ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2020年10月

イスラム過激思想の背景と「問題点」

 フランス南部のニースのノートルダム大聖堂で29日、21歳のチュニジア出身の男が教会にいた3人をナイフ(長さ約17cm)で殺害、1人の女性(60歳)の首を切るといった事件が発生、捜査当局はテロ事件として逮捕した男の背景などを調べている。

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▲テロの現場ニースを訊ね、イスラム過激派テロとの戦いを決意するマクロン大統領(2020年10月29日、フランス大統領府公式サイトから)

 男は9月末、イタリアのランぺドゥーザ島に着くと、10月上旬にフランスに入国している。警察隊の銃撃で負傷を負った。男は犯行現場で「神は偉大なり(アラー・アクバル)」と叫び続けていたという。マクロン大統領は同日、現場に駆け付け、イスラム過激テロを厳しく批判し、「フランスはテロには屈しない」と述べている。

 フランスでは10月16日午後、パリ近郊の中学校の歴史教師が18歳のチェチェン出身の青年に首を切られた殺人事件はフランス国民に衝撃を与えたばかりだ。殺害された教師は授業の中でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いた週刊誌を見せながら、「言論の自由」について授業をしていた。

 同国では4年前の2016年7月、北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会で2人のイスラム過激派テロリストによるアメル神父(85)を人質とするテロ事件が発生した。テロリストは特殊部隊によって射殺された。神父は首を切られて殺されていたことが明らかになると、フランス全土に大きな衝撃を与えた。

 いずれにしても、イスラム過激派テロリストが教会を襲撃し、キリスト者の首を切るという犯行の背景には、キリスト教への強い憎悪と敵愾心があることは間違いないだろう。

 2015年1月7日午前11時半、パリの左派系風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社に武装した2人組の覆面男が侵入し、自動小銃を乱射し、建物2階で編集会議を開いていた編集長を含む10人のジャーナリスト、2人の警察官などを殺害するというテロ事件が発生して以来、同国ではイスラム過激派によるテロ事件が多発している。

 ところで、ロシアの文豪ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公、貧しい元大学生ラスコーリニコフは、「自分のような選ばれた人間は社会の道徳を踏みにじっても許される」と考え、金貸しの強欲狡猾な老婆を「存在する価値のない人間」と見て、殺す。主人公には「神がいなければ、全ては許される」という思想があった。一方、イスラム過激派テロリストは「神が命じるならば、全ては許される」と考え、関係のない人々を襲撃し、殺害、その首を切るという蛮行を行う。前者は神の不在を信じて犯行を行い、後者は神の願いを果たす使命感に燃えて殺害を繰返す。

 前者はキリスト教の世界を舞台に、「神の存在」云々が問われているが、後者の主人公はイスラム教の世界に生き、「神の存在」云々はテーマではなく、神の願いを行う戦士として戦場で向かう。「神の存在」で揺れる21世紀のキリスト教の知識人たちが時たまイスラム過激派の絶対信仰に恐れと同時に焦燥感を覚える、というのは理解できる。

 キリスト教の「聖書」もイスラム教の経典「コーラン」も共通している点は、神は唯一の存在であり、他の神を崇拝してはならないと、異教の神に対し繰り返し警告を発していることだ。ちなみに、旧約聖書に登場する神は「妬む神」(「出エジプト記」20章)という。

 著名なエジプト学(Agyptologen)のヤン・アスマン教授(Jan Assmann)は、「唯一の神への信仰( Monotheismus) には潜在的な暴力性が内包されている」という。「絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力に訴える行動が出てくる」と説明し、「イスラム教に見られる暴力性はその教えの非政治化が遅れているからだ。他の唯一神教のユダヤ教やキリスト教は久しく非政治化を実施してきた」と指摘し、イスラム教の暴力性を排除するためには抜本的な非政治化コンセプトの確立が急務と主張する(「唯一神教の『潜在的な暴力性』とは」2012年6月5日参考)。

 同教授は、「イスラム教はその絶対的真理を剣を振り回しながら広げようとする。同時に、終末が近い、神の敵を処罰しなければならない、といった切羽詰った終末的思考が生まれる。それに対し、ユダヤ教やキリスト教は唯一神教の政治的な要素を排除するプロセスを既に経過してきた。ユダヤ教の場合、メシア主義(Messianismus)だ。救い主の降臨への期待だ。キリスト教の場合、地上天国と天上天国の相違を強調することで、教えの中に内包する暴力性を排除してきた」という。だから、イスラム教国のシャリア導入はその教えの非政治化とはまったく逆の道となる(「『妬む神』を拝する唯一神教の問題点」2014年8月12日参考)。

 また、イスラム教専門家、イエズス会所属のサミーア・カリル・サミーア神父(Samir Khalil Samir) は、「コーランは平和的な内容だが、同時に攻撃的な個所もある」という。同神父によると、ムハンマドは610年、メッカ北東のヒラー山で神の啓示を受け、イスラム共同体を創設したが、メッカ時代を記述したコーランは平和的な内容が多い一方、ムハンマドが西暦622年メッカを追われてメディナに入ってからは戦闘や聖戦を呼びかける内容が増えたという。

 旧約聖書の「神」は厳格であり、妬む神だが、新約聖書では「愛の神」を具現化したイエスが前面に出てくる。コーランではメディナ時代とメッカ時代で内容が明らかに違うわけだ。イスラム過激派思想を理解するためにも、コーランが誕生した背景などの研究が不可欠だろう。

仏の「ライシテ」の拡大解釈は危険だ

 トルコのエルドアン大統領は時には血気に走る指導者だ。パリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載し、それに対しマクロン大統領が24日、「わが国には冒涜する自由がある」と弁明したことがよほど頭にきたのだろう。「マクロン氏は精神の治癒が必要だ」と侮辱しただけではなく、イスラム教への批判を強めるマクロン氏に対し、26日には「フランス製品のボイコット」をイスラム教国に呼びかけたばかりだ。

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▲トルコのエルドアン大統領(トルコ大統領府公式サイトから)

 外交の世界では、欧米が“ならず者国家”に対して実施する資産凍結、入国禁止などの制裁は「スマート・サンクション」(Smart Sanction)と呼ばれ、一般国民に制裁の悪影響が及ばないように制裁範囲を限定する。実質的な制裁というより、象徴的な意味合いが強い。不買運動は制裁というより、いやがらせというべきかもしれない。ただし、国や政治家には効果はないが、国民の生活に影響が出てくる。スマート制裁は効果が期待できないとして、戦略的制裁へ格上げをした場合、制裁される側だけではなく、する側にも一定の痛みが伴う。マクロン大統領とエルドアン大統領の「言論の自由」に関する抗争がこれ以上激化しないことを願うだけだ。

 問題は、マクロン大統領が風刺画の掲載を「言論の自由」として一歩も譲歩する姿勢を見せていないことだ。その理由として同国では「政教分離」(ライシテ)が施行されているからだという。ライシテは宗教への国家の中立性、世俗性、政教分離などを内包した概念であり、フランスで発展してきた思想だ。

 フランスがライシテを標榜する権利はあるが、自分がそれで納得していても、相手が理解できない場合、説明する必要が出てくる。フランスとトルコの論争を見ると、その必要性を強く感じる。

 フランスは1905年以来、ライシテを標榜し、時間の経過につれて、神を侮辱したとしても批判を受けたり、処罰されることがないと理解されてきた。なぜならば、国家は如何なる場合でも宗教には関与しないからだ(宗教に対する中立性)。しかし、その考えはライシテを表明すれば他の国民の宗教性を完全に無視できるという論理にもなり、暴論になる。

 「政教分離」は逆にいえば、宗教は国家から如何なる干渉を受けることなく、宗教活動ができることを意味する。「宗教の自由」は保障されていることになる。ところで、信仰を有する国民が自身の信仰、その教祖への冒涜を容認できるだろうか、という問題が出てくる。少なくとも、自身の教祖を冒涜された国民への名誉棄損が成り立つ。神への「冒涜の自由」は認められるが、その神を信仰する個人の名誉棄損は許されない、という理屈は、人間中心主義を徹底化した考え方であり、神仏への極端な排他主義に通じる。

 フランス革命は世俗主義、反教権主義を主張し、人間の権利を蹂躙してきたローマ・カトリック教会とそれを背景にした王制貴族社会への抵抗だった。国民は自由、平等、博愛の人道主義を掲げて立ち上がった。

 ここで看過できない点は、人間の生来の宗教性は完全には無視できないことだ。反教権主義は既成のキリスト教会(この場合、カトリック教会)への抵抗であり、訣別を意味するが、国民の「神」からの決別ではなかったことだ。実際、フランスは欧州一のカトリック教国だ。

 少し説明する。何らかの理由で教会から距離を置いたとしても、神を批判したり、冒涜できる自由を正当化することはできない。教会=神ではないからだ。フランス人の宗教性は「教会の神」に抵抗したとしても、それで自身の宗教性を消滅させることはできないのだ(「人には『冒涜する自由』があるか」2020年9月5日参考)。

 人間は生来、宗教性を有しているから、神を求める。ライシテは既存の教会から決別を宣言したが、神と別れたわけではないから、ライシテは国民の宗教の自由を尊重せざるを得ない。神への冒涜は政教分離に基づいた「言論の自由」から認められるという理屈は、屁理屈に過ぎない。

 フランス革命が掲げた人道主義が最終的に行き着いた先は徹底した無神論国家の唯物主義を国是とした共産主義世界だった。フランスで共産主義国家が誕生しなかったのは、国民の「信仰の自由」を認めていたからだ。そうでなかった場合、フランスはロシアよりいち早く共産主義国家となっていたかもしれない。ライシテが非宗教性、中立性、世俗主義を標榜する一方、国民の「宗教の自由」を認めることで、共産主義の侵略を阻止できたわけだ、フランスを共産主義から救済したのは国民の宗教性であり、「信仰の自由」だった。

 繰り返しになるが、フランスが「政教分離」で決別した「神」はあくまでも中世時代に強権を誇った「教会の神」であって、「本来の神」とは全く関係がないから、神への冒涜はやはり許されない。特に、「他の神」を信じている国民に対し、「教会の神」ゆえに冒涜の自由を認めることはライシテの拡大解釈に過ぎない。

 例えば、現トルコは「政教分離」を宣言していない。彼らが信仰の対象としている神は「イスラム寺院の神」だとしても、その神への冒涜は許されない。なぜならば、「本来の神」とは国民一人一人が内包している宗教性に繋がっている存在であり、神への冒涜はそのアイデンティティへの攻撃にもなるからだ。エルドアン大統領の激怒は政治的パフォーマンスを差し引いたとしても、当然の反応といわざるを得ないのだ。

 「私はシャルリー・エブド」ではないし、「私は教師」でもない。「信仰(神)を冒涜する自由を認めない私」だ。そんなプラカードが見られる日がフランスで来るだろうか(「今こそ“第2のフランス革命”を」2020年9月29日参考)。

独でイスラム過激派への警戒高まる

 独連邦憲法擁護庁(BfV)によると、ドイツ国内でイスラム過激派とみられる人物は約2万8000人いると推定され、そのうち2060人はテロ活動の潜在的危険性があると受け取られている。刑務所に拘留されているイスラム過激派は約100人だ。

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▲ベルリンのクリスマス市場に突入した大型トラック(2016年12月20日、ドイツ民間放送「N24」の中継放送から)

 100人余りのイスラム過激派のうち、ザクセン・アンハルト州には2人が刑務所に拘留され、以下、ザクセン州3人、バーデン・ヴュルテムベルク州4人、ベルリン州、ハンブルク州、そしてシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州は各5人、ラインランド・プファルツ州6人、ニーダーザクセン州12人、ノルトライン・ヴェストファーレン州17人、バイエルン州31人が刑務所に拘留されている。

 BfVのトマス・ハルデンワンク長官は、「われわれはイスラム過激派の動向の掌握に全力を投入している」という。2万8000人のイスラム過激派の中でも潜在的テロの危険性がある2060人の監視に力を注いでいるという。

 バイエルン州のヘルマン内相(「キリスト教社会同盟」=CSU)は連邦政府に対し、イスラム過激派を強制送還できる条件の明確化を求めている。今春開催された内相会議では、「シリア人の送還ストップ」の期限が延期されたばかりだが、「送還ストップが有罪判決を受けたイスラム過激派の身分保証となってはならない」と強調している。

 独連邦議会の野党「自由民主党」(FDP)のコンスタンティン・クーレ議員は、「10月4日、ドレスデンで起きたテロ事件の容疑者はわが国に2015年に入国した以降に過激化している」とし、イスラム教徒の過激化プロセスを監視すべきだと主張している。具体的には、インターネット、イスラム寺院、刑務所がイスラム教徒の過激化拠点となっている現状への解明だ。

 同議員は、「国内のイスラム教徒の共同体がイスラム過激派防止で重要な役割を果たすべきだ。共同体が過激派への早期警告システムを構築して、イスラム過激テロ防止で貢献しない限り、テロ対策は成功しない」と強調した。

 ドイツではここ数年、国内の極右過激派への警戒心が高まってきた(「極右過激派殺人事件に揺れるドイツ」2019年6月28日参考)。クランプカレンバウアー国防相は今年6月30日、エリート部隊の独陸軍特殊部隊(KSK)に極右派傾向の隊員が多数潜伏していることを明らかにしたばかりだ(「独軍特殊部隊に潜伏する極右過激派」2020年7月2日参考)。

 ドイツでは2015年までイスラム過激派テロ事件は発生しなかったが、16年に入り、独南部バイエルン州のビュルツブルクで7月18日、アフガニスタン出身の17歳の難民申請者の少年が乗っていた電車の中で旅客に斧とナイフで襲い掛かり、5人に重軽傷を負わせた。同じバイエルン州のアンスバッハでは同年7月24日、シリア難民の男(27)が現地で開催されていた野外音楽祭の会場入り口で持参した爆弾を爆発させるなど、イスラム教テロ事件が発生。また、ドイツで大規模な爆発テロを企てようとしていたシリア人、Jaber Albakr (22)が同年10月12日夜、拘置施設内で自身のTシャツを使って首つり自殺した。 Albakr はイスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)メンバーとみられ、ドイツ国内のISネットワークなどについて尋問を開始する直前の自殺だった。

 ドイツで最も注目されたイスラム過激テロ事件は、首都ベルリンで2016年12月19日、チュニジア人アニス・アムリ容疑者によるクリスマス市場で起きた「トラック乱入テロ事件」(死者12人、重軽傷者56人)だろう(「大型トラックが無差別テロの武器」2016年12月21日参考)。最近では、ドレスデン市で今年10月4日、20歳のシリア人の男がナイフで観光客1人を殺害した事件が起きたが、独メディアによると、男はイスラム過激派の危険人物として、当局からマークされていた。

 欧州ではフランスでイスラム過激派のテロ事件が多発し、他の欧州にもその影響が及んだ。2015年1月7日、フランスのパリの左派系風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社に武装した2人組の覆面男が侵入し、自動小銃を乱射し、建物2階で編集会議を開いていた編集長を含む10人のジャーナリスト、2人の警察官などを殺害するというテロ事件が発生して以来、フランスでイスラム過激派によるテロが多発。同時に、ドイツでも2016年に入ると、先述したようにイスラム過激テロ事件が次々と起きた経緯がある。

 今回のパリ近郊の中学校の歴史教師が今月16日午後、18歳のチェチェン出身の青年に首を切られた殺人事件はフランス国民ばかりか、ドイツにも衝撃を与えている。殺害された教師は授業の中でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いた週刊誌を見せながら、「言論の自由」について授業をしていた。

 マクロン大統領はテロの犠牲者、中学校の歴史教師サミュエル・パティさんに「言論の自由」を死守したとして勲章を授与し、国葬を挙行するなど、イスラム過激派テロへの戦いを改めて強調したばかりだ。同大統領はそれに先立ち、「わが国はイスラム教を冒涜する自由がある」と表明したことに対し、トルコのエルドアン大統領がマクロン大統領を「精神的治療が必要だ」と侮辱する一方、イスラム圏でフランス製品のボイコット運動を呼び掛けるなど、フランスとイスラム圏との関係が再び険悪化してきている。

 欧州最大のイスラム教徒(約500万人)を抱えるフランスは「イスラム過激派テロ」問題が、ドイツでは「極右過激派」が問題といった感じがあったが、犠牲者(中学校の歴史教師)が首を切られたフランスの衝撃的なテロ事件を契機に、ドイツでは「2016年のように、わが国でもイスラム過激テロが発生する危険性がある」と警戒を高めてきている。

ウイルスは「社会の分裂」を生み出す

 中国武漢発の新型コロナウイルスが感染拡大してから間もなく1年目を迎える。累計感染者数は27日現在、約4323万人、死者数は115万人を超えた。戦後最大の難事といわれ、世界の政治、経済は停滞し、依然、その感染症の終焉は見えてこない状況だ。

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▲新型コロナの感染問題で「怒りと不安は善きアドバイサーでない」と話しかけるファン・デア・ベレン大統領(オーストリア大統領府公式サイト、2020年10月26日=建国記念日)

 欧州では夏季休暇後、第2波の感染が広がり、アイルランドとチェコは2回目のロックダウンを余儀なくされる一方、英国、スペイン、フランス、イタリア、ドイツなどでは地域ロックダウンが実施され、国民経済活動の破綻を懸命に回避する努力が見られる。本格的な冬の到来を控え、新型コロナ対策と経済活動の継続のバランスが一層、難しくなりつつある。

 ここにきてコロナ禍による「社会の分裂」を指摘するメディアが増えてきた。オーストリア国営放送のHPでは「社会の分裂をもたらすウイルス」というタイトルの興味深い記事を掲載していた。以下、同記事を参考にしながら、新型コロナがもたらした社会の分裂(gesellschaftlicher Spaltpilz)をまとめる。

 先ず、第1の分裂は、新型コロナのcovid-19を「深刻な感染症」としてシリアスに受け取る派と「毎年繰り返されるインフルエンザと同じ」として楽観視する人々で社会は二分された。特に、感染初期にはこの分裂が目立った。

 感染者が増加し、死者数が増えるにつれ、前者が支配的になってきた。政治家たちの間では自身が感染することで新型コロナの恐ろしさを体験し、前者に転向するケースが出てきた。

 欧州の政治家はこの段階では国民に相互の連帯を呼び掛けた。「規制、強制、隔離は誰にとっても快いものではないが、乗り越えていかなければならない。そのためには、国民は結束しなければならない」というトーンだ。政治家は、新しい生き方のチャンスとして、連帯と共存、そして責任を訴えた。ちなみに、マスク着用は欧州社会の文化でも伝統でもないが、欧州の政治家は「感染を防止するためにはマスクの着用が重要だ」として国民を説得。その結果、多くの欧州の国はマスクの着用に踏み切った経緯がある。

 「連帯」、「責任」といった言葉が人々の心を捉えてきたことは新型コロナがもたらしたポジティブな面とすれば、ネガティブな面としては「世代の分裂」がある。具体的には、感染危険の大きい高齢者と感染しても症状が出ない若い世代との亀裂だ。各国政府はコロナ規制を強化する一方、高齢者の感染防止のために若い世代に連帯を求めてきた。

 欧州を襲う第2の感染拡大の主因として、「若い世代が感染を広げている」といった批判の声が聞こえる。若者たちは週末、コロナ規制にもかかわらず、深夜までパーティを開き、ディスコに興じているというわけだ。社会学者は「若い世代は高齢者より社会的コンタクトが不可欠だ。だから、夜間外出禁止や接触禁止は彼らにとって大きな痛みとなっている」と分析する。

 次に、深刻な「社会の分裂」として、「経済的格差」の拡大だ。政府は失業者の増加を防ぐために短期労働制を提案し、通常の給料分に足りない分を政府が支援するシステムを奨励している。実際は労働者にとっては30%前後の給料カットとなるが、雇用は確保できる。ただし、短期労働制はコロナ禍が長期化すれば、政府も会社側にとっても次第に負担となることが予想される。

 ある労働者は「給料日の10日前にはわが家の冷蔵庫は空になる」という。子供を抱える労働者にとって短期労働制はやはり給料減をもたらす。冬の期間、建築分野の季節労働が減るため、失業者が増えることは避けられない。

 仕事の環境状況では、ホームオフィスが可能な人と、感染の危険が高い地下鉄に乗って毎日職場に行かなければならない労働者で分かれてきた。ホームオフィスで仕事が出来るホワイト・カラー族は早朝に起きて混んだ地下鉄に乗る必要はなく、給料は変わらない。ただし、家にいる時間が増えたため、“コロナ離婚”と呼ばれる社会現象が見られる。24時間、夫婦が顔を合わせていると、これまで知らなった面が見えてきて衝突する機会が増え、最悪の場合、離婚ということになるわけだ。

 そしてコロナ禍が長期化することで、政治家と国民の間で亀裂が深まってきている。野党は政府の対コロナ政策を批判するし、超法規的なコロナ関連規制法に対し、国民の基本的権利を蹂躙しているといった声が一部国民の間で聞かれ、規制反対の抗議デモが欧州各地で行われ出した。

 それだけではない。感染症やウイルス専門家もコロナ対策では一枚岩ではない。マスクの効用問題だけではない。例えば、集団免疫の促進派と規制強化派で専門家の意見が分かれている(「『グレートバリントン宣言』の是非」2020年10月21日参考)。

 新型コロナ感染の初期、国民間の結束と連帯を強める面も見られていたが、コロナ禍が長期間し、国民の間で“コロナ疲れ”が見えだしてきたこともあって、ネガティブな面、社会の分裂現象が表面化してきているわけだ。

 ワクチンが出来、コロナ対策で大きな前進がもたらされるまでは、「社会の分裂」をこれ以上深まらせてはならない。新型コロナ対策では、「連帯」重視の初期から、国民の「各自の責任」が問われる段階に突入してきた。政治家も国民も自身の責任領域で貢献しなければならない時だ。

六法全書より「良心」は知っている

 法と道徳の違いについて考えている。両者とも社会規範だが、道徳が要求する全ての内容を人に求めたならば、多くの人は生き苦しくてなって生きていけなくなるから、法は道徳よりも薄い内容を明記し、それを社会の基準として国家を治めていく。法が外的言動を規制する他律規範的である一方、道徳は内心を規律する自律規範的というわけだ。

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▲平成29年版「分冊六法全書」(分冊六法編集委員会)

 法論議などは当方の分野でもないし、その能力もない。ここで考えたいことは、人は六法全書を本棚から引き寄せなくても、そこで明記されている内容以上のものが刻印された「良心」を一人一人が生来、保有しているのではないか、という点だ。

 米国社会は弁護士社会で全て法的争いを通じて決着するが、私たちは誰から強要されなくても、殺人は許されないこと、暴行は蛮行であり、嘘は良くないことを知っている。いちいち、事が起きるたびに「六法全書の民事法によれば……」と引用しなくてもいい。それをあたかも「初めて聞いたように振舞い、相手側を告訴して、裁判で争っている」のが現実ではないか。

 もちろん、人は容貌、性格、出自が違うが、「良心」は基本的に共通しているのではないか。悪事を繰返していくと、「良心が曇る」というが、「良心」があるということを前提とした表現だ。曇ったというのならば、その曇りを払う努力をすればいいだけではないか。

 宗教とか倫理はそのためにある。宗教の教えが「良心」を生み出すのではなく、覚醒させるだけだ。その意味で宗教はトレーニングセンターのようなものだ。真理の独占などといったドグマを考え出すのはその宗教団体の自己防御に過ぎない。「良心」は本来、ドグマ以上に事の是非をわきまえるパワーを有しているのではないか。

 律法学者やパリサイ人がなぜイエスとの論争で何時も敗北するのだろうか。前者は現代の六法全書派だ。法律の文面を暗記し、必要に応じてそれを引き出すことに長けた人々だ。一方、イエスは法律の学校に通ったわけではない。通常の場合、前者が裁判では圧倒的に有利だろう。しかし、イエスは常に、律法学者を論破した。それではイエスの武器は何だったのだろうか。イエスの「良心」だったのではないか。相手の「良心」にどこに問題があるかを諭すことが出来たからではないか。

 安息日に人を癒すイエスを見て、「律法によれば、安息日には働いてはならない」と考えてきたパリサイ人はイエスを批判し出した時、イエスは「人の子は安息日の主だ」(「マタイによる福音書」第12章)と指摘し、パリサイ人を論破した。ここで重要な点は、律法に精通したパリサイ人や律法学者はイエスが正しいことをその「良心」で分かったので、イエスの前から退いたことだ。

 前口上はここまでにして、21世紀の問題に戻る。フランスのマクロン大統領はパリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載した問題で「言論の自由」に言及しながら、「我々には冒涜する権利がある」と豪語した。その是非は法論争ではひょっとしたら正当化できるかもしれないが、各自が有する「良心」から見れば、やはり他者を傷つけ、侮辱することは良くない、それを証明するために本来、長い説明は必要ないだろう。「冒涜する権利」は人を殺してはならないというのと同様、その是非は明確だからだ。各自が有する「良心」がそう囁くからだ。

 世界には数多くの民族、国家、文化、言語がある。だから良心基準もその社会、国家によって異なるかもしれない。人類の歴史はある意味で「良心」と「他の良心」の戦いではなかったか、といった意見も聞く。確かに、民族、国家、文化、言語によって良心の規範も異なってくることは事実だが、人の「良心」はその相違点より多くの普遍性を有しているのではないか。

 無法な社会はカオスだ。ただ、忘れてならない点は、法は各自が有している「良心」の最も受容可能な範囲を網羅したものだ、という点だ。法と「良心」は決して対立関係ではなく、相互補完関係だというべきだろう。「法」の外面性、「道徳」の内面性と表現できるだろう。

 新型コロナウイルスの感染防止のために、各国はコロナ関連法を施行し、人の自由な移動、活動を制限する。そうすると、コロナ規制に抵抗する人々が出てきて、抗議デモをする。コロナ関連規制法は人間の基本的な権利を蹂躙しているといった法論争だ。

 そこで「良心の声」に耳を傾ける必要性が出てくるわけだ。オーストリアのクルツ首相がコロナ規制に対し「各自の責任で対応すべきだ」と説明する。ここでいう「各自の責任」とは単に、「民事上の責任」、「刑事上の責任」、そして「行政上の責任」というより、「良心」の問題だろう。

 「六法全書より良心は知っている」というコラムの見出しは、法律関係者から職場を奪いたいから付けたのではない。法と「良心」が調和した社会への思いを込めたからだ。社会規範として法が「良心」より余りにも大きな影響を行使している現実を見る度、「法の土台となっている『良心』はどこへ行ったのか」と聞きたくなるのだ。

人は冒涜されればやはり反発する

 フランスのマクロン大統領は9月1日、訪問先のレバノンでの記者会見で、「(わが国には)冒涜する権利がある」と強調した。パリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことから、イスラム過激派テロの襲撃テロを誘発したことに言及し、フランスには冒涜する権利があると弁明した(「人には『冒涜する自由』があるか」2020年9月5日参考)。

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▲サミュエル・パティさんの追悼式典(エリゼ宮殿公式サイトから、2020年10月21日)

 そのフランスの、それも冒涜する権利があると主張したマクロン大統領に対し、トルコのエルドアン大統領は24日、同国中部のカイセリで党支持者を前に、「彼(マクロン大統領)は今、何をしてるのか知っているのだろうか。世界のイスラム教徒を侮辱し、イスラム分離主義として酷評し、イスラム教を迫害している。彼は宗教の自由を理解していない」と指摘し、「彼は精神的治療を受ける必要がある」と罵倒したのだ。

 それに対し、パリの大統領府は、「国家元首に対するエルドアン大統領の発言は絶対に甘受できない。無礼だ。われわれは侮辱を受け入れることができない」と反発し、駐アンカラのフランス大使を帰国させた。

 エルドアン大統領の発言はマクロン大統領に向かっているが、フランスへの冒涜と受け取られ、フランス側が激怒し、大使を帰国させた外交対応は理解できるが、冒涜されたマクロン大統領は先月初め、「冒涜する権利がある」と述べた張本人だ。その大統領が今回、他国から侮辱を受けたわけだ。

 マクロン大統領の「冒涜する権利」とはフランス国民だけが享受している権利であり、他国がフランスの「大統領」を侮辱し、それを通じてフランスの「国家」を冒涜すれば、許さないというのだろうか。

 通常の論理に従うならば、冒涜する権利があるならば、相手側にもその権利を保証しなければならない。それともマクロン大統領の「冒涜する権利」とは植民地大国だったフランスの特権とでもいうのだろうか。

 フランスとトルコはここ数年、関係が悪化している。シリア内戦、リビア紛争、そして最近では東地中海の天然ガス田開発問題などで対立してきた。アゼルバイジャンとアルメニア間の紛争でもトルコは前者を支援し、フランスは後者を援助するといった具合で、両国の国益、外交路線が至る所で衝突している。

 ところで、両国は北西洋条約機構(NATO)の加盟国だ。本来、加盟国はいざとなれば相互支援するのが建前だが、両国は目下、対立しているのだ。東地中海の天然ガス田開発ではフランスはギリシャとキプロスを支援し、海軍を動員してトルコを牽制している。NATO同盟国が軍事衝突する事態すら考えられる状況だ。

 現行の両国関係を考えれば、エルドアン大統領の発言が誘発した「冒涜」問題も、決して「冒涜の権利云々」といった哲学的な問題ではなく、両国の外交衝突の延長線に過ぎないかもしれない。両国の国益が一致すればマクロン大統領もエルドアン大統領も何もなかったように笑顔を見せて握手するかもしれない。ひょっとしたら、政治の世界ではそうなのかもしれない。

 問題は、イスラム過激派テロ問題では、マクロン大統領のパフォーマンスが目立ちすぎるのだ。イスラム過激派の分離主義への戦いを呼び掛け、今回のテロの犠牲者、中学校の歴史教師サミュエル・パティさんに「言論の自由」を死守したとして勲章を授与し、国葬を挙行するなど、イスラム過激派テロへの怒りを政治的に利用している。エルドアン大統領がイスラム・フォビアというのも一理はある。

 叩かれない限り、叩かれた時の痛みは理解できない。同じように、侮辱されたり、冒涜される立場に立たない限り、侮辱や冒涜を受けた悔しさ、怒りは理解できないだろう。マクロン氏の場合、エルドアン大統領から精神病患者扱いされたわけだから、マクロン氏が怒っても当然だが、同じように、イスラム教徒も冒涜されれば、敬虔な信者でさえ強い反発と怒りが湧いてくるはずだ。

 マクロン大統領は本来、国内のイスラム教への冒涜行為に対して、「それは止めるべきだ」と警告を発すべきだった。パリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」の風刺画を学校の教材として利用することは行き過ぎだ。火に油を注ぐような行為だ。

 フランス国内に居住する500万人以上のイスラム教徒を敵に回すのではなく、イスラム過激派の分離主義に対して共同戦線を張って戦うべきではないか。「冒涜する権利」発言は逆効果どころか、イスラム過激テロを助長することにもなる。

 エルドアン大統領の政治スタイルに対して欧米では批判の声が多い。「言論の自由」問題でも強硬姿勢が目立つ。だからといって、マクロン氏が欧米メディアを通じてエルドアン大統領批判を強めるようなことは止めるべきだ。マクロン大統領はエルドアン大統領の発言に冷静に対応すべきだ。双方にとって戦うべき相手(敵)はイスラム過激派テロ勢力だからだ。

31年後のプラハの旧市街広場風景

 オーストリア国営放送のHPを開くと、チェコの新型コロナウイルスの感染状況が大きく報じられていた。最近就任したばかりの疫学者のプリムラ保健相が、自身がマスク着用せずにいたところをカメラマンに撮影され、それがメディアで報じられたため、バビシュ首相から、「君が自主的に辞任するか、さもなければ僕が君を解任せざるを得ない」と通告され、最終的には辞任したというニュースだ。コロナ時代ならではの出来事だ。バビシュ首相は国民に規制を要求している以上、その担当閣僚(保健相)の軽率な行動に対し厳しく責任を追及せざるを得なかったのだろう。なお、チェコ通信(CTK)が23日夜、報じたところによると、プリムラ保健相は、「自分はコロナ規制に違反していない」と弁明し、辞任を拒んでいるという。

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▲ロックダウン中のプラハ市の旧市街広場の風景(チェコのCTK通信社、2020年10月23日)

 ところで、その記事には数枚の写真が掲載されていた。その1枚はCTK写真記者が撮影したプラハの旧市街広場の風景だ。広場に数人の市民しかいない。観光客の姿は見られない。広場はガラ―ンとしている。同広場には当方は忘れることが出来ない思い出があるのだ。

 31年前の夕方、1989年、同広場でプラハ市民の反体制集会が開催された。同国の民主化運動「憲章77」のリーダー、著名な劇作家、後に民主化後初代大統領となったバーツラフ・ハベル氏(Vaclav Havel)氏がデモ集会を国民に呼びかけた。

 少し、状況の書割を説明しておく。「憲章77」とは1977年、ハベル氏、哲学者ヤン・パトチカ氏、同国の自由化路線「プラハの春」時代の外相だったイジー・ハーイェク氏らが発起人となって、人権尊重を明記した「ヘルシンキ宣言」の遵守を求めた文書だ。挫折した「プラハの春」後の第2弾のチェコの民主化運動の出発となった(「『プラハの春』50周年を迎えて」2018年8月10日参考)。

 同広場にはボヘミア出身(チェコ)の宗教改革者ヤン・フス(1369〜1415年)の彫像がある。フスに所縁のあるティ―ン教会が傍にある。フスは当時のローマ教皇を中心としたカトリック教会指導者たちを、「イエスの福音を反故するアンチクリストだ」と糾弾。教皇や教会指導者の逆鱗に触れ、コンスタンツ公会議で異端とされ、火刑に処された(「ヤン・フスとアンチ・クリスト」2015年7月6日参考)。

 デモ集会の日の夕方になると、多数の市民が広場に集まってきた。同時に私服警官がデモに参加する市民を監視していた。だから、市民は散歩するような風情で広場周辺に近づく。当方は反体制派からデモ集会開催の時間を聞いていたから、広場で観光客のような恰好で待っていた。

 デモ集会の開催時間がきた。広場には緊迫感が漂う。1台の小型車が広場に近づき、車から誰かが降りてきた。ハベル氏だ。同氏は直ぐにフス像に近づき、天に向かってVサインをした。すると、広場にいた多数の市民が一斉にハベル氏のところに集まった。私服警官はハベル氏の周囲を囲む、同氏は胸から紙を出して何かを読み上げていた。

 ハベル氏が登場したので、当方は写真を撮ろうとすると、私服警官が当方のカメラの前にきて妨害。集会は短期間で警察隊によって解散させられた。ハベル氏がその時、拘束されたか否かは確認できなかったが、多くの市民が拘束された。当方はデモが解散されると、直ぐにその日宿泊す予定の宿に向かったが、私服警官が追ってくるのではないかと内心ひやひやした。

 あれから31年の年月が経過した。CTKの旧市街広場の写真を見た時、一瞬、アレー?と思った。新型コロナの新規感染者が急増しているチェコでは第2のロックダウン(都市封鎖)が実施中だ。旧市街広場から中央駅まで通じる道はプラハ第一の繁華街だが、市民の姿が見られない。広場が死んだようにガラーンとしているのだ。

 今年3月、オーストリアでもロックダウンが実施され、ほとんどの営業活動が停止された。市内には人の姿がほとんど見られない。皆どこに隠れているの、と声を掛けたくなるほどの雰囲気だった。プラハの旧市街広場の風景は、当方には31年前のデモ集会の思い出と重なって、その静けさが一層、物悲しく感じた。

 チェコの民主化運動(通称ビロード革命)は歴史的な出来事だった。今、同国を襲撃している新型コロナの第2波とその状況も歴史に残る出来事だろう。前者は多くの犠牲者が出たが、人々には当時、明日は必ず良くなるという希望と確信があった。後者はどうだろうか。同じように多くの死者が出ている。ワクチンが出来れば、新型コロナ感染は数年も経てば忘れられるかもしれない。それとも、コロナ禍を通じて、人々は変わるだろうか。不可視なウイルスとの戦いは不安が先行し、その先が読めないだけに、不気味な焦燥感だけが強まる。

 当方は、「1989年」と「2020年」のプラハ旧市街広場の狭間にあって、歴史の歯車が動く音を聞いたような軽い戸惑いを覚えた。

バチカンを揺さぶる3件の「事例」

 欧州全域で新型コロナウイルスの感染が急増し、どの国もその対応に没頭、ロックダウンを実施せざるを得ない国も出てきた。多くの国が新型コロナの新規感染の急増であたふたしている中、ローマ・カトリック教会の総本山、バチカンも落ち着きを失ってきた。新型コロナゆえではなく、3件の一大事が短期間に生じて、その対応に苦しんでいるからだ。

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▲北京のキリスト教会(バチカンニュース10月22日から)

 サン・ピエトロ広場から眺めている限りでは、聖ペテロ大聖堂はその輝きを失っていないが、バチカン内部では困惑と動揺、そして一部の聖職者からは怒りの声すら聞こえてくる。以下、バチカンを揺さぶる3件の事例を簡単にまとめる。

 <時間の経過に基づいて紹介する>

 .丱船ン内で権勢を誇ってきた列聖省長官のジョヴァンニ・アンジェロ・ベッチー枢機卿(72)が突然辞任した。同長官は2011年から7年間、バチカンの国務省総務局長を務めていた時代の財政不正問題が躓きとなって、9月24日、自ら辞任をフランシスコ教皇に申し出、受理された。

 バチカン消息筋によると、べッチー枢機卿はフランシスコ教皇が新設した財務省のトップに抜擢されたペル枢機卿を追放するため、オーストラリア教会大司教時代のペル枢機卿の未成年者への性的虐待問題を煽り、同枢機卿の性犯罪の犠牲となった証人に何らかの金銭を与えて、裁判で証言するように説得したという。証人を買収したわけだ。ぺル枢機卿は今年4月、逆転判決で無罪を勝ち取った。同枢機卿は今月12日、バチカンに戻り、フランシスコ教皇と謁見している。

 財務長官と列聖省長官の後任は既に選ばれている。今後、辞任したベッチー枢機卿の巻き返しがなるか、ぺル枢機卿の名誉回復と復権が可能か、バチカン内の財政不正問題の解決など、問題は山積している(「2人の枢機卿が演じた犯罪ドラマ」2020年10月8日参考)。


 ▲丱船ンと中国共産党政権は2018年9月22日、司教任命権問題で北京で暫定合意(ad experimentum)したが、合意期限が失効する今月22日を前に、パロリン枢機卿は21日、「2年間、暫定的に延長する」と明らかにした。同時期、中国共産党政権も公式に発表した。欧米諸国では中国の人権蹂躙、民主運動の弾圧などを挙げ、中国批判が高まっている時だけに、バチカンの中国共産党政権への対応の甘さを批判する声が聞かれる。

 バチカンは中国共産党政権とは国交を樹立していない。中国外務省は両国関係の正常化の主要条件として、|羚馥眄への不干渉、台湾との外交関係断絶、の2点を挙げてきた。中国では1958年以来、聖職者の叙階はローマ教皇ではなく、中国共産党政権と一体化した「中国天主教愛国協会」が行い、国家がそれを承認してきた。それが2018年9月、司教の任命権でバチカンと中国は暫定合意した。

 バチカンは「司教の任命権はローマ教皇の権限」として、中国共産党政権の官製聖職者組織「愛国協会」任命の司教を拒否してきたが、中国側の強い要請を受けて、愛国協会出身の司教をバチカン側が追認する形で合意した。暫定合意はバチカン側の譲歩を意味し、中国国内の地下教会の聖職者から大きな失望の声が飛び出した(「バチカンが共産主義に甘い理由」2020年10月3日参考)。


 フランシスコ教皇は同性愛者の婚姻に対し、法的保護を支持する考えを明らかにし、バチカン内の保守派聖職者をパニックに陥らせている(オーストリア神学者パウル・ツーレーナー氏)。「神は全ての人々を抱擁する生き生きとした教会を願っている」として、同性者の権利を尊重しなければならないという声が聞かれる一方、保守派聖職者からは、「カトリック教義に基づけば同性愛は容認されない」として教皇の脱線発言に反発している。

 今回、一人の高位聖職者が語ったのではなく、“ペテロの後継者”であるローマ教皇が同性愛者の法的保護を主張したのだ。バチカン内では改革派と保守派で混乱が生じてきた。米教会のニューヨーク大司教であるティモシー・ドーラン枢機卿ら保守派聖職者から強い反発が予想される。

 フランシスコ教皇は21日、ロシアの監督の新しいドキュメント映画(フランシスコ)へのインタビューの中で、「同性愛者も神の子であり、婚姻して家庭を築く権利がある」と発言している。同時に、教皇は従来の男性と女性の婚姻の価値を評価する発言をしてきた。

 バチカン関係者は、「教皇の発言は、同性愛者への差別を排除し、その権利を擁護する一方、教会は男と女の婚姻を促進するという内容だ。その点、フランシスコ教皇の発言は何も新しくない」という。

 南米出身のフランシスコ教皇は過去、多くの問題発言をしてきた。同性愛問題でも教皇就任の年(2013年)、「同性愛者にああだ、こうだといえる自分ではない」と述べ、同性愛者に対し寛容な姿勢を示した。少なくとも、同性愛を認めない前法王ベネディクト16世とは明らかに違っていた。ただし、フランシスコ教皇はカトリック教義に反する決定はしていない。リベラル派聖職者の要求、例えば聖職者の独身制の廃止などといった要求に理解を示す一方、その改革にまでは踏み込んでいない。同性愛者の権利擁護発言もそのようなカテゴリーから判断すべきだろう(「教皇は『同性愛』を容認しているか」2018年12月5日参考)、「同性愛者の元バチカン高官の『暴露』」2017年5月11日参考)。

 上記の3件の事例の中で、はメディア受けするニュースだが、実質的な衝撃度はほとんどない。問題は,任△蝓外交的には△澄F辰法↓,錬嫁前のフランシスコ教皇の辞任を要求した「ビガーノ書簡」に匹敵するインパクトのある出来事だ。

 通称「ビガーノ書簡」とは、元バチカン駐米大使カルロ・マリア・ビガーノ大司教がまとめた書簡だ。ビガーノ大司教はその書簡の中で米教会のマキャリック枢機卿が2001年から06年までワシントン大司教時代に、2人の未成年者へ性的虐待を行ってきたことを暴露する一方、その事実を隠蔽してきたとしてフランシスコ教皇に辞任を求めたショッキングなものだ。その「ビガーノ書簡」は、バチカンばかりか世界のカトリック教会を震撼させる大事件となった(「『ビガーノ書簡』巡るバチカンの戦い」2018年10月8日参考)。

 世界は今、新型コロナ感染の猛威に大揺れとなっているが、世界に13億人の信者を擁するローマ・カトリック教会の総本山バチカンでは2年前の「ビガーノ書簡」の動揺がまだ収まらない中、今年8月以後、次々と不祥事や教皇の脱線発言が報じられ、バチカン内のリベラル派と保守派聖職者の間で再び対立が先鋭化してきた。バチカンの一部では、「次期法王選出会(コンクラーベ)の開催は案外近いかもしれない」という声も聞かれ出している。

感染者急増で活発化する「憶測情報」

 中欧のチェコで夏季休暇明けから新型コロナウイルスの新規感染者が爆発的に増加。人口1070万人の同国で16日、過去24時間の新型コロナウイルスの新規感染者数が初めて1万人を超えた。新規感染者数はその後も上昇し、21日には1万1984人になった。感染者累計は約19万4000人、人口10万人当たりの新規感染者数は欧州トップ。死者数は1600人を超えている。

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▲習近平国家主席と会談するチェコのゼマン大統領(新華網日本語版から、2019年4月28日)

 同国のプリムラ保健相は21日、「明日(22日)から第2のロックダウン(都市封鎖)を実施する」と発表した。期限は一応来月3日まで。3月の第1封鎖と同様、不要不急の外出は禁止される。食料品の買い物、職場に行く時、病院に通う時だけ外出が出来る。夫婦が健康維持のために短時間散歩することは認められている。全ての営業は閉鎖され、食料品店、薬局、医療関連施設だけがオープン。

 チェコ政府は10月12日、新型コロナウイルス感染拡大防止のための法律に基づき、公共の場の飲酒、飲食店の営業などを禁止する措置を導入したばかりだ。それでも新規感染者の増加をストップできない為、今回、同国全土を対象とした第2のロックダウンの実施となった。

 アンドレイ・バビシュ首相は21日、「残念ながら、現在の感染急増をストップさせるためにはロックダウンしかない」と国民に理解を求めている。同首相は現在の感染急増現象について、「狂ったように増え続けている」と表現しているほどだ。チェコは第1波の新型コロナ感染ではいち早くマスクの着用を実施するなど、イスラエルなどと共に短期間に感染を抑えることに成功し、欧州でも新型コロナ対策では高く評価されてきた経緯がある。

 同国のミロシュ・ゼマン大統領は16日、国民に向けてTV演説をし、「どうか感染防止の規制を遵守してほしい。マスクは目下、われわれが新型コロナに対抗できる唯一の武器だ。ワクチンができるまではこの小さな布がわれわれの防御だ」と述べる一方、国内で流布する噂などに惑わされないように警告を発している。

 興味深い点は、ゼマン大統領のマスクへの絶対的信頼発言ではない。国内に流れ出した噂や根拠のない憶測に惑わされないように国民に注意を促した点だ。新型コロナが欧州で感染し出した時、新型コロナに感染した国民に冷たい視線や特には攻撃が見られた。そのため、感染したことを隣人や知人に隠すといった現象が見られた。政治家や著名人が新型コロナに感染したニュースが頻繁に流れる一方、感染者が増加することで、コロナ・フォビアが減少してきたが、まだ皆無ではない。感染していない国民にとって、感染者は接触を避けなければならない危険人物という点では変わらないからだ。

 それだけではない。誰かが意図的にウイルスを広げている、といった類の憶測情報が流れ出していることだ。関東大震災(1923年)の時を思い出してほしい。震災後の混乱の中、朝鮮人が井戸に毒を流したといった噂が流れ、全く無関係の朝鮮人が多数、日本人から攻撃され、犠牲となった。自然災害でもそうだ。ましてや正体不明のウイルス(直径100から200ナノメートル)が相手だ。いつ、どこで感染するか誰も予想できない。だから根拠のない憶測が流れやすい状況がある。

 ゼマン大統領が国民向けの演説で「憶測情報には気を付けるように」と発言したのにはそれなりの根拠がある。すなわち、国内で既に憶測情報が流れているからだ。例えば、誰かが意図的にウイルスを放出し、感染者を増やしているといった情報だ。

 チェコでは中国武漢発新型コロナ感染が発生して以来、国内で反中傾向が見られる。特に、同国のミロシュ・ビストルチル上院議長が8月末から9月5日にかけ台湾を訪問し、中国から激しい批判だけではなく経済制裁を受けた。

 在チェコの張建敏中国大使は「必ず報復する」と勇ましく強迫した直後だ。台湾から招請されたヤロスラフ・クベラ前上院議長が不審な急死を遂げている。それらの内容は同国メディアを通じて国民に知らされている。だから、「新型コロナ感染急増の背後にはひょっとしたら…」といった類の憶測が生まれてくるわけだ(「中欧チェコの毅然とした対中政策」2020年8月10日参考)。

 ちなみに、ゼマン大統領は元共産党幹部であり、親ロシア、親中国派で、今回の上院議長の台湾訪問でも、行くべきではないと警告を発した最初の政治家だ。同大統領の「憶測情報に気を付けよ」は中国側からの依頼に基づく可能性は排除できない。

 憶測情報は、過去に起きた様々な「点」と「点」が結び付き、そこで浮かび上がってくる「線」をもとに、一見、もっともらしく考えられる情報だ。憶測情報の場合、その結論を裏付ける決定的な証拠が欠けている。それ故に、根拠のない情報ということになる。憶測情報が後日、事実だったということが判明することもあるが、多くは時間の経過と共に消滅していく。

 新型コロナの新規感染者が急増する欧州では、政府が実施する感染規制に対して一部国民から強い反発が起きている。チェコでは規制反対派のデモが警察隊と衝突し、警察側に負傷者が出るという不祥事が報告されている。ドイツでも規制反対の抗議デモが起きている。

 我々は新型コロナ感染に要注意だが、同時に、国民を煽る情報、憶測情報などにも警戒する必要がある。憶測情報は国民が感じている「不安」にそっと囁きかけてくるからだ。多くの人は「不安」を追っ払うためにその憶測に飛びつき易くなる、というわけだ。

世界で恥を広げる中国の「戦狼外交」

 ボクサーはリングで、サッカーはピッチで、野球は球場で戦う。一方、海外に派遣された外交官はホスト国で自国の国益を守るために丁々発止のやりとりをしながら奮闘するが、その外交官が拳を振り回して相手を攻撃したり、威嚇すればどうなるだろうか。れっきとした犯罪行為となり、最悪の場合、国外追放される。そんな外交官は稀だろうが、北京から派遣された外交官は相手が中国側の要求を受け入れないとリングに上がったボクサーのように拳を直ぐに振るい始めるのだ。

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▲中国で人気のあるアクション映画「ウルフ・オブ・ウォー」(「戦狼2」のポスター)=維基百科から、ウィキぺディアから

 中国共産党政権から海外に派遣された外交官は習近平国家主席の下では「戦狼」(戦う狼、ウルフ・オブ・ウォー)であることを求められるから、外交官試験を通過したエリート集団の日本外交官とは出発から違う。すなわち、北京の外交官は派遣先で戦う狼のように暴れることが期待されているから、頭脳と共に強靭な体力、腕力が求められるのだ。

 卑近な例を挙げる。台湾の駐フィジー出先機関は今月8日、首都スバで双十節(建国記念日)の祝賀パーティーを開催したが、そこに招いてもいない2人の中国大使館の職員が闖入、止めようとした台湾側の関係者ともみ合いになる騒ぎとなった。台湾外交部(外務省)によると、制止しようとした台湾職員が軽い脳震盪を起こして病院に運ばれたという。

 拳を振り上げなくても、脅迫や威嚇は日常茶飯事だ。特に、相手国が開発途上国である場合、最初から力の外交を展開させる。拳を振り上げなくても相手を中国の言いなりにすることが簡単だからだ。習近平主席が提唱した「一帯一路」構想に参加させるために、最初は甘い言葉をかけ、参加後は相手国を債務支払い不能国として、中国のいいなりにする。どこかのマフィア、ヤクザのようなやり方ではないか。

 フランス西部ナントにある歴史博物館は今月、モンゴル帝国の創設者チンギスハーンに関する展示会の開催を予定していたが、中国から「チンギスハーン、帝国、モンゴルといった言葉を展示会では削除するように」と“要請”を受けたことから、中国の検閲に強く反発し、開催の延期を決定している。中国共産党政権は自国の歴史観と一致しない場合、絶対に受け入れない。「わが国の要求を受け入れるか、さもなければ開催するな」といった構図で、妥協の余地がないのだ。

 中国で今年に入り、内モンゴル自治区で教育の華語(中国語)化(実質的なモンゴル語の廃止)など同化政策を強要、民族純化政策を強行している。だから、モンゴル民族のチンギスハーンを称賛するような展示会は絶対に許さないわけだ。

 このコラム欄でも紹介したが、中欧のチェコのナンバー2、クベラ上院議長(当時)が台湾から招待されたが、北京側は必死に威嚇外交を展開し、チェコ上院議長の訪台を阻止するために奮闘した。そのクベラ上院議長は今年1月、中国からの圧力、脅迫が原因と思われる心臓発作で急死してしまった。同議長の夫人の証言によると、クベラ前議長は駐チェコ中国大使館で張建敏中国大使と会談した3日後、心臓発作で亡くなったが、中国側は「訪台すれば、チェコの対中貿易関係に大きな支障が生じるだろう」とあからさまに脅迫していたという。

 クベラ氏の夫人がチェコのTV局番組などで中国大使館主催の夕食会の様子を明らかにし、「夕食会当日、中国大使館職員から、夫と離れるよう要求された。張建敏・駐チェコ中国大使と1人の中国人通訳が夫を別室に連れて行き、3人で20〜30分話した。夫は出てきた後、かなりストレスを感じている様子で、酷く怒っていた。そして、私に『中国大使館が用意した食事や飲み物を絶対に食べないように』と言った」と語ったという(「中欧チェコの毅然とした対中政策」2020年8月10日)。

 上記の中国大使の言動は、もはや外交官というより、マフィアのやり方だ。相手次第では最後の手段(殺人)をも辞さない。多くの西側外交官も驚くというより、怖くなる。文字通り、狼に襲われたような怖さだ。

 ちなみに、国連総会は今月13日、人権理事会の理事国選挙を実施したが、中国はロシアと共に理事国に選出されているから、国連外交が如何にいい加減か想像できるだろう。

 中国外交官は単に拳だけではない。ハッカー攻撃からフェイク情報工作までIT技術を駆使して相手側に攻撃を仕掛ける。欧米の最先端の知識人、科学者など海外ハイレベル人材招致プログラム「千人計画」では、賄賂からハニートラップなどを駆使して相手を引き込み、絡めとる。

 大学教授や研究者の場合、中国共産党が提供する研究費支援、贅沢三昧の中国への旅、ハニートラップなどが「甘い汁」だ。その禁断の実を味わうと、もはやそれを忘れることができなくなるから、最終的には中国共産党の言いなりになってしまう。そして立派なパンダハガーとなっていくわけだ(「トランプ政権の『パンダハガー対策』」2020年8月1日参考)。

 中国共産党政権から欧州に派遣された外交官の場合、新型コロナ問題に始まり、香港国家安全維持法の施行、新疆ウイグル自治区の人権問題、法輪功メンバーへの臓器強制移植問題などを抱え、駐在先の国から厳しく追及されるケースが増えてきた。北京からは成果を追及される。戦狼とはいえ、ストレスも溜まるわけだ。だから、普段は冷静な中国外交官もついつい拳を挙げてしまう。一種の悪循環だ。北京の「戦狼外交官」は、その内情を知ってみれば、辛い立場だということが分かる。中国でヒットしたアクション映画「ウルフ・オブ・ウォー」のようにはいかないのだ。
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