

 ファクリザデ氏の暗殺に対し、イランのザリフ外相は、「イスラエルが関与した兆候がある」と指摘している。当方は米国のCIA(米中央情報局)の支援を受けたモサドの関与説に同意する。暗殺用の爆弾、車などを用意し、犠牲者の日程を事前に把握し、実行できるのはやはりモサドの関与なくしては考えられないからだ。その意味でザリフ外相の指摘は当たっているだろう。

 看過できない点は、暗殺が行われた時期だ。先述したように、IAEAの年次総会でのグロッシ事務局長が指摘した「未申請の核関連施設でウラン粒子が見つかった」と警告した直後だ。同時に、11月3日に行われた米大統領選でジョー・バイデン氏(前副大統領)がホワイトハウス入りする可能性が出てきたことで、トランプ政権とイスラエル両国の蜜月関係に終止符が打たれるかもしれなくなったことだ。

 トランプ米大統領は2018年5月、国連安保常任理事国(米英仏ロ中)にドイツを加えた6カ国とイランとの間で13年間の外交交渉の末に締結した核合意から離脱を表明した。トランプ大統領曰く、「核合意は不十分であり、イランの大量破壊兵器製造をストップできない。また、同国は世界各地でテロを支援してきた」と主張し、イラン核合意の離脱理由を説明した。トランプ政権は2017年12月、エルサレムをイスラエルの首都と正式に公認し、駐イスラエル米大使館をテルアビブからエルサレムに移転する一方、昨年3月25日には「ゴラン高原はイスラエルの主権」と正式に認める文書に署名するなど、親イスラエル路線を走ってきた。

 一方、バイデン氏は9月の選挙戦でイラン核合意への復帰の可能性を示唆するなど、トランプ政権とは異なった中東政策を実行する可能性が見られることだ(「米国の『イラン核合意』復帰は慎重に」2020年11月26日参考)。

 以上、イランの核物理学者暗殺事件はその実行時期からみて、イランの核計画を絶対に許さないイスラエル側の関与があったと考えざるを得ないのだ。イラン側がイスラエルへの報復を表明しているだけに、米・イスラエルとイラン間は一層緊迫することが予想される。

「神の手」と「見えざる手」の黙示論

 サッカーの元アルゼンチン代表、ディエゴ・マラドーナが25日死去した。60歳だった。ブラジルの伝説的サッカー界の大御所ペレさん(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)と共にサッカー界が誇るスーパースターだったが、当方などはマラドーナの名前を聞けば、どうしても1986年のメキシコ開催のワールドカップ(W杯)でのマラドーナの「神の手」を思い出す。具体的には、準々決勝の対イングランド戦でマラドーナがゴール前でゴールキーパーより先にボールに手が触れ、ゴールしたことだ。ゴールはそのまま認められ、その直後「神の手」と呼ばれる伝説が生まれた。名選手には伝説が付きまとうが、マラドーナの「神の手」はその表現の奇抜さもあって彼の生涯に付きまとってきた(ビデオ判定では主審の誤審)。

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▲ミケランジェロの「最後の審判」

 ここではマラドーナへの追悼コラムを書くつもりはない。テーマは「我々の時代に働く神の手」だ。マラドーナに働いた「神の手」はサッカーのピッチ上だけではない。例えば、18世紀の英国の経済学者アダム・スミスは「国富論」の中で市場主義システムはそれ自身が「自己完結的」と指摘したが、「市場は見えざる手でコントロールされている」という箇所がある(「神の見えざる手…」という表現ば後日、誇張されて伝わっていったといわれている)。

 その「見えざる手」はマラドーナに働いた「神の手」と意味する内容は似ている。両者とも事例の動向を左右するが、舞台表には出ず、一見不可視だという点だろう。

 ところで、新型コロナウイルスの世界的感染拡大を受け、世界経済は停滞し、マイナス成長に陥る国が増えてきた。本来ならば、財政赤字の削減が国の経済政策の大きな柱だが、そんな綺麗ごとを言っている時ではないとして、「新型コロナ感染から国民経済を守るため」という理由で企業支援をはじめ各種の営業の補助や失業者対策のために天文学的な財政赤字を積み重ね、公的債務は最高レベルに達している。

 要するに、covid-19の感染拡大で国民経済をもはや「市場の目に見えない手」に委ねておけなくなってきたとして、国家が積極的に経済活動に介入してきているわけだ。一見、「小さな政府」から「大きな政府」への回帰にみえる。

 世界から実業家、学者、政治家を招きスイスで毎年開催される通称「ダボス会議」と呼ばれる「世界経済フォーラム」(WEF)は来年の主要テーマを「グレート・リセット」(The Great Reset)と決め、新しい経済システムの構築を考えていくという。

 WEF公式サイトによると、「グレート・リセットとは、協力を通じてより公正で持続可能かつレジリエンス(復元力)のある未来のために、経済・社会システムの基盤を構築するというコミットメント」と定義し、その上で「社会の進展が経済の発展に取り残されることのない、人間の尊厳と社会正義を中心として、新しい社会契約が必要だ」と明記している。

 既成の経済、社会システムが機能できず、新しい経済システム、社会体制を構築しなければならない状況に対応するために、「株式資本主義」から「ステークホルダー資本主義」への移行を主張する経済学者もいる。「貧富の格差」是正を叫び、地球温暖化の防止を叫ぶ人々には、「グレート・リセット」論を理想社会が実現する時代の到来といった一種の革命前夜のような熱気すら感じる。

 ただし、新旧の秩序の移行時、葛藤や混乱が生じやすい。「グレート・リセット」論に対し、労働者の天国を標榜して登場した共産主義の影を感じて警戒する人も少なくない。それは理由なき懸念とはいえない。歴史を見る限り、人類は「グレート・リセット」を成功裏に乗り越えてきたとはいえないからだ。例えば、共産主義社会の台頭に理想社会を描いた人々はその後、失望と絶望を味わっただけではなく、数千万人の命を犠牲にしてきた。

 「聖書の世界」でも何度も「グレート・リセット」を迎えたことが記述されている。「ノアの洪水」も「グレート・リセット」だったはずだ。8人のノア家族を残して人類は滅んだ。「第2の天地創造」の時だった。また、エジプトで奴隷生活をしていた60万人のユダヤ民族がモーセに率いられてカナンに向かった「出エジプト」も「グレート・リセット」だったはずだ。

 人類最大の「グレート・リセット」といえば、2000年前の「イエスの降臨」だろう。興味深い点は、「ノアの時」、「モーセの時」、そして「イエスの時」も「グレート・リセット」はスムーズには展開できず、多くの犠牲者が出、時代の大変革は延長されてきたことだ。イエスの時では、イエス自身が「悪魔の頭ベルゼブル」と罵倒され、イエスは十字架で亡くなったために、再臨を約束せざるを得なくなった。

 参考までに、著名な哲学者ギュンター・アンダースは生前、「原爆の投下はホロコーストと同じく人類最大の非人道的な行為だ」と述べ、広島・長崎への原爆投下を人類歴史にとって「グレート・リセット」だったという認識を示している。

 21世紀の「グレート・リセット」が人類の幸福を高め、公平、平等な世界構築へと導く機会となるかは不明だが、マラドーナの死を契機に「神の手」という表現がメディアで話題となり、市場経済をコントロールしてきた「見えざる手」が行き詰まり、新しい世界の構築を求める声が各方面から高まってきている。新型コロナ感染の拡大に苦闘する我々の「時代」が明らかに大きな転換期に遭遇していることを示唆しているわけだ(「『夜の神』の時代がやってくる」2018年8月11日参考)。

 「まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」(アモス書3章7節)という聖句が蘇る。時代の移り変わりの時、必ずそれを暗示する何らかの出来事、現象がキャッチできるというのだ。

女性テロリスト「ルガーノ襲撃テロ」

 スイス南部ティチーノ州の都市ルガーノで24日午後2時頃(現地時間)、市内の大手百貨店マノール(Manor)で買物をしていた2人の女性がナイフで刺され、1人は重傷を負い、もう一人は軽傷という事件が起きた。ティチーノ州警察 Matteo Cocchi 長官によれば、「現場で逮捕された女性容疑者(28)はティチーノ州に住むスイス人で、イスラム教に改宗した後、イスラム過激派テロ組織『イスラム国』(IS)のシンパとなった。容疑者は2017年以来、治安関係者には知られていた」という。

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▲ISのイスラム過激主義者たち(スイスのkatholisches.infoから)

 容疑者が現場で「アラーは偉大なり」と叫んだという目撃者の証言がある。同国連邦検察当局は「事件はテロ」と断定し、連邦警察庁 (Fedpol)は 捜査を開始した。

 容疑者はマノールの5階ピザ店「ダンテ」近くにいた女性を手で首を抑え、2人目の女性をナイフで首を刺して負傷させた。容疑者は百貨店内にいた人に止められ、駆け付けた警察官に取り押さえられた。容疑者は同百貨店の家庭用品売場にあった調理用ナイフを奪って使用している。

 捜査当局によると、容疑者はSNS(ソーシャル・メディア)を通じてイスラム過激派戦士の男性と知り合い、彼に会うためにシリアに行く考えだったが、トルコで拘束され、スイスに強制送還されている。容疑者は精神的問題を抱えているとして治療を受けた。それ以降、特別な動きはなかった。それに対し、「容疑者はその後、急速に過激化していった。状況は非常に深刻だ 」という声が聞かれる(「デア・ターゲスシュピーゲル」電子版11月25日)。

 Fedpolのニコレッタ・デラ・ヴァレ長官(Nicoletta della Valle)は「ルガーノのテロ事件は驚かない。海外で一連のテロ攻撃が起きている。スイスもその意味で例外ではないだけだ」と述べている。

 スイスの連邦情報機関(NDB)は10月末に治安年次報告書を発表したが、「欧州ではISに扇動されたイスラム過激派によるテロが頻繁に起きる。スイスもイスラム過激派のターゲットになっても不思議ではないが、彼らの第一目標ではない」と記述している。スイス治安関係者は11月2日の「ウィーン銃撃テロ事件」以来、警戒態勢を強めてきた。

 音楽の都ウィ―ン市中心部で2日午後8時(現地時間)、北マケドニアとオーストリアの2重国籍を有する20歳のテロリストが通行人を4人射殺し、23人に重軽傷を負わせた銃撃テロ事件が発生した。ウィーンのテロリストはISのシンパであり、シリアに入国してISに合流しようとしたところトルコ当局に拘束され、オーストリアに強制送還。昨年4月、禁固1年10カ月の有罪判決を受けた(彼は刑務所内の非過激化更生措置を受け、イスラム過激主義から決別したと受け取られ、同年12月に早期釈放されている)(「ウィーン銃撃テロ事件は避けられた」2020年11月6日参考)。

 ロイター通信によると、オーストリアのクルツ首相はツイッターで、「ルガーノで起きたイスラムのテロリストの攻撃を強く非難する。われわれは欧州でのイスラムのテロに対して連帯で対応する」と表明している。

 中立国スイスは過去、イスラム過激派テロ事件とは余り関係がないように受け取られてきたが、国内には数百人がイスラム過激主義を信奉し、イラク、シリアなどの紛争地に行った者がいる。例えば、チューリッヒ市近郊ヴィンタートゥールの2人の男性は11月2日ウィーン市で起きた銃殺テロ事件の容疑者と今年7月に会っていた容疑で逮捕されている。

 スイス連邦検察当局は今年9月、スイス、ヴォー州のレマン湖畔のモルジュのケバブ店でポルトガル人(29)をナイフで殺害したテロ事件の容疑者として1人のスイス国籍を有するトルコ人を逮捕している。

 ちなみに、スイスで2009年11月29日、イスラム寺院のミナレット(塔)建設を禁止すべきかを問う国民投票が実施され、禁止に賛成57%、反対43%で可決された。その後、スイス南部のティチーノ州で2013年9月22日、ブルカや二カブなど体全体を隠す服の着用禁止の是非を問う住民投票が行われ、州国民の約65%が「公共の道路、広場で顔を隠してはならない。また、性別に基づいて他者に顔を隠すように強制してはならない」というブルカ着用禁止を支持するなど、スイスでは急速に外国人(他宗教)への排斥傾向が強まってきている。スイスの外国人率は約25%だ(「ミナレット建設禁止可決の影響」2009年12月1日参考)。

 IS専門家ヨハネス・ザール氏は、「シリアのカリファト(イスラム帝国)の夢はつぶれたが、ISシンパは欧州で戦いを続けている。彼らの主要目的は社会を分裂させることだ」と警告。その上で、「ISでは女性の役割が評価されてきたが、あくまでも男性を支援する立場だ。ルガーノのテロ事件のような女性テロリストは珍しい」という(スイス「katholisches.info」11月25日)。

米国の「イラン核合意」復帰は慎重に

 4年ごとに実施される米大統領選挙が終わると、首都ワシントンでは多くの人々が引っ越しし、新たにワシントン入りした人々は住居を探す風景が見られるという。同じように、ホワイトハウスの主人が変われば国際間の条約や契約が破棄されたり、修正されたりしたら、国際条約の信頼が揺れ、条約締結国にも混乱を与えることになるが、共和党と民主党の2大政党が大統領選ごとに政権を争う米国の場合、避けられない現象かもしれない。

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▲核エネルギーの平和利用促進を担う国際原子力機関(IAEA)本部

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▲オーストリアを公式訪問したイランのロウハニ大統領(左)=2018年7月4日、オーストリア連邦首相府で撮影

 当選に必要な「選挙人270人」を獲得した後、新政権の組閣づくりに入っているバイデン氏(前副大統領)は「政権発足後は地球温暖化対策の国際的な枠組み『パリ協定』と共にイランとの間で締結した核合意に再加入する意向」を既に表明している。その発言を受け、2015年7月に核合意を締結したドイツ、フランス、英国ら欧州勢は歓迎姿勢を示す一方、当事国のイランも「交渉に応じる姿勢」を示唆している。

 トランプ米大統領は2018年5月、国連安保常任理事国(米英仏ロ中)にドイツを加えた6カ国とイランの間で13年間の外交交渉の末に締結した核合意からの離脱を表明した。トランプ米大統領曰く、「核合意は不十分であり、イランの大量破壊兵器製造をストップできない。また、同国は世界各地でテロを支援してきた」と主張し、イラン核合意の離脱理由を説明した。

 それに対し、イラン側は、「わが国は核開発の意図がないことを何度も主張してきた。最高指導者ハメネイ師がイスラムの教えで大量破壊兵器の製造は禁止されているとして、その旨をファトワ(Fatwa、宗教令)で表明した」と強調し、理解を求めたが、政教分離を建前としている国にとって、ファトワといわれても信頼できないから、イランの非核化への圧力はこれまで続けられてきた。

 イラン核合意では、イランは濃縮ウラン活動を25年間制限し、国際原子力機関(IAEA)の監視下に置く、遠心分離機数は1万9000基から約6000基に減少させ、ウラン濃縮度は3・67%までとし(核兵器用には90%のウラン濃縮が必要)、濃縮済みウラン量を15年間で1万キロから300キロに減少などが明記されていた。

 米国の核合意離脱後、イランは、「欧州連合(EU)の欧州3国がイランの利益を守るならば核合意を維持するが、それが難しい場合、わが国は核開発計画を再開する」と主張。イラン核合意を堅持したい英仏独は米国のイラン制裁で被る損害を可能な限り補填する「特別目的事業体」(SPV)を設立し、イランに投資する西側企業を支援する政策を実行してきたが、米国企業との取引を懸念する西側企業はイラン市場から撤退。イランから原油輸入はストップした。

 それを受けて、イラン側は濃縮ウラン貯蔵量の上限を超え、ウラン濃縮度も4・5%を超えるなど、核合意に違反。そして昨年11月に入り、フォルドウの地下施設でも濃縮ウラン活動を開始した。同年12月23日、イランはアラク重水炉の再稼働体制に入ってきた、といった具合だ。

 ウィ―ンに本部を置くIAEAは今月18日、オンライン形式で定例理事会を開催したが、冒頭演説でグロッシ事務局長はイランの核問題に言及し、「未申告の核関連施設でウラン粒子が見つかった」として、イラン側に説明を求めたばかりだ。また、IAEAは先日、イラン最新報告書を提出したが、そこでイランが核合意で決まった上限を12倍上回る低濃縮イラン貯蔵量を有していると指摘している。

 米国や欧州が懸念している点は、イランの核開発だけではなく、核搭載可能なミサイル開発だ。イランは核搭載可能なミサイル(シャハブ3)実験を行っている。イランは昨年8月、イエメン内戦で中距離ミサイルを使用している。

 バイデン氏は9月の選挙戦でトランプ大統領のイラン核合意からの離脱を「失敗」と断言し、「トランプ大統領がイラン・イスラム革命防衛隊ゴッツ部隊のソレイマニ司令官を暗殺したためにイランが米軍基地を攻撃する原因となった」と述べている(米軍は今年1月3日、無人機を使ってイラクのバグダッドでイラン革命部隊「コッズ部隊」のカセム・ソレイマニ司令官を殺害した)。

 同司令官はイラクばかりか、シリア、レバノン、そしてイエメンなどで親イラン派武装勢力を支援してきた人物であり、数多くのテロ襲撃事件の黒幕の1人だ。その意味でソレイマニ司令官は国際テロ組織「アルカイダ」の指導者ウサマ・ビンラディンやイスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)の指導者アブバクル・バグダティと同様、欧米諸国では危険人物だったことは間違いない。

 にもかかわらず、バイデン氏はソレイマニ司令官がテロ活動を指揮してきたことには全く言及せず、「イランの米軍基地攻撃の原因となった」としてトランプ大統領を非難したわけだ。バイデン氏はどちら側を向いて話しているのだろうか。バイデン氏の対イラン政策には一抹の不安を覚えるのはイスラエルだけではない。

 米国はイラン核合意への復帰にはテヘランに明確な条件を提示すべきだ。先ず、IAEAが今回指摘した未申告施設で発見されたウラン粒子の原因について明確に説明すること、そしてウラン濃縮活動を合意内容の水準に戻すことだ。米国の「イラン核合意」復帰は慎重であるべきだ。

 ただし、国際社会の制裁下にあって、イラン国民の生活が困窮している。特に、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、同国の医療機関は医薬品、機材不足で深刻な状況にある。国際社会はイランに医療器材、医薬品など人道支援を早急に実施すべきだ。

ウィ―ン市長から誕生日カード届く

 私的なことで申し訳ないが、当方はウィ―ン市のミヒャエル・ルドヴィク市長から誕生日カードを頂いた。今月は当方の誕生日の月だ。手紙は10日前に届いた。ウィ―ン市議会選(10月11日)も終わったばかりだから、選挙運動ではない。当方は同市長を個人的には知らない。封筒を急いで開けると、中身は誕生日カードだった。仕事柄「どうしてウィーン市長は当方の誕生日を知っているのだろうか」と先ず疑ったが、誕生日カードをもらって文句を言うのは品性がないと考え直した。ちなみに、当方宛ての誕生日カードは今年は市長のカードが第一号だった。

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▲ルドヴィク市長から届いた誕生日カード

 当方の誕生日は11月だが、これまでウィ―ン市長から誕生日カードをもらったことがない。どうして今年に限って、と考えてしまう。新型コロナウイルスがウィ―ン市でも急速に拡大しているが、それと誕生日カードとは関係がないだろう。

 カードの内容は個人的なものはなく、「誕生日おめでとう。健康な日々をお過ごしください」といった文句が印刷されていた。そうだ。多分、この誕生日カードは宛名と住所を変えればどこでも通用するようになっているのだろう。その意味で、当方は驚いたり、特別感謝すべきことではないのかもしれない。

 日本の政治家は選挙区の住民の誕生日や記念日には手紙などを送ると聞いたことがある。政治家であるためには選挙区民の誕生日をリストアップして、こまめにカードを送るぐらいの気配りがなければ当選はおぼつかない、といわれている(真偽は知らない)。

 ウィーン市議会選は大方の予想通り、ルドヴィク市長の社会民主党がダントツでトップ、戦後から続いてきた“赤の砦”を守った。第2党は連邦与党の国民党、そして「緑の党」と続く。ルドヴィク市長は選挙後、「緑の党」との連立をやめ、リベラル政党「ネオス」と初の連立政権を樹立したばかりだ。現地のメディアは「社民党、初のリベラル政党との連立」と報じていた。ウィーン市議会で新しい風が吹くかもしれない(「コロナ禍の選挙で極右『自由党』大敗北」2020年10月13日参考)。

 当方が忘れることが出来ないウィ―ン市長といえば、ヘルムート・ツィルク氏(Helmut Zilk)だ。オーストリア国営放送のジャーナリスト出身で教育相を歴任し、奥さんは有名な女優さんだ。1984年から10年間、ウィ―ン市長を務め、国民から絶大の人気があった。

 ツィルク市長は親日家として有名で、ドナウ川地域開発計画で日本の野村開発関連企業と連携していた。当方は市長と市長室で会談したが、会見が終わる前に「君、新しい住居を探しているのなら、僕が世話してあげるよ」と突然言い出した。当方は当時、住んでいるアパートに満足していたので「ありがとうございます。目下、大丈夫です」と答え、丁重に断った。ツィㇽク氏は親分肌で世話好きの性格で有名だったが、市長からアパートの紹介を受けた時はやはり驚いた(「元ウィ―ン市長のスパイ容疑」2009年3月24日参考)。

 ウィーンでは引っ越しがつきものだ。モーツァルトもベートーヴェンもウィーンでは10回以上引越しを繰返している。彼らは居住ではやはり苦労したのだろう。今年生誕250年を迎えたベートーヴェンは「衣服を着替えるように、住居を転々した」といわれている。そのお陰というべきか、ウィ―ン市内にはベートーヴェン所縁のハウスや場所が多く、どこも観光客で溢れる。

 ウィーンでは同じ住居に長く住むことが難しいのかもしれない。だから、ツィルク元市長は異国からのジャーナリストにも「引っ越ししなければならないことがあれば、お世話するよ」と気を遣ったのかもしれない、と今は考えている。

 同市長は手紙爆弾テロ事件で指を失うなど、波乱万丈の生涯を全うして2008年10月、亡くなった。当方はその後、ウィーン市長との個人的な接触はほとんどなかった。ミヒャエル・ホイプル前市長はワイン好きでサッカーでは「FKオーストリア」ファン、24年間市長の座に君臨した。その後釜にルドヴィク市長が就任した。派手さはないが、仕事を確実にする実務派タイプだ。「労働者の政党」社民党出身といった看板を掲げることは少なく、左派臭くない政治家だ。

 「誕生日カードの話」に戻る。最近はスマートフォンで誕生日メッセージが送られてくる。ルドヴィク市長のような手紙で誕生日カードを送るといったやり方は珍しくなった。それだけに、というか印象は残る。Eメールで誕生日メッセージが送られていたならば、当方は間違って消却していたかもしれない。手紙は送り手には少々手間かかるが、それだけに受け手の注意を引き付けることができる。効果という点では手紙はメールを凌ぐかもしれない。少なくとも、当方にとってはそうだ。

 最後に、「誕生日」に関連するマーク・トウェインの言葉を記す。

「人生で一番大切な日は二つある。生まれた日と、なぜ生まれたかを分かった日」

「聖ニコラウスの日」を救え!

 本来ならば、そう、本来ならば11月に入れば、欧州各地でクリスマス市場が開かれ、訪れる人で賑わうシーズンだ。しかし、今年は全てがうまくいかないのだ。欧州最大規模のウィーン市庁舎前広場のクリスマス市場も来月6日まで続く第2次ロックダウン(都市封鎖)の外出制限が解けるまで本格的な営業は出来ない状況だ。クリスマス・ツリーは立ったが、そのツリーも「運搬中に枝が落ちたのではないか」といわれ、例年のような生き生きしたツリーではない、という市民の声が聞かれる。ついていない時はツリーまでもそうなのだ。

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▲「聖ニコラウスをコロナ規制の対象外に」と報じるウィ―ンのメトロ新聞「ホイテ」2020年11月23日

 オーストリアでは今月17日から24時間の外出制限など第2次ロックダウン(都市封鎖)の追加措置が施行された。クルツ政権は12月のクリスマスの祝日を救うためには新規感染者数を減少させないと大変となるという判断から、第2次ロックダウンを決意したのだ。

 思い出してほしい。今年の復活祭(イースター)を迎えるために、第1次ロックダウンが始まった。クルツ首相は当時、「イースターを一緒に迎えるために…」という理由からロックダウンを行った。イースターはクリスマスと共にキリスト教の2大祝日だ。その2大祝日を教会で家族と共に祝うのが欧州では伝統だ。信仰とは別に、イースターとクリスマスは欧州人にとって最大のイベントだ。

 ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ教皇フランシスコは今年の復活祭をサンピエトロ広場で信者もいない中で挙行したが、「何か言い知れない不気味さを感じた」と述懐している。羊たちのいない広場に立って、羊飼いの教皇はその静けさに圧倒されたのだ。

 欧州では政治家も国民も今年のクリスマスを何とか救いたいという一念が強い。国民はそのために2週間半余りの第2次ロックダウンを忍耐して過ごしている。念のために繰り返すが、国民が新型コロナの感染拡大に直面して急に信仰深くなったとか、敬虔になったからというのではない。毎年祝ってきた1年で最大の祝日クリスマスを迎えたいだけだ。クリスマスを通過しない限り、新年を迎えることもできない。クリスマスを祝わず、ニューイヤー・コンサートは聞けないのだ。

 ところで、クリスマスを前に、厄介な問題が出てきた。第2次ロックダウンの最終日は12月6日だ。その日は「聖ニコラウスの日」の日だ。聖ニコラウスは3、4世紀の小アジアの聖職者ニコラウス司教で、サンタクロースのモデルとなったといわれている人物だ。オランダでは聖ニコラウスの命日を「シンタクラース祭」と呼ぶ。米国に移住したオランダ人が17世紀、「サンタクロース」として伝え、今日に至っているという(サンタクロースの起源についてはさまざまな説がある)。

 その「聖ニコラウスの日」に衣装をつけた男性が家々を訪ね、子供たちに小さな贈物をする慣習(ニコロ祭り)があるが、今年の「聖ニコラウスの日」はまだコロナ規制下にある。聖ニコラウスが家を訪問し、子供にプレゼントをすることは本来厳禁だ。対人接触は感染の危険が高いからだ(アメリカ産のサンタクロースは、クリスマス・イブの夜にトナカイに乗ってプレゼントを運ぶ。オーストリアでは Christkind=イエスからプレゼントがくる。要するに欧州の子供たちは、2度プレゼントがもらえるわけだ)。

 そこで「聖ニコラウスの祝日」にプレゼントを期待している子供たちの夢を適えさせたいという思いから、新型コロナの規制下でもなんとか「聖ニコラウスの日」を救うことが出来ないかと悩む人が出てくるのだ。

 チロル州の野党「ネオス」のドミニク・オーバーフォーファ党首は22日、「コロナ感染防止のため子供たちは既に多くのことを断念してきた。聖ニコラウスからの贈物までも諦めて、というのは余りにも酷だ」と主張し、連邦政府に再考を促している。

 聖ニコラウスやサンタクロースはイエスの生誕とは関係がないから、子供たちに「聖ニコラウスもサンタも架空の人物だ」といって説得することはもっと酷だろう。そこで「聖ニコラウスをコロナの規制対象外にすればどうか」という意見が出てくる。聖ニコラウスは子供と接触することなく、垣根越しから子供たちにウインクし、プレゼントを庭先に置いていけば接触しなくて済む。

 「ネオス」の党首だけではない。チロル州の極右党「自由党」は「新型コロナ検査で陰性となった聖ニコラウスだけが子供を訊ねることが出来るようにすればいい」と提案している。新型コロナ検査の陰性証明書を所持した聖ニコラウスだけがコロナ規制の対象外となるというわけだ。

 ところで、陰性証明書を持ちながら、一軒一軒子供を訊ね、プレゼントを渡す聖ニコラウスの姿を想像してほしい。しっかりした子供なら自分の家を訪ねた聖ニコラウスに向かって「おじさん、陰性証明書を持っているでしょうね」と尋ねると、聖ニコラウスはポケットからコロナ検査陰性を証明する紙を見せる、といったシーンがみられるかもしれない。時代が変わったのではない。新型コロナがキリスト教社会の文化をダメにしているのだ。

 ちなみに、聖ニコラウスが幼稚園を訊ね、子供たちに贈物を渡す楽しい伝統も、幼稚園側から「イスラム系の子供が多く、親の反対もあるので訪ねてこないで」とやんわり断られ、ニコロ祭りをしない幼稚園が増えたという。やはり、時代は変わったのかもしれない。
  

中国外務省報道官の「発言」から学ぶ

 産経新聞電子版(11月21日付)を開いて国際記事をフォローしていたら、「中国外務省報道官『目を突かれて失明しないように注意しろ』」という見出しを見つけ、驚くというより、外務省高官がそんなえげつない表現で相手を恐喝していいのかと、呆れてしまった。

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▲中国の代表的攻撃型外交官、趙立堅報道官(RFIより)

 中国語からの日本語訳だから、原語でもそのようなきつい表現だったか当方は確認できないが、「目を突かれて失明しないように注意しろ」という台詞はどうしても国の代表者の一人でもある外務省の報道官が発する言葉ではないだろう。品性があるなしの次元ではない。

 その報道官は趙立堅氏。何をそんなに激怒して喧嘩腰となっているのだろうか。産経の記事を読むと、5カ国が機密情報の共有枠組み「ファイブ・アイズ」の活動に文句をつけ、「中国の主権、安全、発展利益を損い、香港独立の主張を宣伝したり、支持したりすることは許さない」という脈絡の中で飛び出した台詞という。

 趙立堅報道官は「戦う狼」と呼ばれている著名な外交官だ。北京から派遣された外交官は相手が中国側の要求を受け入れないとリングに上がったボクサーのように拳を直ぐに振るい始めるといわれるが、その代表的外交官だ。知力とやる気はあるが、欧米では中国外交官の「戦狼外交」は評判が悪い(「世界で恥を広げる中国の『戦狼外交』」2020年10月22日参考)。

 第2の冷戦時代といわれ、欧米と中国との関係は険悪だが、言葉のやり取りでは既に冷戦は始まっているという感じだ。「目を突かれて失明しないように注意しろ」にはユーモアの余地もまったくない。ただ、野蛮な暴言に過ぎない。それを中国のエリート外交官は発したのだ。

 政治家や外交官の語る言葉には、リップ・サービスと呼ばれるように、本音を隠して表面的には丁重な言葉遣いが多い。しかし、会議後、政府首脳が側近に「あのバカなやつは何も分かっていない」とこき下ろすことがある。それにしても「目を突かれて失明しないように…」という台詞は臨場感あふれる表現だけに、恐れすら感じる。迫力があるのだ。

 もちろん、趙立堅報道官が野蛮な言葉を外交の世界で最初に語った外交官でも、政治家でもない。思い出すのはイランのマフムード・アフマディネジャド前大統領が「イスラエルを地上の地図から抹殺してしまえ」と暴言を発し国際社会の反感を買ったことだ。イスラエルとイランは久しく険悪な関係で、双方が非難しあっているが、前大統領の「地図から抹殺する…」という台詞は恐ろしいほどリアルな強迫なだけに、イスラエル側も緊張しただろう。

 現代社会での「言葉の乱れ」を指摘する有識者が多いが、今始まった現象ではない。言葉、ロゴスの乱れはやはり深刻だ。感染症の新型コロナウイルスは世界で多くの人々を犠牲にしているが、言葉も新型コロナと同じく、多くの人々を殺してきた。

 言葉は人に勇気と知恵を与える手段だが、同時に、相手を殺す手段ともなる。言葉は銃やナイフと同様、人を殺すことができるのだ。言葉によるモビング(組織的ハラスメント)は現代版殺人だ。ナイフで刺された傷跡は時間の経過とともに治療することがあるが、言葉で傷ついた跡はなかなか癒されないばかりか、生涯つきまとうことがある。

 新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。全てのものこれによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」は有名な聖句だ。換言すれば、人間を含む森羅万象はロゴスが質量を帯びて物質化したものといえるわけだ。そのロゴスの実態というべき人間が発する言葉が乱れてきているのだ。

 精神分析学の創設者ジークムント・フロイトは患者が語る言葉を分析することで「無意識の世界」のロゴスに辿り着く分析学を開発した。フロイトにとって「言葉」が不可視の世界の道案内人だったわけだ。フロイトが先述した中国外務省報道官の発言を耳にしたら、どのような診察を下すだろうか。

 「言葉の乱れ」はその人の「心の乱れ」の表れとすれば、我々の心の世界は乱れだしていることになる。中国報道官の「目を突かれて失明しないように注意しろ」の発言はその極地かもしれない。中国の外交官だけではない。言葉の乱れは世界的現象だ。言葉を生活の糧とするメディアの世界も例外ではないだろう。

 「言論の自由」「冒涜の自由」を主張した結果、どのような状況が起きているかを世界の人々は今、目撃している。たかが言葉、されど言葉だ。繰り返すが、言葉は相手の心を永遠に傷つけるパワーをもっている。同時に、相手の心を慰め、勇気を与える力がある。後者の言葉が社会で溢れる時、きっと少しは善き社会となっているのではないか。先の中国外交官の発言はその意味で立派な反面教師だ。

バチカンが防戦する「不都合な事実」

 バチカン・ニュース(独語版、11月20日)を開くと、「故ヨハネ・パウロ2世の列聖は急いで実行されたのではない」という見出しの記事が目に入ってきた。このタイトルを見る限りでは、27年間、ローマ教皇を務めたポーランド出身のヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月〜2005年4月)の列聖は早すぎた、という批判が前提にあることが分かる。そして、「その批判」はやはり正しかったのではないか、という思いが湧いてくる。

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▲バチカンのヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世の列聖式=2014年4月27日、オーストリア国営放送の中継から

 記事では、ヨハネ・パウロ2世とその後継者べネディクト16世(在位2005年4月〜13年2月)の時代に、ローマ司教区総代理を務めたカミロ・ルイーニ枢機卿がイタリアのメディア イルフォグリオ(Il Foglio)の中で、「ヨハネ・パウロ2世の列聖は急いで行われたわけではない」と懸命に弁明し、同2世が亡くなった日に多くの信者たちが「Santo subito」(直ぐに聖人に)と叫んだ、と証言している。

 ヨハネ・パウロ2世は生前、「空飛ぶ教皇」と呼ばれ、世界各地を司牧し、冷戦の終焉に貢献した。同2世は2014年4月27日、第2バチカン公会議(1962〜65年)を招集し、カトリック教会の近代化に乗り出したヨハネ23世(在位1958年10月〜63年6月)と共に列聖された。

 ヨハネ23世の場合、亡くなって50年以上の時間が経過したが、ヨハネ・パウロ2世の場合、亡くなって9年しか経過していない。異常に早い列聖であることは間違いない。教会の一部で、先の記事の見出しのように、「ヨハネ・パウロ2世の列聖は早すぎたのではないか」という声が出てくるわけだ。そしてここにきて「その声」が次第に大きくなってきている。

 ところで、カトリック教会で聖人となる道は平坦ではない。聖人となる前に福者のハードルを越えなければならない。それを通過した人が聖人への審査を受けるわけだ。福者になるためにも、その人物が何らかの超自然的現象、例えば、病を癒したといった奇跡が必要だ。少なくとも2人の証人が必要となる。そのハードルをクリアして福者入りする。列聖の場合、更に2件の奇跡の証人が必要となる、といった具合だ。

 例外は、殉教者だ。奇跡の審査を通過しなくても即聖人の道が開かれる。このコラム欄で紹介したが、アウシュビッツ強制収容所で他の囚人のために自分の命を捧げたポーランド人のマクシミリアン・コルベ神父もその一人だ。最近ではフランス北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会のジャック・アメル神父だ。同神父(当時85歳)は2016年7月26日、礼拝中にイスラム過激派テロリストに首を切られて殺害された。

 ヨハネ・パウロ2世の場合、2011年5月、列福されたが、バチカンの奇跡調査委員会はフランスのマリー・サイモン・ピエール修道女の奇跡を公認している。彼女は01年以来、ヨハネ・パウロ2世と同様、パーキンソン症候で手や体の震えに悩まされてきたが、05年6月2日夜、亡くなった同2世のことを考えながら祈っていると、「説明できない理由から、手の震えなどが瞬間に癒された」というのだ。「列聖」入りのためのもう一つの奇跡は、コスタリカの女性の病気回復だ(ヨハネ23世の場合、フランシスコ法王は列聖のための奇跡調査を免除している)。

 ヨハネ・パウロ2世の列聖までの時間が最短なのは、ベネディクト16世が同2世の福者から聖人への待ち時間の規約を撤廃したからだが、当時から「なぜヨハネ・パウロ2世の列聖を急ぐのか」という声はあった。急がなければならない理由があるのだろうか。やはり、あったのだ。

 ヨハネ・パウロ2世の列聖に疑問を呈するファイルが出てきたのだ。バチカンは10日、性的虐待の罪により還俗させられたテオドール・マカーリック枢機卿(米ワシントン大司教)が行った性犯罪のドキュメントや証言をまとめた調査報告ファイルを公表した。460頁に及ぶ同ファイルの中でヨハネ・パウロ2世のミス・マネージメントが浮かび上がってくるのだ。同2世はマカーリック枢機卿(現在90)を大司教にし、教会最高位の枢機卿に任命しているから、現代風に表現すれば、任命者の責任問題が出てくるのだ。

 「マカーリック枢機卿ファイル」では、バチカンが2000年マカーリック枢機卿をワシントン大司教に任命したのは不完全な情報に基づく決定であり、後日間違いだと判明したこと、2017年までマカーリック枢機卿の未成年者への性的虐待に関する情報をバチカンは入手しておらず、枢機卿の性犯罪が判明するとフランシスコ教皇は迅速にマカーリック枢機卿の枢機卿称号をはく奪し、還俗処分を実施したことなどが明記されている。要するに、マカーリック枢機卿の性犯罪問題ではフランシスコ教皇には落ち度はなかったといいたいわけだ。フランシスコ教皇の辞任を要求した「ビガーノ書簡」へのバチカン側の反論だろう(「『ビガーノ書簡』巡るバチカンの戦い」2018年10月8日参考)。

 それでは誰の落ち度だったのか。ヨハネ・パウロ2世だったのではないか、という推測が生まれてくるわけだ。ポーランドのクラクフ出身のカロル・ボイチワ大司教(故ヨハネ・パウロ2世)が1978年、455年ぶりに非イタリア人法王として第264代法王に選出された時、多くのポーランド国民は「神のみ手」を感じたといわれている。同2世はポーランド教会の英雄だ。その同2世が米教会で未成年者への性的虐待を繰り返した枢機卿の性犯罪を隠蔽してきたのではないか、といった批判が飛び出してきたのだ。

 ヨハネ・パウロ2世への責任を追及する声が出てくると、ポーランド教会司教会議のスタニスロウ・ガデッキ議長は反論している。曰く「マカーリック枢機卿は2000年8月、ヨハネ・パウロ2世宛ての書簡で『自分は未成年者への性的虐待は行っていない』と虚言したからだ。ヨハネ・パウロ2世が同枢機卿をワシントン大司教、そして枢機卿に選出したのは教皇のもとに正しい情報が送られなかったからだ」と説明し、問題は同枢機卿の実態を正しく掌握していなかった米教会の情報提供者にあるというわけだ。

 ポーランド教会側の反論も理解できる。ローマ教皇とはいえ、手元に届く情報が間違っていたならば、正しい判断、適材適所な任命は難しからだ。ただし、聖人と称えられてきたヨハネ・パウロ2世はスーパーマンでも救世主でもなく、通常の人間であったという印象を受ける信者が出てくることは避けられない。英雄、聖人としての同2世の伝説が崩れるわけだ。ポーランド教会はそれを恐れているのだ。

 ここで客観的な事実だけをまとめる。マカーリック枢機卿が性的犯罪を犯した時期、ヨハネ・パウロ2世はローマ教皇だった、同枢機卿は1990年代にワシントン大司教に任命され、2000年に枢機卿に上り詰めたが、それはヨハネ・パウロ2世の決定だった。

 この「不都合な事実」は偶然だといって一蹴できない。少なくとも、同2世はマカーリック枢機卿の不祥事を耳にしていた可能性が十分考えられるからだ。知りながらも、教会の名誉と威信を守るために隠蔽していたのではなかったか。実際、カトリック教会の聖職者の性犯罪はヨハネ・パウロ2世の27年間の治世時代に最も多く発生しているのだ。

 ヨハネ・パウロ2世の個人秘書を40年余り務めてきたスタニスロウ・ジウィス枢機卿(Stanislaw Dziwisz)はマカーリック枢機卿の性犯罪を知っていたが、それを隠蔽していたという批判を受けている。また、ブレスラウ(ポーランド)のヘンリーク・グルビノウイッツ枢機卿(Henryk Gulbinowicz)は未成年者への性的虐待、共産政権との癒着問題などでバチカンから全ての聖職のはく奪処分を受けたばかりだ。両枢機卿はヨハネ・パウロ2世の側近だった。同2世を取り巻く状況は厳しくなってきている(「元法王と女性学者の“秘めた交流”」2016年2月19日参考)。

 国民のほぼ90%がカトリック信者のポーランドのカトリック主義の「落日」(2020年11月7日参考)は、ヨハネ・パウロ2世への伝説が揺れてきたことから、より早まってきたわけだ。

「日中友好都市」計画の監視強化を

 海外中国メディア「大紀元」(11月19日付)に、4人の米上院議員が米中間の「姉妹都市計画」の厳格な審査を求める法案を提出したことが報じられていた。同法案作成者の一人、共和党のマーシャ・ブラックバーン議員は17日、記者会見で、「中国共産党政権が友好都市プロジェクトを政治武器として利用し、スパイ活動や米国世論操作に利用している」と指摘している。米NPO「国際姉妹都市(Sister Cities International)」の統計では、米国の157の都市が中国各都市と姉妹都市関係を結んでいる。

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▲神戸市と日中最初の「友好都市」を締結した中国・天津市の中心業務地区(ウィキぺディアから)

 同法案は「姉妹都市透明化法」と呼ばれ、米政府当局に「外国姉妹都市での米国内での活動を調査し、スパイ活動、経済的リストを厳重に調査すべきだ」というわけだ。「姉妹都市計画」が米情報機関からスパイ工作機関と受け取られている「孔子学院」と同じような統一戦線の使命を帯びている、というものである。大紀元によると、ポンペオ国務長官は今年2月、全米知事協会の会議で、中国当局が姉妹都市関係を利用していると警鐘を鳴らしたという。

 例を挙げる。チェコの首都プラハ市は北京市と姉妹都市を締結していた。プラハ市のズデニェク・フジブ市長は昨年、チベットへの支持を表明し、中国共産党による台湾政策「一つの中国」を受け入れられないと述べた。そして同年10月、プラハ市は北京市との姉妹都市協定を終了させ、今年1月に台北市と姉妹都市関係を正式に結んでいる(「中欧チェコの毅然とした対中政策」2020年8月10日参考)。

 ところで、「孔子学院」についてはこのコラム欄でも数回報じてきた。中国共産党政権は欧州では動物園にパンダを贈る一方、「孔子学院」の拡大を主要戦略としてきた。2004年に設立された「孔子学院」は中国政府教育部(文部科学省)の下部組織・国家漢語国際推進指導小組弁公室(漢弁)が管轄し、海外の大学や教育機関と提携して、中国語や中国文化の普及、中国との友好関係醸成を目的としているというが、実際は中国共産党政権の情報機関の役割を果たしてきた(「『孔子学院』は中国対外宣伝機関」2013年9月26日参考)。

 オーストリアのウィーン大学にも開講されている。米国務省は「孔子学院」を中国共産党政権の情報機関とみなし、監視を強化してきた。全米学識者協会によれば、今年9月7日時点で、米国内の孔子学院は67校。既に54校が閉鎖、ないしは閉鎖中だという。

 「孔子学院」は今年6月現在、世界154カ国と地域に支部を持ち、総数5448の「孔子学院」(大学やカレッジ向け)と1193の「孔子課堂」(初中高等教育向け)を有している。世界の大学を網羅するネットワークだ。

 中国側の考えでは、「姉妹都市計画」を推進することで、「孔子学院」を開講できる環境を拡大し、先端科学情報を有する海外の科学者、学者のオルグ「千人計画」を進めていく。中国共産党政権下では全て統一戦線のもとで関連している。だから、「姉妹都市計画」についても厳しい目で監視しなければならないわけだ。

 と、ここまで書いてきて「日本では日中姉妹都市計画はどうだろうか」と考えた。ちなみに、日本では中国側の要請もあって「姉妹都市」とは呼ばず、「友好都市」と呼んでいる。「姉妹」と言えば、どちらが「姉」で、どちらが「妹」かといった厄介な問題(?)が出てくるからだ。

 日本は2018年12月末現在、1734件の友好都市を締結しているが、このうち日中間で締結された「友好都市」は364件。日米友好都市が454件だから、2番目に多いことになる。ちなみに、日中国交が締結された1972年の翌年、神戸市と天津市が最初の日中友好都市となった。日中友好都市の締結件数の推移をみると、1990年代が最も多く144件だった。ただし、日中間の政治的悪化もあって直近の3年間では2016年0件、17年1件、18年0件と停滞している。

 友好都市は両市の市長が署名した提携書をもとに、市議会で承認を受ければOKだ。日中友好都市を結んだ日本側が中国内に「在中国地方自治体事務所」を開設する。現在83事務所が中国に事務所を開き、観光、経済、人的交流、情報収集などの窓口となっている。中国では国の認可なくして外国都市との姉妹都市を締結できない。国の外交、政治政策に合致しているか否かが大きな審査対象となる。

 中国国際友好都市連合会の統計によると、中国は2018年12月末時点で136カ国との間で合計2629件の友好都市提携を行っている。欧州の都・市との友好都市提携数が941件と最も多い。中国共産党政権が先端科学技術をターゲットに「姉妹都市計画」を窓口に、欧州各地に積極的に進出しているわけだ(「独諜報機関『中国のスパイ活動』警告」2020年7月12日参考)。

 日本の政界では中国の習近平国家主席の訪日が再び政治的議題となってきている。中国の王毅外相が今月24日から訪日する予定だ。「スパイ防止法」さえ持たない日本で中国共産党政権は着実にその情報工作を進めている。日本には既に日中友好関連の民間団体が7つある。同時に、「友好都市」を日本全土に広げ、通称「友好都市交流事業」を通じて日本の地方行政にまで影響を及ぼしている。その組織的、持続的工作活動は日本政府が考えている以上だ。日本はスパイ防止法を早急に施行し、中国側の諜報活動を厳重に取り締まるべきだ。

 注:当コラムで掲載しました統計は主に「自治体国際化協会」北京事務所作成の「2019年9月18日レポート」を参考にしました。
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