ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2016年07月

バチカン、「言論の自由」認める判決

 ローマ・カトリック教会の総本山、バチカン法王庁の裁判所は7日、通称“第2バチリークス”と呼ばれる機密公文書のリーク問題で5人の被告に対して判決を下した。

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▲情報管理問題で揺れるバチカン法王庁(2011年4月、バチカンで撮影)

 不正入手した情報を報道した2人のイタリア人ジャーナリスト、ジャンルイージ・ヌッツィ氏(Gianluigi Nuzzi)と エミリアーノ・フィッティパルディ氏(Emiliano Fittipaldi)に対しては、「犯行がバチカンの領域内であったか不明であり、バチカン司法当局の権限問題ではない」と強調し、「言論の自由」は基本権利であることを認め、無罪を言い渡した。

 一方、2人のジャーナリストに機密文書を流したスペイン教会神父のルシオ・アンヘル・バジェホ・バルダ神父(54)とソーシャル・メディア専門家のフランチェスカ・シャウキ女史(33)の2人に対しては有罪判決を下した。2人は解散されたバチカン経済部門機構改革委員会(COSEA)に従事していた。シャウキ女史には執行猶予付の有罪判決、バルダ神父には18カ月の実刑有罪判決だった。バチカン放送独語電子版(7日)によると、フランシスコ法王は同神父に対し恩赦する可能性もあり得るという。なお、5人目の被告、バチカン経済委員会のメンバーのニコラ・マイオ氏は無罪となった。

 バチカン法王庁の司法当局は昨年11月2日、バチカン関係者の2人を機密文書を盗み、漏えいした容疑で逮捕した。両者はフランシスコ法王が設置したCOSEAのメンバーで、バチカンの財政状況を審査する立場だっただけに、大きな衝撃を教会内外に投じた。バルダ神父は法王庁諸行政部門およびその財務を管理する「聖座財務部」の次長だ。同神父はカトリック教会の根本主義グループ「オプス・デイ」(神の業)と繋がりがある。

 無罪判決を得たヌッツィ氏は、「この日はわれわれ2人のジャーナリストにとって歴史的な日だけではなく、バチカンにとってもそうだ。バチカンの裁判所がジャーナリストの報道の権利を認めたからだ。無罪判決はフランシスコ法王下のバチカンの転回を意味する」と述べた。

 バチカン法王庁では過去、機密情報が外部に流れる不祥事が頻繁に発生している。バチカンは昔から“秘密の宝庫”と呼ばれてきたが、その宝庫に近づき、その宝を手に入れようとする人が絶えないのだ。

 最近では、前法王べネディクト16世在位中の2012年、機密文書の流出事件(通称Vatileaks、バチリークス)が生じた。法王の執事(当時)パオロ・ガブリエレ被告(当時46)がべネディクト16世の執務室や法王の私設秘書、ゲオルグ・ゲンスヴァイン氏の部屋から法王宛の個人書簡や内部文書などを盗み出し、今回の事件にも関与したジャーナリストNuzzi 氏に流した事件だ。ガブリエレ被告(当時46)は2012年10月6日、窃盗罪として禁固1年半の有罪判決を受けたが、べネディクト16世は判決後、ガブリエレ氏に恩赦を与えている。

 そして3年後、第2のガブリエレが現れたのだ。今回は法王執事ではなく、バチカン聖座財務部のナンバー2(次長)だった。イタリアのメディアは今回の機密文書の窃盗・漏えい事件を“第2のバチリークス”と呼んでいる。

 イタリアのメディアによると、バルダ神父が2人のジャーナリストに手渡した情報には、タルチジオ・ベルトーネ枢機卿(前国務長官)の腐敗(巨額な住居費など)、宗教事業協会(バチカン銀行、IOR)の疑惑口座、バチカンが運営する小児病院「バンビーノ・ジェズ」の不正運営などが含まれていたという。

 南米出身のローマ法王フランシスコが登場し、バチカン機構の刷新に乗り出して以来、保守派聖職者と改革派聖職者の間で情報戦が激化している。バチカンで今後、“第3、第4のバチリークス”が発生しても不思議ではない状況だ。

大統領職廃止の絶好のチャンス!

 オーストリア憲法裁判所が1日、5月22日に実施された大統領選決選投票に不正があったとしてやり直しを命じた。それを受けて、次期投票日が10月2日と決定したばかりだ。ハインツ・フィッシャー大統領は8日、2期、12年間任期を満了してホーフブルク宮殿を去った。新大統領が選出するまで国民議会の3人の議長が大統領職務を代行する。

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▲オーストリア連邦大統領府(2013年撮影)

 3カ月余り、ホーフブルク宮殿の大統領府は主人公が不在となるが、よく考えればこの期間はまたとない絶好のチャンスではないか。“何のチャンスって?”大統領職を廃止する機会だ。

 3人の国民議長が大統領の職務を履行できるのなら、3人の議長に3カ月とはいわず、その後も外国貴賓、国家元首を迎えてもらい、必要ならば3人の1人に外国を公式訪問してもらえばいい。ひょっとしたら、連邦首相が現大統領職を兼務すれば、時間と経費が節約できる。あれもこれも前回の大統領選で新大統領が決まらなかったからだ。このような状況は戦後初めてのことだ。その機会を利用しないことはない。

 オーストリア国民には発想の転回が求められる。大統領は本当に必要だろうか。前回の決選投票で不正が明らかになり、民主国家の恥をさらしだと冷笑されたばかりだ。独週刊誌シュピーゲルは「オーストリアの恥さらし」というタイトルの記事を発信していた。あれもこれも大統領職が存在するからだ。なければ、選挙経費も浮くし、恥さらしと笑われることもない。いいことずくめではないか。大統領職が廃止されて国家の運営に支障が出るだろうか。

 そこで当方は提案したい。思い切って大統領府を廃止したらどうだろうか。前回の選挙で2人の候補者の得票率がほぼ50%ずつ、その差は1%以下という僅差だった。決選投票は国民を文字通り2分してしまった。もし大統領職がなければ、そのような騒動も起きることはないだろう。

 もちろん、大統領が国民の直接選挙で選出された1950年以降、名大統領がいなかったわけではない。ルドルフ・キルヒシュレーガー大統領(任期1974〜1986年)は人望があった。駐チェコスロバキア大使時代、「プラハの春」が起きた。ウィーンの外務省は査証発給禁止を命じたが、同大使はウィーンに亡命を求める多数のチェコ人に査証を発給し続けた外交官だった。同大使はその後、大統領となったが、国民の信頼は最後まで厚かった。一方、大統領選では夫婦仲のいい姿を有権者にアピールしながら、当選後は離婚し、長年密かに付き合っていた外務省女性と結婚したトーマス・クレスティル大統領(1992〜2004年)がいた。退任したフィッシャー大統領は親北朝鮮政治家として有名であり、北朝鮮の欧州拠点構築に少なからず貢献した政治家だった、当方がフィッシャー氏に北朝鮮問題を質問し、カセットでその答えを録音しようとした時、フィッシャー氏は当方のカセットを手で払いのけた人物だ。いずれにしても、仕様がないことだが、当て外れがある。

 最後に、オーストリア大統領はオバマ米大統領よりも高給取りだ。名誉職で、ゲストとの会食と会談が主な職務にオーストリア国民は多額の経費を費やしているのだ。

 オーストリア国民には、大統領不在中のこの3カ月間、大統領がいなくて困ったことがあったか、それとも何も変わらなかったかを冷静に観察して、アルプスの小国に大統領が本当に必要かを真剣に考えて頂きたい。

現代は“英雄”を必要としている

 フランスで開催中のサッカー欧州選手権(ユーロ2016)で大活躍したアイスランドのナショナル・チームが4日、帰国し、国民から大歓迎を受けている写真集を独週刊誌シュピーゲル電子版が掲載していた。選手と彼らを歓迎する国民の交流シーンを見ていると、「アイスランドは英雄を見つけた」という感慨を強くした。

 欧州選手権に初参加した。それだけで大健闘と言わざるを得ないのに、アイスランドのチームはグループ戦を勝ち抜き、ベスト16まで進出した時、サッカーファンだけではなく、世界が驚いた。過去のデータやイレブンの顔触れを見れば、イングランドを破れるチームとはとても考えられない。それが2−1で勝ったのだ。英雄の条件を満たした試合だった。

 3日の対フランス戦でも同じ奇跡が起きるだろうと期待しながら、テレビの前で観戦した。雨が降っていた。アイスランドのサッカー選手たちは国内に屋内競技場は一カ所あるだけで、雪降る日も通常屋外で練習をしてきた選手たちだ。雨はアイスランド・チームにとって“恵みの雨”ではないかと考えた。しかし、ユーロ2016のホスト国フランスのナショナル・チームは結束していた。個々の選手レベルで圧倒するフランスは前半ゴールを次々と決めて試合を一方的に決めてしまった。

 やはり、実力の差は歴然としていた。それでもアイスランドは後半に入り2点を入れ、後半だけでは2−1とフランスチームを上回っていたのだ。最後まであきらめないその精神力に改めて脱帽した。

 英雄たちが母国に戻ると、レイキャヴィークでは市民が総出でフランスの英雄たちを一目見ようと集まった。アイスランドのシーグルズル・インギ・ヨハンソン首相は、「あなたたちはわが国の宝物です」と述べている。

 アイスランドの人口は約33万人だ。その1割、約3万人の国民がフランスに出かけ、ナショナル・チームを応援し、「アイスランド、わが祖国」「アイスランド、わが祖国」と歌う国歌を選手たちと共に口ずさむ。フランスに行かなかった国民はテレビで観戦し、選手と一つとなった。そんな瞬間は多くない。その貴重な時を提供してくれた選手たちは文字通り、アイスランドの誇りとなった。
 
 国が厳しい状況に遭遇し、国内が分裂している時であれば、英雄待望論が出てくる。英雄は分裂した国民を再び結束させるパワーを持っている。強制しなくても、人は集まり、その英雄の言動をみて、若者たちはそれに倣おうとする。これが英雄だ。

 当方はこのコラム欄で「一人の英雄で韓国は救われる」(2014年4月26日参考)を書き、珍島沖で起きた旅客船「セウォル号」沈没事故で自嘲気味となっていた韓国国民に対し 「国家を救い、国民を奮い立たせ、その民族の名誉を守ってくれた英雄を韓国は今最も必要としている。その英雄は政治家や軍指導者でなくてもいい。無名な一人の市民でもいい。自分の命を犠牲にして他者を救ったという人間の証が必要だ。英雄の存在は韓国を救う。そして、その数(英雄)が多いほど、国民は国家に誇りを感じるのではないだろうか」と書いた。

 どの国でも政治家や指導者の腐敗や汚職が広がり、辞任に追い込まれるケースが絶えない。国民は政治や国家への期待を失い、無関心となっていく。それだけに一層、英雄の出現が願われる。

 英雄は強権を振るう政治家ではない。他者の為に生き、他者の為にその命も捧げる人間だ。一人でもいい。もちろん、その数が多ければ多いほど、素晴らしい。アイスランドのナショナル・チームの凱旋帰国シーンを見ながら、「アイスランドだけではなく、私たちの時代が英雄を必要としている」と感じた。

旧東欧から学ぶ日本共産党の「実相」

 日本の政界の動きは新聞社の電子版やネットでフォローしているだけだから、大きなことをいえない。日本は現在、参議院選の終盤を迎え、全土は騒々しいだろう。門外漢は口を閉じているに限る、と考えていた。その時、一枚の写真が目に留まった。民進党の岡田克也党首と共産党の志位和夫委員長がどこかの選挙運動の集会で手を握り合って何かを叫んでいるではないか。両政治家は政策で喧々諤々の論争戦を展開しているのではない。手に手をとって政策を国民に訴えているとしか考えられないシーンだ。

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▲オーストリア国民議会(2012年5月撮影)

 岡田党首は転向したのか、それとも志位委員長が脱党したのか。もちろん、そうではない、両政治家は野党共闘で選挙応援しているのだ、狙いは、自民党候補者を落とし、ひいては自民党政権を少しでも震撼させたいという野望があるのだろう。

 当方は岡田さんの行く末を案じる一人だ。政治の話ではない。網膜剥離を患い、好きな本も自由に読めなくなった人間・岡田さんに同情しているからだ。当方も2年前、網膜剥離の手術をしたことがあるので、岡田さんに情が行く。同病相憐れむ、といった世界だ。

 その岡田さんが共産党委員長と手を取って選挙運動をしている写真をみて、「やっぱり、あの報道は事実だったのか」という空しい思いが湧いてきた。日本からの報道によれば、民進党と共産党は自民党政権打倒の為に野党共闘で合意したという。当方が見た写真はその報道が正しかったことを証明していたのだ。

 共産党という看板を掲げている以上、言わざるを得ない。共産党の世界観、人間観は間違っている。オーストリア国民は共産党が非人間的、欺瞞と虚像の世界観であることを知っている。共産党の実相を誰よりもよく知っているのがオーストリア国民だろう。
 同国には、一応、共産党は存在するが、戦後70年が過ぎたが、同党は過去、連邦レベルで議会の議席を獲得したことがない。有権者は共産党がどのような政党かを理屈ではなく、冷戦時代に目撃してきたからだ。

 オーストリア国民は、ハンガリー動乱(1956年)、チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」(1968年)、ポーランドの民主化(1989年〜)などを目撃し、旧東欧諸国から逃げてきた200万人余りの亡命者を収容してきた。日本共産党の志位委員長がウィーンで選挙演説をしてみれば理解できるだろう。オーストリア国民は極東アジアからきた政治家の妄想話に哀れを覚え、涙を流すかもしれない(「『共産党』を“誤解”している友へ」2015年11月8日参考)。

 そんな政党と選挙戦略とはいえ連携するとは岡田さんは正気だろうか。多分、党内のゴタゴタで疲れ、正しい判断が下せなくなったのではないか。ちなみに、吉田兼好は徒然草の中で「友とするのに悪き者」としてして7例を挙げているが、6人目は「戯言(そらごと)する者」だ。岡田さん、あなたの横にいる人は誰ですか?

英EU離脱後のドイツの“悩み”

 独週刊誌シュピーゲル(電子版)は先月30日、英国の欧州連合(EU)離脱によってドイツの政治力が益々強まってきたと指摘する一方、メルケル政権に対し強権を振るわないように注意を呼び掛けている。

 英国のEU離脱が決定した直後、オバマ米大統領はキャメロン英首相に電話を入れ、「国民投票の結果は願っていたものではなかったが、米国と英国両国は歴史的にも特別な関係を有している」と強調し、失望しているキャメロン首相を慰めた。その直後、オバマ大統領はメルケル独首相に電話を入れ、「米国はドイツのパートナーであり、EUのパートナーだ」と、対EU関係の堅持を期待した。

 ワシントンは英国のブレグジット(EU離脱)を受け、欧州の政治はドイツ主導に益々傾くと予想し、EUの拠点はブリュッセルからベルリンに移動すると見ている。実際、メルケル首相は英国のEU離脱決定直後、フランスのオランド大統領とイタリアのレンツィ首相をベルリンに招き、翌日開催されるEU首脳会談の準備をしている。ちなみに、メルケル首相が仏伊両国首脳だけを招いて会談をしたことが報じられると他のEU加盟国から批判と懸念の声が聞かれたという。以上、シュピーゲル誌の分析だ。

 メルケル首相は過去、何度も「世界で最も影響力のある女性」に選ばれた政治家であり、欧州の政治的安定のシンボルと受け取られてきた。実際、ドイツは既に「EUの盟主」であり、ギリシャの金融危機の際でもメルケル首相の忍耐強いリーダーショップが大きな役割を果たしたことはまだ記憶に新しい。そのドイツの政治力が英国の離脱後さらに強化されると警戒する声が他の欧州諸国から出てきたとしてもやむ得ないことかもしれない。

 ドイツの場合、第2次世界大戦のナチス・ドイツ政権の戦争責任ゆえに、欧州の経済大国になった後も政治的、軍事的指導力を発揮することには消極的な姿勢を取ってきた、歴代独政権は政治的言動を慎重にふるまい、他の欧州諸国から誤解を受けないように腐心してきた。ある意味で、戦後の日本の政治的、軍事的状況と酷似しているわけだ。

 例えば、独連邦議会は昨年12月4日、連邦軍にイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)掃討作戦に参戦する道を開く政府案を賛成多数(賛成445票、反対145票、棄権7票、無効33票)で採決したが、ドイツ政府は連邦軍の国外派遣には非常に慎重だ(独連邦軍は過去、1999年のコソボ戦争、2014年に終了したアフガニスタンNATO軍支援部隊に参加)。


 ギリシャの金融危機の際もメルケル首相の緊縮政策の続行に対し、メルケル首相を「女ヒトラー」と揶揄するプラカードがアテネ市内で見られた。何か不都合なことが生じると、ドイツは必ずやり玉に挙げられる、といった具合だ。

 “気配り外交”を進めるメルケル首相に対し、連立政権パートナーの社会民主党は「ここぞ」といわんばかりに、積極的な言動を発してきた。特に、シュタインマイアー外相はフランスのマルク・エロー外相と連携し、英国のEU離脱後の対策を検討し、経済成長の促進と雇用促進、難民危機の域内外の安全問題で詳細な対策を発表するなど、積極的な政治イニシャチブを発揮している。メルケル首相は内心ハラハラかもしれない。

 いずれにしても、英国のEU離脱後、ドイツの政治力は否が応でも強まる。それだけにメルケル首相のかじ取りはこれまで以上に慎重にならざるを得ないだろう。

「私は北朝鮮人だ」と答えた時

 ダッカのレストラン襲撃テロ事件で一人の男性が「私は日本人だ。撃たないでくれ」と叫んだという。同テロ事件で7人の日本人を含む20人がイスラム過激派テログループの犠牲となった。

 このニュースを読んだ時、冷戦時代の事を思い出した。旧東欧共産圏に入り取材していた約30年前の話だ。タクシーなどを利用すると、運転手は必ずといっていいほど、「日本人だろう」と聞いてきた。最初の時は相手の狙いが分からなかったこともあって「ああそうだよ」と気楽に答えていた。すると運転手は笑みを見せて「チェンジしないか。レートはいいよ」と声をかけてくる。

 こちらが拒んでも運転手は簡単には諦めない。日本人の客などめったい見なかった時代だ。簡単に引き下がらない、といった感じでしつこく迫ってくる。当方がルーマニア取材中、運転手が「日本人か」と聞いてきた。そこで「北朝鮮だ」と半分冗談のつもりで答えた。すると、運転手や両替業者は当方の様子を見ながら、それ以上ビジネスの話はしなくなった。彼らは当方の話を信じてくれたのだ。

 冷戦時代、東欧では日本人といえば、金持ちの国の国民というイメージが強かった。だから、その金を狙ったスリや両替業者の犠牲となる日本人旅行者がいた。

 (蛇足になるが、ブタペストでビジネスマンと話したことがある。彼は「日本は旧ソ連・東欧共産圏の解放を推進した立役者です。日本は小型ラジオ、ファックス器を作り、世界に送り出してくれた。冷戦時代の反体制派活動家はそれらの小型機材を利用して、地下活動した。大型のドイツ製とは違い、小型で精密な日本製機材は共産圏の解放に大きな手助けとなった」と説明し、「日本企業こそノーベル平和賞を受賞できる」と語っていた)。

 ダッカの襲撃テロ事件ではテロリストは先ず外国人か自国民かをチェックし、外国人と判明すれば殺害したという。自国民に対しては、イスラム教信者であり、コーランの一部を暗唱できるかチェックしたという。
 グローバルな時代だから、テロにも国境はない。イスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)はここにきてテロ・ターゲットを国際空港など国際性のある対象に絞り、自爆テロを行なっている。ISで戦術変更があった可能性が考えられる。少ないテロで最大の効果を得るためではないか。例外はイラクとシリア内のテロだろう。イラク国内のテロでは、シーア派とスンニ派の対立が依然大きな原因となっているからだ。

 イスラム過激派テロリストには日本政府が対テロ戦略に協力していることへの反発がある、と聞く。イスラム過激派テロリストにとっては、異教徒は全て襲撃対象だ。日本政府がテロ対策で国際協力をしなければ、日本人が海外でテロリストに狙われないと考えるとすれば、それは余りにも非現実的だ。日本政府が国民が犠牲となることを恐れ、対テロ国際戦線に協力しなければ、日本は世界から軽蔑されるだけだ。その代価は経済的損失として必ず跳ね返ってくる。海外居住の日本人の安全に対しては、政府と国民が知恵を出し合って危機管理していく以外にない。連帯には犠牲が伴うケースがある。

 無念なことは、派遣された国バングラデシュの発展のために汗を流してきた日本人がテロの犠牲となったことだ。犠牲者に心からの哀悼の意を表したい。

「アラブの祖」イシマエルって誰?

 アブラハムと妻サラとの間に久しく子供がなかった。そこで女奴隷ハガルから子供を得た。その子はイシマエルと呼ばれた。その後、神はサラに心をかけ、アブラハムとの間にも子供が生まれた。その名はイサクだ。正妻と女奴隷の間にアブラハムは2人の子供を得た。イシマエルは後日、アラブ民族の先祖となる。

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▲「ハガルと荒野のイシマエル」カレル・デュジャルダンの絵画(ウィキぺディアから)

 旧約聖書はイサクとイシマエルとの関係について余り多くは記述していないが、サラはアブラハムに、「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継ぎとなるべき者でありません」(創世記21章)と述べている。正妻と女奴隷の間に葛藤があったことが推測される。

 2人の女性の争いを心配するアブラハムに対し、神は「はしための子もあなたの子ですから、これをも、1つの国民とします」と約束。アブラハムから別れたハガルとその子イシマエルはべエルシバの荒野にさまよう。水が尽きた時、神は「わたしは彼(イシマエル)を大いなる国民とするであろう」と再度、約束している。その後、「神はわらべと共にいまし、わらべは成長した。彼は荒野に住んで弓を射るものとなった」という。創世記16章では、主の使いがハガルに現れ、「彼は野ロバのような人となり、その手は全ての人に逆らい、全ての人の手は彼に逆らい、彼は全ての兄弟に敵して住むでしょう」と告げている。

 母親に連れられ、父親アブラハムから別れたイシマエルはどのような子供時代、青年時代を過ごしたのだろうか、分かっているのは、イシマエルはエジプトの国から妻を迎えたことだけだ。

 イサクからヤコブとエサウが生まれ、ヤコブが後日、イスラエルとなる。一方、137歳まで生きたイシマエルの子らはハビラからエジプトの東、シュルまでの間に住んで、アシュルに及んだ。イシマエルは全ての兄弟の東に住んだ(創世記25章)。このようにして、イシマエルはアラブ民族の先祖となった。新約聖書「マタイによる福音書」1章にはイエスの系図が詳細に記述されている。一方、創世記25章にはイシマエルの家系が簡単に記述されている。

 興味深い点は、聖書はアダムからノア、アブラハムの家庭へと話を進展していくが、神が愛する人とそうではない人に分け、話を展開していることだ。アダムには2人の息子、カインとアベルがいた(後日、アベル死後、3男セツが生まれる)。神はアベルの供え物を取り、カインの供え物を拒んだ。それ以降、次子は神の愛を受け、長子は神の愛を直ぐには受けられない立場となっていく、といった具合だ。

 聖書の世界は神とサタンの善悪闘争史という観点で描かれれている。アベルは善の側に、カインはサタンの側に分かれる。そして悪側が善側に屈服することで神の願いが実現していくという筋展開だ。故レーガン米大統領は冷戦時代、共産主義を悪魔の思想と喝破したが、そのルーツは聖書的世界観に基づいていたわけだ。

 愛を充分に体恤できない環境下で成長した子供(イシマエル)は愛を十分に受けてきた子供(イサク)に対し、妬み、憎しみを抱いたとしても不思議ではない。同じように、イシマエルから誕生したアラブの世界で生まれたイスラム教の教えに、潜在的な戦闘性が含まれているとしても偶然ではないだろう。
 ちなみに、ムハンマドは610年、メッカ北東のヒラー山で神の啓示を受け、イスラム共同体を創設したが、メッカ時代を記述したコーランは平和的な内容が多かったが、ムハンマドが西暦622年、メッカから追われメディナに入って以来、戦闘や聖戦を呼びかける内容が増えている。


 エサウはイシマエルの娘マハラテを妻に娶っている。愛されない立場にあったエサウがこれまた愛されない立場にあったイシマエルの家から妻を得たのだ。これは驚くべき記述だ。愛されなかった家系の恨みが血統を通じて更に蓄積され、増幅されていったことを物語っているからだ。 
 オランダ画家、レンブランド派のファブリティウスは「ハガルとイシマエルの追放」というテーマの作品を描いている。ハガルとイシマエルの物語は芸術家に多くのインスピレーションを与えているのだ。

 神の愛、祝福を受けてきたアベル、そしてイサク、ヤコブに繋がる住人は、愛されなかった世界に追いやられたカイン、イシマエル、エサウの世界の住人に対し、許しと和解の手を差し伸ばさない限り、両者間の愛の闘争は終わることがないだろう。
 イスラム過激派テロ組織の蛮行の背後には、長い歴史の中で蓄積されてきた恨み、憎しみが疼いているのを強く感じるのだ。これは「聖書の世界」の話ではないのだ。

イスラム過激派テロ組織の本性

 修道女マザー・テレサは「愛の反対は憎悪ではなく無関心です」と述べたが、イスラム過激派テロ組織は「愛」の集団ではないが、「無関心」でもないのだ。彼らは異教徒を探し出して、それを見出すと、アラーの名で抹殺していく。イスラム教の経典コーランの一節を暗唱させ、コーランを知らない人間を見つけると殺害したダッカ・テロ事件のテロリストはそれに該当する。問題は、彼らは異教徒のわれわれに対し異常と思われるほどの関心を注いでいるという事実だ。

 イスラム過激派テロ組織を「愛の集団」と誤解する人はいないだろう。だから、ここでは彼らがなぜ無関心でないのかについて考えてみたい。他者、隣人への無関心が席巻している欧米社会で他者に関心を注ぐ存在が出現し、現代、世界に挑戦してきているのだ。

 現代は多様化社会だ。各自がその能力、特性を発揮することを受け入れる社会だ。その一方、マザー・テレサが喝破したように、無関心が席巻している。多様化は価値の相対主義となり、その行き着く先は虚無主義を生み出す。フリードリヒ・ニーチェは「20世紀はニヒリズムが到来する」と予言したが、21世紀を迎えた今日、その虚無主義はいよいよわれわれの総身を完全に包み込んできた。独週刊誌シュピーゲル(6月25日号)は現代社会のナルシズムを特集している。自己への過剰な関心(Ich liebe mich)、ナルシズムも最終的には虚無主義に陥る危険性を孕んでいる。

 一方、イスラム過激派テロ組織は他者に対して無関心ではない。その世界観、価値観は絶対的だ。だから虚無主義に陥る危険性は少ないが、別の危険性が出てくる。彼らの教えを受け入れない異教徒への攻撃性、破壊性だ。

 アブラハムから始まったユダヤ教、キリスト教、イスラム教は唯一神教だが、神学者ヤン・アスマン教授は、「唯一の神への信仰( Monotheismus) には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明している。

 イスラム過激派テロ組織は異教徒に対して戦闘を挑む。その際、イスラム過激派は聖戦という名目を掲げ、その攻撃性、戦闘性をカムフラージュする。イスラム過激派テロ組織の「関心」には常に異教徒への憎悪が隠されている。

 中世時代の十字軍戦争、現代のイスラム過激派のテロは唯一神教の攻撃性を実証する代表的な例だろう。キリスト教の場合、中世時代、十字軍の遠征などを見てもわかるように、キリスト教会はその暴力性を如何なく発揮したが、啓蒙思想などを体験し、暴力性を削除、政治と宗教の分割を実施してきた(ただし、ローマ・カトリック教会の場合、「イエスの教えを継承する唯一、普遍的なキリスト教会」という「教会論」が依然、強い)。

 アスマン教授は、「イスラム教の場合、その教えの非政治化が遅れている。他の唯一神教は久しく非政治化(政治と宗教の分離)を実施してきた」と指摘し、イスラム教の暴力性を排除するためには抜本的な非政治化コンセプトの確立が急務と主張している(「『妬む神』を拝する唯一神教の問題点」2014年8月12日参考)。


 イスラム過激派テロ組織は他者に対し、コーランの一節をテストし異教徒を見つけ出すことに腐心する。彼らは無関心ではなく、他者の世界に過剰なまで干渉していく。多様性を重視する社会から見れば、イスラム教過激派テロ組織は中世時代から飛び出してきた人間集団のような様相を呈している。

 無関心が席巻する欧米社会はイスラム教過激派の異常なこの“関心”に警戒心を抱いてこなかった。日本も例外ではなかった。しかし、バングラデシュの首都ダッカのテロ事件はイスラム過激派テロに対する日本人の関心を覚醒したことは間違いないだろう。

 イスラム過激派テロ問題はやはりイスラム教に戻り、謙虚に解明していく以外にない。イスラム過激テロが生じる度、“あれは本当のイスラム教ではない”といった弁明を聞くが、無責任な主張だ。イスラム教徒が過激テロに走る背景について、国際社会はもっと関心を持つべきだろう(「“本当”のイスラム教はどこに?」2015年1月24日参考)。

大統領選のやり直しは国家の恥か

 オーストリアのフィッシャー現大統領は7日、2期12年間の任期を満了し、ホーブブルク宮殿を後にする。新大統領は8日……と書きたいが、アルプスの小国ではここしばらく大統領不在となる。新大統領がバケーションに出かけたからではない。ましてや病とか事故でもない。次期大統領が“まだ”選出されていないからだ(不在中は3人の国民議会議長が暫定的に大統領職を担当)。

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▲大統領選決選投票の無効を表明する憲法裁判所(2016年7月1日、オーストリア自由党のHPから)

 同国憲法裁判所は1日、5月22日の大統領選決選投票を無効と表明し、やり直しを命じた。その理由は、「選挙関連法には不備はないが、その実施段階で形式的ミスがあった」という。

 オーストリアで4月24日、大統領選挙(有権者数約638万人)が実施された。その結果、6人の候補者は得票率上位2人に絞られ、5月22日、「緑の党」前党首のアレキサンダー・バン・デ・ベレン氏(72)と極右政党「自由党」候補者ノルベルト・ホーファー氏(45)の間で決選投票が実施され、バン・デ・ベレン氏が僅差で当選した。それを受け、今月8日に新大統領の就任式が行われることになっていたが、自由党が先月、決選投票の無効を訴える請願書を憲法裁判所に出した経緯がある。

 決選投票結果が無効となったことを受け、大統領選は第3ラウンドを迎えることになった。次期投票日はケルン連立政権が協議し、議会の承認を受けて決定されるが、9月後半か10月初めに実施されると見られている。

 第3ラウンドのゴングが鳴るまで時間があるので、憲法裁判所の無効宣言の内容をもう少し検証し、次期選挙の教訓としたい。

 ゲルハルト・ホルツィンガー憲法裁判所長官が指摘した「形式的ミス」とは具体的に何を意味するのか。例えば、投票の集計は選挙委員会代表と監視員の立会いのもとで行われなければならない。実際は関係者不在で集計が行われた選挙区があった。投票締め切りは当日午後5時だ。集計はその後始めることになっている。実際は5時前に始まっていた。同国国営放送や2、3の民間放送が投票締め切り直後、投票の暫定結果を流すのは、投票の集計が投票締め切り前に行われているからだ。選挙区の一部で投票締切前に集計された投票結果がメディア関係者やネット関係者に流れ、それが報じられたため、投票をまだ終えていない有権者に影響を与える可能性が出てくる。郵送投票の場合、投票日の翌日午前9時から集計を開始するように規定されているが、かなりの選挙区では投票日に開封され、集計されていた。

 上記のように、法がまったく順守されていなかったという現実が浮かび上がってきたのだ。選挙委員会の関係者や監視員の中には選挙法の内容に目を通していなかった者もいたというのだ。

 同長官によると、「形式的ミス」に該当する投票総数は7万7926票だった。バン・デ・ベレン氏とホーファー氏の投票数の差は3万0863票だから、「形式的ミス」が選挙結果に影響を与える潜在的可能性が出てくるわけだ。

 同長官は「今回は責任を追及する考えはない。選挙委員会関係者や監視委員はボランティアで従事している。わが国の民主主義を支えている人々だ。次回の選挙では法を順守してほしい」と説明している。

 同国では過去、大統領選決選投票のような形式的ミスは普通だったという。いずれにしても、今回の大統領選決選投票で1%以下の僅差という事態が生じなかったら、「形式的ミス」は追及されることはなかったかもしれない。

 大統領選決選投票のやり直しが決まったことを受け、オーストリア議会は郵送投票の仕方や投票時間などで改善を図るために議論を重ねる予定だ。いずれにしても、大統領選決選投票の2人の候補者は夏季休暇を返上し、第3ラウンドに臨まなければならなくなった。

 なお、オーストリア大統領選決選投票のやり直しが決まると、独週刊誌電子版は「オーストリアの恥さらし」と速報を流していた。大統領選のやり直しは国のイメージダウンをもたらすというわけだ。
 ケルン首相は1日、「選挙の実施で問題点が見つかったのだからやり直しは当然だ。国家のイメージ失墜云々に過剰反応する必要はない。憲法裁判所の決定はわが国の法治体制が機能していることを証明している」と述べている。ケルン首相の説明は多分正論だろう。過ちは生じる。それが見つかれば修正し、次回から同じ過ちを犯さないようにすればいいだけだ。

ファンの心を掴んだヴァイキング

 サッカーの発祥の地、イングランドのナショナル・チームが6月27日、対アイスランド戦で1−2と予想外の敗北を喫した。スーパー・スターを多く抱えるイングランドのチームに対し、アイスランドにはスター選手はいない。GKハネス・ハルドルソン選手は映画監督が本業のセミプロ選手だ。そのチームにイングランドは敗れ、ユーロ2016から早々と敗退した。欧州のメディアは“第2のブレグジット(EU離脱)”と報じたほどだ。

 人口約33万人のアイスランドのサッカー人口は約2万人と推定されているが、独自リーグはない。プロ選手は約100人だ。プロサッカー選手の数より火山の数(130)が多い。もちろん、羊の頭数は同国人口の3倍以上だ。小国で島国だから、国民はお互いに知り合いだらけだ。
 ちなみに、アイスランド人口の約1割がナショナル・チームを応援するためにフランス入りしている。なお、アイスランドのイレブンの選手たちの給料を合わせてもイングランドのFWウェイン・ルーニー選手の月給より少ない。

 欧州選手権初参加のアイスランドのチームがサッカーの伝統国イングランドのチームに勝つと予想したファンはサッカーを全く知らない人か、愛国者以外はいなかっただろう。

 試合はイングランドが前半3分、ルーニー選手がPKで先行。その直後、シグルズソン選手がゴールして同点。18分にはシグナ―ルソン選手がシュートして試合を決めてしまった。アイスランドの戦略は選手が結束して相手ゴールに向かっていく。その雄姿はヴァイキングの襲撃のようだったといわれる。対イングランド戦の試合をアイスランド国民の99%が観戦したというからすごい。

 ベスト8に進出したアイスランド・チームは試合後、ファンが集まっているスタンドに向かって拍子を取りながらヴァイキング式凱旋のセレモニーを披露した。

 アイスランドの選手の大活躍を見ていると、英国のプレミア・リーグでレスター・シティーFCが今季、チーム創設133年にして初めて覇者となったことを思い出した。リーグが始まった直後、レスターがチェルシーFC、マンチェスター・ユナイテッドFCなど強豪がひしめく世界最高リーグで勝利すると考えたサッカー・ファンはいなかった。

 当方はこのコラム欄で「スター選手も名監督もいない。資金も他チームのように豊かではないレスターがプレミアリーグで優勝したということは、プレミアリーグだけではなく、欧州のサッカー界に大きな衝撃を投じている。ロシアの金持ちがその資金力でスター選手をスカウトしてインスタントの強豪チームを作るケースが多く見られるだけに、レスターの優勝は新鮮な驚きと感動を世界のサッカーファンに与えている」と書いたばかりだ(「レスターはサッカー界を変えた!」2016年5月9日参考)。


 アイスランドのナショナル・チームの活躍、レスターのプレミアリーグ制覇をみていると、巨額な契約金でスーパースター選手を買い、チーム強化を図る時代は終わった、という印象を受ける。スター選手はチームの広告塔になるが、試合の勝敗は選手と監督の結束、連帯がキーだ、という極めて当たり前の鉄則が再認識されてきた。7月3日の対フランス戦でアイスランドのチームがどのような試合運びを展開させるか、今からワクワクしている。
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