ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2019年07月

人はなぜ「教会」から出ていくのか

 ドイツのローマ・カトリック教会で信者の教会離れが加速してきた。19日公表された教会統計によると、独教会の昨年教会脱会者数は21万6078人で前年比で29%増だった。昨年の脱会者数は戦後、2番目に多い。最高は2014年で、脱退者数は21万7716人だった。

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▲教会の告解室は空だ(バチカンニュースHPから)

 ドイツ教会司教会議(DBK)のハンス・ランゲンデルファー書記は、「最新の統計は深刻な懸念だ。統計は飾ることができない。教会で過去、顕著となってきたトレンドを反映しているからだ。教会側はネガティブな統計を自己批判的、建設的に向かいあって、真剣に考えていかなければならない」と述べている。

 5月に公表された教会信者数の動向に関する研究によると、ドイツのカトリック教会は西暦2060年までに現在の半分に縮小するという予測が出ている。同書記は「今回の教会脱会者数はその予測を裏付けている」と受け取り、「『マリア2・0イニシャティブ』が示すように、信者たちは教会の刷新を願っている」と強調する。

 ちなみに、ドイツのカトリック教会で「マリア2・0」運動と呼ばれる女性グループが男性主導の教会組織から脱皮し、女性たちにも聖職の道を要求して1週間(5月11日から18日)の「教会ストライキ」を行ったばかりだ(独教会の女性信者が『スト』に突入」2019年5月14日参考)。

 教会脱会者数以外の教会統計では、教会婚姻4万2789人で前年比で微増する一方、洗礼者、初聖体拝領、堅信礼、教会葬儀数は微減した。一方、昨年6303人が教会に戻ってきている。前年はその数は6685人だった。教会に初めて入会した信者数は2442人で2017年の2647人より約8%減少した。日曜礼拝参加の割合は9・3%で過去最低を記録した。17年は9・8%だった。10人の信者のうち、日曜礼拝に参加する信者は1人弱ということになる。教会はクリスマスと復活祭といったイベント以外はがら空きの寒々しい風景というわけだ。

 参考までに、ドイツではローマ・カトリック教会の信者数は昨年末現在、2300万2128人だった。ドイツ全人口の約28%がカトリック信者ということになる(2017年2331万1321人)。一方、、プロテスタント教会では昨年、22万人が教会を脱会して、17年比で11・6%増だった。ドイツでは新旧教会の信者数はドイツ全体で53・2%。正教徒や他のキリスト教徒数を含めばその割合は56・1%(17年57・6%)。

 教会の信者たちが教会から背を向けるのはある意味で当然だろう。聖職者の未成年者への性的虐待事件が発覚し、教会上層部がその性犯罪を隠蔽してきたことが明らかになり、教会への信頼が大きく崩れたからだ。教会という世界最古の機関がその土台から崩れ出したのだ。

 ドイツ教会のDBKが昨年9月公表した聖職者の未成年者への性的虐待事件の調査結果によると、1946年から2014年の68年間で3677人の未成年者が聖職者によって性的虐待を受け、少なくとも1670人の神父、修道院関係者が性犯罪に関与した。また、「聖職者の性犯罪では関連書類が恣意的にもみ消され、操作されていた」という(「独教会『聖職者の性犯罪』をもみ消し」2018年9月14日参考)。

 世界最古の少年合唱団として有名なドイツの「レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊」(Domspatzen)内で1953年から1992年の間、総数422件の性的暴行・虐待事件が起きていたことが報じられた時、ドイツ国民は大きなショックを受けたことはまだ記憶に新しい(「独教会の『少年聖歌隊』内の性的虐待」2016年10月16日参考)。

 信頼を構築するのには時間と忍耐が必要だが、失った信頼を取り戻すためにはそれ以上の時間が必要となる。多くの信者が「教会」から出ていくが、彼らが「神」を捨てて出ていくというより、「教会」という組織の拘束から解放され,個人で神への信仰を深めていく傾向が出てきたのではないか。信仰の民営化現象だ。実際、多くの若者は物質的な世界から霊的な世界に関心を持ち出してきている。

 インターネットの発展で情報・知識を入手する機会は均衡化してきた。学校へ行かなくても知識や情報は入手できる。同じように、教会に行かなくても神との対話は可能だ。神はキリスト教初期時代、迫害に耐え、結束を堅持するために守りの館として教会を創設したが、教会が神から離れていく時、教会は神への信仰の手助けとなるどころか、障害となってきている。教会の現状はそれに近いだろう。

 宗教改革者ルターは固陋な伝統と腐敗に陥った教会から飛び出し、信仰の原点・聖書に戻れと叫んだ。あれから500年以上が過ぎた。21世紀に入り、教会が「神」を独占した時代は過ぎ去ろうとしている。

地球衝突リスクの高い「小惑星」の話

 欧州でも様々な賭け事がある。スポーツ分野ではサッカーの試合、ボクシングの世界タイトル戦、政治分野では選挙の行方、政治家の当落、有名な女優の出産時の新生児の性別までいろいろだ。ここまで賭けなくてもいいのにと思うこともある。「人間は賭ける存在だ」といえばそれまでだが。

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▲地球に接近する小惑星(欧州宇宙機関=ESA公式サイトから)

 さて、1対7000の掛け率(オッズ)を読者の皆さんはどのように受け取られるだろうか。例えば、サッカーやボクシングの世界ではありえない掛け率だ。せいぜい1対3程度だ。ところが、欧州宇宙機関(ESA)は16日、プレスブリーフィングで小惑星「2006QV89」が今年9月、地球に衝突する可能性はなくなったが、衝突する可能性は1対7000だったと発表した。惑星の地球衝突リスクの確率が4桁内ということは非常に危険だったことを意味する。

 考えてみてほしい。欧州レベルで行われる富くじ(ロット)の当たる確率は1億4000万対1だ。ほぼ当たらないと考えていい。しかし、今回の小惑星の場合、1対7000だった。我々は事前には知らされなかったが、小惑星が地球に衝突するリスクが高かったわけだ。

 ESAによると、小惑星「2006QV89」の大きさは20メートルから最大50メートル。7月初めのチリ観測データによると、同惑星が9月9日、地球に衝突する危険性はなくなったという。ただし、同惑星は2023年に地球に接近する軌道に再び入るという。同小惑星が地球と衝突すれば、その爆発規模は広島級原爆の100倍にもなるというのだ。

 2013年2月15日、6年前、直径20メートル、1万6000トンの小惑星が地球の大気圏に突入し、隕石がロシア連邦中南部のチェリャビンスク州で落下、その衝撃波で火災など自然災害が発生したのはまだ記憶に新しい。約1500人が負傷し、多数の住居が被害を受けた。ESAによると、今後100年以内に地球に急接近が予測される870の小惑星をリストアップしている。

 「2006QV89」は2006年8月に発見された。発見後、10日間ほど観測されたが、観測データに基づくと、2019年9月9日には地球に衝突することが予測された。確率は当時、1対7000だったわけだ。

 ESAとチリにある「ヨーロッパ南天天文台」 (ESO) は連携し、今年7月4、5日、地球に衝突する危険性のある「2006QV89」をESOのパラナル天文台の超大型望遠鏡(VLT)を利用して観測した。

 小惑星を正確にその位置と軌道を観測することは難しいが、観測された場合、軌道を計算し、地球に衝突する可能性があれば、厳密にフォローすることになる。天文学者は、「一度観測された小惑星が再度観測され、地球に衝突するコース上にあれば要注意だ。われわれは願わくば危険性のある小惑星とは再会したくはない」という。

 小惑星の衝突は過去にもあったし、将来も考えられるが、惑星の軌道を正確に計算できない限り、予測が難しい。地球が大きなダメージを受けるほどの惑星の衝突は過去、記録されていないが、大昔、生存していた恐竜の突然の消滅の背後には、惑星の地球衝突があった、という学説は聞く。ちなみに、米映画の「アルマゲドン」(1998年製作)や「ディープ・インパクト」(同年)などは惑星や彗星が地球に衝突するという台本だ。

 「2012DA14」と呼ばれている小惑星が2013年2月、地球を通過した時、このコラム欄で以下のように書いた。

 「小惑星の急接近は、一時的にせよ地球上の紛争やいがみ合いを忘れさせ、私たちの目を宇宙に向けさせる機会となるだろう。ひょっとしたら、小惑星の急接近は、私たちの思考世界を地球の重力から解放し、偏見も拘りもない、自由な世界に飛躍させてくれるかもしれない」(「『思考』を地球の重力から解放せよ」2013年2月9日参考)。

 今回の「2006QV89」の地球衝突リスクについての報道を読んで、同じように感じている。私たちの思考世界を地球の重力から解放すべき時を迎えている。20日は米アポロ11号が人類初の月面着陸を達成して半世紀が経過する日だ。

メルケル独首相:震えと家族の「死」

 独週刊誌シュピーゲル(7月13日号)はメルケル独首相(65)の健康不安問題に関連し、興味深いインタビューを掲載していた。米国ニューヨークに住む著名な女性作家シリ・ハストヴェット(Siri・Hustvedt)さんとの会見記事だ。同作家(64)はメルケル首相と同じように、突然、体が震えてくる体験をしている。神経科医や様々な医者にかかったが、原因は分からない。その時の体験をもとに、脳科学・哲学・文学などの知見をひもときながら治療にのぞむ「震えのある女」(副題「私の神経の物語」)という本を出している。

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▲第4次政権が発足し、施政演説するメルケル首相(2018年3月21日、ドイツ連邦議会で、ドイツ民間放送の中継から)

 ハスヴェットさんは講演の時、突然手が震えだしたという。自身は健康だと思っていただけにショックを受ける。そこで原因を探しだすために、3人の医者、心理学者、神経学者、一般の家庭医にかかったが、原因は分からなかった。彼女の場合、「パニック発作ではなかった。なぜならば、震えている時も講演は続けられたからだ。震えた後、自分は正常に戻る、謎だ。だから、脳研究、心理分析の知識で自身の症状を診断していった。本の中では自分は患者であり、同時に医者の立場だった」という。

 注目すべき点は、ハスヴェットさんの手の震えは彼女の父親の死から2年が経過した後、講演で父親の話をしている時から始まった、という事実だ。奇妙な一致だが、メルケル首相は今年母親を亡くしている。それだけではない。メルケル首相の与党「キリスト教民主同盟」(CDU)に所属していたドイツ中部ヘッセン州カッセル県のワルター・リュブケ県知事が先月2日未明、殺された。同県知事はメルケル首相の難民歓迎政策を熱心に支持してきた政治家だ。身近な親族の死と党仲間の暗殺事件という出来事がメルケル首相の脳裏の中で「震え」を呼び起こしたのでないか、という推察が生まれる。

 ハスヴェットさんはその受け取り方を否定していない。「精神と肉体を分離して考える見方はナンセンスだ。我々の脳は体の機能にも影響を及ぼすことは体験済みだ」という。ハスヴェットさんは本を出版して以来、手の震えは消えていったという。

 メルケル首相は17日、65歳を迎えた。同首相は昨年10月、2021年の任期満了後、政界から引退すると表明してきた。そのメルケル首相の震えが始まったのは先月18日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンキー新大統領を迎えてベルリンで歓迎式典が挙行された時だ。両国国歌演奏中、メルケル首相の体が大きく震えだした。メルケル氏の意思とは無関係に体が激しく揺れだしたのだ。メルケル氏は記者会見で、「水を飲んだので良くなった」と説明、健康不安説を払しょくした。その日のベルリンは30度を超す暑い日だったので、メディアでも「暑さによる脱水症状ではないか」と報じられた。

 そして先月27日、ベルリン大統領府でクリスティン・ランブレヒト法相の就任式があった。式に参席したメルケル氏の体が再び震えだした。その時、水が運ばれたが断り、震えはまもなく収まった。今月10日、3度目の震えが襲ってきた。フィンランドのリンネ首相を迎えてベルリン連邦首相府前での歓迎式典の国歌演奏の時だ。そして11日、デンマークのフレデリクセン首相を迎えた時、連邦首相府は歓迎式典の場に2つの椅子を用意した。メルケル首相はその椅子に座り、式典に臨んだ(「『ポスト・メルケル』の到来早まるか」2019年7月13日参考)。今月16日にもベルリンを訪問したモルドバのマイア・サンドゥ首相を歓迎する式典でメルケル首相は座って式典に臨んだ。

 メルケル首相は自身の健康問題について聞かれた時、「自身の健康には関心があるから健康には留意している」と説明したが、震えが出てから医者の診察を受けたかについては返答を控えている。

 東西両ドイツの再統一、その後コール政権に参加するなど、これまで長い期間、政治家として歩み、ストレスがメルケル氏の体で溜まっていることは間違いないだろう。最近では、難民歓迎政策で厳しい批判にもさらされてきた。そこに母親の死、党仲間の突然の暗殺などが短期間に重なった。そして突然「震え」が出てきたのだ。

 メルケル首相もハスヴェットさんも体に異常が出る前に身近な親族や知人の死に直面している。その時の喪失感、痛みは本人が自覚する以上に大きなインパクトを与えてきたのだろう。その精神的痛みが耐えられない状況までになった時、体の異変となって表れてきたのではないか。

 メルケル独首相は経験豊富な政治家だが、一人の人間として様々な喪失感、痛みを感じながら歩んできたはずだ。メルケル首相の「震え」は、人間が限りなく精神的存在であることを裏付けているといえる。

EU新委員長「パワフルな欧州を」

 欧州連合(EU)の欧州議会のストラスブール本会議で16日、加盟国28カ国の首脳会談でユンケル欧州委員会委員長の後継者に推挙されたドイツのフォンデアライエン国防相(60)が過半数の支持を獲得して、新欧州委員長に承認された。フォンデアライエン氏は欧州議会の第一会派「欧州人民党」(EPP)の支持の他、リベラル会派、第2会派の「社会民主進歩同盟」(S&D)からも支持を得て承認に必要な議会過半数374票を超える383票を獲得した。「緑の党」会派、左翼党会派は反対に回った。女性の欧州委員会委員長は初めて。ドイツ人出身の欧州委員長はほぼ半世紀ぶり。

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▲欧州議会で自身の政策を表明する新欧州委員長のフォンデアライエン氏(2019年7月16日、ドイツ民放の中継から)

 フォンデアライエン氏は承認後、「私を支持してくれた議員に感謝する。非常に興奮している」と喜びを表し、強い欧州を建設するために議員に結束を呼び掛けた。同氏はドイツの与党「キリスト教民主同盟」(CDU)に所属し、第4次メルケル政権下の国防相を務めてきた。ちなみに、同氏は15日、欧州議会での採決結果とは関係なく、17日に国防相を辞任する意向を表明し、欧州議会の承認に背水の陣を敷いて臨んだ。

 EU首脳会談でフォンデアライエン氏は推挙されたが、欧州議会での承認は不確かだった。支持が確実なのは欧州人民党の182票だけで、過半数の374票まで程遠いだけに、支持を表明済みのリベラル会派(108票)だけではなく、社民党系会派(154票)や「緑の党」会派(74票)からの支持票が不可欠だった。

 同氏は16日午前の演説で親欧州路線を改めて鮮明化する一方、社民党系や緑の党の支持を得るために社会の公平、最低賃金の設定、欧州共通の失業者保健の確立など、社会対策を強調する一方、地球温暖化対策ではCO2排出量を2030年前までに40%から55%減少させ、CO2税の導入、環境保護のための欧州銀行創設などのイニシアチブを提案。難民・移民対策では新難民協定の提示、国境の警備強化と共に、地中海の難民問題では「人道的な支援」の重要性を強調した。

 緑の党会派は「環境対策への意欲は評価できるが、十分ではない」として、会派としては反対を表明。一方、社民党系はフォンデアライエン氏から多くの譲歩を勝ち得たとして会派として支持を示唆したが、反対に回った議員も出た。なお、投票は無記名式で、会派の票の詳細な流れは不明だ。

 新欧州委員長の前には難問が山積している。フォンデアライエン氏は記者会見で、「仕事が始まった。パワフルな欧州とするためには優秀な欧州委員が選出されなければならない」と表明、11月1日の就任を迎えるまでに欧州の刷新を実施していく意向を明らかにした。

 欧州議会で欧州人党会派と社民党系会派で過半数を支配してきた時代は終わった。5月の欧州議会では欧州に懐疑的な極右派・民族主義派政党が躍進し、欧州議会の運営はこれまで以上に難しくなってきた。今回の新委員長支持率は51・3%に留まった。

 EUは今日 移民・難民対策から経済政策、環境問題の対策などの難問に対峙、EUの共同政策より、自国の国内政治を優先する傾向が加盟国内で高まってきた。例えば、東欧のEU加盟国でヴィシェグラード・グループ(地域協力機構)と呼ばれるポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの4カ国ではその傾向が強まってきている。

 また、英国の離脱(ブレグジット)が控えている。EU離脱は英国経済に大きな影響を与えることは必至だが、ドイツに次いでEU第2番目の経済大国・英国を失ったEUの未来にも大きな影を投じている。トランプ米政権との関係も難問だ。EUと米国の間には貿易問題から安全保障政策まで利害の対立が表面化してきた。外交面でも対中国、対ロシアで加盟国間に相違が出てきている。ハンガリーやギリシャなど親中国派の加盟国は中国のEU市場進出を歓迎している。

 ブリュッセル生まれで、「生来欧州人だ」というフォンデアライエン氏がユンケル時代に停滞してきたEUの機構改革を実施し、加盟国の結束を強化し、EUをパワフルな機構に生まれ変わらせることができるか、国際社会はEU新委員長の政治手腕に注目している。

「告白」の守秘義務は厳守すべきか

 人は死ぬまで秘密を保持することは難しい。例えば、ウォーターゲート事件(1972年6月〜74年8月)の場合でもワシントン・ポスト紙記者に情報を流した情報源「ディ―プ・スロート」と呼ばれた内部情報提供者(マーク・フェルト当時FBI副長官)は「自分だ」と告白してから亡くなった。死ぬ前に、生きている世界での秘密を明らかにし、決着をつけて別の世界に旅立ちたいという衝動に駆られるからだろうか。秘密を自分の墓場まで持っていく人間は案外少ない。

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▲オランダ・北ブラバント州にある伝統的な告解室(ウィキぺディアから)

 ところで、医者や弁護士には職業上、患者やクライアント(依頼人)の情報を他言してはならない守秘義務がある。ローマカトリック教会の聖職者にも同様の義務がある。告白の守秘だ。信者が告解室で語った内容を他に漏らしてはならない。しかし、聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、教会への信頼が著しく傷つく一方、教会上層部が性犯罪を犯した聖職者を隠蔽してきたという実態が明らかになった結果、聖職者の告白の守秘義務を撤回すべきだという声が高まってきた。

 一人の神父が信者から犯罪行為、性的犯罪を告白されたとする、神父は即警察当局に連絡すべきか、それとも信者の懺悔は神への告白であるから、その秘密を他言しないか、の選択を強いられる。聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発して以来、この質問は教会内外で頻繁に問われてきたテーマだ。

 米教会では過去、数万件の聖職者の未成年者への性的虐待事件が発生してきた。それを受け、告解の守秘義務、赦しの秘跡(サクラメント)の死守は次第に厳しくなってきている。

 米国カルフォルニア州で告解の守秘義務を廃止すべき内容を明記した関連改正法が提出され、州上院では採択されたが、議会公共安全委員会で否決されたばかりだ。

 提出された改正法案(SB360)では、聴罪神父が性的犯罪を信者から聞いた場合、警察当局に即連絡することを義務づけるという趣旨だ。それに対し、ロサンゼルスのペーター・ゴメツ大司教は、「アメリカ国民の良心への脅威だ」と警告。カトリック教会以外の他の宗派でもSB360に反対を表明し、「信教の自由」への攻撃だという共同声明が作成された経緯がある。 

 ローマ・カトリック教会の信者たちは洗礼後、神の教えに反して罪を犯した場合、それを聴罪担当の神父の前に告白することで許しを得る。一方、神父側は信者たちから聞いた告解の内容を絶対に口外してはならない守秘義務がある。それに反して、第3者に漏らした場合、その神父は教会法に基づいて厳格に処罰されることになっている。告解の内容は当の信者が「話してもいい」と言わない限り、絶対に口外してはならない。告解の守秘はカトリック教会では13世紀から施行されている。

 カトリック教会では、告解の内容を命懸けで守ったネポムクの聖ヨハネ神父の話は有名だ。同神父は1393年、王妃の告解内容を明らかにするのを拒否したため、ボヘミア王ヴァーソラフ4世によってカレル橋から落下させられ、溺死した。

 バチカン・ニュースは今月1日、法王庁裁判所がまとめた文書を掲載し、「告白の他言を厳格に禁止してきたが、デジタルな世界の今日、フェイクニュースが広がり、全ては秘密にしておくことが難しくなってきた。そのような状況下で、世論の声が最終審判の声といった感じが強まってきた。世論の声にカトリック信者たちも影響を受けてきた。その結果、全てに透明性を重視すべきだという論理になるわけだ。告白の守秘義務は危機に直面している」と指摘している。

 バチカンの立場は明らかだ。赦しのサクラメント(秘跡)は完全であり、傷つけられないもので、神性の権利に基づいているというわけだ。例外はあり得ない。それは告白者への忠誠というより、この告白というサクラメントの神性を尊敬するという意味からだ。その点、信頼性に基づく弁護士や医者の守秘義務とは違う。告白者は聴罪神父に語るというより、神の前に語っているからだ。 

 なお、告白の守秘は悪(悪行)を擁護する結果とならないか、という問いに対し、「告白の守秘義務は悪に対する唯一の対策だ。すなわち、悪を神の愛の前に委ねるからだ」という。果たして、その説明で教会外の世界で理解を得られるだろうか。繰り返すが、聖職者の未成年者への性的虐待の多発、その事実を隠蔽してきた教会上層部への教会内外の信頼は地に落ちているのだ。聖職者の前に告白する信者が減る一方、告白の守秘義務の撤回を求める声が高まってきたのはある意味で当然の流れだ。

人類初の月面着陸とローマ法王

 米国のアポロ11号が人類初の月面着陸してから今月20日で50年目を迎える。米国だけではなく、全世界で人類の宇宙への扉を開いたアポロ11号の快挙を祝うイベントが行われる。

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▲月面に降りた2番目のムーンウォーカー、アポロ11号のオルドリン宇宙飛行士(NASA提供、1969年7月20日)

 世界に13億人以上の信者を抱えるローマ・カトリック教会の総本山バチカンでも1969年7月20日、米国のアポロ11号の人類初の月面着陸は大きな関心を持ってフォローされた。多くのバチカン関係者はテレビの前にくぎ付けとなった。

 ローマ法王パウロ6世(任期1963〜78年)は当日、ローマ郊外のカステル・ガンドルフォにあるバチカン天文台でアポロ11号の快挙を追っていた。それに先立ち、バチカンは旧約聖書詩編第8章を刻んだ小さな金板を宇宙飛行士に渡し、月面着陸後、それを記念として月に残していくことになっていた。

 アポロ11号の宇宙飛行士が月面着陸直後、パウロ6世はラジオで世界に向かってメッセージを流した。

 「科学技術は無類の、複雑で勇気ある方法で最高頂点に立ち、これまでファンタジーで夢に過ぎないと思っていたことを成し遂げた。サイエンスフィクションは現実となった。この素晴らしい出来事から人類、世界、文明について、特に人類について考えなければならない。このような偉大なことを成し遂げることができる人間とは誰だろうか。小さく、壊れやすい存在だが、卓越しており、時間と空間を超え、物質世界を支配する人間とは。私たちは一体誰なのだろうか」


 そしてパウロ6世は旧約聖書の詩編第8章を引用する。

 「私は、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか。人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、万の物をその足の下におかれました」

 パウロ6世は「神が創造された人間は秘密に満ち、月よりも大いなる存在であることを示している。その起源とその使命で人は巨人であり、神のようだ。人の威厳と精神と生命を称えよう」と述べてメッセージを閉じている。

 パウロ6世のメッセージを読むと、人類初の月面着陸を目撃した法王の感動と興奮が伝わってくる。その偉業を成した人間のすばらしさをローマ法王は称えているわけだ。

 興味深い事実は、バチカンは天文学ファンということだ。バチカンは1891年、ローマ法王レオ13世時代(在位1878〜1903年)にローマ郊外のカステル・ガンドルフォにバチカン天文台を開設した。伝統的にイエズス会の天文学者が管理している。バチカンは米国のアリゾナ州にも独自の天文台で観測を行っている。生命存在の可能性(ハビタブルゾーン)のある惑星ケプラ452bが発見された時、バチカン天文台のホセ・ガブリエル・フネス所長は「ケプラー452bで生命体が存在可能か確認することが急務だ。可能となれば、神学者はそれについて論じなければならないだろう」と指摘し、太陽系外惑星のケプラー452b発見の意義を興奮気味に語っている。

 キリスト教の世界観によれば、神は人間を含む万物万象を創造した。そして地球上だけではなく、姉妹惑星にも同じように息子、娘たちを創造していたとすれば、地球中心の神観、生命観、摂理観の修正が余儀なくされる。中世のキリスト教会は天動説が否定された時、大きなショックを受けたが、21世紀のキリスト教会はそれ以上の大きな衝撃を受ける可能性が予想されるわけだ(「惑星『ケプラー452b』とバチカン」2015年7月27日参考)。

 ちなみに、フネス所長はバチカン日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノとのインタビューで、神の信仰と宇宙人の存在を信じることは矛盾しない。神の創造や救済を疑わず、人間より発達した存在や世界を信じることは全く正当だ」と主張し、注目された(「『神の創造論』と宇宙人の存在」2008年5月16日参考)。

 アポロ11号の月面着陸から半世紀が経過する。アメリカン航空宇宙局(NASA)を中心とした世界の宇宙開発者は次の目標を月から火星に向けてきた。同時に、世界の投資家たちが人類の本格的な宇宙旅行の道を開こうと競っている(「人類初の月面着陸50周年を迎えて」2019年7月11日参考)。

 パウロ6世のメッセージではないが、アポロ11号の月面着陸は人類の偉大さを物語る一方、月を含む宇宙の無限さ、その精密さなどを人類に教えている。宇宙軍の設置、宇宙戦争といった話が大国間で報じられているが、宇宙は戦いの舞台ではなく、その創造の美を称える比類なき芸術作品だ。人類は宇宙に向かって感謝と謙虚さを忘れずに前進すべきだ。

少女行方不明事件:「墓は空だった」

 バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の傍にあるドイツ人巡礼者用のテウト二コ墓地(Campo Santo Teutonico)で11日、2つの墓が開けられたが、墓の中は空だった。バチカン側の許可を受けて墓を開けた関係者は唖然としたことだろう。最も驚いたのはその墓に中に36年前行方不明となった娘、ェマヌエラ・オルランディ(当時15歳)の遺骨が入っていると信じていた家族関係者と墓の本来の持ち主の家族だろう。

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▲36年前の少女行方不明事件に関連して墓を検証する(バチカンニュースのHPから、2019年7月)

 遺骨ばかりか、棺もなかった。ローマからは法医学者や警察関係者が立ち会っていた。彼らは遺骨から性別、年齢などを測量し、36年前に行方不明となった少女との関係を検証することになっていた。「墓は空だった」というニュースは墓地の外で待機していた多くのジャーナリストたちにも知らされると、同じように驚きの声が漏れたという。

 今回の墓の検証は、オルランディ家の Laura Sgro弁護士に昨年8月、一通の匿名書簡が届き、その中で今回開いた墓の棺の中に「エマヌエラの遺骨が入っている」という情報が記述されていたことがきっかけだ。書簡には2つの墓の写真も入っていた。そのため、同弁護士はバチカンのナンバー2、パロリン国務長官(枢機卿)に墓の再鑑定・検証の認可を要請したという経緯がある。

 通称「オルランディ行方不明事件」は1983年6月22日に遡る。法王庁内で従者として働く家庭の15歳の娘、エマヌエラ・オルランディさんはいつものように音楽学校に行ったが、戻ってこなかった。関係者は行方を探したが、これまで少女の消息、生死すら分からずに36年の歳月が過ぎた。その間に様々な憶測や噂が流れた(「バチカン、少女誘拐事件に関与」2017年9月21日参考)。

「墓が空だった」と分かると、当然だが「バチカン側が事前に移動したのではないか」といった憶測が流れた。バチカンニュースのアンドレア・トル二エッリ編集長は、「考えられない」と一蹴する。今回の2つの墓に少女の骨があるという匿名の書簡は昨年8月、弁護士宛てに送られたというから、墓を開けるまでほぼ1年の時間があったわけだ。すなわち、墓の中の遺骨などを移動させる時間は十分あった。トル二エッリ編集長は、「バチカンが墓を開けることを認めたのは決してバチカン側が事件に関与していたことを告白したからではない。人道的配慮からだ」と弁明している。

 2つの墓は、一つは1836年に亡くなったソフィ・フォン・ホーエンローエ王女と1840年に死去したメクレンブルクのチャロッテ・フリデリケ公爵夫人の墓だ。ホーエンローエ家の墓には縦4m、横3m70cmの広い空洞があったという。地方の貴族出身者の墓だ。

 妹エマヌエラの行方を捜してきた実兄、ピエトロ・オルランディさん(60)は、「故ヨハネ・パウロ2世がわが家を訪ね、エマヌエラはテログループに誘拐された可能性が高いと語ったことがある。今から考えると、初期捜査の方向をテロ関係者に恣意的に集中させるためにそのように語ったのではないかと思う」という。また、「フランシスコ法王もわが家を訪ねて励ましてくれたが、法王が『心配しなくてもいい。エマヌエラは天国だから』と述べた言葉を今でも忘れることができない。まるでエマヌエラが既に亡くなっていることを知っているようにだ」と語り、「バチカンは我々以上に妹の行方を知っていることは間違いない」と強調している。

 エマヌエラの行方不明事件に対してイタリアでは過去、多くの憶測情報が流れた。誘拐説、マフィア関与説などだが、いずれも実証されずにきた。イタリアの著名なジャーナリストはバチカンの文書に基づいてエマヌエラ生存説すら報じた。最近では、昨年10月30日、ローマのバチカン大使館別館の改装作業中、人骨が発見された。その時、イタリアのメディアでは、この人骨が1983年に行方不明となったエマヌエラではないか、といった憶測記事が流れた。法医学の調査結果、人骨は男性で、時代はエマヌエラが生まれる前だったことが判明したばかりだ。

 今後の捜査の焦点は、墓に少女の遺骨があると伝えた匿名者の身元の割り出しだろう。同時に、昨年8月から今月11日までの間で墓の掘り起こしなど何らかの動きがあったかを墓周辺の監視カメラを検証し、不審な車や人の動きをフォローする必要がある。

 墓に行方不明となった少女の遺骨が混ざっていたとすれば、墓から遺骨を出しても棺周辺にDNAなどが残っている可能性がある。証拠隠滅のためには棺全てをどこかに運ぶ必要があるから、墓地周辺で何らかの不自然な動きが必ずあったと考えざるを得ない。

 また、墓の本来の持ち主の家族関係者に「墓が空だった」事情を聞く必要があるだろう。

 少女が行方不明となって36年が経過したことから、捜査は容易ではない。事件関係者の自白などがない限り、解明はこれからも難しいかもしれない。残念ながら、36年前の少女行方不明発生直後の初期の捜査段階で何者かに捜査が操作されてしまったのではないか、という疑いを払しょくできない。

人はなぜ「疑う」のだろうか

 イエスの12弟子の1人、使徒トーマスは復活したイエスが十字架で亡くなった人物かどうかを疑った。「ヨハネによる福音書」20章には「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また、私の手をその脇に差し入れてみなければ、決して信じません」と述べている。すると、イエスはトーマスに十字架で釘を打たれて穴が残っている手をみせると、トーマスは眼前のイエスが十字架から復活した主であることを信じた。その際、イエスは「見なくても信じる者は幸いなり」という言葉を残した。使徒トーマスの話は新約聖書の中でも有名な個所だ。疑いやすい信者に対し、「あなたは聖トーマスのようだ」と呼んで揶揄う。

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▲サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂のトーマス像(ウィキぺディアから)

 使徒トーマスは疑い深い人間のシンボルのように受け取られているが、フランシスコ法王はそのトーマスを評価している。同法王は2015年4月12日、サン・ピエトロ広場の説教の中で、「トーマスに大きな共感を感じる。彼は復活したイエスが十字架で亡くなられた自分の愛する主なのかを確かめたかった。そのため、復活イエスに手を差し伸べ、十字架の痕跡を確認しようとした。そして復活イエスだと分かると、『私の主よ』と叫び、神を称えている。トーマスはイエスの復活の意味を誰よりも理解していたのだ」と説明し、トーマスの名誉回復をしている。ちなみに、正教会ではトーマスを「フォマ」と呼び、「研究熱心なフォマ」と評価し、復活祭後の日曜日を「フォマの日」としている。

 ところで、「疑い」は決して理由なく湧き出でてくるわけではない。それなりの理由や事情がある。ドイツ人のべネディクト16世は「知性と信仰」をライフテーマとしてきた。機会がある度に、知性と信仰は決して相反するものではなく、知性に基づいて信仰の重要性を強調してきた。ドイツの小説家ヘルマン・ヘッセは「クリストフ・シュレンブフの追悼」の中で、「信仰と懐疑とはお互いに相応ずる。それはお互いに補い合う。疑いのないところに真の信仰はない」と述べている。

 それでは、人はなぜ「疑う」のだろうか。理解できないから疑うのか。それとも「疑う」という機能が脳細胞の中に独立して存在するのだろうか。前者の場合、トーマスのように、イエスのアイデンティティが実証されれば「疑い」は消滅するが、後者の場合、分かったとして「疑い」は払しょくできず、常に付きまとう。

 現代人は後者の「疑い」に陥る人が案外多いのではないか。その場合、説明したとしても「疑い」が解消しないどころか、時にはその「疑い」は肥大化し、対応できなくなるというケースが出てくる。知性や情報は「疑い」の排除に役立たない。議論をしても相手の「疑い」を払うことが難しい、という状況が生まれてくる。

 知性的、論理的に話せば全ての人がそれを信じ、「疑い」が消滅するとすれば、この世界は既に疑いのない天国のような世界になっていなければならないが、現実はむしろ逆だ。インターネットで即情報を共有し、ライフタイムで事例を目撃できる時代が到来したが、人の「疑い」は依然、存在する。「話せば分かる」と叫んでテロリストに殺害された日本の首相がいたが、「話しても分からない人」が少なからず存在するという現実は昔も今も変わらないだろう。

 人間の疑いが代々継承され、現代人の我々の中にも生き続けているとすれば、人間は生来、疑い深い、敵愾心の強い存在ということになる。そこからは悲観的な人間像しか生まれてこない。

 「疑い」という感情の背景には不信感がある。信頼の欠如だ。相手の言葉、約束に対する不信は「疑い」を生み出し、その「疑い」が人間の記憶を管理する脳神経網の海馬に定着すると、「疑い」はもはや消滅できなくなる。「疑う」という思いが少なく、素直で人を信じやすい人はその海馬の機能に問題があるか、神によって祝福された人間だろう。

 人間が生まれて最初に持つ「疑い」は自分に向けられた親の愛に対してではないか。親は自分を常に愛していると感じた胎児、幼児は生涯、その愛の保障を糧に成長する。一方、親は自分を愛していないと感じた幼児はその「疑い」、「不信」が成長するにつれ確信となり、時には攻撃的となって暴発する。

 家庭が崩壊し、親から十分な愛を受けずに成長する人が増えてきたということは、「疑い深い人間」が増えてくることを意味し、同時に、その人間の数が増えていくことで社会、国家は不安定になっていく。「疑い」が愛に対する不信に立脚しているとすれば、知性や論理でその「疑い」を説得できない理由も明らかになる。

 「疑い」を解消できる唯一の手段は、「愛されている」という実感を回復することだろう。「自分は親から愛されている」と実感できる人間は「疑い」という不信を打ち破ることができるのではないか。

 聖書の話に戻るが、アダムとエバには2人の息子、カインとアベルがいた。神は2人に供え物をするように命じた。そして神はアベルの供え物は受け取り、カインの供え物を受け取らなかった。カインはその時、どのように感じただろうか。神は自分を愛していないという疑いであり、不信だ。そしてその思いが高まり、その怒りは神に愛されているアベルに向かう。カインはアベルを殺害することでその疑い、不信、憎悪といった思いを暴発させていった。現代人の多くはカインの宿命を引きずって生きている。彼らは失ってしまった「愛されている」という実感を必死に探しながら彷徨う。

「ポスト・メルケル」の到来早まるか

 “欧州の顔”と呼ばれてきたメルケル独首相(64)の健康状態が懸念されてきた。理由ははっきりしている。

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▲日独首脳会談後の記者会見に臨むメルケル首相(2019年2月4日、内閣広報室提供)

 事の始まりは先月18日、大阪の20カ国・地域首脳会談(G20)前、ウクライナのウォロディミル・ゼレンキー新大統領を迎えてベルリンで歓迎式典が挙行された時、両国国歌演奏中、メルケル首相の体が大きく震えだした。動画を見れば明らかだ。メルケル氏の意思とは無関係に体が激しく揺れだしたのだ。ウクライナ大統領もそれに気づいたという。メルケル氏は記者会見で「水を飲んだので良くなった」と説明、健康不安説を払しょくした。その日のベルリンは30度を超す暑い日だったので、メディアでも「暑さによる脱水症状ではないか」と報じられた。

 そして先月27日、ベルリン大統領府でクリスティン・ランブレヒト法相の就任式があった。式に参席したメルケル氏の体が再び震えだしたのだ。その時、水が運ばれたが断り、震えはまもなく収まった。

 健康不安説が流れたが、メルケル首相は同月28日、29日の両日、大阪市で開催されたG20に参加した。一時期、メルケル氏はG20を欠席するのではないか、という憶測が流れ、ホスト国日本側を心配させたが、メルケル氏は大阪に飛び、予定された全ての行事に参加し、帰国した。

 そして今月10日、3度目の震えが襲ってきた。フィンランドのリンネ首相を迎えてベルリン連邦首相府前での歓迎式典の国歌演奏時に、ウクライナのゼレンキー大統領歓迎式時と同じように震えが始まった。体の震えは第1回目よりも軽く、しばらくすると収まり、式典は終わった。

 メルケル首相はその直後の記者会見で自身の健康問題に対し、「ウクライナ大統領の歓迎式典に生じた発作に対する精神的ショックを完全には克服していないのかもしれない」と笑顔を見せながら、「心配ない。私は大丈夫」と述べ、健康悪化説を払しょくした。ちなみに、ロイター通信は「大丈夫」と語ったメルケル氏の記者会見の内容を速報で流し、メルケル氏重体の警戒解除ニュースを発信している。

 そして11日、デンマークのフレデリクセン首相を迎えた時だ。連邦首相府は歓迎式典の場に2つの椅子を用意した。メルケル首相はその椅子に座り、同じように椅子に座ったフレデリクセン首相と一緒に式典に臨んだ。もちろん、他の関係者はいつものように起立して式典に臨んだ。

 もし体が震えだしたら、メルケル氏としては国民に自身の健康問題を明らかにしなければならなくなり、その内容次第では即辞任を強いられる可能性が出てくる。そこで発作防止のために椅子に座って式典に臨んだのだろう。ということは、体の震えの発作は気象状況とはあまり関係なく、深刻な神経系列の病の可能性も出てくるわけだ。遠距離診断によると、糖尿病患者に起こる低血糖状態や甲状腺の機能亢進などが考えられるという。

 メルケル首相時代は終わりに近づいてきた。今回の健康不安説が出る前からそれは既成事実として受け取られてきた。ドイツ与党「キリスト教民主同盟」(CDU)は昨年12月の党大会でクランプ=カレンバウアー氏を新しい党首に選出し、いつでもメルケル首相を継承できる体制に入っている。

 クランプ=カレンバウアー党首はドイツ政界では“ミニ・メルケル”と呼ばれてきた。実際、昨年3月、サールランド州首相の彼女を党幹事長のポストに抜擢したのはメルケル首相本人だ。

 それに先立ち、メルケル首相は昨年10月、任期満了の2021年秋には首相の座を降り、政界から引退すると表明している。クランプ=カレンバウアー党首が当然、首相職を継承するものと受け取られてきた。同時に、欧州連合(EU)レベルではメルケル首相の愛弟子、フォンデアライエン国防相を次期欧州委員会委員長に任命させるなど、メルケル氏は党の結束とEU内のドイツの地位確保という布石を打ってきている。ポスト・メルケル時代の到来への準備をしてきたわけだ。

 メルケル首相は自身の政治の恩師ヘルムート・コール首相(任期1982〜1998年)に次ぐ長期政権を維持してきた。第4次メルケル政権を終わりまで全うし、16年間の長期政権という記録を樹立して政界から引退する考えだったのかもしれないが、CDU内でも既にメルケル首相の辞任を求める声が飛び出している。メルケル首相にとっての誤算は21年の引退時期が来る前に自身の体の不調が表面化してきたことだろう。

 2015年、欧州に中東・北アフリカから難民が殺到し、ドイツには100万人以上の難民が流入した。その難民殺到でドイツ国内でも多くの社会的軋轢が生じるとともに、欧州入りした難民の中にはイスラム過激派テロリストが潜伏し、彼らは欧州各地でテロを実行したことで、メルケル氏の難民歓迎政策は批判にさらされてきた。メルケル首相は今回の健康不安説がきっかけとなって早期引退を強いられるかもしれない。

OPEC事務局長のグレタさん批判

 ウィーンに本部を置く石油輸出国機構(OPEC、加盟国14カ国)は1日、定例総会を開催し、減産合意(協調減産)を来年第1四半期末まで9カ月延長することで同意したばかりだが、OPECのバルキンド事務局長が世界に広がる若者の地球温暖化、気候変動対策に抗議するデモ集会に言及し、「環境保護運動家たちの非科学的な攻撃はオイル産業にとって最も脅威だ」と述べたと報じられると、グレタ・トゥ―ンベリさんは4日、「オイル産業への批判の声が世界的に高まってきている。ありがとうOPEC、われわれの運動が産業界の最大の脅威という批判は私たちの運動へのこれまで最大級の称賛だ」と応戦し、話題を呼んでいる。

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▲OPECのバルキンド事務局長(2019年7月、OPEC公式サイトから)

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▲グレタ・トゥーンベリさん(ウィキペディアから)

 スウェーデンの女子生徒、グレタ・トゥーンベリさんは昨年8月、スウェーデン議会前で地球温暖化問題、気候変動対策のための学校ストライキを行い、一躍有名となった。その後、グレタさんの活動に刺激を受けた学生や生徒たちが毎週金曜日、世界各地の都市で地球温暖化対策デモ集会(フライデー・フォー・フューチャー)を開催してきた。欧米のメディアではグレタさんの活躍を大きく報道し、グレタさんはノーベル平和賞候補に挙がるほど有名人となった。

グレタさんの環境保護運動に対し、これまで欧米の極右ポピュリストたちが批判してきたが、16歳の少女への個人攻撃に終始してきた。そこに、オイル産業界の中核を担うOPECが「グレタさん批判」に加わってきたのだ。

 OPEC事務局長の批判は地球温暖化、気候変動問題に直接、関与しているだけに、その批判に対し、グレタさんも無視できなかったのだろう。いよいよ、OPECとグレタさんの戦いの幕が切って落とされたわけだ(「極右派の『グレタさん批判』高まる」2019年5月4日参考)

 今年の6月の欧州は暑かった。フランスでは40度を超える灼熱の日々が続いた。「観測史上最も暑い6月」という見出しがオーストリアのメディアでも報じられた。気候の変動は欧州に長く住んでいる当方もやはり肌に感じる。冬、ウィーンに雪が降らなくなって久しい。鈍感な人間でもやはり「地球の気候がおかしくなった」「ひょっとしたら、地球の軸が動いたのではないか」といった思いが湧いてくる。

 そこでグレタさんのような少女が立ち上がってきたのだろう。ドイツの世論調査によると、同国では環境問題を最大の課題としてきた「同盟90/緑の党」が同国の2大政党「キリスト教民主同盟」(CDU)と「社会民主党」(SPD)を凌いで第1党に躍り出る勢いを見せてきた。やはり、多くの人々が環境対策の重要さを急務と考えだしてきたのだろう。

話は飛ぶが、欧州連合(EU)の欧州員会委員長に推薦されたドイツのCDU出身のフォンデアライエン国防相も各会派の公聴会で環境保護問題を最重要課題に挙げ、支持を要請している。欧州では2015年以来、移民・難民対策が最大の関心事だったが、ここにきて環境保護問題に関心がいく国民が増えてきた。グレタさんら次の世代の若者のたちの地球温暖化対策を訴えるデモ集会の動きに対し、OPEC事務局長が神経質となるのは当然かもしれない。

 ちなみに、グレタさんの運動に対しては学校関係者からも批判の声が聞かれる。毎週金曜日のデモ集会に参加する生徒や学生たちは学校や大学の授業を休んで参加するケースが少なくないからだ。参加するなら授業のない学校の休みの日にすべきだとの主張だ。金曜日の同集会に参加するために、親が子供を学校からピックアップし、デモ集会に連れていく、といった情景も見られだした。

 欧州は夏季休暇に入った。学校や大学は長い休みに入った。若者たちは十分、時間があるから、環境保護運動のデモ集会を開催することはできるが、不思議なことに、デモ集会のニュースを聞かない。彼らはバケーションに忙しいのだろうか。学校が始まってからなら、授業を休んでデモ集会をするが、夏季休暇期間はしない、というのだろうか。

 誰の目にも環境保護問題は深刻だ。地球温暖化、気候不順は長い時間を経て現れてきた現象だ。二酸化炭素排出量は年々増加している。それだけにその対策も継続性が欠かせられない。環境問題の対策では短期戦は考えられない。我々の生き方が問われるからだ。環境税の導入も話し合われてきた。環境汚染の原因をじっくりと検証し、腰を据えて取り組まなければならない。
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