ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2017年10月

北の金王朝は国民に「寿命」を返せ!

 数年前、このテーマでコラムを書いた覚えがあるが、国連人口基金(UNFPA)の2017年の「世界人口白書」を読むと、強い憤りを感じ、再度、書きだした次第だ。
 北朝鮮最高指導者の金正恩労働党委員長は単に核実験や弾道ミサイル発射の常習犯ではなく、国民(人民)の命を奪う国賊でもある。UNFPAによると、北朝鮮の女性の平均寿命は75歳、男性は68歳という。同胞の隣国、韓国では女性85歳、男性は79歳と推定されているから、南北で平均寿命がどれだけ違うか、先ず、計算してほしい。女性で約10歳、男性で11歳の寿命の差があるのだ。もちろん、韓国側が圧倒的に長い。

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▲風になびく北の国旗(2013年4月11日、ウィーンの北朝鮮大使館で撮影)

 平均寿命が長いからいいというのではない。DNAの違いから、平均寿命が短い民族が存在すると聞くが、南北の両国民は基本的には同民族だ。同じ環境下にあれば、北側の寿命も韓国とそれほど違いはないだろう。換言すれば、北朝鮮の金王朝、故金日成主席、故金正日総書記、そして現代の金正恩委員長の3代王朝で北の国民は男女とも10年以上、韓国民より寿命が短くなった。金王朝は国民から寿命を奪ったのだ。

 寿命10年の違いは何を意味するか、考えてほしい。多くの説明は要らないだろう。金正恩氏は北が核開発に拘る理由は米国の侵略を阻止するためと詭弁を弄する。それでは、南北間の国民の寿命の差は何の結果か。

 北の人口は推定2550万人だ。2550万人に平均10年の寿命を掛けると2億5500万歳の寿命が失われたことになる。北には国内に数カ所の政治犯収容所があって、そこには20万人以上の国民が強制収容されている。この人権蹂躙は大きいが、2億5500万歳の年月を奪った犯罪を何と比較できるだろうか。

 国民の平均寿命には、その国の経済力、政治、社会状況などさまざまな要因が絡んでくる。北の場合、韓国民より平均寿命が10年以上短い背後には、国民の食糧事情の影響が大きいことは間違いないだろう。

 ラムズフェルド米国防長官(当時)は2002年、夜間の朝鮮半島の衛星写真を紹介し、「韓国は夜でも明るく、北朝鮮は闇の中に完全に消滅している。その南北のコントラストを見れば、南北のどちらが発展しているかは一目瞭然だ」と述べたことがあるが、南北間の平均寿命の違いは、両国の発展の差をもっと痛々しいほど鮮明に示している。

 UNFPAによると、「2010年から今年までの北朝鮮の年平均人口増加率は0.5%で、アジア・太平洋地域の平均の1.0%と世界平均の1.2%より低かった」(韓国聯合ニュース)という。UNFPAの統計は金王朝への最大の警告だ。

 故金日成主席は「白いご飯に肉のスープを食べ、瓦の家で絹の服を着て暮らす生活」を国民に約束したが、現実の北では多くの国民は飢餓寸前の状況下にある。栄養失調は国民の寿命を短くさせる。21世紀の今日、栄養失調で寿命が失われるという国家はアジアでは北朝鮮だけではないか。

 金正恩氏は今月7日、朝鮮労働党中央委員会総会で経済建設と核戦力建設の並進路線を強調したが、国民が失った寿命を回復させるために何が必要か、金正恩氏も知らないはずがない。

シリア難民「オオカミがやってくる」

 昔は悪戯する子供に対し、「悪いことをしたら、オオカミがくるよ」といって脅かしたというが、シリア出身の難民の家庭では今、「悪いことをしたら、セバスティアンがくるよ」といって脅かすという。オーストリア移民社会の雑誌「ビーバー」(秋季号)が報じた内容だ。表紙のタイトルは「難民の悪夢」、副題は「シリア人はセバスティアンにビクビクしている」というのだ。セバスティアンとは、セバスティアン・クルツ外相のことであり、オーストリアの次期首相最有力の政治家だ。

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▲シリア人難民からオオカミのように恐れられているクルツ氏(ビーバー誌の表紙から)
 なぜ、クルツ氏がシリア出身の難民にとって、オオカミのような存在かを以下、説明する。
 クルツ氏は今月15日の国民議会選(下院)で第1党に躍進した「国民党」党首であり、今年8月に31歳になったばかりの欧州最年少の首相候補者だ。クルツ氏は24歳の時、難民・移民の統合問題の責任を担い、27歳で外相に就任した。欧州に2015年、難民が殺到した時、隣国ドイツのメルケル首相は難民歓迎政策を実施し、100万人以上の難民を受け入れた。その時、欧州の外相としては一早く、難民が殺到するバルカン・ルートの閉鎖を主張し、国境線の警備を強化した。その厳格な難民政策にメルケル首相は当初、批判的だったが、最終的にはクルツ氏の政策が欧州の難民政策となっていくまでに余り時間はかからなかった。

 それだけではない。難民申請者や移民の社会統合を積極的に推進。ドイツ語学習ばかりか、欧州のキリスト教価値観への統合を要請し、用意されたドイツ語コースやオーストリアの民主主義価値観を学ぶコースに参加しない難民、移民は一定の猶予後、強制的に送還したり、支援金の削除など制裁を実施する。オーストリア国内で働く移民家庭の児童手当もその児童が国内に住んでいない場合、児童が住む国の貨幣価値で支援金を評価するなど、難民、移民の社会統合問題で果敢な政策を次々と打ち出している。

 そのクルツ氏が今月の総選挙で勝利し、難民政策で人道的支援政策から抜けきれない社会民主党を抑えて第1党となった。クルツ氏は現在、極右政党「自由党」との連立政権樹立のため交渉中だ。国民党と自由党の連立政権が発足された暁には、難民受け入れだけではなく、移民の社会統合でもこれまで以上に厳格な政策が実施されると予想されている。

 シリア人難民は、「クルツ氏は首相のポストを得るためにわれわれ難民を利用した」と述べ、クルツ氏が首相に就任したら難民支援金をカットするのではないかと不安だという。


 ビーバー誌によると、オーストリアのシリア人難民コミュニテイーでは「セバスティアンのことで話が持ち切りだ」という。ドイツの風刺雑誌「タイタニック」はクルツ氏を“若きヒトラー”と酷評し、ビーバー誌は「シリア移民社会ではクルツ氏を若いアサドと呼んでいる」と報じているほどだ。

 自由党のハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首(48)は、「クルツ氏の難民政策はわが党のコピーだ」と指摘し、クルツ氏の政策の多くは自由党と酷似しているという。にもかかわらず、クルツ氏が率いる「国民党」は極右政党とは呼ばれず、「自由党」だけが極右政党と呼ばれ、欧州ではフランスの極右派政党「国民戦線」のマリーヌ・ルペン氏やオランダの極右政党「自由党」のヘルト・ウィルダース党首と同列視されることに、シュトラーヒェ党首は少々、不満だ。

 先のシリア人難民は「自由党はもはや恐ろしいとは思わない。彼らがどのように考えているか分かるからだ。しかし、クルツ氏の場合、何をするか予想できないので怖い」というのだ。

 クリスマスの到来前にはクルツ氏主導の新連立政権が発足すると予想されている。オーストリアに住むシリア難民家庭にとって、厳しい冬が到来することになるかもしれない。

なぜ「希望(の党)」は敗北したか

 このコラムの見出しの「希望」は、厳密にいえば、小池百合子東京都知事が総選挙直前に急きょ結成し、「自民党」の対抗勢力にまで押し上げようとした新党「希望の党」の話ではなく、党名の「希望」について当方の考えを述べたものだ。少々、独断と偏見があるかもしれないが、当方の呟きにお付き合いしていただければ幸いだ。

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▲「希望の党」総決起大会と小池都知事(2017年10月9日、「希望の党」公式サイトから)

 小池都知事の新党が結成当初の勢いを失った主因は日本のメディアが既に指摘しているように、「民進党」議員の「希望の党」合流の際の「排除」発言にあったことは間違いないだろう。「小池都知事は自分を何と思っているのか」、「傲慢な発言だ」と受け取られたことが、「民進党」議員だけではなく、有権者の国民にも強い反発を生み出したことは否めない。
 小池都知事は自身の発言が想定外の受け止め方をされたことに驚いただろう。そのショックから立ち直る時間もなく、投票日を迎え、結果は50議席に留まり、「自民党」の対抗勢力の役割を「立憲民主党」に取られてしまった。

 ここまでは小池都知事の「希望の党」の話だが、以下は「希望の党」から「党」を少し離して考えていく。「希望の党」が敗北したのは、その党名の「希望」にもその責任の一端があるのではないかと感じるからだ。
 極端にいえば、「希望の党」という党名を付けた瞬間、小池都知事の敗北が避けられなくなったのではないか。「希望」という表現が陳腐だからというのでない。多くの日本人は「希望」という言葉にさほど魅力を感じないばかりか、ポピュリズムの臭いを嗅ぎつけ、むしろ反発心が生まれたのではないか。

 「希望」という以上、現状が良くないという前提がある。それ故に、その現状をチェンジしなければならない。その思考の延長線に「希望」が待っているからだ。ただし、チェンジという言葉ももはや新鮮な響きはなく、陳腐な政治的イメージしか湧いてこなくなってきているのだ。

 例えば、オバマ前米大統領はチェンジを叫び、2期、大統領を務めたが、四方八方に笑顔を振り向いたわりには、米社会のチェンジは出来ずに終わった。同性愛者など少数派の権利は確かには向上したが、米社会全般のモラルは前政権以上に失墜していった。チェンジが大好きな米国人もオバマ氏の登場前のようにはチェンジというキャッチフレーズに興奮しなくなってきている。

 すなわち、明確な価値観や方向性の裏付けのない「希望」はポピュリズムの言葉となっても、社会の刷新を願う政治家の言葉とはなり得なくなってきた、と感じる。小池さんとその参謀、若狭勝氏は誤算していたのではないか。その点、「希望の党」の「審査」での落選を恐れ、「民進党」に留まり、最終的には「立憲民主党」を結成した枝野幸男氏は賢明な判断を下したわけだ。その党名「立憲民主党」は、意味が曖昧模糊の「希望の党」より少なくとも理解できるからだ。

 英劇作家ウィリアム・シェイクスピアは、「不幸を治す薬はただ希望よりほかにない」と述べている。小池氏は日本の社会が病んでいると診断し、党名を「希望の党」とすることで、国民に「希望」を与えようと考えたのかもしれない。
 そうであるならば、小池氏の心意気は評価できるし、その現状認識は間違っていないが、繰り返すが、「希望」という表現に日本人の多くは冷めた受け取り方しかできないのだ。その上、意味が曖昧なため、最後まで小池さんが主張する新しい日本像が浮かんでこなかった。

 「希望」や「刷新」だけではない。本来、建設的な意味を含んだ多くの美しい日本語が政治の世界と関わってくる時、真摯に受け取られなくなり、本来の意味を失うだけではなく、マイナスのイメージが付きまとってくる。日本語にとってもこれは不幸なことだ。

無神論者の生年月日はいつ?

 全ての人には生年月日がある。様々な事情から、生年月日が不明なケースも考えられるが、本人が知らなくても誕生日は必ずあるはずだ。それでは無神論者はいつ生まれたのだろうか。読者と共に考えてみたい。

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▲「エデンの園」から追放されるアダムとエバ(ジェームズ・ティソ画)

 無神論者は神の存在を信じない人々の総称だが、ここで注意しなければならない点は、神が存在したとしてもそれを信じない人々と、神の存在そのものを信じない人々の2通りがあることだ。「私は神が存在するとは信じない」、「神が存在していても、それは私とは関係がない」、「神の有無論争は意味がない。神は存在しないからだ」など、さまざまな解釈が出てくる。

 人類の始祖アダムとエバは「取って食べてはならない」という神の戒めを破り、「エデンの園」から追放された。長男カインは弟アベルを殺害し、同じように追放された。しかし、「創世記」を読む限り、彼らは神のいない世界に追放されたのではなく、神の愛を直接受け入れることが出来ない世界に追われただけだ。その意味で、アダム家庭もカインも基本的には無神論者の先祖とはいえない。実際、神は追放したカインに対して暖かい言葉を投げかけている。「エデンの園」からの追放は罰であって、神の世界からの決別を意味しないはずだ。

 それでは、神を信じない人生観、世界観がいつ生まれてきたのだろうか。「創造の神」は同時に“妬みの神”(出エジプト記20章)でもある。だから、旧約時代の歴史は常に異教との戦いが続く。その戦いは、神を信じる人々と神を信じない人々の戦いではなく、「神」を信じる人々と「他の神」を信じる人々の戦いだった。だから、積極的な無神論の芽生えは見られない(「『妬む神』を拝する唯一神教の問題点」2014年8月12日参考)。キリスト教時代に入っても異教との戦いは免れなかった。キリスト教の十字軍戦争も「神」と「他の神」の戦いだった。

 イスラム教の創設者ムハンマドが生きていた時代、無神論者は存在しただろうか。異教の神を信じる人は周囲にいただろう。ムハンマドは西暦622年、メッカを追われてメディナに入ってからは戦闘や聖戦を呼びかけているが、無神論者への戦いを呼び掛けたわけではない。ムハンマド時代、敬虔なイスラム教徒は無神論者が存在するとは考えもしなかったのではないか。

 明確な無神論世界の登場はやはり史的雄物論の登場まで待たなければならない。カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが「共産党宣言」を公表し、唯物主義が台頭し、神は追放され、「宗教はアヘン」として蔑視されていく。人は精神的存在ではなく、高度に発展し、進化した物質的存在と見なされていった。ここに無神論者の産声が聞かれる。その意味で、共産主義思想の登場は歴史的出来事だったわけだ。ちなみに、カール・マルクスの「資本論」第1部が出版されて今年で150年目を迎えた。来年はカール・マルクス生誕200年も控えている。

 神を信じる者から見れば、神の存在を否定する共産主義世界は悪の台頭を意味する。ロナルド・レーガン米大統領(任期1981〜89年)は冷戦時代、共産主義世界を「悪の枢軸」と呼び、冷戦時代を「善」と「悪」の最終的闘争と受け取っていたほどだ。

 しかし、共産圏は崩壊していった。フランス作家ミシェル・ウエルベック氏は独週刊誌シュピーゲル(10月21日号)とのインタビューの中で、「信仰はいかなる政治的イデオロギーより人間に強い影響を与える」と述べている。その主張を裏付けるかのように、共産主義イデオロギーは神を信じる宗教の力の前に崩れていく。アルバニアのホッジャ政権は1967年、世界初の「無神論国家」宣言を表明したが、冷戦後、同国で若い世代を中心に急速に宗教熱が広がっているのは決して偶然ではないだろう。

 それでは、神を信じる世界観の勝利で「歴史の終わり」の到来となったのだろうか。現実はそうではない。神を信じる人々にとって状況はひょっとしたら冷戦時代より悪化してきたかもしれない。無神論者は死んでいなかったのだ。

 冷戦終焉後、民主化運動の原動力となった旧東独のドレスデンで福音派教会から信者は去り、ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査によると、チェコでは無神論者、不可知論者などを含む無宗教の割合が76・4%で、キリスト教文化圏の国で考えられないほど高い。この事実は何を物語っているのか。

 不可知論者が欧米社会で広がっているが、彼らは無神論者ではない。積極的な無神論者にもなれないが、神を信じる敬虔な人にもなれない人々だ。だから、不可知論は積極的な唯物世界観を提示した共産主義を上回る世界観とはなりえない(「欧州社会で広がる『不可知論』」2010年2月2日参考)。

 それでは、共産圏が崩壊した後も、なぜ無神論が存続し、成長し、拡大してきたのだろうか。科学の急速な発展が神を追放したという主張も聞くが、多くの著名な科学者は神を信じている。科学の発展が神を追放したという論理は事実とは一致しない(「大多数の科学者は『神』を信じている」2017年4月7日参考)。

 考えられる唯一の答えは、共産主義は終焉せず、別の形態で存続し、21世紀に入り、潜伏期間を終え、地上に再び顔を出してきたということだ。別の形態とは、「神は死んだ」と宣言したドイツ哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844〜1900年)が予言していた虚無主義だ。神学の知識で近代法王の最高峰といわれてきた前ローマ法王べネディクト16世は、「若者たちの間にニヒリズムが広がっている。神やキリストが関与しない世界は空虚と暗黒で満ちている。青年たちは無意識のうちにニヒリズムに冒されている」と警告を発したことがある。ニヒリズムは「死に至る病」だ。


 共産主義の影で潜んできた悪魔は今、最後の戦いに挑んでいるのではないか。虚無主義がその武器だ。現代人は今、「神」も「悪」も意味を失った虚無な世界に立たされている。

 最後に、米国のサスペンス映画「ユージュアル・サスぺクツ」(1995年作)の最後の場面で俳優ケヴィン・スペイシーが演じたヴァーバル・キントが語る有名な台詞を紹介する(スペイシーはこの役でアカデミー助演男優賞を得ている)。

“The greatest trick the devil ever pulled was convincing the world he did not exist”
(悪魔が演じた最大のトリックは自身(悪魔)が存在しないことを世界に信じさせたことだ)

AfDの登場で独連邦議会は変わるか

 ドイツ連邦議会選挙(下院)後、連邦議会(任期4年)の初の本会議が24日、ベルリンで開催された。同連邦議会は6政党、7グループから構成され、議員総数はこれまでは631議員だったが、今回は過去最大の709議員に膨れ上がった。議員の平均年齢は49・4歳で女性議員の割合は30・7%だ。

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▲ドイツ連邦議会本会議で新議長を選出(2017年10月24日、連邦議会公式サイトから)

 今議会の特長は、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が初めて連邦議会の議席を占めたことだ。2013年に結成された同党は9月24日の総選挙で外国人排斥、反難民政策を訴え、約12・6%の得票率を獲得し、第3党に大躍進、94人の議員を獲得した。(同党のフラウケ・ペトリ―党首が党内の対立から同党を脱退し、無所属となったほか、マリオ・ミールフ氏が同じように同党を脱退し無所属。そのため、AfDの議員数は92人となった)。

 本会議の最初の議題はノルベルト・ランメルト議長の後任選出だ。与党第1党の「キリスト教民主同盟」(CDU)と「キリスト教社会同盟」(CSU)が擁立した財務相だったヴォルフガング・ショイブレ氏(75)が党派を超えた支持を得て、第1回投票で新議長に選出された。ショイブレ氏は議員歴45年の大ベテランだ。ギリシャの金融危機では大活躍した。

 6政党から6人の副議長選出では、AfDが擁立したアルブレヒト・グラ―サー議員が3回の投票でいずれも選出に必要な票を獲得できずに落選した。具体的には、第1回投票で賛成115、反対550、棄権26、2回目は賛成123、反対549、棄権24、3回目の投票で賛成114、反対544、棄権26に終わった。
 この結果、AfDは次回会期で新しい候補者を出すか、グラ―サー議員を再度立候補させるかを決定しなければならない。ショイブレ新議長によれば、次回の会期は11月20日から始まる第47週に開かれる予定だ。

 CSU、「同盟90/ 緑の党」、自由民主党(FDP)、そして左翼党 の副議長候補者は1回の投票で選出されたが、グラ―サー議員が落選した主因は、同氏が今年4月、反イスラム発言をするなど、その政治信条に他党議員から警戒の声があるからだ。
 グラ―サー議員は、「われわれは宗教の自由に反対していないが、イスラム教は宗教の自由も知らないし、それを尊重すらしていない。そのようなイスラム教に宗教の自由を保障する基本法を適応する必要はない」と述べ、反イスラム色をはっきりと表明している。

 選挙後の初の本会議では通常、議員同士が挨拶したり、語り掛けたりする。当方はドイツの民間放送で連邦議会初日を見ていたが、メルケル首相はAfDのアレクサンダー・ガウラント共同党首の席を通り過ぎた時、わずかに笑みをみせただけで握手はなかった。他の多くの議員もAfD議員を一瞥するだけで挨拶したり、握手を求めるシーンはなかった。極右議員との接触を恣意的に避ける議員たちが多いことが分かる。AfDの議員の中には、反ユダヤ主義的発言をし、物議を醸した者もいることは事実だ。

 ショイブレ新議長は就任演説で、「議会で激しい舌戦は当然だが、一定のルールを守ってやってほしい。フェアネスだ」と議員たちに呼びかけた。AfDが加わったことで、連邦会議が激しい議論の場となる可能性が高まってきた。議論を戦わすことは議会民主主義にとってはいいことだ。AfD議員にとっても他党の意見を聴く機会となる。

 メルケル首相主導の第4次政権の発足が遅れているが、CDU・CSUとFDP、「同盟90/ 緑の党」の3党の“ジャマイカ連合”政権が誕生することは確実だ。いずれにしても、AfDが連邦議会に登場したことで、同国の政界がこれまで以上に流動的になるのは間違いないだろう。

“ファースト・ドッグ”の不始末

 欧米の大統領はその王宮や執務室で愛犬を飼うケースが多い。一種のブームかもしれない。オバマ前米大統領はホワイトハウスで犬(ボーとサニー)を飼っていたことはよく知られていたが、モスクワのクレムリンの主人プーチン大統領も愛犬家では負けていない。最近も外国首脳から犬のプレゼントをもらっている。5年前、佐竹敬久秋田県知事(当時)がプーチン氏に秋田犬(ゆめ)を贈っている(「なぜプーチン大統領は犬が好きか」2016年12月7日参考)。

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▲「ネモ」(独週刊誌シュピーゲル10月14日号から)

 このコラム欄でも先日、フランスのマクロン大統領が捨て犬を動物ハウスからもらってエリゼ宮殿で飼っているという話をしたばかりだ。2歳の雄犬ネモだ。少し、後日談があるので、ネモの話を続ける(「マクロン大統領の書きかけの『小説』」2017年10月21日参考)。

 マクロン大統領が会議室で話していた時だ。ネモは大統領の近くにいたが、突然、宮殿の暖炉の壁に向かっておしっこをした。犬が室内で小便をするということ自体、絶対に許されないし、飼い主も厳しくしつけをするから、そのような場はあまりない。それが、よりによってエリゼ宮殿内でネモがやってしまったのだ。

 大統領だけでなく、周囲にいた秘書たちも驚いた。用を足したネモは申し訳なさそうな顔をしてマクロン大統領の近くに行き、首を垂れている。マクロン大統領はネモの頭に手を置いて、「だめなんだよ」と何かつぶやいている。大統領と愛犬のシーンを動画で観たい読者はユーチューブを開いてみてほしい。

 犬を愛する当方はネモのために少し弁明したい。公職で超多忙なマクロン氏はネモと散歩する時間は余りない。だから、ネモが用を足したくなってもお世話できないことが多いだろう。ネモはどうしても我慢しなければならないことが多くなる。もちろん、ネモの健康にはよくない。主人が会議中、不幸にも用を足したくなった。我慢したが、それも限界になって、とうとう宮殿の暖炉の壁に向かってやってしまったという次第だろう。人権はあるが、犬にも権利があるはずだ。宮殿内で用を足したネモにもそれなりの言い分、弁明は必ずあるはずだ。幸い、マクロン氏がネモを厳しく罰したとは聞かない。

 ネモは犬の世界でも数少ないファースト・ドッグだ。大統領夫妻に随伴することもある。ストレスのため胃腸機能がおかしくなったとしても不思議ではない。
 公職に就く犬はファースト・ドッグだけではない。警察犬も大変だ。このコラム欄で「警察犬は短命だ」というコラムを書いたことがあるが、公職に従事するファースト・ドッグや警察犬は通常の犬より短命と聞く(「なぜ、警察犬は短命か」2012年5月22日参考)。

 ネモのことを考えていた時、オーストリアのバン・デア・ベレン大統領にも愛犬(雌犬)がいることを知った。大統領が愛犬 Kita を連れて英雄広場周辺を散歩した時だ。愛犬は芝生に入り、じゃれだした。この公園では犬は芝生に入って遊んではならない。「緑の党」元党首だった大統領がそれを知らないはずがない。大統領の愛犬が芝生に入り遊んでいる。それを眺める大統領。このシーンの写真がメトロ新聞「ホイテ」に掲載されたのは、大統領にとっては不幸だった。

 オーストリアでは犬を飼う人が多いが、犬が外で用を足した時、飼い主はそれを片付けなければならない。その義務を忘れると、50ユーロの罰金が科せられる。ファースト・ドッグだけではない。犬を愛する飼い主には責任と義務があるわけだ。

21世紀の「民族の自治権」の行方

 スペインから連日、同国東部カタルーニャ自治州の独立問題が大きく報道されている。スペインで今月1日、中央政府の強い反対にもかかわらず州独立を問う住民投票が実施され、開票結果は賛成90.2%、反対7.8%で採択された。マドリードの中央政府は住民投票を違法として警察力を動員し、一部で市民と衝突が起き、多数が負傷した。

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▲ボスニアのクロアチア系住民とイスラム系住民間を結ぶ「スタリ・モスト橋」は多民族間をつなぐ象徴的な橋として、小説のテーマにもなった(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

 同国のラホイ首相は21日、同州の自治権を一部停止する決定を下したが、同州の独立派は州都バルセロナでデモを展開し、あくまでも独立を貫く姿勢を崩していない。中央政府がプチデモン州首相らを罷免する方針を決めたことに対し、州独立派は23日、「26日にも州議会を招集して対応を協議する」と発表したばかりだ。ちなみに、スペイン憲法155条では、自治州が憲法に違反した場合、中央政府は必要な措置を取ることができる。

 そして22日、今度はイタリア北部ロンバルディア州とベネト州で自治権拡大の是非を問う住民投票が実施され、賛成派が勝利したというニュースが飛び込んできた(同住民投票は法的な拘束力はない)。

 カタルーニャ州もイタリア北部の2自治州も経済的には豊かな州だ。カタルーニャ州の経済力はスペイン国民総生産の5分の1を占め、イタリアの場合、北部と南部の「貧富の格差」問題は久しく政治的爆弾だった。北部の州住民は「われわれの稼いだ富が貧しい州の救済に使われるだけで、われわれはその恩恵を受けていない」という不満が強い。ただし、イタリアの場合、カタルーニャ州のような独立は考えていない。あくまで、自治権の拡大だ。

 冷戦終焉後、旧ソ連を構成してきたカザフスタンやウクライナなどの共和国が次々と独立していった。旧ユーゴスラビア連邦でも同様だった。経済的に豊かだったスロベニアやクロアチアがベオグラード中央政府からの独立を宣言。ボスニアの場合、セルビア系、クロアチア系、そしてイスラム系の3民族による激しい民族紛争が起き、多数が犠牲となったばかりだ。あれもこれも民族の自治権、独立を勝ち取るという名分があったため、各民族は多大の犠牲を払ったわけだ。

 目を中東地域に向けると、独自の国家を有さない最大民族といわれるクルド人が独立を求め出した。シリア、イラク、イラン、トルコなどに散らばったクルド民族の総数は3000万人から4000万人と推定される。イラク北部のクルド自治区で先月25日、独立を問う住民投票が実施されたばかりだ。それに対し、バグダード中央政府は武力衝突をも辞さない決意だ。キルクークに大油田を抱えているクルド自治区を失えば、イラク経済にも大きなダメージとなるだけに、バグダード政府は譲歩出来ない。

 ちなみに、カタルーニャ自治州の場合、独立機運は常にあったが、ここにきて独立派を勢いづけた背景には、国民投票を通じて欧州連合(EU)離脱を決定した英国の影響が大きいだろう。英国の離脱派の場合、ブリュッセル主導のEUから決別し、英国国民の自治権の回復を意味するからだ。

 「民族の自治権」は第一次世界大戦後の1918年以後、国際政治の重要なテーマとなったが、ナチス・ドイツのように、民族の自治権を悪用するケース(ズデーテン・ドイツ人問題)も出てきた。第2次世界大戦後、国連憲章で民族の自治権は明記された。それ以後、多くの民族が自治権を掲げ、独立したが、同時に、多くの紛争をもたらした。

 ハーバード大学の国際政治学者ジョセフ・サミュエル・ナイ教授はオーストリア日刊紙プレッセに寄稿し、民族の自治権の歴史を振り返りながら、「単一民族から構成された主権国家は今日、世界の10%にも満たない。民族の自治権尊重を重要な道徳的原則と受け止めることは破壊的な結果をもたらすことにもなる」と警告を発している。

 他民族に弾圧され、搾取されてきた歴史を持つ民族にとって、民族の独立は夢だろうが、多数の民族が共存し、交流することができる時代を迎えている。民族の政治的、経済的、文化的自治権を認めることで多様な文化を誇る主権国家が生まれるチャンスが出てきた。

 カタルーニャ自治州の場合も民族の独自の文化を発展させ、スペインに大きな多様性をもたらす機会を無にすべきではないだろう。「カタルーニャ自治州」はスペインの国民として、そして「スペイン」はEUの一員に、そして「EU」は国際連合のメンバーとして、共存共栄の道を模索していくのが最善ではないだろうか。当方にとって、バルセロナのないスペインは考えられないのだ。

チェコ国民の「反難民」は少し違う

 中欧のチェコで20、21日の両日、下院選挙(定数200)が実施されたが、その結果を先ず紹介する。メディアから“チェコのトランプ”と呼ばれている資産家、アンドレイ・バビシュ前財務相が率いる新党右派「ANO2011」が得票率約30%、78議席を獲得してトップ。それを追って、第2党には、中道右派の「市民民主党」(ODS)が約11・3%、第3党には「海賊党」、そして第4党に日系人トミオ・オカムラ氏の極右政党「自由と直接民主主義」(SPD)が入った。与党ソボトカ首相の中道左派「社会民主党」(CSSD)は得票率約7・3%で第6党に後退した。投票率は約60%。

チェコ下院選挙の暫定結果
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出所・オーストリア通信(APA)作成の表

 いずれにしても、「ANO2011」は組閣工作を開始するが、議会で安定政権を発足させるためには難航が予想される、議会に議席を獲得した政党は9政党だが、CSSDと「キリスト教民主党」(KDU−CSL)のソボトカ連立政権の与党2党はANO主導の連立政権に参加する意思のないことを既に表明している。

 プラハからの情報では、「ANO2011」の勝因は反難民政策をアピールし、欧州連合(EU)批判を展開して有権者の支持を得たことだ。欧州では、チェコだけではなく、反難民・移民政策を声高く叫んだ政党が有権者の支持を得て、飛躍している。今月15日に実施されたオーストリアの国民議会選でもそうだったし、ドイツの新党「ドイツのための選択肢」(AfD)の連邦議会第3党飛躍の最大原動力もそうだった。2015年、100万人を超える難民・移民がシリア、イラク、アフガニスタンから殺到した出来事は、欧州の国民に一種のトラウマとなっている。

 自分たちとは異なる文化圏の人間が家の玄関まで来て、戸を叩き、救いを求めてくる。ジュネーブ難民条約に合致しない経済難民やイスラム過激派が紛れ込んでいても、それを冷静にチェックする時間はなかった。欧州諸国は苦渋した。人道的観点で受け入れるか、それとも国境を閉鎖し、入国拒否するかの判断は、多くの欧州諸国や国民にとって決して容易ではなかったはずだ。これまでの人生観、世界観を変えざるを得ない深刻な決定だからだ。

 チェコの場合を考える。チェコには2015年の難民殺到の時、チェコに直接難民申請した者はほぼ皆無だった。殺到した16万人の難民収容のためEUが加盟国に難民受け入れ枠を決めた時、他のヴィシェグラード・グループ(ポーランド、ハンガリー、スロバキア、チェコの4カ国から構成された地域協力機構)と共に、強い拒否反応が起きた。受け入れ数はわずかだったが、チェコ国民は異文化の侵入に激しい抵抗を示した。

 チェコでは冷戦後、神を信じない国民が増えた。ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査によると、チェコではキリスト教23・3%、イスラム教0・1%以下、無宗教76・4%、ヒンズー教0・1%以下、民族宗教0・1%以下、他宗教0・1%以下、ユダヤ教0・1%以下だ。無神論者、不可知論者などを含む無宗教の割合が76・4%となり、キリスト教文化圏の国で考えられないほど高い(「なぜプラハの市民は神を捨てたのか」2014年4月13日参考)。

 冷戦時代、アルバニアのホッジャ政権は1967年、世界初の「無神論国家」宣言を表明したが、同国は現在、若者たちを中心に宗教熱が広がっている。「無神論国家」アルバニアで国民は神を見出し、中欧の都チェコで神を失う国民が急増してきたのだ。共産圏に属した両国の冷戦後の宗教への国民の関心は好対照というわけだ。

 チェコは昔、カトリック教国だった。それが宗教改革者ヤン・フスの処刑後、同国ではアンチ・カトリック主義が知識人を中心に広がっていった。チェコ国民の無宗教は厳密にいえば、反カトリック主義だ。民主化後、東欧諸国の中でチェコ国民が急速に世俗化の洗礼を受けていったのは決して偶然ではなかった。

 冷戦が終焉し、民主化後30年余りを迎えた今日、欧州に北アフリカ・中東からイスラム系難民が殺到してきた。欧州には既に約1400万人のユーロ・イスラム教徒が住んで居る。
 チェコの反難民感情は、ポーランド、ハンガリー、スロバキアなど他のヴィシェグラード・グループとは異なっている。イスラム・フォビア、反イスラムといった社会現象ではなく、宗教一般への憎悪がその根底に強いのだ。

 スロバキアのフィツォ首相は「わが国はキリスト教徒の難民ならば受け入れる」と発言したことがあるが、チェコではそのような発言は聞かない。チェコではイスラム教だけではなく、キリスト教に対しても強い嫌悪感が潜んでいるのだ。

「死」をタブー視してはならない

 人は生きている。同時に、等しく「死」に向かって突っ走っている。この明確な掟のもと、喧騒な日々を、時には喜びを感じ、時には涙を流しながら生きている。「死」は、「生」と共にわれわれの人生の同伴者だ。

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▲ウィ―ンの世田谷公園の秋風景(2017年10月15日、ウィ―ンで撮影)

 ローマ法王フランシスコは18日、サンピエトロ広場の一般謁見の場で、数千人の信者を前に、「死をタブー扱いにしてはならない」と語りかけた。

 法王は、「現代社会では死はタブー視され、その秘密について、もはや誰も語らなくなってきた」と指摘し、「死はわれわれの人生を審判する。われわれが誇りに思ってきたことや怒りや憎悪の行為が空虚だったことを示す機会となる。われわれは人々を十分に愛さなかったこと、人生で大切なことを無視してきたことを苦痛の思いで回想する。もちろん、その逆も考えられる。いい種をまき、良き実を刈り取ることにもなる」と説明した。

 そのうえで、「イエスは死の秘密をわれわれに啓蒙した。彼は友ラザロの死に涙を流し、彼を再び生かした。同じように、会堂司の娘でも同じことが起きた。会堂司に対し、恐れず、信じなさいと語ると、娘は蘇り、歩き出した」という新約聖書のイエスの言葉を引用する。


 それでは、「死」について考えてみよう。新約聖書の「死」には2通りの概念があることに気がつく。「ルカによる福音書」によれば、父親の葬式のために自分の家へ帰ろうとする弟子に、イエスは「死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」と語る。前者の死人は肉体の寿命が尽きた人間であり、文字通り人間の五感が機能しなくなった人間だが、後者は肉体の死とは関係なく、葬式に集まった人々を指している。イエスは別の個所で神の愛の下に生きる人間は「たとえ死んでも生きる」(「ヨハネによる福音書」)と主張している。

 イエスは生前、少なくとも2人の死人を蘇らせた。ラザロであり、会堂司の娘だ。2人とも肉体的には死んでいたが、家族の神への信仰ゆえに生き返ったというのだ。この場合、肉的な蘇生だろう。
 イエス自身も十字架に亡くなり、3日後、復活した。イエスの復活に対し、肉体復活か、それとも霊的復活かでキリスト教会では見解が分かれている。新約聖書の記述を読む限り、イエスは時空を超えて行動しているから、イエスの復活は霊的なものと受け取るべきだろう。「死」に2通りの概念があるように、「復活」にも2通りの現象があると受け取れるわけだ。

 人は永遠に行きたいと願う。病があれば、それを治癒し、健康体で生き続けたいと願う。現在の再生医学はその願いを追及している。イエスの復活の恩恵を受け霊的復活を体験する信者たちも、やはり肉的復活への願望を消去することはできないのが、偽りのない人間の姿かもしれない。

 肉的な死は避けられないだろう。人間の肉体も自然の鉱物、要素で構成されている。時が来れば消滅する。それでは人間の精神、愛してきた人への想いなどは肉体の死と共に消滅するだろうか。この問いへの答えは科学の発展をもうしばらく待たなければならないだろう。いずれにしても、霊的な世界の解明が待たれる。

 興味深い点は、人間の人生で重要な愛、空気などは不思議と不可視的だということだ。全ての人間が共有できるように不可視的な存在となっている。愛が可視的だったら、独裁者か大資産家が買い占める恐れが出てくる。

 幼虫が蛹となって成熟し、脱皮して蝶となって飛び立つように、人間も肉体という衣を脱いで、時空を自由に飛び交うことができる世界に入るのではないか。その意味から、「死」は終わりではなく、新しい世界への出発となる。悲しい葬式ではなく、新しい出発を祝う歓送会となるわけだ。

 今年も「死者の日」がくる。欧州のローマ・カトリック教会では来月1日は「万聖節」(Allerheiligen)」、2日は「死者の日」(Allerseelen)だ。教会では死者を祭り、家族は花屋で花を買い、亡くなった親族の墓に参る。

 ハムレットではないが、死んだ世界から戻ってきた者はいない。死者はもはや肉体世界に戻る必要はない。死者を憂いなく新しい世界に飛び出させてあげることこそ、まだ生きている人間の使命ではないか。

韓国は日米の重要な同盟国だ

 韓国日刊紙中央日報は18日、トランプ米大統領のアジア歴訪を報じ、「なぜトランプ大統領の訪韓日程が1泊2日と短いのか」という韓国メディアの不満、恨み節を紹介している。簡単にいえば、「わが国はトランプ大統領を国賓で招いたのにもかかわらず、日本で2泊3日の日程と長いのに……」というのだ。韓国に対する理解を持とうと努力している当方にとって、韓国メディアの論調には、少しやりきれなさを感じた。

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▲トランプ大統領が訪韓時に演説する韓国国会(韓国国会の公式サイトから)

 韓国メディアに通じた記者なら、「何も新しいことではないよ。韓国人は常にに日本を意識し、それより悪い状況だったら、いろいろと理屈をつけて不満を爆発させる」と説明してくれるかもしれない。それにしても、トランプ大統領の短い日程が本当に「コリアパッシング」(韓国素通り)を意味するのだろうか。少し、考えてみたい。

 トランプ大統領は来月5日、訪日を皮切りにアジア歴訪に向かう。そのスケジュールはハードだ。ホワイトハウスが公表した日程によると、5日、2泊3日の日程で日本を訪問。その後、7日から隣国韓国を1泊2日で訪問。8日には中国訪問に向い、習近平国家主席と会談する。トランプ氏のアジア歴訪のハイライトだろう。その後、10日にはベトナムで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席し、12日にはフィリピン入りして東南アジア諸国連合(ASEAN)創設50周年の記念行事に参加し、米ASEAN首脳会議にも出席するといった具合だ。

 米大統領のアジア歴訪日程を見ると、「なぜ韓国では1泊2日の短い滞在か」、「米大統領は韓国の戦略的地位の重要性を理解していない」、「米国のコリアパッシングではないか」といった韓国側の不満はあまり説得力がない。大統領の日程がハード過ぎるからだ。
 トランプ氏の訪韓日程をみると、25年ぶりの米大統領の国賓訪問らしく、文在寅大統領と首脳会談、国会で演説も入っている。北朝鮮の核・ミサイル開発の脅威が高まってきている時期だけに、米国側が同盟国・韓国に最大限の礼を尽くしていることが分かる。

 それでは「なぜ日本で2泊3日の日程なのか」という反論が生まれてくる。トランプ氏の日本滞在日程も韓国と同様、1泊2日とすべきか、韓国でも2泊3日の日程とすべきではないか、といった主張が出てくるだろう。問題は、トランプ氏の訪韓が1泊2日と短いことではなく、トランプ氏の訪日が2泊3日と訪韓日程より長いことだ、ということが分かる。

 韓国の国民は今年6月末の文大統領の訪米を想起すべきだろう。当時、聯合ニュースは「トランプ大統領は韓国大統領の訪米に対し、破格の待遇で最高のもてなしを準備している」と報じ、韓国国民の自尊心をくすぐったほどだ。

 以下、聯合ニュースの記事を再読してほしい。

 
 「文在寅大統領はワシントン・ホワイトハウス前にある迎賓館に宿泊。初訪米でブレアハウスに3泊以上宿泊するのは文大統領が初めて。これは米国政府が文大統領を手厚くもてなすという意味だ。トランプ大統領が外国首脳夫妻を招き、ホワイトハウスで歓迎夕食会を行うのは文大統領が初めてとなる」 

 文大統領はワシントンのゲストの時、破格の待遇で歓迎された。今回はホスト国としてトランプ大統領の訪韓時には歓迎したい、という思いが強いだろう。ゲストに対し最善を尽くすのが韓国人気質だからだ。その意味で、今回はトランプ氏の韓国滞在時間が余りにも短いことは残念だろう。

 北の核実験、ミサイル発射で朝鮮半島はかってないほど緊迫している。一方、米韓両国には難問が少なくない。米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の韓国配備問題だけではない。北朝鮮との対話路線に拘る文大統領に対して、ワシントン側には不信感があるかもしれない。一方、韓国内では反米感情が依然強い(「トランプ氏の『破格の待遇』は高価?」2017年6月30日参考)。


 韓国は国際社会の重要なパートナーだ。日本や米国にとっても韓国は同盟国だ。そして日米韓の結束が最も求められている時を迎えている。ゲストに対する韓民族のもてなしの暖かさを少しでも知っている日本人なら韓国民の心意気を忘れることはない。韓国民は自信をもってほしい。韓国民の誇りが日本人の喜びとなり、日本人の良さが韓国民の誇りとなるような日を迎えたいものだ。
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