ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2018年11月

トランプ氏「20年再選」モードへ

 米中間選挙が実施され、大方の予想通り、民主党は下院で2010年以来8年ぶりに過半数を獲得し、上院では共和党が議席数を増して過半数を維持した。不動産王・トランプ氏が第45代米国大統領に選出されて以来、「米国ファースト」を標榜する米大統領との関係でさまざまな軋轢を体験してきた欧州では「これでトランプ大統領の強権にストップがかかる」といった声が支配的で、欧州とトランプ米政権の新しい関係構築のチャンスが訪れたと歓迎する論調が多い。そこで以下、米中間選挙結果について欧州メディアから代表的な声を拾った。

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▲中間選挙後のホワイトハウスでの記者会見(2018年11月7日、ホワイトハウスの公式サイトから)

 独週刊誌シュピーゲル(Der Spiegel)は、「トランプ氏の政治スタイル、憎悪を煽るレトリック、自己称賛といったやり方に限界があることを示した」と指摘、トランプ氏は政治スタイルを変えなければならなくなると予想している。中間選挙結果は米国民のトランプ氏へのメッセージというわけだ。換言すれば、トランプ氏の2年間の政治に苦しめられ、不安を煽られてきた欧州の人々の平均的思いが込められているわけだ。

 BBCは、「下院はトランプ政権をコントロールできるようになった」と期待を表明し、民主党が政権を奪い返す機会ともなると予想している。

 一方、英紙ガーディアン(The Guardian)はちょっとひねくれた受け取り方をしている。中間選挙結果は「トランプ氏の再選の道を開くことになるかもしれない」というのだ。下院の過半数を占めた民主党はトランプ政権と協調を求める。トランプ氏も「ナンシー・ペロシ民主党院内総務(次期下院議長候補)との連帯を今から楽しみにしている」とエールすら送っている。

 下院選で敗北したトランプ氏流の敗戦の弁と受け止める人もいるだろうが、そうではない。下院の過半数を獲得した民主党はトランプ政権の政策に口を出す機会が増える。トランプ氏も譲歩せざるを得ないかもしれない。民主党の攻勢を受け、トランプ氏は守勢を強いられるが、そこまでだ。政策で成果をもたらしたなら、トランプ氏は民主党との連携を称賛する一方、その評価を独り占めにする。問題は次だ。成果がなく、問題が生じた場合だ。「民主党の妨害で政策は実施できなかった」とトランプ氏は早速、民主党叩きを始めるというわけだ。

 米国経済は順調だ。トランプ氏は選挙戦では移民政策と共に国民経済の発展を過去2年間の最大の成果として誇示してきたが、後半の2年は国民経済にも陰りが出てくると予想する経済専門家が多い。トランプ氏はその時の弁明のために民主党との連携が不可欠となるわけだ。ネガティブな結果は民主党の責任にし、成果は大統領側の得点とするわけだ。すなわち、下院選で共和党が過半数を失ったことは2020年の再選を狙うトランプ氏にとっては都合のいい“ねじれ現象”というわけだ。

 トランプ氏は実際ホワイトハウスでの記者会見で、「米中間選挙結果は恐ろしいほどの成果だ」と強調している。この発言は決して負け犬の遠吠えではなく、凱旋の叫びだ。ガーディアン紙は「米中間選挙結果はトランプ氏に将来の失策のアリバイを提供する」と皮肉一杯に論じている。

 独日刊経済紙ハンデルスブラット(Handelsblatt)は、「選挙結果は、トランプ氏が共和党支持層、ティー・パーティ支持者、福音教会信者たち、労働者階層の熱烈な支持を依然享受していることを示している。トランプ氏の民族主義的な政策への警戒を緩めてはならない」と強調し、選挙結果を警告シグナルと受け取っている。

 いずれにしても、トランプ氏は2020年の再選を目指し、いよいよ再選モードに入るだろう。例えば、ロシアによる米大統領選挙介入疑惑捜査をするモラー特別検察官の活動を「税金の無駄遣いだ」と一蹴し、捜査の早期幕引きを図るだろう。

 最後に、米中間選挙結果が明らかになった8日、米ニューヨークで開催される予定だったポンペオ米国務長官と北朝鮮の金英哲朝鮮労働党副委員長の会談が延期になった。

 問題は、金正恩朝鮮労働党委員長が米中間選挙結果をどのように受け止めているかだ。シュピーゲルのように「トランプ政権権限縮小説」か、ガーディアンの「トランプ氏再選有利説」か、それともハンデルスブラッドの「警戒説」だろうか。

 韓国聯合ニュースは7日、「北朝鮮が最近、核開発と経済発展を同時に進める『並進路線』を再び言及しながら、対北朝鮮制裁の緩和を強く要求する一方、米国は制裁を維持し、非核化の進展を要求するなど、両国間で神経戦が繰り広げられてきた」と報じている。
 金正恩氏は対北強硬制裁支持者のトランプ氏の再選を願っていないが、米中間選挙結果はトランプ氏の再選の可能性が決してゼロではないことを明らかにした。北側は急きょ対米政策の見直しを差し迫られてきた。そこで現時点での米朝高官会議は好ましくないと判断し、延期を申し出たのではないか(「金正恩氏『トランプ再選』なしと予測?」2018年9月8日参考)。

クリスマス・ツリーも整形手術を

 クリスマス・シーズンの訪れを告げるクリスマス市場が欧州各地でオープンされるが、欧州最大のクリスマス市場と呼ばれるウィーン市庁舎前広場市場でも今月17日、ルドヴィック新市長を迎えオープンされる。それに先立ち、今月6日には同広場にクリスマス・ツリーが運び込まれ、2台のクレーン車に支えられ、立てられたばかりだ。

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▲ウィ―ン市庁舎前広場のクリスマス市場風景(2017年12月2日 撮影)

 ここまでは毎年みられるクリスマス前の風景だが、今年はちょっと違っていた。ウィーン市庁舎前広場に立ったクリスマス・ツリーを見た市民から「あれは何だ」、「枝も所どころ落ちている老木だ」といったクリスマス・ツリーへの批判の声が飛び出しているのだ。

 今年のクリスマス・ツリーはケルンテン州から運び込まれた松の樹で、高さ28メートル、樹齢150年だ。日刊紙エステライヒに掲載されていたクリスマス・ツリーを見ると、確かに松の枝はふさふさしている、というより、所々枝が落ちている。頭毛が落ちだした初老の男の頭を彷彿させる、といえば当たっているかもしれない。「ケルンテン州から車で運ばれる途中、枝が落ち、葉っぱがなくなったのだろう」と同情する声もあるが、1年で最大のイベント、クリスマス・シーズンを祝うのには相応しくない、というのがウィーンッ子の大方の反応のようだ。ちなみに、エステライヒ紙が実施した調査では、市民の88%が今年のツリーは「Flop」(ハズレ)という。

 と、ここまで書いて思い出した。クリスマス・ツリーへの批判はこれが初めてではないのだ。オーストリアはローマ・カトリック教国だが、その本場イタリアのローマでも昨年、同じような出来事があった。

 ローマのヴェネツィア広場に昨年、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州トレント自治県の北東部に位置する谷、ヴァル・ディ・フィエンメ谷から採木された松が運び込まれたが、樹木の専門家がすぐにその松の木が既に枯れているのに気が付いたのだ。ローマまでの運送中に松の木が死んでしまったというのだ。「枯れ木のクリスマス・ツリーを飾ればローマの恥だ」といった声が当然出てきてブルジニア・ラッジ市長は批判されたわけだ。

 クリスマスはキリスト教の2000年前の救世主イエス誕生を祝うものだが、クリスマス市場が毎年開かれるようになったのは決して大昔ではない。ましてや、クリスマス・ツリーを飾るといった風習も近年に入ってからだ。プレゼント交換となれば、最近の話だ。クリスマス・ツリーがなくてもいいわけだが、そこはイベントだ。きれいに飾ったクリスマス・ツリーの下にプレゼントを準備してクリスマスの日を迎えたい、というのがキリスト教社会に生きる欧州の平均的家庭の願いだ。

 クリスマス・ツリーの外貌には「ああだ、こうだ」と文句を言う反面、クリスマス本来のイエスの誕生とかその生涯への関心は年々薄れてきている。「教会は?」となれば状況はもっと深刻だ。聖職者の未成年者へ性的虐待事件の多発で教会への信頼は失われ、信者の教会離れは増えている。幼児洗礼の数でようやく信者数を維持するだけで、日曜日ミサに参加する信者は老人層に限られてきた、というのが欧州キリスト教会の現実だろう。

 「だからこそ」というのかもしれない。クリスマス・シーズンぐらい華やかに祝いたい、というのが欧州人の偽りのない心境だろう。クリスマスから「イエスの生誕」という話を引き離し、「ウインター市場(冬の市場)に呼び方を変えるべきだ」という声まで聞かれる。

 ウィーンでは今年、オープンされるクリスマス市場は市庁舎前広場を含め約20カ所だ。クリスマス市場では子供連れの夫婦や若いカップルが店のスタンドを覗きながら、シナモンの香りを放つクーヘン(焼き菓子)やツリーの飾物を買ったり、クリスマス市場で欠かせない飲物プンシュ(ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて暖かくした飲み物)を飲む。クリスマス・シーズンの雰囲気は否が応でも盛り上がる。やはり、ウィーン市民はプンシュを飲まないではクリスマスを迎えられないのだ。

 “禿だ”とか“枯れ木”と批判されているツリーも夜になれば2000本のLEDの光を受けて浮かび上がり、美しい雰囲気を周囲に放つ。プンシュを飲みいい気分になった市民はツリーのことなどとっくに忘れ、市場の店をのぞき込むだろう。

 ところで、メトロ新聞ホイテが8日付で報じたところによると、市庁舎前広場のクリスマス・ツリーは急きょ、枝がない個所に新枝を植え込む“整形手術”を受けたという。禿対策の植毛手術と同じだ。

中国「人権審査」と「政府報告書」

 ジュネーブの国連人権理事会で6日、「普遍的・定期的審査」(UPR)の中国人権セッションが開かれた。

 国連人権理事会では各加盟国の人権状況、人権問題に関連した国際法、国連憲章の義務の履行状況を調べるために、2006年からUPRという審査メカニズムが設置され、08年4月から具体的に実施されている。

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▲ジュネーブのUPR審査風景(2012年10月31日、ジュネーブの国連で撮影)

 中国は2009年2月、第1回目のUPRを受け、2013年10月に第2回目のUPRを受けた。中国は13年に第2回目の審査報告の内容を受け、フォローアップの報告書をUPR作業部会に提出している。

 UPR作業部会では全ての加盟国が参加し、被審査国の人権状況について質問できる。同審議には非政府機関(NGO)は発言できないが、傍聴できる。その審査内容を理事会の3国代表が報告者国となり、まとめてUPR作業部会に提出。それが採択されると、理事会の全体会合に提出され、正式に採択される運びとなる。

 UPR作業部会には3つの基本文書が審査のたたき台として提出される。一つは審査される国の「政府報告書」、2つ目は国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が人権問題に関連した国際条約や憲章に対する被審査国の義務履行を編集した文書、そしてOHCHRがNGOらの提出した、被審査国の人権問題に関する信頼できる情報をまとめたサマリーの3文書だ(「日本の『人権問題』を追求せよ」2012年10月30日参考)

 中国の人権状況は近年、悪化し続けている。人権侵害を訴える被害者たちは、中国の人権関連法は中身のない党のスローガンに過ぎないと指摘する。新疆ウイグル自治区、チベット自治区政府の少数民族への弾圧、キリスト信者への迫害、法輪功メンバーへの臓器摘出問題など、人権蹂躙は山積している。そこで中国の「政府報告書」(24頁)の概要を紹介する。

 中国の政府報告書は2013年のUPR作業部で勧告された252項目への改善要求に対する返答で、「252項目中、204項目が受理された」という。中国政府は2012年から15年の第2次「国家人権活動計画」を終え、「人権の擁護と改善に向け現在は第3次活動計画に入っている」と強調、人権の改善に積極的に取り組んでいる姿勢をアピールしている。ちなみに、中国には8つの国立人権教育センターが存在するという。

 問題は、なぜ中国では人権が改善されず、むしろ悪化してきたのかだ。「人権は中国政府の単なるプロパガンダだからだ」といえばその通りだが、それでも何らかの論理と弁明が必要だろう。遵守するか否かは別として、中国は人権に関連した26の国際条約(例「児童虐待防止条約」や「女性差別撤廃条約」など)に加盟している。

 中国の「政府報告書」の中にその答えがあった。曰く「世界では人権改善の普遍的な道は存在しない。各国の民族的な条件が土台となって人権は改善されていく。中国の場合、5000年以上の中国文化に基づいた人権だ」、「中国の人権は国民の福祉をスタートラインに置いている」というのだ。中国の国民が聞けば涙が出てくるような個所だ。

 中国共産党政権は「人権には普遍性と特殊性の両面がある」と指摘する一方、「わが国は人権問題の政治化、ダブルスタンダードを強く批判する」と表明している。

 冷戦時代、旧ソ連・東欧共産政権は欧米から人権問題が指摘されると、「内政干渉だ」と反発したが、北京政府は中国社会の特殊性という観点から人権蹂躙という批判に反論しているわけだ。

 「報告書」では、経済・社会福祉関連から教育、言論・メディアの自由、女性・児童の権利擁護、「信教の自由」、そして「少数民族の権利」まで広範囲の分野の人権状況が報告されている。

 「初等・中等教育から非政府機関、メディアに至るまで人権、法治主義に関する教育を受けている」と豪語し、「人権問題の非政府機関の活動を促進、保護している」というが、人権活動を擁護した弁護士が当局に拘束されたというニュースが頻繁に流れてくる。「政府報告書」はプロパガンダに過ぎないことは見え見えだ。

 「報告書」で最も力の入っている個所は、人権の「経済的、社会的、文化的権利」の向上だ。中国経済の発展は即、国民の生活向上に繋がれば経済発展は国民の人権向上だが、一部の党エリートが富を独占している現実は無視できない。中国共産党政権は2016年から20年まで第13回経済・社会開発5か年計画の実施中だ。

「Gross domestic product increased from 54 trillion to 82.7 trillion yuan, with an average annual growth of 7.1 per cent; the country’s share of the world economy grew from 11.4 per cent to about 15 per cent 」

 「信教の自由」について。報告書では、「信教の自由」は保障されているというが、中国各地でキリスト教会の信者たちは迫害され、教会は破壊されている。ちなみに、中国には約2億人の宗教人口があり、38万人の聖職関係者がいるという(「中国共産党政権、宗教弾圧強める」2016年4月27日参考)。

「China is accelerating the development of laws and systems for protecting the freedom of religious belief。
The Regulations on Religious Affairs, which were revised and re-promulgated in 2017, strengthened the protection of citizens’ freedom of religious belief and the lawful rights and interests of the religious community.」


 「少数民族の権利」(16頁)について。「政府報告書」によると、中国は統合された多民族国家で、少数民族の人口は1億1379万人で全人口の8・49%を占めるという。ところで、少数民族ウイグル人に対し、中国当局の人権弾圧はここにきて強まっている。新疆ウイグル自治区には、超法規的措置で大量拘束されたウイグル人の収容所が存在するという。人権団体やウイグル組織によると、収容者の数は100万人以上だ。

 ジュネーブのUPR審査の場で6日、米国やドイツの代表からウイグル人強制収容について指摘されると、中国当局は「テロリズムに感化された人物を過激な思想から遠ざけるための職業訓練センターだ」と述べ、過激思想からの更生が目的だと説明している。

 「報告書」は最後に「人権が完全に保障されている国はない。わが国も例外ではない」と指摘し、予想される内外の批判に対して防衛線を張っている。

「ツヴェンテンドルフ原発」の40年

 40年前の話だ。オーストリアにも原子力発電所があった。厳密にいえば、原発は建設され、いつでも操業できる状態だった。それが国民投票で操業開始反対派が僅差で操業支持派を破ったため、建設され、操業開始寸前の原発は1度も操業されることなく、即博物館入りした。あれから今月5日で40年が過ぎた。

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▲ツヴェンテンドルフ原発の全景(ツヴェンテンドルフ原発のHPから)

 このコラム欄でも数回、紹介したツヴェンテンドルフ(Zwentendorf)原発の話だ。オーストリア国民は同原発の話になると何とも表現できない表情をしながら、「あれから40年が過ぎましたか」とため息をつく。一部の環境保護活動家にとっては、40年前の話は勝利の証かもしれないが、大多数の国民にとってはそう簡単には割り切れない思いが湧いてくるからだ。

 オーストリアの最初の原発は同時に最後の原発となった。ツヴェンテンドルフ原発の話はアルプスの小国オーストリアのエネルギー政策を考えれば、やはり歴史的出来事だったと言わざるを得ないだろう。その意味から、もう一度、ツヴェンテンドルフ原発操業停止の経過を振り返ることも意義あるだろう。

 オーストリアのニーダーエスタライヒ州のドナウ川沿いの村、ツヴェンテンドルフで同国初の原子炉(沸騰水型)が建設された。同原子炉の操業開始段階になると、国民の間から反対の声が出てきたため、当時のクライスキー政権は1978年11月5日、国民投票を実施することを決定した。

 オーストリアで最初に実施された国民投票の結果は反対派が僅差で勝利したが、反対派ですら当時、勝利するとは考えていなかったので「驚いた」という。反対派160万677票、賛成派157万6709票でその差は約3万票だった。投票率は約64%。

 驚いた国民の一人は、賛成派が勝利すると確信していた当時のブルーノ・クライスキー首相(社会党、現社会民主党)その人だった。同じ1978年、自民党総裁選で予想外に敗北した福田赳夫首相がその直後、「天の声にも変な声は、たまにはある」と嘆いた話は有名だが、クライスキー首相がどう感じたかは知らないが、ビッグ・サプライズだったことは間違いない。

 ツヴェンテンドルフ原発は操業可能な状況だったが、1度として操業されなかった世界で唯一の原発という記録を残した。当時70億シリング(現行価格で約10億ユーロ相当)を投入して完成した原発だ。

 原子炉が挿入された原発は「はい、停止ですね」と言って容易に破壊できない。原子炉挿入後の原発の安全保存のために操業停止後もほぼ同額の資金を投入しなければならない。天文学的な浪費というべきかもしれない。原発操業のために雇用された専門家約200人は操業中止後も雇用契約を維持しなければならないから、人件費もばかにならない。“眠れる森の美女”となった原発を見つめながら、原発推進派は「いつか操業の日を迎えるだろう」という一途の希望を持ち続けていったわけだ。

 オーストリアでは“ツヴェンテンドルフの後遺症”と呼ばれる現象がある。原発問題をもはや冷静に議論することなく、反原発路線を「国是」としてこれまで突っ走ってきた。

 ツヴェンテンドルフ原発の操業中止後、同国議会は「反原発法」を採択し、将来の原発利用を禁止した。1979年の第2次オイルショックもあって国民の間で原発支持を求める声が一時高まったことがあるが、チェルノブイリ原発事故(1986年)で原発操業の道は完全に閉ざされていった。同国議会は1999年、連邦法「反原発法」をコンセンサス(全会一致)で憲法に明記した(「オーストリアの『反原発史』」2011年4月26日参考)。

 参考までに、同国の主要エネルギー源は水力発電だが、年々、必要なエネルギーを輸入に頼ってきている。そのうち、かなりの量は隣国の原発が生産した原子力エネルギーだ。

欧州で「移民協定」拒否のドミノ現象?

 ウィーンに第3の国連都市を有するオーストリアが「移民協定」の不参加を正式に表明したことを受け、他の欧州諸国でも協定から離脱を模索する“ドミノ現象”が起きている。

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▲「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」(Global Compact for Safe,Orderly,and Regular Migration)の最終案(34頁)のPDFから

 国連加盟国は今年7月13日、18カ月以上にわたって協議してきた「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」(Global Compact for Safe,Orderly,and Regular Migration)の最終案(34頁)をまとめた。

 今回の合意は移住に関するガバナンスと国際理解を改善し、今日の移住にまつわる課題に取り組み、持続可能な開発への移民と移住の貢献を強化するための基盤となる(国連広報)。すなわち、世界初の包括的な移民に関する枠組みというわけだ。ここでは「移民協定」と呼ぶ。

 国連193加盟国中、190カ国がこれまで「移民協定」への加盟意思を表明してきたが、オーストリアの離脱声明をきっかけに次から次へと加盟保留の動きが出てきたのだ。

kurzu セバスティアン・クルツ首相は、12月10日から11日にかけモロッコのマラケシュで開催される「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト採択政府間会議」で正式に採択される「移民協定(Migrationspakt)」に参加しないことを10月31日に表明した。米国は昨年末の段階で移民協定に参加しない意向を表明してきたが、ハンガリーとオーストリアは今年に入り正式に離脱の意向を表明したわけだ。

 ウィーンの離脱声明を受け、チェコ、デンマーク、ポーランド、クロアチア、スロベニアなど東欧・バルカン諸国で協定を拒否する国が出てきた。それだけではない。「欧州の盟主」ドイツでも「移民協定」加盟の再考を求める声が出てきているのだ(「オーストリア『移民協定』に不参加」2018年11月4日参考)。

 ドイツではアンゲラ・メルケル首相(「キリスト教民主同盟」=CDU党首)やハイコ・マース外相(社会民主党=SPD)は「移民協定」を支持しているが、12月のCDU党大会で行われるメルケル首相(CDU党首)の後継者選出の最有力候補者の1人、イェンス・シュパーン保健相は独ヴェルト日曜版とのインタビューで、「連邦議会の政党間の討議はまだ終わっていない。重要な点はわが国が移民の流れを管理し、制限できる主権を維持することだ。移民協定では受入国だけではなく、問題のカギを握る移民出身国の責任も問題だ」と指摘し、7月に合意された最終案に懐疑的だ。同保健相がメルケル首相の後継党首となった場合、「移民協定」の行方は不透明となってくるだろう。

 ちなみに、独移民問題専門家委員会は「移民側も受け入れ国側には新しいチャンスを提供する。主権の堅持も保証されているから、どの加盟国も強制されることはない」と指摘し、国連の「移民協定」を評価している。

 デンマークは「移民協定」に対して態度を保留する一方、チェコとポーランドは批判的だ。スイスでも第1党の右派政党「スイス国民党」(SVP)は「移民協定」反対のキャンペーンを実施。バルカンではクロアチアとスロベニアが協定に懸念を表している。

 クロアチアのコリンダ・グラバル=キタロビッチ大統領は、「移民協定への対応は政府の管轄だが、国民の協定への懸念を無視できない」と述べ、「私は協定に署名しない」と述べている。スロベニアでも最大政党、保守政党「スロベニア民主党」(SDS)は「移民協定」に反対、といった具合だ(以上、オーストリア通信を参考)。

 それに対し、ミロスラフ・ライチャーク第72回国連総会議長(スロバキア外相兼副首相)は「『移民協定』は法的拘束力を有していない。加盟国の主権を尊重しているから主権侵害といった恐れはない。加盟国の移住政策が最終決定権を持つ」と説明している。ただし、「移民協定」では、「難民」と「移民」を区別する一方で「全ての次元の移民を包括する」と記述されている。

 なお、クルツ政権が「移民協定」へ不参加を表明したことに対し、オーストリア内でバン・デア・ベレン大統領、ハインツ・フィッシャー前大統領、オトマール・カラス欧州議会議員らが、「移民協定を拒否するのは大きなミスだ。わが国の評判を落とす」と強く批判。それだけではない。オーストリア通信によると、外務省内の一部からもクルツ政権の決定を批判する声が出ている。曰く「移民協定に参加しないことは、1955年以来積み重ねてきたわが国の外交遺産を放棄することを意味する。外交の交渉力やプロ意識に疑問を呈することになる」というのだ。

 「移民協定」の交渉プロセスでオーストリアの外交官は積極的に議論に参加し、最終案の合意に努力してきた。そのオーストリアが協定の最終案がまとまった後、政府から「ノー」を突き付けられたわけだ。外務省内にクルツ政権への不満が飛び出しても当然かもしれない。

 「移民協定」は「移民問題がグローバルな課題である」と明記した政治的意思表明の性格が強いが、クルツ連立政権に参加する極右政党「自由党」のハインツ=クリスティアン・シュトラーヒェ党首(副首相)は、「移民協定は法的拘束力はないが、慣習国際法として適応される恐れがある」と主張している。

 オーストリアの「移民協定」の拒否は自由党から強い圧力があったからだろう、と受けとられている。クルツ首相自身は「わが国は多国間主義を支持する立場には変化はない」と説明し、理解を求めている。

独極右AfDを憲法擁護庁の監視対象?

 昨年9月24日に実施された独連邦議会(下院)で野党第1党に大躍進し、先月実施されたバイエルン州議会選、ヘッセン州議会選でも躍進、ドイツ16州全州議会で議席を有する政党となった極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)を危険団体(政党)としてドイツ連邦憲法擁護庁(BfV)の監視対象とすべきだという声が高まってきている。

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▲躍進続けるAfDの連邦議会代表のアリス・ワイデル氏とアレクサンダー・ガウラント党首(左)=AfDの公式サイトから

 その直接の契機は、AfDが党の政治信条・活動がドイツ基本法に合致していることを証明するため内部監査を外部の法専門家ディートリヒ・ムルスヴィーク氏に依頼し、このほど実施したことが明らかになったことだ。「AfD内部監査はBfVによる監視対象から逃れるためだ。党の本当の政治信条を隠蔽するためのアリバイ工作だ」(「キリスト教民主民主同盟=CDU」のパトリック・センスブルク議員) といった声が与・野党から既に飛び出している。

 明らかになった内部監査によると、過剰外国化(Uberfremdung) や 移動する人々(Umvolkung)といったナチス時代の政治用語や概念を党員は使用しないことを助言している。それらの概念はナチ・ヒトラー時代を彷彿させ、国民にネオナチ党と誤解される危険が出てくるからだという。

 社会民主党(SPD)のラルフ・シュテーグナー 議員はAfDを監視対象とすべきだと主張している一人だ。同議員は、「AfDの政治信条がドイツ基本法に合致していないことをカムフラージュするための試み」と、AfDの内部監査を批判している。

 AfDは2013年、ギリシャ経済危機を契機に反欧州連合(EU)を掲げて結成された。その政党が党結成4年目の連邦議会選で野党第一党の政党に大飛躍したわけだ。

 難民問題はAfDの躍進の原動力になったことは明らかだ。シリア、イラク、アフガニスタンから100万人を超える難民が2015年夏以降、ドイツに殺到した。その大きな原因はメルケル首相の難民歓迎政策だったことは間違いない。与党「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)内でもメルケル首相の難民政策に批判の声が挙がったほどだ。外国人排斥、反イスラムを標榜してきたAfDはその流れに乗って、メルケル首相の難民政策を厳しく糾弾し、ドイツ・ファーストを主張して国民の支持を得ていった。

 ドイツでは過去、ネオナチ政党「ドイツ国家民主党」(NPD)が2004年から14年の間、州議会に議席を有していたが、それに代わってAfDが台頭し、「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」(Pegida運動)などの極右運動が旧東独地域を中心に活発となってきた。AfDには旧東独のドレスデンから生まれた政治運動ペギーダの流れを組むメンバーが多い。そのAfDは今日、ベルリンの連邦議会で92席の議席を有する大政党となり、ドイツ16州全州で議席を有する政党となったわけだ。間違いなくサクセス・ストーリーだ。 

 AfDは結成当初から保守現実派からドイツ・ナショナリズムを標榜するテューリンゲン州党代表ビョルン・へッケ氏まで、様々な政治信条の寄せ集め集団だったが、共通点は反移民、外国人排斥傾向が強く、特に反イスラム傾向があることだ。EUに対しては一時、離脱を主張する声が強かったが、ここにきて離脱よりEUの刷新、加盟国の主権尊重に重点を置く現実路線に修正してきた。

 連邦議会選で躍進したことを受け、党内で急進右派が主導権を握ってきた。ハノーバーの初の連邦党大会の結果では、その傾向がさらに強まった。連邦議会選後のAfDの初の連邦党大会では党代表の2頭体制が維持され、欧州議会議員のイェルク・モイテン氏(56)を再選する一方、2人目の党代表に副党首で連邦議会党院内総務を務めるアレキサンダー・ガウラント氏(76)を選出した(「AfD党大会の代表選で急進派が勝利」2017年12月4日参考)。ちなみに、AfDで現実路線を主張してきたフラウケ・ペトリー共同党首は連邦議会選直後、突然離党を表明した。

 AfDは単なる抗議政党ではない。党指導部には反ユダヤ主義傾向も見られ、ガス室の存在を否定し、ホロコースト否定発言をする支持者もいる。そのため、これまでさまざまな物議を醸し出してきたことも事実だ。

 各種の選挙結果を分析すると、CDU支持者から大量の票がAfDに流れている。その票の中にはメルケル首相の難民歓迎政策への抗議票が含まれているが、それだけではない。キリスト教的価値観や伝統を失ってきたCDUから保守系の有権者の票がAfDに行っている。例えば、AfDはドイツの政党の中で唯一、同性婚に強く反対している(「独AfDは本当にネオナチ党か」2017年9月26日参考)。

 ドイツでは8月末、ザクセン州のケムニッツ市で極右派の暴動が起きたが、同州のマーテイン・デュリグ経済相はシュピーゲル誌との会見の中で、「われわれの敵はAfDでなく、不安だ。それに打ち勝つためには希望と確信が必要だ」と述べたが、「不安」に打ち勝つ「希望」と「確信」をどの政党が国民に提示できるだろうか。AfDを危険政党として監視したとしても、AfDの躍進を止めることはできないだろう。

オーストリア「移民協定」に不参加

 オーストリアのクルツ政府は先月31日、12月10日から11日にかけモロッコのマラケシュで開催される「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト採択政府間会議」で正式に採択される「移民協定」(Migrationspakt)に参加しないと表明した。

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▲国連「グローバル・コンパクト」のHP

 アルプスの小国のオーストリアは冷戦時代、東西欧州の懸け橋としての役割を果たし、200万人を越える旧ソ連・東欧共産政権からの亡命者、難民を受け入れてきたことから、「難民収容国」と呼ばれたことがあった。そのオーストリアが国連加盟国がまとめた「移民協定」に参加しないということで、内外から批判と戸惑いの声が出ている。同国のバン・デア・ベレン大統領は「わが国の国際評価を汚す恐れがある」とクルツ政権に警告を発したばかりだ。

 国連加盟国が合意した「移民協定」とは何かを国連広報に基づいて少し紹介する。

 7月13日、加盟国が過去18カ月以上にわたって協議してきた「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」(Global Compact for Safe,Orderly,and Regular Migration)の最終案(34頁)が成立された。

 国連広報によると、国連加盟国が一堂に会し、全体論的かつ包括的な形であらゆる次元の国際移住を対象とする協定について交渉を行ったのはこれが初めてだ。今回の合意は、移住に関するガバナンスと国際理解を改善し、今日の移住にまつわる課題に取り組み、持続可能な開発への移民と移住の貢献を強化するための基盤となるという。すなわち、世界初の包括的な移住に関する枠組みというわけだ。

 ミロスラフ・ライチャーク第72回国連総会議長(スロバキア外相兼副首相)は、「グローバル・コンパクトは、私たちの受身的なやり方を、積極的なものに変えることができる。私たちが移住の利益を手にしながら、そのリスクを軽減するのに役立つ可能性もある一方、協力のための新たなプラットフォームを提供できる可能性もある。人々の権利と国家の主権を適切にバランスを取るための参考にすることもできる」と指摘し、最終案の合意を「歴史的瞬間」と歓迎している。

 オーストリアがグローバル・コンパクトに参加しないことに対し、アントニオ・グテーレス国連事務総長は「非常に遺憾だ」と表明し、ルイーズ・アルブール国際移住担当事務総長特別代表も「オーストリア政府は何を考えているのか」と失望を吐露しているほどだ。

 国連加盟国193国中、190カ国は移民協定を支持している中、オーストリアの不参加は理解できないという声が強いわけだ。なぜならば、オーストリアは同協定の草案作りに積極的に関わってきたからだ。同時に、オーストリアは今年下半期の欧州連合(EU)議長国だ。同協定の最終案がまとまった今年7月の段階では何も不満を表明してなかったから、なおさら「なぜ今になって」というのが他の国連加盟国の偽りのない反応だろう。

 米国は昨年末に「移民協定」に不参加を表明。それを追ってハンガリーが7月13日の最終案が成立した直後に離脱の意思を表明している、オーストリアは3番目の国だ。協定から離脱を考えている国としては、オーストラリア、ポーランド、チェコらの名前が挙がっている。

 それではなぜオーストリア政府は同協定をここにきて拒否するのだろうか。クルツ政権は中道右派「国民党」と極右政党「自由党」の連立政権だが、自由党が「移民協定」に強い抵抗を感じているからだ。

 シュトラーヒェ副首相(自由党党首)は、「移住の権利は人権ではない。グローバル・コンパクトは合法と不法の移住者の区別を明確にしていない」と批判している。「移民協定」の基本的トーンが「移住歓迎」であることに抵抗があるのだろう。メルケル独首相の難民歓迎政策にも通じるわけだ。また、移住者家族の統合促進、集団強制送還の阻止、移住者への雇用保証や生活援助などについても懸念を感じている、といった具合だ。

 実際は、「移民協定」は法的拘束力を有していない。加盟国の主権を尊重しているから主権侵害といった恐れはない。あくまで加盟国の移住政策が最終決定権を持つ。協定条項15では、「正規移住かそうでないかは主権国家が決定する」と明記されている。換言すれば、「移民協定」は「移住問題がグローバルな課題である」と明記したシンボル的な価値しかないわけだ。にもかかわらず、シュトラーヒェ党首は、「移民協定は法的拘束力はないが、慣習国際法として適応される恐れがある」と受け取っているわけだ。 

 オーストリア代表紙プレッセは2日付の社説で、「移民協定にノーを突き付けることはわが国の評判を落とす」と強調している。同紙によると、「ウィーンは3番目の国連都市だ。小国のわが国が国連加盟国の多数が支持する協定に加盟しないことは愚かだ。米国は参加しないが、米国は一国でやっていける大国だ。しかし小国のわが国が大多数の国が支持する協定を拒否することは賢明ではない」と指摘している。

「人権弁護士」文大統領の名が汚れる

 国際人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(Human Rights Watch= HRW)が1日、ソウルで記者会見を開き、北朝鮮での女性への性暴力の実態を報告した、全72頁に及ぶ報告書によると、北の女性たちは朝鮮労働党幹部、官僚、警察・刑務所関係者などによって常に性的暴行を受けているという。

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▲北で女性への性暴力が蔓延している実態を記したHRW報告書

 金正恩朝鮮労働党委員長の父親、故金正日総書記時代には「喜び組」と呼ばれ、党幹部たちに性的サービスを提供する女性たちの存在が西側にも報じられたことがあるが、「喜び組」の女性たちだけではなく、女性たちは北朝鮮では社会の指導層から常に性暴行を受ける運命にあるというのだ。多くは保安省(警察官)や保衛省(情報機関・秘密警察)所属担当者などによる性暴力だ。

北朝鮮の女性への性暴力を訴えるために韓国入りしたHRWのケネス・ロス代表は、「女性への性暴力は戦場や監獄では通常だが、北の場合、一般の女性が職場や市場で性暴力を受けている」と指摘、北では女性への性暴力が社会全般に蔓延していると証言している。

 HRWの最新報告書は2015年から18年の間、金正恩委員長が権力を掌握した2011年以降に脱北した62人とのインタビュー内容(You Cry at Night but Don’t Know Why)をまとめたものだ。


 HRW報告書の内容は韓国や日本では良く知られていることで新しいことではない。不思議に感じる点は、韓国の文在寅政権が北朝鮮の女性の人権蹂躙を批判したという話を聞かないことだ。人権弁護士だった文大統領は「女性の権利」を含む「人権」問題を金正恩氏との会談で議題としたことすらないのだ。

 ところで、北朝鮮の女性の権利蹂躙、性暴行については沈黙する文大統領が70年以上前の旧日本軍の慰安婦問題を事ある度に取り上げ、「旧日本軍兵士の女性に対する尊厳蹂躙」と酷評し、世界各地に慰安婦の女性像を設置し、国際社会に日本の戦時の女性の権利蹂躙問題を訴えている。このアンバランスはどこから生じるのだろうか。文大統領には「女性の権利蹂躙」は問題ではなく、「旧日本軍」が問題なのではないか、という素朴な疑惑さえ湧いてくる。

 もう少し突っ込んで考えてみる。ベトナム戦争時の韓国兵士のベトナム女性への性的暴行や蛮行はどうなのか。文大統領はベトナム訪問時に韓国側の戦後対応に謝罪表明したが、韓国兵士の慰安婦問題には何も言及しなかった。戦時の旧日本軍の問題にあれほど執着する文大統領が、ベトナム訪問時では途端に口が重くなってしまった(「文大統領の『心こもった謝罪』とは何?」2018年1月11日参考)。

 旧日本軍の慰安婦問題もベトナム戦争時の韓国兵士の女性への性暴力もいずれも戦時に生じた問題だが、文大統領の目には前者が問題であり、後者に対しては曖昧な謝罪表明で片付けている。文大統領にとって「女性の権利蹂躙」が問題ではなく、「旧日本軍」が問題ということがよく分かる。

 北朝鮮の女性への性的虐待もベトナム戦争時の韓国兵士の性暴力も文大統領にとって問題とはならないのだ。少なくとも、声を大にして叫ぶテーマではないのだ。ロス代表が記者会見でいったように「戦場や監獄では女性への性暴力は日常茶飯事」であり、残念ながらどこでも起きていることだからだ。しかし、「旧日本軍が戦場で犯した場合」だけは、女性への性暴力は途端に大問題となるわけだ。

 明らかに、文大統領は反日思想に凝り固まった政治家と言わざるを得ない。文大統領には「女性の権利擁護」といった普遍的な価値観はない。普遍的人権といった国際社会が共有する価値観を文大統領は共有していないのだ。

 その文大統領が以前人権弁護士だった、ということが信じられなくなる。女性への性暴力を犯しても韓国兵士、北朝鮮指導者の場合は大目に見て、静観する一方、旧日本軍の場合、顔色を変えて叫びながら批判を繰り返す。そこには普遍的人権という価値観はまったくない。

 文大統領は先日、バチカン法王庁を訪問し、フランシスコ法王と謁見し、金正恩氏の「訪朝招請」を伝達したが、大統領は「宗教の自由」では最悪の国であり、人権蹂躙が繰り返されている国の首都平壌をローマ法王が本当に訪問すると考えているのだろうか。考えているとすれば、文氏にとって「人権」蹂躙は対話の障害となるテーマでないことを裏付けている。「人権」を重視していたならば、金正恩氏に法王の訪朝招請を助言するという考えすら浮かばなかったはずだ。

 残念ながら、文大統領の「人権」は右にも左にも揺れる風見鶏のようなものだ。日本にとって文大統領が率いる韓国は共通の価値観を有する同盟国とはいえなくなってきている。戦後補償の個人請求権は1965年の日韓請求権協定で消滅することになっているにもかかわらず、4人の元徴用工の賠償請求を認めた韓国大法院(最高裁)の判決はそのことを改めて強く感じさせた。国際条約も普遍的人権も韓国ではいつでも破棄できる“軽い”ものに過ぎないのだ。日本側はその点を忘れずに隣国と対面すべきだろう。

バチカン大使館の人骨は何を語るか

 イタリア・ローマのバチカン大使館別館の改装作業中、人骨が発見された。バチカン側はイタリア警察に即通報。ローマ検察は人骨の年齢、性別、死亡時の確認のために法医学者を派遣したという。バチカン・ニュースが30日報じた。

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▲バチカン大使館内で人骨が発見されたことを報じるバチカン・ニュース(2018年10月31日、バチカン・ニュースHPから=写真はイタリア通信社)

 バチカン大使館内の人骨発見が報じられると、イタリアのメディアではこの人骨が1983年に行方不明となったバチカン職員の娘エマヌエラ・オルランディ(Emanuela Orlandi)さんではないかと推測する記事を流している。

 通称「オルランディ行方不明事件」は1983年6月22日に遡る。法王庁内で従者として働く家庭の15歳の娘、エマヌエラ・オルランディさんはいつものように音楽学校に行ったが、戻ってこなかった。関係者は行方を探したが、これまで少女の消息、生死すら分からずに35年の歳月が過ぎた。その間に様々な憶測や噂が流れた。 

 代表的な意見としては、少女は誘拐され、殺害されたという誘拐殺人説だ。それに関連してマフィア関与説。いずれもそれを裏付ける証拠はない。ある者は「少女はテロリストの手にあって、彼らはヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件(1981年5月13日)の犯人、ブルガリア系のトルコ人、アリ・アジャ(Ali Agca)の釈放との引き換えを要求するのではないか」と言い、また、マフィアのデ・ぺディス一味が少女を誘拐し、その後、殺してトルヴァイアニカの海岸にセメントで埋めた というのだ。

 最近では、バチカンの暴露記事で著名なジャーナリスト、エミリアーノ・フィッティパルディ(Emiliano Fittipaldi )が昨年9月19日、一つの文書を公表した。これは1998年に書かれたもので、バチカンが1997年まで行方不明となった少女のため約34万ユーロ(約4500万円)を支出していたことが記述されていたのだ。これが事実とすれば、少女は少なくとも97年まで生きていたことになる。

 ジャーナリストは、「この文書が本物とすれば、バチカンは少女の行方不明の背景を知っていたことになる。それともバチカン内の陰謀のため書かれた偽文書かもしれないが、その内容はショッキングだ。全て謎の答えはバチカン内で見つけなければならない。バチカンは事件の捜査を開始すべきだ」と要求している。

 ローマのサン・タポリナーレ教会の本堂に埋葬されたマフィアのボス、エンリコ・デ・ぺディス(Enrico De Pedis)の墓に別の「人骨」が見つかり、その「人骨」が行方不明の少女のものでないか、という噂が流れたことがある。イタリア司法省は2012年5月、事件の捜査を再開したが、情報は間違いと分かった、といった具合だ。

 いずれにしても、「オルランディ行方不明事件」はイタリア犯罪歴史でも最も謎に満ちた事件といわれる。バチカン大使館内で「人骨」が発見されたというニュースが流れると、どうしても同事件と関連して憶測する記事が流れることになる。「人骨」のDNA捜査の結果が出るまで1週間ほどかかる。それまで現時点では何も断言できない。

 明確な点は、バチカン大使館内で「人骨」が見つかったということはバチカン関係者がその身元を知っている可能性が高いことだ。外部の人間が死体をバチカン大使館内に運んで埋めるということは通常考えられない(「バチカン、少女誘拐事件に関与?」2017年9月21日参考)。

 当方は最近、米TV犯罪捜査ドラム「ボーンズ、骨は語る」を観ている。12シーズン続いた番組で米国では昨年3月、放映が終了した。法人類学者のテンペランス・ブレナンがFBIのシーリー・ブース特別捜査官を助け、「人骨」となった人間の身元を解明し、犯人を捜すというストーリーだ。当方は学生時代、頭骨から顔を再構築する「復顔術」に非常に興味を持っていたこともあって、「ボーンズ」シーズンを時間があれば見てきた。現在、3シーズン目に入っている。

 殺人事件が発生した場合、捜査側はまず死体を検査する。死体の状況を検査することで、犯行状況から犯人割り出しまで判明するケースは少なくない。21世紀の現在は「死体」に留まらず、「骨」すらその歴史を語る時代になってきた。DNA分析などの最新法医学技術を駆使することで、「人骨」の歴史が浮かび上がってくる。

 バチカン大使館内で発見された「人骨」がどのような歴史を語るだろうか。「オルランディ行方不明事件」は事件発生から35年しか経過していない。ちなみに、欧州のローマ・カトリック教会では2日は「死者の日」(Allerseelen)で、多くの人々が花を買って先祖や知人のお墓参りに出かける日だ。

「カショギ氏殺人事件」1カ月の総括

 サウジアラビアの反体制ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(59)がトルコのイスタンブールのサウジ総領事部内で殺されてから、今月2日で1カ月目を迎える。殺人がサウジ関係者によるものであったことは捜査側のトルコ当局もサウジ側もほぼ一致してきたが、誰がカショギ氏の殺人を命令したかでは、まだコンセンサスはない。同氏の死体が発見されれば、犯行状況などがより判明するだろう。

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▲殺害されたサウジのジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(ウィキぺディアから)

 ところで、カショギ氏殺人事件だから犯人捜しが最優先されるが、殺されたカショギ氏がどのような人物で、なぜ殺されたのかについてはあまり報じられていない。明らかな点はカショギ氏が亡命先の米国でムハンマド皇太子の政治を厳しく批判し、糾弾したことがサウジ側の怒りに触れたことだ。「カショギ氏はジャーナリストの道に入った当初はムハンマド皇太子のサウジ改革に期待していたが、皇太子の政治が強権と粛清であることが分かり、袂を分かった」(独週刊誌シュピーゲル)といわれる。

 カショギ氏は生前、ワシントン・ポスト紙や独週刊誌シュピーゲルにコラムを寄稿し、ムハンマド皇太子批判を繰り返してきた。そこで“アラブの盟主”サウジを震撼させたカショギ氏とはどのような政治信条を有していたのか、そのプロフィールを少し追ってみた。以下、シュピーゲル誌の情報をもとに報告する。

 カショギ氏は9月、ワシントン・ポストに「ムスリム同胞団」について言及し、「『ムスリム同胞団』が解体されれば、アラブ諸国の民主主義は終わる」と述べている。カショギ氏の政治信条は「ムスリム同胞団」に近いとみて間違いない。実際、エジプト前大統領ムハンマド・モルシーの顧問と頻繁に会っているのを目撃されている。ちなみに、カショギ氏はアラブの盟主を目指すトルコのエルドアン大統領の友人だ。同大統領は「ムスリム同胞団」の支持者だ。

 一方、「ムスリム同胞団」を警戒し、脅威と感じるムハンマド皇太子はエジプトとアラブ首長国連邦と共に同組織がテログループであることを欧米諸国に向かってアピールしてきた。ムハンマド皇太子とカショギ氏の間には「ムスリム同胞団」に対する捉え方が180度異なるわけだ。

 なお、カショギ氏はジャーナリストとして初期時代、アフガニスタンのムジャーヒディーン(ジハードを遂行する戦士)を支持、国際テロ組織「アルカーイダ」の創設者オサマ・ビンラディンとも会っている。ただし、後半になると、イスラム教の教えを文字通り解釈するイスラム過激主義に距離を置き、次第にリベラルな考えになっていった。

 10月2日、イスタンブールのサウジ総領事部前でカショギ氏が戻るのを待っていた婚約者、Hatice Cengiz女史はカショギ氏が戻らないので直ぐに知人に電話している。その相手先はトルコのエルドアン大統領の顧問でカショギ氏の友人 Yasin Aktay 氏だ。すなわち、カショギ氏殺人事件の周辺にはサウジばかりか、トルコ側もトップが接触していたことが分かる。それだけではない。米中央情報局(CIA)はカショギ氏に事件前、「サウジ側は、あなたを誘拐し強制的に帰国させる命令をムハンマド皇太子から受けている」と通達している。サウジ、トルコ、そして米国の3国がその濃淡は異なるが、接触していた事実が浮かび上がる。

 ちなみに、カショギ氏は9月28日、イスタンブールのサウジ総領事部を訪問し、結婚に必要な書類を求めている。サウジ側は「1週間後、取りに来てほしい」と答えた。実際は、カショギ氏は10月2日、サウジ総領事部を再訪した際、事件に巻き込まれた。総領事部内にはリヤドから派遣された15人の特別隊がカショギ氏の訪問を待っていたわけだ。その中には、「死体解剖時には音楽を聴けばいい」と述べた死体解剖学者 Salah Muhammed Al Tubaigy 氏がいた。同氏はアラブのメディアとのインタビューで「自分は死体解剖の最短記録保持者だ」と自慢している。

 カショギ氏にとって武器商人で億万長者のアドナン・カショギ氏(昨年6月死去)とは甥・叔父の関係だ。英国の故ダイアナ妃と共にパリで交通事故死したドディ・アルファイド氏(叔父カショギ氏の実妹の息子)とも親戚関係に当たる、といった具合だ。華やかな一族だ。

 カショギ氏殺人事件がどのような結末を迎えるか目下不明だが、経済危機にあるトルコに対し、サウジが財政支援をする形で手打ちになる可能性もある一方、サウジとトルコ間でアラブの覇権争いが激化するかもしれない。いずれにしても、カショギ氏殺人事件はここしばらくはアラブ全土に大きな混乱と動揺をもたらすことは必至だ。
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