ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2017年04月

ロシアの若者たちは目覚めたのか

 先月26日、モスクワ、サンクトペテルブルク、ウラジオストクなどロシア82カ所の都市で政治家、経済界の腐敗・汚職を追及するデモ集会が開催された。モスクワだけでも1030人のデモ参加者が逮捕された。その中には大学生や高校生などの若者の姿が多かった。

 独週刊誌シュピーゲル(4月1日号)はプーチン大統領時代しか知らない若い世代がモスクワや各都市で反腐敗のデモ集会に参加したことに対し、「若者たちは硬直した国内政治から国を目覚めさせようとしている」と述べる一方、「新しい世代のアイドルは反政府活動家のアレクセイ・ナバリヌイ氏だ。彼はプーチン大統領を更に脅かす存在となるかもしれない」と報じている。

 ロシアでは5年前、反プーチン大統領のデモ集会が各地で開催されたが、反体制派活動家たちは徹底的に弾圧され、刑務所などに送られた。当時、「モスクワの春」と呼ばれ、欧米メディアではロシアの反政府運動に熱いエールを送る記事が少なくなかった。
 しかし、プーチン政権が反政府運動の弾圧に乗り出して以来、反プーチン大統領を掲げたデモ集会は政治の表舞台から消滅していった。ロシアでは反政府デモに参加したことが分かると、学校から追放され、職を失う危険性が高いばかりか、刑務所に長期間拘留されるケースが少なくない。

 それが先月26日、10代後半から20代初めの青年たちが路上で反腐敗デモに参加する姿が多数見られたのだ。ロシアの政治学者は「25歳以下の若者たちがこれほど多くデモ集会に参加したことは近年見られなかったことだ」と驚きを持って受け止めている。

 シュピーゲル誌の狙いは、ロシアの若い世代がなぜここにきて政治活動に乗り出してきたのか、その背景を分析するところにあることは明らかだ。

 若い世代にとって、ロシアの指導者といえば、1999年以来政権に君臨してきたプーチン氏しか知らない。生まれた時から今日まで、プーチン氏が常に国家のトップだった。そして、ロシアではプーチン氏への支持は依然高いのだ。

 その若い世代がスターと仰いでいる政治家がいる。ナバリヌイ氏だ。40歳で弁護士、2014年には反汚職、親欧州路線の政治を掲げて2011、12年の反政府デモの指導者であり、モスクワ市長選候補者でもあった。ハンサムな容貌で逮捕を恐れない言動は若者たちに人気を呼んでいる。自身のブログで政治家たちの汚職を次々と暴露してきた。デモ集会の3週間前にも、プーチン大統領の忠実な側近、メドヴェージェフ首相の腐敗を暴露する記事をインターネットに流している。

 ロシアではナバリヌイ氏の活動は完全に無視され、国営テレビで報道されることはないが、若者たちはインターネットを通じて同氏の活動をフォローしている。3月26日のデモ集会は、若者たちがインターネットを通じて知り、その呼びかけに応じたのだろう。

 シュピーゲル誌は、「若者たちはプーチン大統領に抗議するために路上に出てきたのではない。ロシア社会を覆う停滞感に対しやり切れない思いから路上に出てきたのだ」と記している。ロシアの若者が政治的に目覚めたのかを判断するのは難しいが、彼らはナバリヌイ氏に信頼感を持ち始めているのだろう。

 参考までに、ウクライナの社会学者アンナ・シュル・ツュドノヴスカヤ(Anna Schor Tschudnowskaja)氏はオーストリア代表紙プレッセ(4月7日付)にシュピーゲル誌と同じように「なぜロシアの若者たちが路上に出てきたか」をテーマに寄稿している。同氏はその中で、「プーチン氏の政権掌握後に生まれてきた世代(Die erste Generation Putins)は次第に目覚め、自己現実化を求めてきたが、その為には未来への見通しや倫理的方向性が不可欠だ。しかし、ロシア社会では目下、それらが見当たらないのだ」と説明、ロシアの若者たちが置かれている現状を分析している。

「中朝友好記念切手」の古き良き時代

 昔の取材資料を整理していた時、北朝鮮の記念切手が出てきた。ウィーンの国際会議場で開催された国際切手展示会で北朝鮮が出店し、そこで当方が買った切手だ。

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▲中朝友好記念切手

 切手マニアは世界至る所にいる。展示会に出せば結構売れる。当方は過去2回、北の切手展示会でカラフルな切手を買ったが、その印刷技術は制御不能に陥る北のミサイルとは違い、高い。競争力のある商品だ。欧州の切手マニアにとって北の記念切手はやはり珍しい。買い手は結構いる。欧州の切手業者が大量に注文しているのを見たことがある。

 当方が買った切手は中朝友好を記念したものだ。故金正日総書記が中国の江沢民国家主席(任期1993〜2003年)と胡錦濤国家主席(任期2003〜13年)と並んで撮影した記念写真の切手である。
 金正日総書記時代の中朝両国関係はいろいろあったが、基本的には友好関係を維持してきた。飛行機嫌いの金正日総書記は平壌から特別列車で北京を訪問した。中国指導部の要請を受け入れ、中国の経済特別区を訪ね、活発な経済活動をする中国企業を視察する旅にも出た。

 中国と北朝鮮両国は「反帝国主義の戦いの中で手を携え、血で固めた偉大なる友誼を形成してきた関係」と謳われてきたが、北に金正恩氏が登場して以来、その風向きは大きく変わったきた。

 北で3代目の金正恩労働党委員長時代に入って既に5年目を迎えたが、金正恩委員長はまだ北京を公式訪問していない。北朝鮮の最高指導者が就任後、1度も中国を公式訪問していないということはなかったことだ。
 (ただし、朝日新聞は2009年6月16日と18日の2回、1面で北最高指導者・金正日労働党総書記の後継者に決定した3男・正恩氏が同月10日頃、中国を極秘訪問し、胡錦濤主席と会談したと報じた。しかし、その直後、北京外務省と北側から「作り話」と一蹴され、会見内容は完全否定された)。

 ところで、正恩氏が中国を敬遠しているのにはそれなりの理由がある。北京が正恩氏ではなく、金総書記の長男で改革派と見られた金正男氏を擁立したい意向があり、正恩氏の叔父、張成沢氏(元国防委員会副委員長)が舞台裏で密かに北京と連携していたことが発覚したからだ。正恩氏は叔父を即処刑し、北京が密かに期待していた正男氏は今年2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港内で北の工作員らに暗殺されたばかりだ。

 その一方、正恩氏は北京が嫌がる核実験やミサイルを発射し中国指導者を怒らせてきた。その結果、中朝両国関係は険悪化し、首脳会談はこれまで実現されずにきたわけだ。北京側は国際社会の対北制裁に同調し、北側からの石炭輸入を年内中断するなどの経済制裁を課したばかりだ。

 金正恩委員長と中国の習近平国家主席の首脳会談がいつ実現されるか目下不明だが、習主席の訪米後、その返答は出るかもしれない。米中首脳会談で北問題が話し合われたが、そこで制裁強硬を要求するトランプ大統領に習主席がどのように返答したかがポイントだ。米国の要請を受け入れて北に更に圧力を行使するか、それとも北との歴史的関係を重視し、米国側の要求を拒絶するかだ。後者の場合、近い将来、金正恩氏の北京公式訪問の道が開かれるかもしれない。そうなれば、習主席と正恩委員長の会見記念切手が発行されるだろう。少なくとも世界の切手マニアは喜ぶことになる。

制御不能の北ミサイルは一層怖い

 米中首脳会談の前日(5日)、北朝鮮は中距離弾道ミサイルを発射した。ミサイルは約60キロ飛行した後、落下した。日米韓は「ミサイル発射は失敗した」と推測している。飛行距離が短いうえ、高度も十分ではなかったからだ。米軍関係者は「液体燃料のスカット型中距離ミサイルだろう。ミサイルは発射後、制御不能に陥った」(読売新聞電子版)と分析している。

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▲北の「宇宙監視中央センター」(2013年1月14日、駐オーストリア北大使館の写真展示ケースから)

 日米韓は北側の核実験やミサイル発射を監視衛星で24時間マークしている。だから、北側が核実験の準備に入った場合、即、「実験が近い」と警告してきた。ミサイル発射でも同様だ。もちろん、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の場合、監視衛星でキャッチしにくいので、事前予測は難しい。ただし、北側がSLBMを実戦配置できるまでにはまだ時間がかかると予想している。

 米韓両国は米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の在韓米軍への配備を進めているが、問題は、北のミサイルが制御不能に陥る回数が多いことだ。

 日米韓は北のミサイルを打ち落とすために待機している。発射されたというシグナルが監視衛星から届いた場合、ミサイルの軌道を即計算してそれを打ち落とす体制に入る。問題は、軌道計算通りにミサイルが飛んでくれば撃墜できるが、北のミサイルが突然制御不能に陥った場合は大変だ。軌道計算のやり直し時間はない。

 北が発射した中距離弾頭ミサイルが突然、軌道コントロールを失い、平壌当局の意に反してソウル市に落ちた場合を考えてみてほしい。ソウル市民はパニックに陥り、在韓米軍は出動し、南北間で本格的な戦争が始まるかもしれない。

 国際社会の制裁下にありながらも北は核開発、ミサイル開発を進めてきた。不足する部品や機材をカバーするために、北の科学者は独自の創意工夫をしてきた。そして完成した核兵器を実験し、ミサイルを発射してきた。
 しかし、北は過去1年間で数多くのミサイルを発射したが、失敗も少なくない。すなわち、北ミサイルは制御不能に陥る危険性が依然かなり高いのだ。

 朝鮮半島で武力衝突が勃発した場合、金正恩氏は通常兵器で不利となれば即大量破壊兵器を使用するだろう「『白旗』を掲げない金正恩氏への恐怖」2017年2月27日参考)。

 当方は以前、「北ミサイルは飛行中、、制御不能となって日本海に落ちた」というニュースを聞く度に、「北のミサイル開発はまだ危険水域まで達していないな」と安堵したが、制御不能の北のミサイルがひょっとしたらもっと恐ろしいのだ。のんびりと構えておれない。

 少し話が飛ぶが、中国の習近平国家主席はトランプ米政権の対中政策に神経質となっているが、中国が最も頭を抱えていることは、トランプ大統領の対中強硬政策ではなく、トランプ氏の対中政策が日々変わることだというのだ。台湾政府と接触したかと思うと、その翌日、「2つの中国を認める考えはない」と発言するトランプ氏に中国側は困惑しているのだ。

 全てをデジタル化し、データに基づいて“次の一手”を計算する21世紀の社会で、「計算できない」ということは最も恐ろしいことなのだ。同じことが“制御できない”北ミサイルにも言えるわけだ。デジタル化されたデータにミサイルが機能しないことを意味するからだ。

 繰り返すが、制御不能のミサイルを大量に保管する北軍は、制御可能で緻密なミサイルを有する米軍より怖いのだ。日米韓の地上配備型迎撃システムは計算通りに飛行するミサイルなら打ち落とせるが、どこへ飛んでいくか計算できない制御不能の北のミサイルを打ち落とすことは至難の業だからだ。

 「北のミサイルが突然制御不能となって墜落しました」というニュースは、金正恩労働党委員長にとって間違いなく凶報だが、国際社会にとっても不吉な知らせとなるのだ。核兵器を搭載した制御不能の弾頭ミサイルを想像してほしいのだ。

大多数の科学者は「神」を信じている

 中国の反体制派メディア「大紀元」が昨年10月20日に報じた記事「6人の現代の著名科学者、彼らは何故神を信じるのか」のリード文を先ず読んで頂きたい。 

 「国連がある面白い統計を発表しました。現在から過去に遡って300年の間、世界における素晴らしい科学者300人を対象に、神を信じる人が何人いるのかについて調査しました。すると、8〜9割の科学者たちが神を信じていることが分かりました。
 300人の内、神を信じないと示した人は僅か20人でした。一方、神を信じると明確に示した人は242人で、世界的に著名なニュートン、エジソン、X線を発見したヴィルヘルム・レントゲン、電池を発明したアレッサンドロ・ボルタ、アンドレ・マリ・アンペール、ゲオルク・オーム、キュリー夫人、アインシュタイン等々がその中に名を連ねています。また、20世紀におけるイギリス、アメリカ、フランスの科学者の中で9割以上が神を信じることも明らかになっています」

 「大紀元」はアインシュタインをはじめ、ハーバード大神経科学者アイベン・アレクサンダー博士、そして量子力学創始者マックス・プランクまで6人の著名な科学者を紹介し、彼らが神を信じていた、というのだ。例えば、アレクサンダー博士は自身が臨死体験(NDE)を体験してから、神を信じるようになった科学者だ。同博士はその前は、「NDEは大脳が圧迫を受けた結果の幻想に過ぎない」と考えてきたという。

 一方、このコラム欄で紹介したばかりだが、イスラエルの若き歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏(YuvalNoahHarari)は、「宗教は本来、神々とは何も関係がない。どこから権威が由来するかを説明し、その機関(宗教団体)や法(教え)を正当化してきた歴史だ」という。そして「ビック・データのアルゴリズムが決めた決定に対して信頼することが21世紀の支配的なイデオロギーとなるだろう」と予想している。同氏が主張しているホモ・デウスと呼んでいる内容だ。「ちょうど昔の神々のように、人々は全能なアルゴリズムとデータ主義が決めたことを信仰するようになる。彼らは人間より迅速に正確に決定できるからだ」と述べている(オーストリア代表紙プレッセとのインタビュー2017年3月28日)。

 興味深い点は、誰よりも迅速に正確に返答できる能力が“未来の神像”の必須条件とみなされていることだ。ただし、この迅速性、正確性は従来の神観の一部に過ぎない。「全知全能なる神」という場合がそれに当たる。しかし、キリスト教の神は全知全能だけではなく、「神は愛だ」と主張してきた。ハラリ氏の宗教観、神観は時代が求める神観であることは間違いないが、かなり部分的な神観だ。

 「大紀元」で紹介された科学者たちはハラリ氏の見解をどのように受け取るだろうか。ハラリ氏のような知識人、学者が今後、確実に増えるだろうし、その一方で不可知論者も増加するだろう。

 マックス・プランクは1944年、イタリア・フィレンツェで「物質の性質(TheNatureofMatter)」について講演している。「大紀元」の記事から引用する。

 「すべての物質はある種の力の影響下でのみ創造と存在ができる。この力は一つの原子粒子を振動させ、最も微小な『原子太陽系』を支えている。この力の背後には意識を持つ、知恵の心が存在することを仮設しなければならない。この心こそが全ての物質の母体であるのだ」

米投資家ソロス氏対オルバン首相

 ハンガリーの首都ブタペストで4日夜、数千人の市民が著名な米国のエリート大学、中央ヨーロッパ大学(CEU)の前に集まり、オルバン政権が同日、国民議会で高等学校法の改正案を賛成多数(賛成123票、反対38票)で採決したことに抗議した。
 同集会は独立学生団体「講義の自由」が主催した。彼らは「オルバン政権は大学の自治権を侵害している」、「教育の自由への挑戦だ」と批判し、アーデル・ヤーノシュ大統領に拒否権を行使して法案に署名しないように要求している。

 国民議会で採決された改正案によれば、外国人が開校した学校はハンガリー国内の学校と共に出身国にも同様の学校を開校していなければならなくなる。その条件を満たさない外国大学は来年1月1日から新学生を受け入れることはできなくなる。

 CEUは、ハンガリーのブタペスト出身のユダヤ系の世界的な米投資家、ジョージ・ソロス氏が1991年、冷戦終焉直後、故郷のブタペストに創設した大学だ。同法案はソロス氏が創設したCEUの終焉を意味する。なぜならば、CEUはブタペストにあるが、米国には存在しないからだ。CEUは目下、約100カ国から1400人以上の学生が登録している。

 ハンガリーの野党系メディアは「オルバン首相はCEU問題で米国政府と交渉する用意があると表明するなど、CEU問題で調停役を演じる気だが、CEU問題の米国での管轄先は連邦政府ではなくソロス氏のオープン・ソサエティ財団(Open Society Foundation ) 本部があるニューヨーク州だ」と指摘し、オルバン政権の強権政治を糾弾している。

 ソロス氏自身は、「オルバン政権の政策は欧州連合(EU)の価値観に反する」と批判。「CEUを救え」ということで署名集めも行われ、3万人以上の署名が3日、ハンガリー議会議長宛てに送付されたばかりだ。

 なお、CEUは4日、公式サイトで議会の法案採決を批判する声明を発表している。

 Central EUropean University (CEU) condemns the Hungarian Parliament’s passage of amendments to the Hungarian national law on higher education today. The new law puts at risk the academic freedom not only of CEU but of other Hungarian research and academic institutions

 オルバン政権の政策について、ドイツのフランク= ヴァルター・シュタインマイアー大統領、米国務省、駐ハンガリー米大使館などから激しい抗議の声が挙がっている。
 隣国オーストリアは「オルバン政権がCEUを追放したいのなら、CEUはウィーンで開校すればいい」(ウィ―ン市のMaria Vassilakou副市長 )とCEUの移転先の候補に手を挙げている。また、オーストリア大学会議(UNIKO)もブタペスト議会の決定に抗議を表明するなど、批判の声は欧州全土に広がってきている(以上、オーストリア通信=APAから)。

 ちなみに、オルバン首相自身、その政治活動の初期、ソロス氏から経済支援を受けてきたことは周知の事実だ。その首相が今日、外国団体の財政支援を受ける非政府機関(NGO)の活動に厳しい監視の目を注ぎ、ソロス氏創設のCEUを閉鎖に追い込もうとしているわけだ。難民受け入れ問題でEU本部ブリュッセルと戦ってきたオルバン首相も世界的な投資家ソロス氏との戦いでは無傷でいられないだろう。

冷戦の勝敗は「善悪」で決まった

 最後のソ連最高指導者、ミハイル・ゴルバチョフ氏は、欧米が冷戦の勝利国としてその版図を東方拡大していったことに対し、「西側は本来、冷戦の勝利を静かに祝うべきだった」と指摘し、ロシアと欧米諸国の現在の緊張関係について、「責任は西側にある」と主張している。ゴルバチョフ氏の主張は一理ある。勝利者は常に謙虚でなければならないからだ。

 ただし、政治の世界では「謙虚」とか「愛」といった言葉は異国語であり、「強いか」、「弱いか」が決定する世界だ。人類の初期から今日まで強い者、民族、国が支配してきた。冷戦時代も例外ではなかった。欧米民主主義国と共産主義国との対立だった。その結果、民主主義諸国が勝利し、共産主義陣営の盟主、ソ連が解体することで勝敗ははっきりとした。

 プーチン大統領は、「オバマ前米大統領がロシアはもはや重要性を失った地域の大国に過ぎなくなったと発言したことを今も忘れることができない」と述懐したという。プーチン氏はソ連の解体に今なお、激しい屈辱感を持っている。敗戦国の正直な告白かもしれない。

 ところが、肝心の勝利国側の欧米諸国は、移民問題やイスラム過激派テロ問題、麻薬問題、同性愛問題など道徳の淪落などさまざまな問題に直面し、冷戦時代のような緊張感を失ってきた。
 冷戦後、政権に就いたプーチン氏が「ロシア民族の復活チャンス」と受け取ったとしても不思議ではない。プーチン氏は敗者復活戦に臨むスポーツ選手のような心意気なのかもしれない。

 ゴルバチョフ氏は欧米社会とロシアの現状に強い危機感を持っている。その主因は「(勝利国側の謙虚さと愛のない)西側にある」と断言する。そしてプーチン氏の屈辱感をひょっとしたら誰よりも理解している。

 冷戦時代の戦いを従来の「強弱」の哲学でみるならば、強い側が勝利し、弱い国は敗北せざるを得ない。そして21世紀に入って、欧米諸国とロシアの関係が再び緊迫してきた今日、勝敗はやはりその強弱で決定されると予想せざるを得ない。だから、冷戦時代が再現した場合、両陣営は戦力の拡大に腐心せざるを得なくなるわけだ。

 当方は、冷戦時代の戦いは、「強弱」の戦いではなく、本来、「善悪」の戦いではなかったか、と考えている。史的唯物論の歴史観、世界観、人間観を有する共産主義世界と、神を主導とする民主主義世界の対立ではなかったか。レーガン大統領は当時、ソ連を「悪の帝国」と喝破し、その世界観を「間違いだ」と訴えた初めての政治家だった。政治の世界に「善悪」の価値観を導入した、という意味で、画期的だった。

 ゴルバチョフ氏は冷戦時代の再現の様相を深めてきた主因は「西側の責任」という。その指摘は正論だろう。勝利国の民主主義社会がその本来の価値観を失い、腐敗し、堕落していったことで、冷戦後の社会秩序建設に乗り出すことができなくなったからだ。
 敗北国が欧米社会の現状をみて、そのようなだらしない西側に敗北したことに激しい屈辱を感じる一方で、「よし、今度こそ西側を破る」と考えたとしても当然かもしれない。欧米社会は冷戦終焉後、その勝因をゆっくりと分析しなかった。これこそ「西側の責任」だ。

 ここで問題は、「ソ連は当時、米国をはじめとした欧米諸国より弱かったから、敗北した」のではなく、共産主義の世界観が間違いだったからだ、ということだ。狡猾な共産主義者ならば、その敗北を強弱から分析し、善悪で判断することを回避するだろう。
 間違いは誰にもある。共産主義は間違った思想だった。だから、その世界観、歴史観から決別し、再出発すればいいだけだ。プーチン氏のように激しい屈辱感を持つ必要はないのだ。

 過去の恩讐からプーチン氏を解放する道は、核軍備の強化でもサイバー戦争でもない。共産主義思想が間違ったイデオロギーだったことを冷静に、静かに説く指導者が出てくるべきだ。旧ソ連・東欧共産圏でみられる「宗教」の復活はそのことを実証的に物語っている。

ゴルバチョフ「世界は核戦争の危機」

 ソ連最後の最高指導者だったミハイル・ゴルバチョフ氏はドイツのジャーナリスト、フランツ・アルト氏と新著を発表し、そこで核戦争の脅威が高まってきたと警告を発している。同氏は冷戦時代、米国との軍備拡大競争を回想し、「当時は一触即発の危機にあった。幸い、レーガン米大統領(当時)と核軍縮で一致し、核戦争の危機を克服した。21世紀の今日の情勢はその1980年代の状況に酷似してきた」と指摘する。具体的には、ロシアのプーチン大統領とトランプ米大統領の軍事拡大政策だ。

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▲ゴルバチョフソ連共産党書記長(1987年=ウィキぺディアから

 バチカン放送独語電子版は2日、ゴルバチョフ氏と共同で新著をまとめたアルト氏とのインタビュー記事を掲載している。「タイトルは、ミハイル・ゴルバチョフ、カサンドラ(凶事の予言者)か(神の使者の)預言者か」だ。以下、その概要を紹介する。
 
 アルト氏によると、ゴルバチョフ氏(86)は依然、政治問題に鋭く反応し、肉体的、精神的にも健康だという。ただし、ゴルバチョフ氏は数年前から杖を突きながら歩くという。
 アルト氏は、「ゴルバチョフ氏にとって、愛妻(ライサ夫人))の死(1999年)が今なお深く心を捉えている。両者は本当に愛し合っていた夫婦だったことが分かる。ソ連共産党の世界でペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)の改革を実行できた背後には夫婦の強い絆があったからだろう」と説明する。

 欧州は1945年以降、大きな戦争はなく、平和の時を過ごしてきた。ノーベル平和賞受賞者のゴルバチョフ氏が何故、この時、第3次世界大戦の勃発の危機を警告するのか。

 アルト氏は、「ゴルバチョフ氏は核戦争の勃発を恐れている。1980年代、欧州は東西に分断された冷戦時代だった。核兵器の拡大競争で核戦争の危機は現実的に差し迫っていた。技術的ミスや人間的ミスで核戦争が勃発する危機は常にあった。ゴルバチョフ大統領はその時、勇気ある決断を下し、軍縮に踏み出した。それを受け、レーガン米大統領が同調し、核戦争の危機を乗り越えることが出来た。21世紀の今日、当時と同じような状況が生まれてきた。プーチン大統領とトランプ米大統領は軍備拡大に乗り出してきたのだ。彼らは核兵器の近代化という名目で核兵器の拡大に腐心している。人類は既に克服したと信じてきた核戦争の危機に再び直面してきているのだ。ゴルバチョフ氏は核戦争の危機を排除できないとはっきりと主張している」という。

 ゴルバチョフ時代、ソ連と米国は戦略核兵力の5割削減、中距離核戦力(INF)の全廃に合意した。その成功の主因は何だったのか、というバチカン放送の質問に対し、アルト氏は、「私もゴルバチョフに同じ質問をした。ゴルバチョフ氏はレーガン大統領との間の相互信頼があったからだ、と答えた。レーガン氏は冷戦時代の戦士だ。互いに厳しいパートナーだったが、信頼を勝ち得ることに成功した。信頼が生まれた決定的な出会いは1986年のレイキャビク米ソ首脳会談だったという」と説明した。

 アルト氏は、「残念ながら、その信頼は長く続かなかった。西側は冷戦時代の終了、ソ連の解体を勝利と受け取り、北大西洋条約機構(NATO)は東欧に拡大していった。西側の言動を見たプーチン氏は西側に対し強い嫌悪感を持っている。そこで軍備拡大に乗り出してきたわけだ。西側は本来、冷戦の勝利を静かに祝う賢明さが必要だった。プーチン氏は数年前、『ソ連解体に今でも深い屈辱感を持っている』と述べている。同氏は、『オバマ前米大統領がロシアはもはや重要性を失った地域の大国に過ぎなくなったと発言したことを今も忘れることができない』と述懐している。プーチン氏は西側を信頼しなくなったのだ。ゴルバチョフ氏が指摘している点だが、東西間の緊張の主因は西側の無知だ」という。

 ゴルバチョフ氏は、「プーチン氏はいい男だ。西側は彼と対話を継続すべきだ。東西間が厳しい現状であればあるほど、プーチン氏との対話が大切だ」と述べている。

北に戻った「金正男氏の遺体」の行方

 マレーシアから金正男氏の遺体が先月31日未明、中国北京経由で平壌に戻った。これで2月13日にマレーシアのクアラルンプール国際空港内で起きた「金正男氏暗殺事件」は、肝心の暗殺事件の殺人捜査の最終結論を下すことなく、幕を閉じることになる。
 マレーシア当局は「事件の捜査は継続する」と表明したが、犠牲者の遺体が北朝鮮に戻ったばかりか、事件の容疑者と考えられてきた駐マレーシアの北朝鮮外交官(ヒョン・グァンソン2等書記官)や高麗航空関係者(キム・ウギル氏)も北に戻ったうえ、最重要容疑者の4人の北工作員は事件当日の2月13日、帰国済みだ。マレーシア当局の今後の捜査は、残念ながら難しいだろう。

 金正男氏が北の工作員に暗殺されたことを示す状況証拠は多数あるが、北の「上の指令」を受けて金正男氏を暗殺したことを示す確証はまだない。正男氏の暗殺に使用されたVX神経ガスが個人レベルで製造できるものではなく、背後に組織的なグループがいたことを示唆しているが、これも状況証拠であり、確証とはならない。すなわち、北の金正恩労働党委員長が義兄の正男氏の暗殺を命令したことを確証で示すものはない。そのため、国際社会は「金正男氏暗殺事件の黒幕は金正恩氏だった」とは断言できないわけだ。

 大韓航空爆破事件(1987年11月29日)では実行犯の一人が逮捕後、北の命令で実行したことを自白したが、北側は当時、それを否定した。そのような国が状況証拠だけで正男氏暗殺事件の犯行を認めるはずがない。その上、正男氏暗殺に関与した北工作員らはひょっとしたらもはや生存していないだろう。正男氏暗殺計画に関与した北工作員は処刑されたと考えて間違いないからだ。

 マレーシア当局が北側の金正男氏の遺体返還に応じた理由は、北に駐在する9人のマレーシア人の帰国を可能にするためだった。9人は北側の人質だったからだ。その意味でマレーシア当局を批判できない。遺体の保存問題もあってマレーシア当局の今回の対応は仕方がなかった。「金正男氏暗殺事件」の背後に北側が関与していたことは間違いないうえ、確証がなくても国際社会もそのように受け取っている。金正恩氏への批判の声は静まることはないだろう。

 金正男氏の遺体への対応について考えてみたい。北側にとって、遺体は北国籍を有する“金チョル氏”であって、金正日総書記の長男・金正男氏ではない。だから、平壌に戻った遺体は金ファミリー関係者が眠っている墓地に埋葬されることは絶対にない。それでは「無名戦士の墓地」に埋葬されるのだろうか。

 当方の推測はもっと現実的だ。「金チョル氏」といってもその遺体が金正男氏であることは時間の経過と共に、北国民の耳に入るだろう。だから、「金チョル氏」の墓ができれば、金正恩氏にとって危険この上もない。アドルフ・ヒトラーの生誕ハウスの保存問題でオーストリア内務省が懸念したことは、その生誕地が極右派、ネオナチストたちの巡礼地となることだった。同じように、金正男氏の墓ができれば、反金正恩氏の“メッカ”となる危険性が出てくる。証拠を完全に隠滅することが犯行後の犯罪者のイロハだ。墓を作って埋葬すれば、禍根を残すことになる。

 当方は、金正恩氏が金正男氏の遺体を火炎砲で骨まで完全に焼き尽くさせるだろう、と考えている。まさに、金正恩氏が叔父・張成沢(元国防委員会副委員長)にしたようにだ。残念だが、これが最も現実的なシナリオだ。

 国際社会は「金正男氏暗殺事件」を通じて北側の独裁者がどのような人物かを再度確認できたはずだ。北との対話、交渉といった夢物語に耽る時は過ぎた。国際社会は力で独裁国家・北を解放すべき時を迎えている。

フィデル・カストロの回心

 キューバの独裁者、フィデル・カストロ(1926〜2016年)が昨年11月25日、死の直前にローマ・カトリック教会の聖職者から病者の塗油(終油の秘蹟)を受けていたという。カストロの愛人と言われる女性、アンナ・マリア・トラリア(Anna Maria Traglia)さんがイタリアの教会放送「TV2000」とのインタビューの中で明らかにした。

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▲キリスト者に回心したフィデル・カストロ(ウィキぺディアから)

 トラリアさんは、「イエズス会の神父の話を聞いた。カストロは神父の訪問を受け、宗教の教えに慰めを感じていたという。そしてキリスト教の教えに基づき、静かに亡くなったと聞いた」という。トラリアさんによると、「“Maximo Lider” (カストロの愛称、最も偉大な指導者)は最後の日、一人の神父の訪問を受けた」という。

 トラリアさんは、1970年代、パウロ6世の代理としてローマで聖職を担当していたルイジ・トラリア枢機卿(Luigi Traglia)の姪に当たる女性で今年、69歳だ。彼女は27歳の時、ローマのキューバ大使館の秘書を通じてカストロと知り合いとなった。その後、長い間、カストロの愛人といわれ、ハバナで暮らしていた。彼女の願いもあってハバナで教会がオープンされ、彼女は毎週日曜日、ミサに参加したという。ミサが終わり、教会から外に出ると、カストロの車が迎えに来ていたという。

 彼女が最後にキューバを訪問したのは1年前、カストロが既に不治の床にあった時だった。そして「2016年5月まで定期的にカストロと電話で交流してきた」という。

 トラリアさんは、「最後に会った時、カストロは大きく変わったのを感じた」という。カストロがある日、彼女に、「君が語ってきた信仰の話を思い出している、多くの点で僕ではなく、君の方が正しかったよ」と述べたという。

 共産主義者として宗教を弾圧してきた独裁者が死の直前、キリスト者に回心したケースは過去にもあった。チェコスロバキア共産政権下の最後の大統領、グスタフ・フサークの名前を覚えている人は少ないだろう。フサークは1968年8月にソ連軍を中心とした旧ワルシャワ条約軍がプラハに侵攻した「プラハの春」後の“正常化”のために、ソ連のブレジネフ書記長の支援を受けて共産党指導者として辣腕を振るった人物であり、チェコ国民ならばフサーク氏の名前は苦い思いをなくしては想起できない。
 そのフサークが死の直前、1991年11月、ブラチスラバ病院の集中治療室のベットに横たわっていた時、同国カトリック教会の司教によって懺悔と終油の秘跡を受け、キリスト者として回心したという話は、国民に大きな衝撃を与えた(「グスタフ・フサークの回心」2006年10月26日参考)。

英国人は主体意識が強く傲慢?

 当方は1980年代、4カ月余り英国に滞在していた。それも“華のロンドン”ではなく、“あの”リバプールだ。クイーンズ・イングリッシュを学ぶ機会はなく、リバプール・イングリッシュを学んだ。その当方が英国の国民性に関連するテーマのコラムを書くのは相応しくもない上、知識や経験にも乏しいことを知っている。批判を覚悟の上でこのコラムを書き出した。テーマは「なぜ英国は国際機関、多国籍機関から脱退するか」だ。

 英国は44年間お世話になった欧州連合(EU)を離脱することを決定し、3月29日、メイ首相が署名した離脱通告書をブリュッセルに手渡した。これを受け、英国は今後2年間の離脱交渉を経て、ブリュッセルから別れることになる。

 その離脱決定は昨年6月の国民投票で決められたが、その直後、「われわれはEUから離脱したくはない」という声が国内では「離脱万歳」といった歓声より大きかった。英国民の心は他国民が考える以上に複雑だ。明確な点は、大多数の英国民はEU離脱が何を意味し、どのような結果をもたらすか慎重に考えることなく投票場に足を向けたことだけだ。

 ところで、英国が国際機関、多国籍機関に加盟した後、脱退するケースはEUが初めてではない。英国は2012年、ウィーンに本部を置く国連工業開発機関(UNIDO)から脱退している。加盟するが、脱退も素早い。UNIDOの問題や腐敗を知りながらも脱退しない日本とは好対照だ。その意思決定は迅速だ。

 それでは、なぜ英国は国際機関からの脱退を他国より迅速に決められるのか。考えらえるシナリオは、英国が昔、世界を支配した大国であり、大国意識が強く、他国の主権や多国籍機関の管理下に入ることを良しとしない国民性がある。いい意味で主体性が強く、個人主義だ。悪く言えば、傲慢だ。EU離脱が決まった直後、「英国民の主権を取り戻した」という声が聞かれたことを思いだす。

 ひょっとしたら、英国民は損得の計算が他国の国民より早いのかもしれない。ちなみに、劇作家オスカー・ワイルドは「英国人は、小切手は人生の全ての問題を解決できる、と信じている」と述べている。
 外交は綺麗ごとではない。国益第一としたもので、外交の舞台裏では激しい国益争いが展開されている。損となれば、そのような機関、団体に所属しない。もちろん、その損得の計算は決して経済的な計算だけではなく、戦略的判断など多方面の検討が不可欠となる。プラスが多ければ残る、マイナスが多ければ出ていく、といったことになる。マイナスが多くても、国家の面子や国際社会への貢献などの理由からメンバーに留まるケースが少なくない日本の外交とは違い、英国はそのような拘束を受けないのかもしれない。英国のEU離脱を決定した国民投票という形式にも問題がある。損か得か、イエスかノーかの二者択一とならざるを得ないからだ。

 英国の食生活について、わずかな経験しかない当方はどうしてもリバプール市内のフィッシュ・アンド・チップスの風景しか思い浮かばない。英国の食文化は本来、そのような貧弱なものではないだろう。同じように、長い歴史を誇る英国の国民性は当方が考えているような世界でないかもしれない。英国通の読者から啓蒙的なコメントを期待している。
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