ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2017年12月

クリスマスツリーは枯木だった?

 欧州最大のクリスマス市場、ウィ―ン市庁舎前広場には当然のことだが、クリスマスツリーが飾られている。毎年、ツリーは異なった州から運ばれるが、今年はフォアアールベルク州から運ばれた高さ25メートルの松の木だ。先月15日には、来年辞任予定のホイプル市長がツリーのスイッチを入れると、飾られたイルミネーションが一斉に点灯された。ツリーは、クリスマスが終わるまで輝いている。

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▲クリスマスツリーと相性が悪いローマのラッジ市長(ラッジ市長のフェイスブックから)

 ところで、クリスマスツリーが生き生きと飾り付けられているから、市場の雰囲気も盛り上がるが、そのツリーが運び込まれた段階で既に生命力を失った枯木だったらどうするか。クリスマスの雰囲気が失せてしまうだろう。

 そんな考えられないことがイタリアのローマであった。イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州トレント自治県の北東部に位置する谷、ヴァル・ディ・フィエンメ谷から採木された松が今月初めローマのヴェネツィア広場に運び込まれたが、樹木の専門家が直ぐにその松の木が既に枯れているのに気が付いたのだ。ローマまでの運送中に松の木が死んでしまったわけだ。松の木の運送コストはほぼ4万ユーロだったが、運送中に松の木が傷ついてしまったのではないかというのだ。

 松の枝は哀れにも垂れ下がっている。インターネットのユーザーたちはツリーを早速洗面所用ブラシだと揶揄している。ツリーに自らスイッチを灯したラッジ市長への嫌味もあってか、ツリーは“禿の枯木”と呼ばれているというのだ。

 消費者保護協会(Codacons)はヴェネツィア広場からクリスマスツリーを片付けるように要求。「クリスマスツリーは市民と旅行者に醜悪なイメージをを与えるだけだ」とその理由を説明している。
 ツリーはクリスマスが終わるまで生き延びないのは誰の目にも明らかだった。Codaconsのカルロ・リンツィ議長は、「枯木のツリーの写真はローマの町を世界の嘲笑の的にしてしまうだけだ」というのだ。

 ところで、ヴェネツィア広場のクリスマスツリーでローマのブルジニア・ラッジ市長は昨年も批判されている。「五つ星運動」所属のラッジ市長は昨年も他の政党政治家たちから同じように“枯れたクリスマスツリーだ”という批判を受けたばかりだ。


 ラッジ市長(39)は昨年6月、マッテオ・レンツイ氏が率いる与党「民主党」の対抗候補を破り、イタリアで初の女性市長に当選した才媛だが、クリスマスツリーとは相性が悪いのだろうか。それとも、イタリアで最初のローマ市長に当選した才媛ラッジ女史への嫉妬と嫌がらせがクリスマスツリー批判となって跳ね返っているのに過ぎないのだろうか。
 AFP通信が配信したツリーの写真を見る限りでは、撮影の角度もあるだろうが、やはり生き生きとした感じはなく、お化け屋敷のツリーといったイメージが浮かんでくる。

「教会」は性犯罪の共犯者だった

 世界最大のキリスト教会、ローマ・カトリック教会の聖職者による未成年者への性的虐待事件をフォローしてきたが、その不祥事の規模と犠牲者の後遺症を考えると、「カトリック教会はキリスト教を信望した宗教団体だが、聖職者の不祥事を組織的に隠蔽するやり方をみると、マフィアなどの組織犯罪グループではないのか」といった思いがどうしても湧いてくる。

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▲バチカン法王庁の夕景(2011年4月、撮影)

 オーストラリアのローマ・カトリック教会聖職者による未成年者への性的虐待事件を調査してきた「聖職者性犯罪調査王立委員会」(2013年設置)が15日、最終報告書を政府に提出した。今年2月に発表された中間報告書の内容を追認するものだ。カトリック教会所属の修道院関連施設で1950年から2009年の間に、オーストラリア教会全聖職者の7%が性的虐待に関与しており、ある施設ではその割合が40%にもなるという驚くべき内容が記述されている。

 同調査委員会は4年余りの間、調査を実施してきた。同国カトリック教会司教会議の「真理・公平・治癒のための委員会」(TFHC)のフランシス・スリバン(Francis Sullivan)議長は政府に同最終報告書を早急に公表するように要請している。そして政府が報告書内容を深刻に受け取っていることを示すべきだと述べる一方、教会側としては、「調査結果に基づき、結論を下すべきであり、基本的な刷新を実施しなければならない」と強調している。

 調査は57件の公式尋問、44回の委員会、1300人以上の証人から証言を聴取した。非公式の会合ではほぼ8000人の性的虐待の犠牲者が体験を語ったという。同委員会が慎重に調査してきたことが分かる。その結論が上述したショッキングな内容となるわけだ(「豪教会聖職者の『性犯罪』の衝撃」2017年2月9日参考)。

 ローマ法王フランシスコが2014年2月に新設したバチカン法王庁財務長官のポストにあった前オーストラリア教会最高指導者ジョージ・ペル枢機卿が同国の検察所から未成年者への性的虐待容疑で起訴された。枢機卿はバチカンの職務を休職し、既にオーストラリアに帰国しており、メルボルンの裁判所に出廷して自身の潔白を表明するという。同枢機卿の未成年者虐待容疑は既に数年前からくすぶっていたが、同枢機卿はその度に、「私を中傷する目的であり、全く事実ではない」と強く否定してきた。

 ぺル枢機卿(76)の場合、性犯罪の隠蔽問題ではなく、枢機卿自身が犯した性犯罪容疑が対象となっていた。同国ビクトリア州検察局がペル枢機卿自身の性犯罪容疑で調査を開始したことが明らかなると、バチカン放送は速報し、教会内外に大きな衝撃を投じた。

 ペル枢機卿に対する性的虐待容疑はここにきて一層濃厚となってきている。被害者が出てきて生々しい証言をしているのだ。ジャーナリストのルイス・ミリガン女史は新しい本の中で、「1990年代、メルボルン大司教就任後、ペル枢機卿は2人の合唱隊の少年に性的虐待を行った」と書いている。同女史によると、2人の少年の1人は2014年、麻薬中毒で死去した。2人目の犠牲者がジャーナリストに、「ティーンエイジャー時代にペル枢機卿に性的虐待を受けた」と証言したという。

 オーストラリアのカトリック教会が特別、悪い聖職者が集まった教会というわけではないだろう。欧米教会は程度の差こそあれ、聖職者の未成年者への性的虐待事件を抱えている。性犯罪は犯罪の中でも重犯罪に属する。罪を犯した聖職者を隠蔽してきたカトリック教会、バチカン法王庁は共犯者だといわれても弁明の余地がないだろう。

 南米出身のローマ法王フランシスコはイタリア日刊紙ラ・レプップリカとのインタビューで、「聖職者の約2%は小児性愛者だ。司教や枢機卿の中にも小児性愛者がいる」と発言し、教会内外で衝撃が広がったことがある。バチカン報道官はその直後、法王の発言を修正したが、小児性愛者がバチカン高官の中にいることはもはや否定できない。ちなみに、(全聖職者約41万人の)「2%」とすれば約8000人の聖職者が小児性愛者ということになる(「枢機卿にも小児性愛がいた」2014年7月18日参考)

 オーストラリア教会司教会議代表は、「聖職者の性犯罪が明らかになった以上、われわれは変わらなければならない」と指摘しているが、どのように教会が変り、失った信者たちの信頼を回復させるかについては何も言及していない。

極右政党の“暴走”対策はこれだ!

 オーストリアで18日午前11時(現地時間)、ウィ―ンの大統領府で中道右派政党「国民党」と極右政党「自由党」からなる新連立政権の宣誓式が行われ、クルツ新政権が正式に発足した。11年前、両党の連立政権が発足した時、自由党の政権参加に反対するデモ集会が行われ、新政権の閣僚たちは宣誓式が行われる大統領府まで地下道を通って行かなければならなかったが、今回も抗議集会こそ行われたが、規模的には小さく、大きな衝突はなかった(ウィーン市警察によると、デモ参加総数約5000人)。

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▲12月18日、ウィ―ンの連邦大統領府での宣誓式で語り合うバン・デア・ベレン大統領(左)、クルツ新首相(中央)、シュトラーヒェ副首相(右)=オーストリア国営放送の中継放送から

 欧州諸国では自由党の連立参加に批判と懸念の声があることは事実だ。欧州連合(EU)は反EU路線を標榜してきた自由党の政権入りに強い警戒心をもっている。

 31歳で新政権を組閣したクルツ首相は8週間余りの自由党との連立交渉で極右党の暴走を回避するために2、3の対策を取っている。クルツ新首相が実施した“極右党暴走対策”を紹介する。

 まず、閣僚リストを一瞥すると驚く。閣僚ポスト数こそ国民党は8閣僚で自由党より2つ多いが、財務省、法務省以外は重要なポストはない。一方、自由党は外務省、内務省、国防省、そして社会省と4つの主要閣僚ポストを得ている。新外相のカリン・クナイスル女史(52)は外部から抜擢されたが、自由党が推薦した人物だ。

 国内に極右政党「国民戦線」を抱えるフランスでは、クルツ新政権で自由党が内務省と国防省の両方を握ったことに強い警戒心を吐露している。当然の懸念だろう。クルツ新首相はその懸念を深刻に受け取り、手を打っている。クルツ新政権にはヘルベルト・キックル内相(49)のもと国民党からカロリーネ・エドッシュタドラー女史(36)を次官として配置している。

 自由党のブレインと呼ばれ、イェルク・ハイダー時代(1986〜2000年)、ハイダー党首の演説を書き、ハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首(48)が就任した後も自由党の政治路線から選挙戦まで組織化し、主導してきた人物だ。オーストリア・メディアによると、新内相にはネオナチ系人物との接触があるという。
 そこでクルツ氏は内務省に国民党の次官を配置し、キックル内相の独走を監視する狙いがあるわけだ。これが極右党暴走対策のナンバー1だ。

 連立交渉でクルツ氏が自由党側に強く要求した点はEU離脱を要求しないこと、カナダEU包括的経済貿易協定(CETA)に反対しないことだ。ブリュッセルの最大の懸念は自由党の反EU路線だからだ。その代わり、クルツ氏は愛煙家で知られているシュトラーヒェ副首相の要求を受け入れ、既に前政権で決定していた禁煙法の施行を断念している。これがナンバー2の暴走阻止対策だ。

 それだけではない。クルツ氏はEU問題は連邦官房省の管轄に置き、クルツ氏の最側近、ゲルノート・ブリュ―メル官房長官(36)がEU問題を取り扱う。自由党が反EU路線に走るのを避けるためだ。新外相は外部からだが、EUの懸念を払拭するための予防策だ。対策ナンバー3だ。

 なお、国民党と自由党の連立交渉が始まると、バン・デア・ベレン大統領は、「一つの政党が内務省と法務省の2省を握らないこと、過去にネオナチ的発言や外国人排斥などを発言した政治家は閣僚に就任させないことという条件を提示した。クルツ氏は大統領の願いを受け入れ、内務省は自由党に与えたが、法務省は国民党が握っている(ジョセフ・モーザー氏、62)。対策ナンバー4だ。

 クルツ政権で内相と国防相が自由党の手にあることに不安をもつ声はあるが、キックル内相には先述したように国民党からの次官をつけている。オーストリアは中立国家ということもあって、マリオ・クナゼク国防相(41)にはあまり大きな権限はない。主要課題は警察と連携して殺到する難民のコントロールと、国境線監視に限られている。軍部の不穏な動きといったことは現時点では考えられない。その意味で、自由党が内相と国防相の2ポストを占めたことに対する不安は杞憂だ。ただし、治安関連閣僚を極右政党が握ったという“事実”は新政権にとっていいイメージとはならない。

 31歳のクルツ新首相は極右政党自由党と連立を組んだが、自由党の暴走、脱線を防ぐために対策をそれなりに打ってきているわけだ。若い首相だが、抜け目がない。

新政権「イスラム北上を阻止せよ」

 オーストリアで18日、中道右派「国民党」と極右政党「自由党」から成る新連立政権が正式に発足する。同日午前、大統領府でバン・デア・べレン大統領のもと新閣僚たちが宣誓式をした後、新政権はスタートする。

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▲カーレンベルクのポーランド教会正面にあるポーランド王ヤン・ソビエスキーの記念碑(ウィキぺディアから)

 新政権は31歳の最年少首相に就任したセバスチャン・クルツ首相(国民党)とハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ副首相(自由党)のもと14人の大臣、2人の次官から構成されている。国民党出身の首相は11年ぶり、国民党と自由党の連立は通算、3回目となる。前の政権では自由党内の政争もあって任期を全うできずに終わった。今回は5年の任期だ。

 ところで、両党の党首は16日、連立政権の主要課題と政策を明記した政府プログラムを公開した後、記者会見に応じたが、興味深い点は、この記者会見が市内のホテルではなく、郊外のウィ―ンの森にあるカーレンべルク(Kahlenberg)で開催されたことだ。そこはオスマン・トルコの北上で窮地に陥った欧州諸国がポーランド王などの援助を受け、キリスト教軍を形成してオスマン・トルコ軍の北上を阻止した歴史的な場所だ。 

 同国は過去2回、オスマン・トルコから侵入を受けた。1529年と1683年だ。特に、後者(第2次ウィーン包囲)では、北上するトルコ軍にオーストリア側は守勢を余儀なくされ、ウィーン市陥落の危機に直面した。皇帝レオポルト1世の支援要請を受けたポーランド王ヤン・ソビエスキーの援軍がなければ、危なかった。ウィーンがトルコ軍の支配下に陥っていたら、オーストリアはイスラム圏に入り、キリスト教文化は消滅していたかもしれない。その意味で国民党と自由党が新連立政権の政府プログラムと閣僚リストを公表する記者会見の場所にカーレンベルクを選んだという事実は非常に意味深いわけだ。

 極右自由党は反難民政策を掲げ、“オーストリア・ファースト”を標榜する政党であり、最年少首相という名誉を得たクルツ新首相はその厳格な難民政策で欧州政界で名を成した若き政治家だ。2015年に中東・北アフリカから難民が欧州に殺到していなかったならば、両政治家は10月の総選挙で大躍進は難しかったかもしれないし、特に、クルツ首相が首相のポストを得るまであと数年は待たなければならなかっただろう。難民の殺到は両政治家を大躍進させた最大の主因だったことは疑いない。

 その両政治家が新政権のプログラムをカーレンベルクで最初に公表したということは、「欧州をイスラム化から防ぐ」という象徴的なデモンストレーションと受け取って大きな間違いではないだろう。

 ポーランドのモラウィエツキ新首相は今月、就任直後の記者会見で「欧州の再キリスト教化」をその主要目標に挙げている。スロバキアのロベルト・フィツォ首相も難民殺到の収容問題で「わが国はキリスト教徒の難民しか受け入れない」と宣言。ハンガリーのビクトル・オルバン首相は「欧州のイスラム化を阻止すべきだ」と強調している、といった具合だ。欧州連合(EU)の東欧加盟国はイスラムの北上に強い不安と恐怖を感じている。

 オーストリアは冷戦時代、200万人以上の難民を受け入れ、「難民収容国家」と呼ばれたが、同国は今日、中東・北アフリカから殺到するイスラム系難民の受け入れや不法移民に対して欧州で最も厳格な国になろうとしているわけだ。

最年少首相と極右党の新連立発足

 オーストリアで国民議会(下院、定数183)選挙後、連立交渉を続けてきた中道右派「国民党」のセバスチャン・クルツ党首と極右政党「自由党」のハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首は15日、「連立交渉は成功裏に終わった」と述べ、連立政権の発足で合意したことを明らかにした。

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▲国民党と自由党、連立政権発足で合意(2017年12月15日)=「自由党」公式サイトから

 10月15日の国民議会選で国民党はこれまで第1党だった社会民主党(ケルン党首)を抜いて第1党に復帰し、自由党は得票率約26%で第3党に躍進。国民党と自由党両党からなる新政権は議会で113議席を占める安定政権となる。なお、国民党から首相が出るのは11年ぶり。

 国民党はメルケル独首相の政党「キリスト教民主同盟」(CDU)の姉妹政党。2015年に中東・北アフリカから大量の難民が欧州に殺到した時、メルケル首相は当初、難民歓迎政策を実施したが、隣国オーストリアの31歳のクルツ外相(当時)はいち早く難民が殺到するバルカンルートの閉鎖、監視の強化に乗り出した。難民対策で意見が分かれていた欧州連合(EU)でもクルツ党首の難民政策を評価する声が高まっていった。ラインホルト・ミッテルレーナー党首が今年5月突然辞任すると、クルツ氏は国民党党首に就任し、国民的人気をバックに総選挙で国民党を第1党に押し上げた。

 一方、自由党は“オーストリア・ファースト”を掲げ、厳格な反難民政策を主張し、EUに対しても批判的な声が強かったが、英国に倣ってEUを離脱する案は撤回。同党はイェルク・ハイダー前党首時代、反ユダヤ主義を標榜し、ネオナチ政党というレッテルが貼られたが、シュトラーヒェ党首時代に入り、反ユダヤ主義を修正し、同党首自身がイスラエルを訪問するなど党の極右イメージの是正に乗り出してきたばかりだ。

 クルツ新政権は18日、大統領府でバン・デア・ベレン大統領のもと宣誓式を行った後、正式に発足する。オーストリア国営放送によると、新政権は14閣僚から構成され、8閣僚が国民党から、6閣僚ポストは自由党から出る。自由党は外相、内相、国防相、社会相など主要ポストを得る。

 「緑の党」出身のバン・デア・ベレン大統領はクルツ党首に法務省と内務省を同一の政党(この場合、自由党)に渡さないように要請する一方、ネオナチ的言動の自由党政治家の閣僚入りには反対する意向を伝えてきた。欧州では極右の自由党参加の連立政権に対し、批判的な声が挙がっているからだ。新政権で内相と国防相が自由党の手に渡ることに警戒心の声が既に聞こえる。また、EU本部ブリュッセルからは、反EU路線を主張してきた自由党の政権参加に警戒心はある。それに対し、クルツ党首は連立交渉の中で外務省を自由党に委ねるが、欧州問題担当は首相府が主管する体制を取り、自由党がEU政策を主導することを避ける考えだ。

 国民党と自由党の連立政権は今回で3回目。シュッセル首相の国民党と自由党の連立政権が2000年に発足した時、欧州諸国から「極右政党の政権参加」に強い批判が生まれ、EU加盟国はオーストリア新政権への制裁を実施したほどだ。ただし、自由党のクルツ政権参加に対しては一部批判が聞こえるが、シュッセル政権当時と比べると、その声は小さい。

 連立交渉では、企業の税負担の軽減、大学の学費再導入、一日の最大労働時間12時間など新しい政策を実施することで合意している。野党に下野した社民党などから反対が予想される。

 31歳のクルツ党首は欧州最年少の首相となる。新政権(任期5年)には専門家と女性閣僚が多いのが特長だ。若いクルツ党首が自由党に振り回されることなく、その政治手腕を発揮できるかが注目される。一方、自由党はその政務能力が問われる機会となる。欧州の他の極右政党への影響も無視できない。

文在寅大統領の第1の敵国は日本?

 13日から始まった韓国の文在寅大統領の中国訪問は大統領府の狙いとは違った展開で終わったのではないか。就任後初の訪中で大きな成果を期待する声もあった。文大統領は14日、北京人民大会堂で習近平国家主席と首脳会談を行った。事前に予想されていたことだが、その直後の記者会見も共同声明もなく終わった。文大統領は16日、北京大学で前日演説した後、地方を視察し、帰途に就いた。

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▲中国の習近平国家主席と韓国の文在寅大統領の首脳会談、2017年12月14日、北京で(韓国大統領府公式サイトから)

 青瓦台側は、訪中を控え、2つの要望を北京側に伝えていた。一つは4泊5日の国賓訪問、そして「13日から」の日程だ。前者は習近平主席の日程の都合で断られ、1日短縮され、後者は受け入れられた。韓国側は、13日の中国の国家公式記念日の「南京大虐殺の追悼日」に訪中し、韓国と中国が連携して日本の過去を追及したいと考えていたはずだ。だから、韓国側は13日の訪中に拘った。
 一方、中国側は18日から習主席主宰の経済工作会議に入る。だから、韓国の訪中は17日前でなければ年内の首脳会談実現は難しい、というのが基本姿勢だった。年内訪中を願う韓国側は北京側に無理押しした。その結果、日程は1日短縮され、国賓訪問の初日、ホストは北京に滞在せず、初日の歓迎会もなく、寂しく終わることが予想された。にもかかわらず、文大統領は13日の「南京事件の追悼日」に合わせて訪中を強行したわけだ。

 しかし、13日、肝心のホスト役の習近平主席は追悼大会参加のために南京を訪れていたが、慣例の演説をせず、出席しただけで退席した(追悼式の演説は習主席ではなく兪正声・政協主席が行った)。日本のメディアは、日中関係が改善の兆しがあるので、それを妨げたくないという中国側の配慮ではないか、という憶測記事を流している。

 文大統領は13日の訪中初日、在外韓国人の昼食懇談会に参加した後、、韓中ビジネスフォーラムに出席して演説を行った。聯合ニュース(日本語版)によると、文大統領は、「南京大虐殺から80年にあたる追悼の日で、われわれ韓国人は中国人が経験した辛い事件に深い同質感を持っている。私と韓国人は同病相憐れむの気持ちで犠牲者たちを哀悼し、痛みを抱える多くの人々にいたわりの言葉を差し上げたい。中国と韓国は帝国主義による苦難も共に経験し、共に抗日闘争を繰り広げ、厳しい時期を一緒に乗り切ってきた」と述べたという。

 トランプ米大統領が訪韓した時の韓国側の対応を思い出してほしい。トランプ大統領は11月7日、1泊2日で訪韓した。ホスト国の文在寅政権は同日夜、国賓ゲストのトランプ米大統領夫妻のための歓迎夕食会を開催し、そこに、元慰安婦の李容洙さん(88)を招待した。日本メディアによれば、李さんの夕食会参席については事前に米国側に報告されていなかった。それだけではない。夕食会のメニューには日本と領土問題で争っている竹島で採られたエビが「独島産」として出されたという。

 今回は訪中だ。それも国賓として招かれたのだ。そのゲストの文大統領は北京入りして最初に叫んだのが南京問題だった。聯合ニュースもさすがにおかしいと感じたのか、「就任後初めて訪問した中国で最初のメッセージとして南京大虐殺に言及したのは、ほぼ同じ時期に日本に占領されるという苦難を味わい、抗日運動を展開した韓中共通の歴史を際立たせることで、親近感をアピールする狙いがあるとみられる」と報じているほどだ。

 中国と韓国両国は10月31日、在韓米軍のTHAAD(高高度防衛ミサイル)が「(北朝鮮以外の)第三国に向けられたものではない」などと確認、関係改善で合意していた。それを受け、中国当局は禁止してきた韓国行き団体旅行の取り扱いを一部許可、そして文大統領の国賓招待だ。
 しかし、中国の対韓姿勢は変わったのだろうか。中国は依然、韓国側にTHAAD追加配備、米ミサイル防衛(MD)体制編入、日米韓同盟への発展の三つに「不可」を突き付けているのだ。両首脳会談の最大の課題だった北朝鮮問題では制裁と圧力を行使して北の核問題を解決する方向で意見の交換が行われたが、会談の詳細は不明だ。文政権は軍事介入も辞さない強い姿勢を崩していないトランプ米政権との関係を無視して、中国寄りの対北政策を完全に支持することはできないが、習主席との首脳会談では対話・外交での解決を強く主張したという。

 文大統領には朝鮮半島の危機を克服するため日米との関係強化が不可欠だというコンセンサスがあるのだろうか。もちろん、中国との連携は欠かせられない。それだけに冷静で賢明な外交が求められるわけだ。
 トランプ大統領訪韓時の接待、訪中時の文大統領の南京問題への言及などの言動を考える時、文政権の外交への不安を払しょくできない。文大統領の第1の敵国は日本ではないか、といった思いが湧いてくるのだ。

ローマ法王「悪魔は君より頭がいい」

 ローマ法王フランシスコはカトリック信者に対し、「悪魔(サタン)と如何なるコンタクトも避けるべきだ。サタンと会話を交わすべきではない。彼は非常に知性的であり、レトリックに長け、卓越した存在だ」と異例の警告を発した。13日に放映されたカトリック系放送「TV2000」とのインタビューの中で語った。

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▲昨年9月に死去した著名なエクソシスト、アモルト神父

 法王は、「サタンは具体的な悪行のために暗躍する。漠然とした事象のために存在するのではない。彼は1人の存在だ。人間は悪魔と話すべきではない。彼に負けてしまうからだ。彼はわれわれ以上に知性的な存在だ。彼はあなたを豹変させ、あなたを狂わせるだろう。悪魔にも名前があり、私たちの中に入ってくる。彼はあたかも育ちのいい人間のような振る舞いをする。あなたが“彼が何者であるか”を早く気が付かないと、悪業をするだろう。だから、彼から即離れることだ。サタンは神父も司教たちをも巧みに騙す。もし早く気がつかないと、悪い結果をもたらす」と説明している。

 南米出身のローマ法王フランシスコは前法王ベネディクト16世とは違い、頻繁にサタンについて語る。法王は聖職者の未成年者への性的虐待は悪魔の仕業だという。教会刷新問題で抵抗する勢力にもサタンの痕跡が見つかるというのだ。悪魔との対話については「必要ならばエクソシストの助けを受けるべきだ」と助言している。南米出身のローマ法王にとって、サタンはリアルな存在なのだ。

 フランス北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会で昨年7月26日、2人のイスラム過激派テロリストが礼拝中のジャック・アメル 神父(85)を殺害するテロ事件が発生したが、法王は、「神の名で神父を殺害したサタン的なテロ事件だった」と指摘している。法王によれば、殺害された神父は殺される直前、“サタンよ去れ”と叫んだという。

 法王庁立グレゴリアン大学教授だったエクソシストのサンテ・バボリン氏 は悪魔はシンボル的な存在ではなく、悪魔は存在すると強調する。昨年9月に死去した著名なエクソシスト、ガブリエレ・アモルト神父は、「悪魔の憑依現象は増加しているが、聖職者はそれを無視している」と警告している。2人のエクソシストはフランシスコ法王と同様、「悪魔が象徴的な存在ではない」ことを体験で知っているわけだ。

 聖書の中で悪魔については約300回も言及されている。有名な個所を拾ってみると、「悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」(ヨハネによる福音書13章2節)とか、十字架に行く決意をしたイエスを説得するペテロに対し、イエスは「サタンよ、引きさがれ」(マルコによる福音書8章33節)と激怒している。

 悪魔の存在とその実相について、第4ラテラン公会議(1213〜1215年)では、「悪魔とその群れは本来、神によって善の存在として創造されたが、自から悪になった。神は人間と同じように天使にも自由を与えた。神を知り、愛し、奉仕するか、神から離れていくかの選択の自由を与えられた」と記述されている。なお、バチカン法王庁が1999年、1614年の悪魔払い(エクソシズム)の儀式を修正し、新エクソシズム儀式を公表している(「悪魔(サタン)の存在」2006年10月31日参考)

イエスを十字架から降ろそう!

 欧米のキリスト教社会では今、クリスマスを間近に控え、ますます街は賑わってくる。プレゼントを探す人から、クリスマス市場に出かけプンシュを飲む人、街の賑わいが恋しくて外出する人、このシーズンになると心が浮き浮きしてくる人々は、子供たちだけではない。一方、老人ホームなどでは訪れる人もなく、1人で過ごす高齢者もいる。故郷から離れ、都会で仕事をしている若者はこのシーズンには帰郷するが、職種によっては帰郷できない人もいるだろう。

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▲イタリアのフィレンツェの「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」の「十字架のイエス」(フィレンツェ・ガイドブックから)

 クリスマスの主役はいうまでもなく2000年前に生まれたというイエス・キリストだ。キリスト教では「救い主」「メシア」と呼ばれ、キリスト教会ではイエスの誕生をその復活と共に盛大に祝う。教会から足が遠ざかっていた信者たちも年に1度のクリスマスには教会に出かける人も多い。

 世界各地でその生誕を祝われるイエスは幸運な人だと思う人はいるだろうか。イエスが33歳の若さで悲惨な最後を終えたことを知っている人々はイエスという青年に言い知れない負債感を持つ。なぜ人類の救い主イエスが33歳の若さで十字架上で処刑されたのか、という思いが払拭できないからだ。

 そういうこともあってか、イエスは十字架では死なずローマ兵士の追跡から逃れ、インド、そして日本まで宣教の旅に出たとか、マグダラのマリアと結婚して家庭を築いたとか、さまざまな話が外伝や伝承で伝わってくる。これらはイエスを処刑してしまったという負債から逃れたい、という思いから生まれてきた話ではないか。事実は、イエスは33歳で十字架で処刑されたのだ。

 なぜ、イエスは十字架で処刑されたのか、その背景についてはこのコラムでも書いてきた。イエスの家庭問題、母マリアとの関係、実父ザカリアとの関係、そして洗礼ヨハネの不信などをテーマに書いてきた。関心のある読者は再読してほしい(「イエスの父親はザカリアだった」2011年2月13日、「イエスが結婚できなかった理由」2012年10月4日参考)。

 ここでは一歩前進し、「イエスを十字架から降ろすべきだ」というテーマについて少し考えてみた。このテーマはイエスの十字架による救済論と密接な関係がある。換言すれば、イエスの十字架信仰で「果たして人々は罪から解放され、救われたのか」という実証的な問いかけがある。もちろん、「なぜイエスは再び降臨すると約束されたか」というイエス再臨問題も出てくる。
 キリスト教関係者にとってこのテーマはその信仰の核に触れるだけに、「イエスを十字架から解放すべきだ」と主張すれば、これまでの十字架信仰が完全に否定されたように感じ、敬虔な信者なら怒りが飛び出すだろう。

 平静な心で現実をみてみよう。イエスの十字架、そして復活で罪から完全に解放された人は1人もいない。聖パウロの告白を持ち出すまでもなく、これは事実だ。十字架信仰を掲げるキリスト者は「この世では罪からの完全な解放はないが、イエスの復活の勝利によって共に恵みを受ける」という淡い期待をもつ。この信仰姿勢は神とイエスを信じる信仰者としては尊いことだ。しかし、十字架信仰では、罪から完全には解放されなかったという事実は残念ながら否定できないのだ。聖職者の未成年者への性的虐待事件の多発を想起するまでもない。十字架信仰を持つ信者も救われていないのだ。

 イエス自身、そのことを知っていたから、「私はまた来る」と再臨を約束されたのではないか。イエスの十字架で罪から完全に贖われるならば、イエスは本来、再臨する必要はないのだ。十字架を仰ぎ見続けるだけで十分なはずだ。

 キリスト教の教理もイエスの生涯も知らない幼い幼児が教会の祭壇にかけられている十字架のイエスの姿をみてショックを受け、母親に「彼を早く十字架から降ろしてあげて」と呟いたという。幼児はイエスの十字架の救済論、贖罪論、ましてや再臨論については全く知らないが、十字架につけられたイエス像を見て「かわいそう、見るのが怖い」と感じたのだ。このエンパシーは神学の教理以上に事実を語っているように感じる。イエスの十字架は決して神の勝利ではなく、それを崇拝したとしても罪からの完全な救いはもたらさないのだ。

 悪魔はイエスが十字架から解放され、再臨してその使命を果たすことを阻止するために彼を十字架に縛り、十字架信仰を構築してきたのではないか。イエスを祭壇の十字架から降ろすべきだ。

ツイッターとローマ法王

 ツイッターといえば、米トランプ大統領を直ぐに思い出す。同大統領はホワイトハウス入りする前から小まめにツイッターを発信してきたその世界のベテランだ。トランプ氏ほどツイッターを重要な政治メッセージの発信手段として利用している米大統領は過去いなかった。

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▲クリスマスが近づいた12月のウィ―ンの夕景

 ところで、140字の文字を駆使しているのは米大統領だけではない。バチカン放送独語電子版によると、世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会の最高指導者、ペテロの後継者ローマ法王もツイッターを自身のメッセージやイエスの福音を配信する手段に利用し出してきた。今年12月12日でちょうど5年目になる。バチカンのツイッター時代の到来だ。そのパイオニアは前法王のドイツ人ベネディクト16世だ。

 同16世が初めてツイターを利用し、最初のメッセージを配信する瞬間の写真が世界に流れた。世界の信者たちはその写真をみて時代の変化を感じただろう。宣教師が長い船旅でイエスの福音を携え、異国の地で宣教した時代があった。今は、宣教のために外地に赴かなくても自身の書斎からメッセージを送ることができる。よい時代を迎えているわけだ。

 ベネディクト16世の退位後、南米出身のフランシスコ法王もその伝統を継続し、頻繁にツイッターを配信してきた。バチカン関係者によると、ベネディクト16世の場合、実験的な試みといった感じが強かったが、フランシスコ法王は140字のツイッターの世界を福音発信の手段と積極的に考えている最初の法王だという。

 ローマ法王のツイッターのフォロワー(閲覧者)数は現在、9カ国言語のアカウントの合計が4000万人にもなる。フランシスコ法王は、ツイッターだけではなく、Instagram(インスタグラム)、フェイスブック、ユーチューブなども積極的に利用している。政治家のトランプ氏と共に、フランシスコ法王はツイッターの職人となっているわけだ。もちろん、米大統領やローマ法王だけではない。ソーシャル・メディアは今日、誰も無視して通れない世界だろう。

 ソーシャル・メディアに理解がある法王が先月8日、スマートフォンを礼拝中に使用する信者の姿に我慢が出来なくなったのか、異例とも思えるほど厳しい口調で不満を吐露している。信者だけではない。神父や司教すらそのような“悪なる習慣”に染まっている姿が見られたからだ。外電は「フランシスコは礼拝中の携帯電話、スマートフォンの使用禁止を要求」と報じたほどだ。

 フランシスコ法王は「モダンな通信機材を悪用してはならない。そられのネット手段を他者への攻撃や議論のために使用するのではなく、コミュニケーションの相互理解を促進するために利用すべきだ。そして霊的、文化的に成長する手段とすべきだ」と諭している。

 全ての科学的・技術的発展はそれを享受する人間自身が規律と秩序を有していないとかえってマイナスとなる。モダンな通信手段もそうだ。フランシスコ法王はそういいたかったのだろう。

モザイク都市が直面する試練

 エルサレム、サラエボ、そしてベイルートの3都市の運命を考えている。3都市はいずれも多宗派が共存、ないしは共存してきた都市だ。俗にモザイク都市だ。その3都市が今、存続の危機に直面しているのだ。
 3都市の運命は、単に3都市だけに限定された地域問題ではなく、大げさな表現をするならば、人類は国家、民族、宗派の壁を越えて果たして共存できるか、といった地球レベルの問題と考えるべきだろう。そこで、3都市の現状を振り返ってみた。

【エルサレム】
 エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの唯一神教の聖地だ。世界各地から多くの巡礼者が訪れる国際都市だ。そのエルサレムをイスラエルの首都と認知したトランプ米大統領の発言は、中東・アラブ全域で大きな反響を与えている。特に、パレスチナ人の地域では怒りと暴動が起きている。
 エルサレムの帰属問題はこれまで中東の大きな争点として残されてきた。国連レベルでは1947年の国連決議に基づき、東西に分割され、西エルサレムはイスラエルが、東エルサレムはヨルダンがそれぞれ管理することになっていた。1967年6月5日から10日の6日戦争(第3次中東戦争)後、イスラエルは一旦、両エルサレムを併合したが、国連安保理でその併合は無効と宣言されて今日に至っている。イスラエルはその後も「エルサレム法」を採決して、「完全で統合されたエルサレムをイスラエルの首都とする」と表明している。パレスチナとイスラエルの2国家創設案が出て、中東和平交渉が行われてきたが、暗礁に乗り上げていた時、トランプ大統領が選挙公約に従い、エルサレムをイスラエルの首都として認知すると発表したわけだ。

【サラエボ】
 民族が交差する国家、旧ユーゴスラビア連邦時代、サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都だった。サラエボで冬季五輪大会(1984年)が開催されたこともあった。イスラム系、セルビア系、そしてクロアチア系の住民が共に住み、サラエボは“バルカンのベイルート”と呼ばれるほど、多民族、多宗派が共存する国際都市の様相を呈していた。

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▲クロアチア系住民とイスラム系住民間を結ぶボスニアの「スタリ・モスト橋」(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

 そこに20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出した欧州戦後最大の民族紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992〜95年)が発生。デイトン和平協定に基づき、ボスニアはイスラム系とクロアチア系が多数を占めるボスニア連邦とセルビア系住民が支配するスルプスカ共和国の二つの構成体からなる連邦国家となったことはまだ記憶に新しい。
 デイトン和平協定が締結されて今年12月で22年目を迎えたが、ボスニア紛争後の過去20年は残念ながらサクセス・ストーリーではなかった。「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)の上級エコノミスト、ウラジミール・グリゴロフ氏によると、「民族紛争によって大部分の産業インフラは破壊され、多くの国民は国外に逃げていった。失業率は現在30%に近い。特に、青年の失業率は50%にもなる」という。
 ちなみに、サラエボにはサウジアラビア、イランから巨額の資金が流れ込み、イスラム寺院の建設ブームを迎えている。同時に、イスラムの過激主義が席巻してきた。

【ベイルート】
 レバノンは久しくモザイク国家と呼ばれ、その首都ベイルートには多数の宗派が共存してきた。英歴史学者アーノルド・J・トインビーは「レバノンは宗教の博物館だ」と指摘したように、同国には20を超える宗教、宗派が共存してきた。主要宗教はキリスト教マロン派、スンニ派、シーア派の3宗派だ。同国の政治システムも宗教によって分かれ、議席もキリスト教徒とイスラム教は同数となっている。「国民協約」に従い、大統領はマロン派、首相はスンニ派、国家議長はシーア派の政治家から選出されることになっている。

 同国では1975年から90年、キリスト教、イスラム教の各民兵組織の武力衝突が起こり、内戦が勃発。後にはイスラエル軍もレバノンに侵攻するなど、レバノンは長い内戦の舞台となってきた。
 レバノンでは最近、イランの軍事支援を受けたシーア派武装組織ヒズボラが躍進してきた。スンニ派のハリリ首相は10月、自身の生命が危なくなったとしてサウジのリヤドに逃避行したが、レバノン側は、「ハリリ首相暗殺計画はない」と否定し、サウジがイランを批判するために作り上げた話だといった情報も流れている……といった具合で、レバノンはスンニ派の盟主サウジアラビアとシーア派代表イランの代理戦争の舞台となっている。


 上記の3都市のキーワードを探すとすれば、「宗教」であり、その信仰対象の「神」だ。異なる宗教、宗派が自身の信じる「神」を掲げて生きてきた。共存した時代もあったが、戦いが発生したこともあった。残念だが、エルサレムの帰属問題は依然、イスラエルとパレスチナの間で未解決のままな状況であり、ベイルートはサウジとイランの代理戦争の様相を深め、サラエボではイスラム系、クロアチア系、セルビア系の3民族の間で和解から程遠い「冷たい和平」(ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表)状況が続いている。

 エルサレム、サラエボ、そしてベイルートでその多様性が尊重され、多宗教、宗派の人々が共存できる社会とならない限り、「世界の平和」はしょせん絵に描いた餅と言わざるを得ないだろう。
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